第191話 番外編14-6 密談

 紅姫はその日、嬉しそうに鏡に話しかけてきた。

「あとちょっとで、父上の元に帰れることになった」と。


 今回の件、実は俺達が姫の無事を伝える前に、極光武寺で匿(かくま)われていると、東元安親殿殿、そして紅姫の父親である岸部久吉殿にも知らされていたようだ。


 ただ、本当に元気にしているのか、また、彼女が望んで残っているという話は本当なのか、脅されているのではないのか……その確認が欲しかったという。


 そこに俺が彼女の比較的元気な姿を印刷して渡した

 そして彼女自身も、最初は拉致された身を嘆いていたが、現在では旧岸部藩士達に心を開き、かつ、自分も彼等に対し、何か力になれないかと考え始めている、と伝えた。


 極光武寺の同輪どうりん殿からもたらされた書状では、あくまで紅姫は自分の意思で残っているということだったが、旧岸部藩士達に拉致され、脅されている可能性もあると付け加えられていたので、まあ、俺達が伝えた情報と大きく食い違うわけではない。


 とはいえ、松丸藩としては、慎衛門をはじめとする旧岸部藩士達を、今更迎え入れる事はできないだろう。

 それどころか、姫を誘拐したという罪で全員死罪になってもおかしく無いのだが……そんなことをすれば他の旧岸部藩士が暴動を起こすかもしれない。


 ならば、今回の件は紅姫が彼等を思い、勝手に行動を起こして極光武寺に駆け込んだ……そういう筋書きにしたいらしい。


 今となっては紅姫自身もそう思っているかもしれない。

 事実、姫は今回の事態収拾策を明るく話してくれた。

 松丸藩から、彼等に対する、いわば『自立支援金』が支給されることになるのだという。

 つまり、


「一定金額を特別に払ってあげるから、これで農業に従事するなり、商売を始めるなりして、自分達で生活の基盤を構築しなさい」


 というわけだ。

 まあ、彼等が望んでいた『藩士への復帰』には程遠いが、なんの支援もないままいきなり無職になったことを考えれば、相当な進歩だ。


 金額は、対象となる浪人百余名に対して、三千両。けっこうな金額だ。

 旧藩士達も、この話を受け入れるつもりだという。


 紅姫としても、彼等が救われた上で自分も帰れる。ある意味、一番良い終わり方だ。

 同輪殿も紅姫の元を訪れ、いままで辛い思いをさせたことを詫びた。

 それに対し、紅姫も、最初彼の事を悪人と思っていたと詫びて、そして今回の解決策を導き出し、うまく立ち回ってくれたことに対し、最大限のお礼を言っていた。


 三郎さんやお蜜さんの調査によれば、同輪殿は元々この寺の僧ではなく、岸部藩の家臣であり、松丸藩に編入された際にお役御免となって、いわばこの寺にそれなりの地位で『天下り』したのだという。

 そのため、僧としての見識はともかく、藩との交渉ごとには長けていたのだ。


 同輪殿とは実際には会ったことはなく、手鏡に映った映像しか見ていないが、五十歳ぐらいの年齢だと思われる。

 彼の活躍もあって、この一件は、無事に解決する……俺は、そんな風に思い込んでいた。

 その夜の、同輪と英生えいせいの密談を、盗聴器で聞き出すまでは。


 彼等は、二人きりで酒を酌み交わしていた。


「……まあ、話がうまく進んで良かったのう。儂としては、もう少し金額が多くなるかと思っていたが」


「いやいや、三千両も引き出すとは、さすが同輪様です」


 媚びたような口調で話すのが、三十歳ぐらいの僧である英生だった。

 彼もまた、同輪に付き従って天下りし、この寺に住むことになったらしいが……。


「例の、前田なんとかという商人……やはり、この寺を探りに来ていたようじゃのう。どういう方法を使ったのか分からんが、紅姫の存在を掴んでいたらしい」


「なるほど、やはりそうでしたか……しかしそれすら同輪様の思惑通り。さすがです」


 ……ばれてたか。それでもあえて、俺を泳がしていたんだな。俺も、一緒に聞いていた三郎さんも、顔を見合わせて苦笑いするしかない。涼も、お蜜さんも微妙な表情だ。


「これで浪人たちも納得するだろう。姫も帰れるし、松丸藩も、旧岸部藩士達が暴走することを未然に防げる。そんな事になれば、変わったばかりの将軍様に目をつけられかねぬからな」


「はい、誠にその通りで……さらには、紅姫様のご言動も、浪人達の間では非常に評判がいいものでした。後は、姫様が一言、『これで皆が幸せになってくれるのであれば、私としても無茶をした甲斐がありました』と笑顔で微笑む……これだけで皆、後は各々が努力すべきと考えることでしょう」


「うむ、その通り。この寺に来たときは泣き続けるだけの小娘だったが、わずかな間にずいぶん成長したものだ。もう立派な姫君だな」


「いえいえ、同輪様のご指導の賜物です……」


 英生はずっと同輪のご機嫌を取り続ける。

 同輪の、紅姫に対する口ぶりが少々気になったが、まあ、彼女のことを褒めているわけだし、彼の活躍により全て丸く収まりそうだし、ここはよしとするか。


「……だが、そんな姫君に、藩士達は裏切られる……」


 ……へっ?


「そうですね……相手は、やはり慎衛門がよろしいですか?」


「ああ、あの二人ならしょっちゅう会っていたし、恋仲になっていても不思議ではなかろう。二人して三千両を持ち逃げし、何処かへと消えてしまう……」


 ……こいつら、何を言っているんだ?


「で、実際のところどのように処分いたしますか?」


「そうさのう……『蛇』に任せるが……まあ、隣の赤着山にでも仲良く埋めてやれば本望だろう」


「そして、三千両は同輪様の物……」


「いやいや、人聞きの悪い事を言ってはならぬ。あの二人と共に何処かへ『消えて』しまうのだ。我々は一切、知らぬ存ぜぬ……」


「そういうことですね……」


 そして二人は高笑いをした。


 ――俺はその恐ろしい真相に気がつき、そして肌が激しく粟立つのを感じた――。

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