第235話 漂流者
それから数日後の朝。
前日、前田邸に泊まった事もあって、家族団らんで朝食を摂っていた。
長女舞は満一歳。可愛い盛りで、ちゃんと歩けて、最近は俺の顔を見て笑うようになってくれている(以前は泣かれた)。
俺の事を父親と認識しているので、ちゃんと声を出してくれる……なぜか「マンマ」と言われるので、ひょっとしたら賢いこの子は、俺がみんなの食事代を稼いできてくれると理解してくれているのかもしれない。
そんな幸せなひとときを、自警団の緊急無線によって遮られてしまった。
この自警団、『秋華雷光流剣術道場 井原支部』の門下生達による見回りなどが主な任務で、俺が事業などで得た収益からわずかながら賃金を支払い、治安の維持に一役買ってもらっていた。
そして何か警戒すべき事、困った事があればすぐに連絡してもらえるように、現代から持ち込んだ仙界の小型無線機を携帯してもらっている。
滅多に連絡は来ないのだが、この日はたまたま剣の鍛錬で手倉(てぐら)海岸というところに朝練に出かけたところ、座礁した小さな船と、それに乗っていたと思われる、三人の男性が、かなり疲弊した様子でうずくまっていると通報してきたのだ。
そして彼等は、
「自分達は松丸藩の漁師で、漁に出ていたところ海が荒れ、船が壊れて、ここまで流された」
というような事を話しているのだという。
さらに、役人に連絡しようとしたところ、
「下手をすれば関所破りの罪で打ち首になってしまうのではないか」
と恐れて、それは勘弁してくれ、と懇願されているらしかった。
さすがに事情が事情なので、いきなり打ち首になったりはしないと思うが、他所の藩に流れ着いた以上、まったく勝手が分からずに怯えてしまうのも、分からない話ではなかった。
剣術道場の門下生達にしても、どう扱っていいか分からず、藩の役人に直接話ができる立場の俺に来た欲しい、というのは、まあ理解できる。
なにより、遭難して命からがら辿り着いたというのであれば、健康状態が心配だ。
そこで、俺は門下生達に、その三人に水と食料があれば与えて、俺達が向っていることを伝えてくれ、と話して、すぐに支度にかかった。
手倉海岸までは比較的道がいいので、この時代に持ち込んだマウンテンバイクが使える。
前田邸から坂を下りたところで、そのあたりに住む三郎さんと合流。
彼は凄腕の『忍』であり、俺の護衛役でもある。
体力に優れ、俺がマウンテンバイクで走る速度で駆け足しても、息を切らせることはない。
まあ、道がいいとはいえ、舗装されている訳じゃないので、時速で言えば10キロもでていないのだが。
荷物を背負った状態で、走ること約三十分。ようやく手倉海岸に辿り着いた。
そこには、噂を聞きつけたのか、三十人ぐらいの人が集まっていた。
ほとんどが地元の漁師なのだが、いつの間にか刀を差した、若い侍もいる……たぶん、藩の役人なのだろう。
また、顔見知りの海女さん達の姿もあった。
俺が辿り着くと、みんな笑顔で迎えてくれる。
「ああ、拓也さんが来た」
「これで安心だ。なんとかしてくれるだろう」
みんな、そんな感じで安堵の表情を浮かべている……いや、俺、そんなに凄い能力を持っている訳じゃないんだけど。
そして、壊れた小さな船にもたれかかるようにぐったりとしている男性が三人。
一人は、初老……っていうか、もう老人って感じの人。
目がちょっとうつろな感じだ。
もう一人は、四十歳ぐらいの、壮年の男性で、比較的元気な様子。
体も大きく、役人との会話は、主に彼がしていた。
そしてもう一人が、この時代としてもやや小柄な青年……いや、少年か。
十代半ばに見える。
全員、髪は後で束ねる総髪で、背中まで伸びている感じ。漁師としては普通だ。
それぞれ質素な服を着ており、ところどころ破れている。
日に焼けて、ぱっと見は精悍な感じではあるが、老人と少年は元気がない。
大きな怪我はしていないようだが、若い役人の話では、二日間漂流してしまい、船が壊れており、他藩に流れ着いて処遇もどうなるか分からず、途方に暮れているのだという。
肉体的にも、精神的にもショックを受けているのだろう。
若い役人さんも、困った様子で俺にすがるような視線を送ってきた。
今の俺は、下手な藩士より無茶できる権限を持っているので、そうなってしまうのは分かるのだが……。
そして、みんなが俺を頼りにしている様子を不思議に思った壮年の男性が、
「あんたは、ひょっとしたらとても身分の高いお方なのか?」
と尋ねてきたので、
「いえ、そういうわけではないのですが、いくつか店を経営していたりしまして……申し遅れました、商人の前田拓也と申します」
と自己紹介をすると、
「なっ……あんたが、あの、前田拓也殿かっ!」
と、男性は目を見開いて驚いていた。
左右を見ると、少年も、老人も、同様にとても驚いた表情だ。
「ま、まさかこんなお若い方じゃったとは……松丸藩にも、そのお噂は聞こえておりますぞ! 大仙人にして大商人、将軍様とも懇意にされているとんでもないお方、と!」
老人が、かっと目を開けて、そう力説する。
さっきまで疲労困憊だったのに、いきなり気力がみなぎった様になったことにこっちが驚いたぐらいだった。
しかし、そんな様子を、周りの漁師や海女さん達は小さく笑っていた。
「たしかに、この人は大商人だし、仙人って言うのも、まあ間違っちゃいないけど、そんなに興奮するほど雲の上のお方って訳じゃないよ。むしろ気さくに話のできる、ちょっと女に甘い小金持ちの兄ちゃんぐらいに思えばちょうどいい」
海女の中で「姉御」と呼ばれているお琴さんがそう言うと、どっと笑いが起きた。
「ま、まあ、間違ってはないかな……噂っていうのは大げさに広まる者ですから。仙人っていったって、ちょと珍しいものを持っているってぐらいで、怪しげな術が使える訳じゃないんです」
と正直に話すと、三人は、少し拍子抜けしたような顔をしていた。
そして彼らは、自分達の名前を、年齢が高い方から順に、「
「三人とも、怪我は無いみたいですが、二日も漂流してたんじゃあ大丈夫な訳がない。お腹がすいていたり、調子が悪かったり、疲れていたりするんじゃないですか?」
「それは、まあ……しかし、ワシらは何にも持っておらんのですじゃ……」
老人から大体の事情を聞いたが、当然のことながらお金もほとんど持っておらず、今晩寝るところもないらしい。
水と、握り飯程度は、漁師や海女さん達が食べさせてあげているということだった。
側に居た三郎さんと相談して、とりあえず『秋華雷光流剣術道場 井原支部』に寝泊まりしてもらうことにして、そこまでは歩いてもらう事にした。
気の毒な漂流者三人は、三郎さんに言わせれば、まだその正体が確定していない不審者でもある。
剣術道場なら、寝泊まりできるだけの設備がある上に、門下生が常駐している。
ある意味彼等を「見張る」ことができるため、俺としても、役人としても、安心して預けることができるのだ。
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