第179話 仇討ち

 俺と平次郎親分、三郎さんは、後ろ手に縛られた里菜を連れて、小屋の中へと入った。


 そこには、同じように後ろ手に縛られた、初老……いや、もう老人の域に入っていると思われる、黒装束に身を包んだ小柄な男がいた。

 その男も、うなだれていた。


 ちなみに、この小屋に戻るとき、周囲に誰も居ないことは確認しておいた。

 まだ、この捕縛を知るものはいない……そういう状況であることを確かめたのだ。


 狭い部屋に、縛られた男女二人と、下手人を捕らえたにもかかわらず沈痛な表情の男三人。

 っていうか、俺はまだ状況の整理ができていなかった。


「……わしが無理矢理やらせたんじゃ。武士を襲わせ、刀を奪うよう命令した。そうでなければ、殺すと脅してな」


 老人の言葉は、はっきりとした、しかし、悲壮感が漂ったものだった。


「ちがう、そうじゃない……爺はわたしのわがままに、無理矢理付き合ってくれただけで、今日だって船に乗せてくれただけで、何にも悪いことしてない!」


 今度は里菜が老人を必死に庇う番だった。


「……どのみち二人とも死罪だ。だから正直に言ってくれないか」


 三郎さんの言葉は、厳しく、容赦がなかった。

 老人は、あきらめたように語り始めた。


「……儂は茂平という名です……儂は、ある小さな藩の武士じゃった。あまりいい家柄ではなかったので、懸命に剣の修行を重ねた。しかし、この太平の世、剣の腕が重視されることはなく、藩が財政的に困窮したこともあって、あっさりとお役御免となった」


 ……つまり、リストラされた訳だな。


「当時の儂には、妻と、幼い娘がいて……間が悪いことに、二人とも流行病にかかってしまった」

 ……なるほど、その幼い娘って言うのが里菜なんだな。


「浪人となった儂に、高価な薬が買えるはずもなく……二人ともあっけなく死んでしまった」

 へっ? 里菜じゃないの? っていうか、だったら関係無いのでは……。


「自暴自棄になり、いっそ川に身を投げようとしていたときに、ある忍の頭が声をかけてくれた……そして、儂は下忍として、忍術を学ぶこととなった」


「……『五免の弥彦』だな……」

 三郎さんが、確認するようにそう聞いた。


「……よく分かりましたな。そのとおり、弥彦様じゃ。元々剣には自身があったし、体は大きくないが、体術も得意だった。そして弥彦様の元で、修行し、いくつもの任務もこなした。家族がいないことが、かえって忍という仕事に向いておった……そうして二十年の月日が流れる頃、とある特別な仕事を受けた……『人斬り権兵衛』の捕獲、または暗殺ですじゃ」


『人斬り権兵衛』……確かに聞いた事がある。

 十年ほど前、江戸に『人斬り権兵衛』という辻斬りが現れて、侍だけを標的として何人も殺害したという事件だ。

 まだ犯人は捕まっていないし、生死も正体も不明という噂で、今回の『妖怪仙女』も実はその手下なんじゃないかって噂があったんだったな……。


「その『人斬り権兵衛』、結構有名な剣客を殺害しており、それなりの賞金もかかっておった。恐らくは剣の達人で、闇討ちが得意。儂も昔は剣は得意じゃったが、まともにやれば勝ち目はない、隙を突いて攻撃できれば勝機はある……しかし、その正体すらつかめていない。こういうときは、その辻斬りが出そうな場所を夜中に回り、自分を囮にして誘い出すのが得策……そう考えて、刀を持ち、夜道を一人歩くようにした。……そしてある雪の降る夜、儂は出会ってしまった……父親を目の前で『人斬り権兵衛』に惨殺され、なすすべもなくただ泣いていた一人の幼子を……」


「……まさか、その娘が……」


 俺は、そうでないことを祈りながら聞いてみた。


「……この里菜ですじゃ……こう言ってはなんですが、この娘の父親は、恐ろしい程見事な切り口で殺されておった……おそらく、痛みを感じる暇すらなかったのではないだろうか……それはともかく、真っ白な雪の上に、ほとばしった血しぶきが真っ赤に飛び散っていた、そんな遺体の腕を掴み、里菜はずっと泣いていた……事情を聞くと、母には数年前に先立たれ、父が唯一の肉親だというではないか。儂は思った。この娘、殺されずには済んだが、放っておけば三日と生きていくことはできまい、と……。そして、この娘と、二十年前に無くした儂の娘が重なって見えてしまった……儂は、この娘を引き取ることにした。もう歳じゃったし、忍は引退し、渡し船の船頭となった……」


 ……里菜に、そんな悲惨な過去があったなんて……普段、あんなに明るかったのに……。


「……この娘、里菜は、生きる希望を無くしておった……何かうまい料理はないかと探して食わせてみても、新しい服を買ってやっても……ありがとうと礼は言うが、その顔は笑っておらんかった……何ヶ月か過ぎた頃、気晴らしに、と剣術の練習用の木刀を持たせてみると、この子は毎日毎日、素振りを繰り返すようになった。思っていたより、ずっと速く上達もしていき、そして時折、笑顔も見せるようになった。儂は安心した、里菜は生き甲斐を見つけたんだと。そして一年が過ぎるころ、この娘は、儂に剣術を正式に、もっと本格的に教えて欲しい、と懇願してきた。理由を聞くと、もっと強くなりたいからだという。強くなってどうするんだ、と聞いてみると、予想外の答えが返ってきた。『父を殺した人斬り権兵衛を、私が倒す』……この娘は、ずっと父の仇討ちを望んでいたんじゃ……」


 茂平と名乗る老人以外、誰一人として言葉を発することなく……ただ真剣に、彼の話に耳を傾けていた。


「里菜は、天賦の才を持っていた……父親も、名の知れた剣豪だったそうじゃ。その証拠に、辻斬りの左頬に傷を負わせていたらしいからな……もっとも、幼子の話など、役人はまともに取り合ってくれんかったが。それはともかく、父親の剣の腕を受け継いでおったのか、この娘はみるみる上達していった。それだけではなく、体術も、忍術も……この儂を超えるほどに」


 ……俺は、見抜けないでいたのだ。里菜の、あの屈託のない笑顔の裏に、そんな悲しい過去と、心に闇の部分が存在することを。そして、湯屋で見たあの鍛え上げられた肉体は、日々の鍛錬の賜物であったことを。


「……忍に問われる技量の一つに、『如何に普通の町人としてふるまえるか』というものがあるが……体術同様、いや、それ以上に才覚があったということか……俺も全く気付けなかった」


 三郎さんが解説してくれる。

 いや、三郎さんはそれほど里菜と接触する機会はなかった。平次郎さんも同様。一緒に居る時間の長かった俺も、優も……おそらく、寝食を共にしている結も、気付いていないだろう。


「いえ……修練しているとはいえ、里菜は本当に普通の町人じゃった。儂も『人斬り権兵衛』を探してはおりましたが、里菜の父親が殺されたのを最後に、ぱったりと江戸に出没しなくなり、それっきり行方はわからんままでした」


「……無理もない。『人斬り権兵衛』の顔は、誰も知らない。なぜならば、その顔を見たときがその者の死ぬときだからだ……さすがに、幼い娘にまでは手にかけなかったようだがな」


 平次郎親分は、黙ってうつむいている里菜を見ながらそう言った。


「……あれから十年、さすがにもう、『人斬り権兵衛』は江戸にはいない……そう考えて、儂も里菜も、普通の町人として過ごすはずじゃった。儂もそれでいいと思っておった……しかし、この娘は見てしまったという。左頬に傷を負った、『人斬り権兵衛』の姿を」


 茂平のその言葉に、平次郎親分も三郎さんも、驚いたように顔を上げた。


「……それは間違いねえのか。いつ、どこでの話なんだ?」


 親分さんの、岡っ引きらしい問いだ。


「はい……私が拓也さんのお仕事を手伝うようになって、数日後……椎茸を買いに来る大勢のお客さんを対応しているときに、あの男は遠巻きにこちらを見ていました。あの凍るように冷たい目つき、そして父が付けた頬の傷……間違いなくあいつでした……慌てて追いかけたのですが、人混みが多く、その場所に辿り着く前に見失ってしまって……」


 彼女は、悔しそうにそう話した。

 本当に最近の話だったのだ。


 それ以降、里菜は毎日店先に出てその男がまた来ていないか見張るようになり、そして茂平は江戸中を探して回ったという。

 しかし、見つける事ができない。

 そこで二人は、危険な賭に出た。


『人斬り権兵衛』の行動を真似て、刀狩りをする妖怪という存在を創り出したのだ。

 うまくいけば、これで奴をおびき出せるかもしれない。そうならなかったとしても、興味を持ったならば江戸に留める事ができるかもしれない。


「……そんな子供じみた話に、乗ってくると思ったのか?」


 三郎さんの言葉は相変わらず厳しい。


「いや、そんなにうまくいくはずはないと言いましたが……聞く耳を持たんのです。無理もない、目の前で父親を惨殺した仇の姿を見てしまった。十年もの間、奴を倒すためだけに……自分の人生は仇討ちの為にあるんだと、辛い修行を続けてきた娘ですじゃ。どんな手を使ってでも、どんなに分が悪い賭だったとしても、奴をおびき出したい……捕らえられれば命はないと分かっていても、そんな行動に走らざるを得なかったんですじゃ……」


 茂平の言葉に、また場の空気が重くなった。


「……でも、毎晩どうやって抜け出したんだ? 結のところに泊っていたんだろう?」


 俺は気になっていた事を聞いてみた。


「……私は、ほんの小さな屋根裏部屋で一人寝ていました。そこは戸板一枚外せば屋根の上に出られたので……」


 なるほど、忍びならば出入りは容易、というわけか。


「結にも嘘をついて……拓也さんや、優さんの事も裏切って……大勢の人に迷惑かけて本当に、私なんか死んで当然なんです……」


 里菜は、またすすり泣き始めていた。


 ……俺は、自分の行動の軽さに、後悔していた。


「千里眼ならぬ一里眼だ」などと、楽しむように監視カメラを内蔵した狛犬を作り。

 三郎さんからは、平次郎親分に「阿東藩の重要人物、次期藩主候補だ」などと過大に紹介され、いい気になって。


 椎茸だって、ちょっと売り上げが順調だったことで調子にのって、それを邪魔された……それだけの理由で、得意になって「自分が仙術を駆使して妖怪を捕まえる」と言ったこともあった。


 なにが仙術だ。

 あんなの、現代から持ち込んだハイテク器機にちょっと細工しただけじゃないか。

 その時空間移動だって、叔父が発明した『ラプター』を借りているだけだ。

 それなのに、自分が特別な人間だと勘違いして。


 二人を捕らえるときだってそうだ。

 俺は何にもせず、ただ安全なところから見ていただけだ。

 そして里菜と老人が捕まり、二人が処刑されると分かっているが、何も出来ない。

 そうだ、俺が余計な事したから、二人は捕まったんだ。


 俺と三郎さんだけなら、なんとか見逃すことができたかもしれない。

 だが、平次郎親分は、相手が顔見知りだったとしても、犯罪者をわざと逃すようなことは絶対にしない。


 そして、里菜と、この老人は殺される。

 特にまだ若い里菜……この娘が、磔にされ、槍で突き殺される……もしくは、生きたまま首を跳ねられるのだ。


 ぞっとした。

 背中に冷たいものが走った。

 そしてそれは、逃れようのない現実なのだ。

 俺のせいだ。

 そしてこんな肝心なときに、俺は何もできないのだ……。


「……平次郎親分、この二人、見逃すつもりはないんだよな」


 言葉を発する事すらできない俺に変わって、三郎さんが口を開いた。


「ああ。たとえ身内であっても、罪人を見逃すようなマネはしねえ。この十手に誓った」


 やはり……彼は根っからの岡っ引きだった。


「だったら仕方ない、番所に突き出すまでだ……おっと、茂平の腕の縛り、緩くなっちまってる。締め直さないとな」


 三郎さんはそう言って、茂平の後に回り、縄をいじっていたが……。


「おっと、いけねえ、手元が狂った! 縄がほどけちまった!」


 と、わざとらしい言葉を発すると、はらり、と縄が解けて、その場に落ちた。

 きょとんとする茂平、そして平次郎親分。


「……そこの妖怪も、親分は女だと思って緩くしか縛っていないようだな。おめえが本物の忍なら、そのぐらい自分で解けるんじゃないのか?」


 三郎さんがそう言うと、里菜は、一瞬目を丸くしていたが、頷いてごそごそと体を動かすと、あっという間に縄抜けし、自由になった腕を見せた。


「……さて、こいつは困った。せっかく捕まえた二人の縄が解けちまった。かといって、俺は岡っ引きじゃねえから、こいつ等を捕らえる義理はない。怪我したくもないしな。それとも拓也殿、あんた捕まえるか?」


 三郎さんのその問に、おれはぶんぶんと首を横に振る。

 元より、捕縛術なんて身につけていないし、この二人を捕らえる事なんて絶対無理だ。


「……ということは、平次郎親分、あんた一人でこの手練れの忍二人をとっ捕まえなきゃならねえ。できるか?」


 そこまで聞いて、理解した。

 三郎さんは、二人を逃がそうとしているんだ。

 もちろん、わざとではなく、事故という形を取って。


「……厳しいな。一人を捕らえたとしても、もう一人が邪魔したら、結局二人とも逃げられる。いっそ二人同時に捕まえるか……いや、二兎を追う者は一兎をも得ず、になりそうだな……」


 平次郎親分も、笑っている。

 といっても、彼は本気で捕らえに来るだろうが……それでも、この二人相手なら同時に捕縛は無理だろう。


 里菜と茂平の二人は、お互いに見つめて、そして何か決意したように頷いた。


「……無事逃げたとしても、もう江戸には帰って来られない。それでもいいか……って、死罪になるよりいいに決まってるよな……」


 俺は、この展開に安堵してそう言った。


「……はい。結や、優さんにもう会えないのは心残りですが……もし逃げられたら、爺と二人、ひっそりと暮らします」


 里菜の口調は穏やかだった。

 それは、自分が助かったと言うより、茂平を、そしてこれ以上、知り合いに迷惑をかけなくて良くなった……そんな救われた思いからだったのかもしれない。


「おっと、そんな台詞はこの俺から逃げ切ってから言うんだな……本気で行くぜ……」


 と、平次郎さんが縄を構えようとした、その時だった。


 その場に居た、俺をのぞく全員が、血相を変えて立ち上がった。

 小屋の周囲の気配を探ろうと、静かに、ただ首から上だけを動かしていた。


「……四人……いや、五人、か……」

「……ああ……囲まれてるな……凄まじい殺気……全員、恐るべき手練れだ……」


 ……なんで皆さん、そんなの分かるんだろうか。俺だけ完全に仲間はずれじゃないか。

 と、次の瞬間、ワンワンという犬の鳴き声が聞こえて、俺はビクッと肩を上げた。


「……犬まで連れていやがったか……」


 三郎さんが苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。

 うん、犬は俺にも分かった。


 しかし、この状況って……。


「妖怪仙女を追っていたのは、俺達だけじゃなかったって事だな……」


 平次郎親分の冷静な分析に、また俺の背に、冷たいものが走るのを感じた。

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