第181話 放免

 夜が明けた。


 ご老公様達と別れた俺達だったが、三郎さんによれば、別の誰かに、逃げないよう見張られているかもしれない、とのことだった。


 平次郎親分は、里菜と茂平の二人を連れて奉行所へと入っていった。

 俺と三郎さんは何も出来ない。

 ただ二人への寛大な処置を祈りながら、前田食材店へと帰った。


 すると、まだ開店前のはずなのにやけに騒がしく、通行人が何事かと足を止めていた。

 と、そこにいたのは血相を変えたゆいだった。


「……あ、拓也さん! 大変です、大変なんですっ!」


 相当慌てている。


「まあ、落ち着いて深呼吸して。何があったか、ゆっくり、でも、簡潔に話してくれ」


 なだめるように俺は言った。


「は、はい、あの……里菜が、神隠しに遭ったんですっ!」


 その言葉に、俺と三郎さんは顔を見合わせた。


「……そうか、結は里菜と同居してたんだな……」


 これはこれで、なんて説明すればいいか困った事になってしまった。

 とりあえず詳しく話を聞くから、ということで結を落ち着かせ、彼女と一緒にその場にいた優と共に店の中に入っていった。


 その優はといえば、無線の届かない範囲に出てしまった俺達が帰って来ないことを相当心配していたらしい。

 とりあえず俺と三郎さんの顔を見て安心はしたようだが、こちらにも説明が必要だ。

 まず、取り乱している結の話を聞く。


 朝起きて、屋根裏部屋で寝ている里菜にいつも通り声をかけたのだが、返事がない。

 おかしいと思って上がってみると、忽然と姿を消していたという。

 家の扉には内側からかんぬきがかけられており、外に出て行った形跡がない。

 とすれば、考えられるのは神隠ししかない、という訳だ。


 これは困った。


「彼女は実は妖怪仙女で、その正体はしのびで、いま奉行所に出頭した」


 なんていう本当の事が言える訳もないし、だからといって、安易に「大丈夫だから」などと声をかけることもできない。


「……なるほど、それは一大事だな。よし、俺が探しに行ってやる」


 心強くそう宣言したのは、三郎さんだ。

 彼も徹夜で疲れているだろうに……うん、いい人だ。

 たぶん、探すフリしてどこかで寝るだろうけど。


「ほ、本当ですか! さすが用心棒さんですね、頼りになりますっ! 今まで怖がって、すみませんでした」


 と、結は深々と頭を下げる。

 さすがにこれには、三郎さんもちょっとバツが悪そうに照れていたが。


「じゃあ、私も探しに……」


「いや、結は残ってくれ。里菜がひょこっと帰って来るかもしれないだろう? 店だっていつも通り開けないといけないし……悪いけど、俺と優、大事な話があるから二階に行かなくちゃならないんだ。それが終わったら、俺も探しに行くから……まずは捜索は三郎さんに任せて、俺達は待とう。平次郎親分さんが来るかもしれないし、その時は結の口から里菜のこと、説明して欲しいし」


 何とか平静を装ってそう話す俺の言葉に、結は何か反論しようとしていたが、自分に何が出来るわけでもないと悟ったのか、渋々納得したようだった。


 そして三郎さんは捜索に出て(ただし、そのフリだけ)、俺と優は二階へ。

 事実を隠しておこうかとも思い、迷ったが、彼女とは隠し事をしないと誓った間柄だ。

 小声で、昨晩からの出来事を話すと、さすがに青ざめていたが、


「……ご老公様のお言葉があったのであれば、安心ですよね……」


 と、祈るように呟いた。

 それを聞いて、俺も


「ああ、そうだな……命までは取られたりしないだろう」


 とだけ返しておいた。


 ちょうどその時。


「里菜っ! どこ行っていたの? 大丈夫だったの!?」


 騒々しい結の声が聞こえて来た。

 俺と優は顔を見合わせ、急いで降りていった。

 するとそこには……泣きそうな顔の里菜と、幾分疲れた表情の平次郎親分が立っていた。


「結、ごめんね……本当に、ごめん……」


 里菜はそう言うと、大粒の涙をこぼして泣き始めた。

 結も、里菜にそんなふうにされると、ただ肩を抱いて一緒に泣くしかない。

 少し泣いて、落ち着いたのか、(おそらく親分と打ち合わせたニセの)事情を話し始めた。


「えっと、あの……なんか夢を見ていて、気がついたら、知らない川原に立っていて……どうしようもなくてぼうっとしてたら、親分さんが助けに来てくれたの……」


「……川原に? やっぱり、神隠しだったんだ……でも、良かった……親分さん、ありがとうございます! でも、どうして居場所、分かったんですか……」


「……いや、まあ……虫の知らせっていうやつかな……ともかく、もうちょっと、里菜に詳しい事情を聞かないと行けないから、二階借りてもいいか? 拓也さんとお優さんも一緒に頼む」


「……え、じゃあ、私も……」


 結が心配そうにそう言ったのだが、


「ごめん、そうすると店を開ける人がいなくなるから……こうやって無事に里菜が帰ってきたんだから、もう心配ないよ。後できちんと話すから、店のこと、頼む」


 と、再び説得すると、責任感の強い結は、また渋々ながら仕事に戻ったのだった。


 こうして二階に舞い戻った俺と優、そして後からやってきた里菜と親分さん。

 俺が昨夜の出来事は優に説明済みだと話すと、


「そいつは手間が省けて助かる」


 と、奉行所で何があったか、詳細に語り始めた。


 そしてその内容は、結論から言うと、

『相手にされなかった』

 だった。


 突然、娘と老人が奉行所を訪れて、


「今江戸を騒がせている妖怪仙女の正体は、実は私で、爺が逃げる手伝いをしてくれた」


 と同心に話しても、


「お前みたいな小娘が、真剣を抜いた武士と一対一で戦い、その刀を奪ったというのか? そんなばかげた話があるわけないだろう!」


 と、けんもほろろに追い出されたというのだ。

 キツネにつままれたような感じで外に出ると、ご老公様一行が待っていたという。


「やはり、罪にはなりませんでしたな」


 ご老公様は、優しく語りかけてくれたらしい。


「今回の一件、被害者の中には幕府に仕える武士もおった。考えてもみなされ、そんな身分の侍が、素手の妖怪に刀を抜いて戦いを挑み、まんまと刀を奪われた。その妖怪の正体が、こんな可愛らしい娘さんであったならば……それは生き恥をさらした事にほかならない」


 その言葉に、ようやく二人は納得したという。

 さらにご老公様は続けた。


「まあ、わしから同心には言っておいたのでな。そんなあり得ない事をいう娘が来るかもしれないが、適切に判断して対処するように、くれぐれも侍達に恥をかかせることがないように、とな」


 と……。


 ――里菜は罪を償うべく出頭した。

 しかし、罪には問われなかった。

 これで、なんにもなかったことになるのだという。


 なんか、拍子抜けというか、肩すかしというか……俺達のあれほどの心配は何だったんだろう。


 そこに、ちょうど三郎さんが帰ってきたようで、結から「里菜が見つかった」と聞いて、二階に上がってきた。

 親分さんに今の話をもう一度してもらうと、


「なるほどな……さすがはご老公様だ……」


 と納得していた。

 ちなみに、茂平さんはあの小屋に戻ったという。


「しかし……どうする? 刀は処分したりしていないんだろう?」


 三郎さんが里菜に聞いた。


「はい……別のところに隠しています。数が多いので、奉行所の方にご足労いただいて見ていただくつもりだったのですが……」


 そりゃそうだろう、若い娘が日本刀を何本も担いで歩いていたら目立ちすぎる。


「太刀は、高価な品だ。取られた侍は……まあ、そいつらの腕が未熟だったっていうこともあるだろうが、とにかく困っているだろう。返してやるべきだな……ついでに、名誉も回復させたほうがいいだろう」


「……へ? 刀と返すのはともかく、名誉回復なんて、できるんですか?」


 俺はちょっと間抜けな声を出してしまった。


「ああ……準備するのは拓也殿、あんただ……っていうか、あんたにしかできない」


「お、俺?」


「ああ、以前同じような事をしたじゃないか、あんたの妹を、明炎大社から連れ出すときだ」


「……えっと、あのときは、まず三郎さんが『神の使い』に化けて……あ、なるほど!」


 なんとなく、彼の考えていることが分かった。


「そういうことだ。今度は、そうだな……龍神にでも化けて騒ぎを起こして、同心やら岡っ引きやら野次馬が集まったところで『十分楽しめた、余は天界に戻る』とかなんとか演技して、派手に退散すればいいんだ。刀はその時に隠し場所を示してやればいい」


「……うん、いいですね。そうすれば、侍達が負けたのは、実は下界に来ていた龍神様の腕試し、とかってなって、それならば仕方がないかって……そんなにうまく行きますかね?」


「そういう派手なネタの方が、読売は面白おかしく大げさに書くもんだ。それで幕引きでいいだろう?」


 俺と三郎さんの会話について来られているのは、笑顔で頷いている優だけだった。

 後でプロジェクターの映像なんかを見せると、里菜も親分さんも、最初は驚き、最後には納得してくれたが。


 こうして、事件を収束させるための準備が始まった。

 今回の舞台は、騒ぎは起こすが、誰とも戦ったりはしないということで、安全なものになるはずだ。

 っていうか、なんか凄く楽しみにすら思えてきていた。


 これで、一時は絶望的な状況に陥った里菜だったが、何事も無かったように元の日常に戻れる……俺達はそう考えていた。


 しかし、なにか引っかかるものがあった。

 なにか重要な事を見落としているような気がして……。


 ――そしてそれは、俺と里菜にとって、致命的な『なにか』だった――。

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