第180話 出頭

 小屋の中は、緊迫した空気で満ちていた。


 里菜と茂平の二人に確認したが、他に仲間はいないという。

 ということは、小屋の周りにいる数人は、二人を捕らえようとしている者であることは確かだ。


 例えば、それが刀を奪われた侍達の仲間であったならば、それは私怨に満ちた仕返しだろうし、そうではなくて奉行所の役人だったとしても、捕らえられれば二人の死罪は免れない。


 俺達は、どう動けばいいのか。

 この二人の逃亡を手伝う訳にはいかない。

 俺も、三郎さんも犯罪者となり……そして平次郎親分やお清さん、優、結まで巻き込んでしまうことになるからだ。


 と、いうことは……どう動いても、二人にとってマイナスにしかならない。

 やはり、里菜は救えないのか……。

 そんな絶望的な状況の中、ふっと、なにか空気が緩んだような気がした。


「……殺気が……消えた……」


 俺をのぞく四人が、顔を見合わせていた。

 ちょっと俺も『殺気』っていうものが何なのか、分かったような気がした。


「……いや、驚かせてすまんかったのう。わしらは手荒なまねをするつもりはない。おとなしく出て来てはくれまいか。決して悪いようにはせぬ」


 ……どこかで聞いた事のあるような、老人の声だった。

 殺気が消えたとは言え、手練れの者達に囲まれている状況には変わりない。

 俺達は全員、目を合わせて頷くと、観念したようにそのまま小屋の外へと出た。


 そして、その老人の顔を見て、


「「……ご老公様っ!」」


 と、俺と平次郎親分が同時に叫んだ。

 そしてその事に驚いて、親分さんの顔を見ると、彼も驚いていたが、お互いに納得したように頷いた。


 江戸幕府の重鎮にして、全国行脚の旅を続けているご老公様。

 以前、阿東藩のゴタゴタがあったときにそれを鎮めてくださった、俺にとっても恩のあるお方。

 普段は身分を隠しておられるが、平次郎親分ほどの方であれば、面識があってしかるべきだ。

 そしてその親分さんも、俺がご老公様と知り合いであることに、驚きはしたが、意外ではないと納得したのだろう。


 そしてその側に集う、護衛のすげさん、がくさん、そして忍装束の二人。

 三郎さんも顔見知りのため、やや緊張感がほぐれる。

 しかし、里菜と茂平の二人は青ざめたままだ。


 俺と親分さんは頭を下げようとしたが、ご老公さまがそれを制した。


「平次郎殿、お役目ご苦労じゃった。拓也殿も、『妖怪仙女』捕縛に協力し、見事に実績を上げられた……さすがですじゃ。しかし少々、困った事になっておる様じゃのう」


 ご老公様は、優しげに微笑んでいた。


「あ、いえ……はい、なんというか、その通りで……」


 全て見透かされていると悟った俺は、素直に認めるしかなかった。


「……ご老公様、なぜこのような場所に?」


 親分さんが、俺も疑問に思っていたことを訊ねた。


「いや、実は儂等は、仙人でもある前田拓也殿が江戸に進出したという話を聞いて、さてどんな活躍をしてくれるのかと、こっそり見守っていたのじゃ。すると、早々に商売を成功させ、そして時期を同じくして起こった『妖怪仙女』の事件解決に向け、動き始めたというではないか。ますます目が離せなくなって、この者達に事態の推移を見てもらっていた……まあ、そこの三郎殿が来てからは、あまり近づけなくなったがの」


 ……知らないうちに、俺は注目されていたのか……。


「そして今日、なにやら『仙界の小道具』を用いて『妖怪仙女』を追いかけていった……儂らはあまり近づくことが出来なかったので、この忍犬『疾風ハヤテ』の嗅覚に頼って追ってきたところ、この場に辿り着いたというわけじゃ」


 忍犬……今で言う警察犬みたいなものなんだろうな……。


「……それでは、ご老公様は、ひょっとして『妖怪仙女』の正体を、ご存じだったんですか?」


 俺はこの方なら、何もかもお見通しだったかもしれないと思って訊ねてみた。


「いや……儂らが注目しておったのは、あくまで拓也殿の動向のみ。『妖怪仙女』も興味がないわけではなかったが、大きな怪我をした者もおらんかったし、奉行所も動いておった。何より拓也殿の手腕が見たかったので、そちらには手を出しておらなんだ……まさか、拓也殿のところの売り子だったとは、儂らも驚いたがの」


 その言葉に、里菜はまた震えだしていた。


「……ご老公様……里菜は父親を殺された、その仇を見つけようとしていただけです……なんとか、命だけは助けてもらう事はできませんか?」


 俺は、祈るような気持ちでご老公様に直訴した。


「……それを決めるのは、奉行所じゃ。二人は、奉行所に行ってその処遇を決めてもらわねばならぬ」


 ……やはり、無理だった。

 いや、ご老公様は、公人であるからこそ、こういったことに対しては厳格なのだ。


「そんな顔をせずとも良い。悪いようにはならぬじゃろう」


 ご老公様の、思いがけない優しい言葉に、俺達は全員、えっと顔を上げた。


「確かに、二人は罪を犯したように見える。しかし、それはどんな罪だったか。そして、それはどのような者に対してのものだったか。それを考えれば、罪は罪で無いかもしれぬ」


 禅問答のような言葉に、俺の頭の中ははてなマークで一杯になった。


「そもそも、今回のきっかけとなった『人斬り権兵衛』は、捕らえられておらぬ……それは幕府の責任であり、その娘に辛い思いをさせた負い目もある。儂は約束する。悪いような結果にはならぬ、とな」


 相変わらず、ご老公様の口調は穏やかだった。


「……夜明けが近いようですな」


 ふと見上げると、東の空はもう白み始めていた。


「奉行所に、出頭してもらえるな?」


 菅さんの言葉に、里菜も、茂平も、涙を流しながら頷いた。

 俺も三郎さんも、そして平次郎さんも、ただご老公様の言葉を信じるだけだった。

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