第148話 視察団

「それって……じゃあ、あの人は涼姫と分かって……」

 ちょっと俺の声はうわずっていたかもしれない。


「間違いなく、そうだろうな。この店で働いているという情報や人相を、事前に調査していたのだろう。名前はこの店で給仕同士の会話をよく聞いていれば分かるだろうしな」

 三郎さんは真剣な表情でそう語った。


「でも、そのためにわざわざ松丸藩から旅をしてくるなんて……」


「いや……仮にも藩の筆頭家老の息子だ。現時点でそれなりの役職に就いている。それだけの為に来ると言えば、さすがに止められるだろう。しかし今回、阿東藩と松丸藩が隣国同士になったということで、交換視察を開催している。あの方……東元安親ひがしもとやすちか殿はその視察団長として訪れており、この町の旅籠にしばらく滞在しているということだ」


「えっ……じゃあ、育次郎さんから話があった金の採掘現場や養蚕施設の視察っていうのは……」


「この件だ。我々末端の人間には、どういう人物がやって来るのかまでは知らされていなかったが……いや、あえて伏せていたのだろうな」


「それで、ついでに自分の嫁候補の顔を見に来た……」


「どうかな……そもそも、今回の交換査察を企画したのも安親殿だという話だ。藩同士、お互いをよく知り、親睦を深めるためなどという建前はあるが、どうせ本当に重要な情報は互いに明かしたりしない。挨拶程度、と思っていたのだが……もしかしたら、本当の目的は、自分で言っているとおり嫁探し、なのかもしれない」


 ……なんか、目の前がくらくらするような感覚を覚えた。


「でも、そんな仕事をしているのに、毎日『前田美海店』にやってくるなんて……」


「あんたも知っているだろう? お役人の仕事なんか、昼過ぎで終わるんだ。空いた時間を使って、この藩の有名な店に飯を食いに来たとでも言っておけば問題はないのだろう」


 そりゃそうだ、こんな店に「藩の姫君」が居ることのほうが普通じゃないのだから。


 でも、この情報ってよっぽど上位のお役人しか知らないはずなのに……有能な忍がいるっていうことなのかもしれないが、大丈夫なのだろうか。


 それにしても、思ってたよりやっかいな話になってしまった。


 どうしようかと思ったが、とりあえずこの話はまず優と凛、それにナツには話して、最終的にユキとハルにも伝えた。


  皆、驚くとともに、少し呆れ、そして警戒感をあらわにした。

 なんとしても、涼を奪われてはならない、阿東藩のためにもならないと、そこは意見が一致しているようだった。


 翌早朝には涼にもこの事を話した。


 さすがに彼女はちょっと驚いていたが、すぐに笑顔になって、

「相手がどなたであろうと、私の気持ちは変わりませんよ」

 と笑顔で話してくれた。


 その当日の午後も、侍は現れた。


「お涼……そろそろ気持ちが変わってきた頃ではないか?」

 相変わらず真顔でそう尋ねる侍。


「いえ……前からお話しているとおり、私は心に決めた方がいらっしゃいますので、その思いは何があったとしても変わりませんよ、安親様」


 彼女がその名前を口にした瞬間、彼は一瞬驚きの表情を見せ、周囲を見渡し、ハルやユキ、ナツが注目していることに気づくと、


「……なるほど、さすがに優秀な、情報収集に長けた付き人がどこかにいる、というわけか……」

 と、観念したような表情を見せた。


「隠していて申し訳ない、このことはもっと後から言うつもりだった。まず、身分ではなく、俺という個人に興味をもってもらいたくてな……」


「でも、私のことは知っていたんですよね?」


「ああ、その通りだ……不公平だったな。だが、どうしても自分の嫁は自分で見て、決めたいと思ったのだ……あんたは、まさしく俺の理想通りの娘だった。それで、時間がかかってもこちらに気を向けてほしいと思ったのだが……」


「お気持ちは嬉しいのですが、何度も申し上げておりますとおり、私の気持ちが変わることはありませんよ」


「それほどまでに、ま……いや、その人物は魅力的なのか」


 周囲に客が居ることを考慮して、具体的な名前を出さない侍。


「はい……そういうことになりますね」


「そうか……わかった。もう一つ、用件を伝えようと思っていた……俺は明日から数日間、この店に来られなくなる。ある『場所』を訪ねることになっているのでな。そしてそこで、おそらくあんたが言っていた人物と会うことになる……そこで見極めるとしよう。どれほど立派な人物なのかということを」


 ……えーと、俺、すぐ近くに居るんですけど……。


 結局その日は、その侍は食事だけして大人しく帰って行った。


 翌々日の午後。


 街道が整備されてきているとはいえ、阿東藩の城下町から金の採掘地まで歩くのは、丸一日以上かかる。


 予定より少し遅れてやってきた松丸藩からの視察団は、東元団長を含めて三名、そこに阿東藩の案内役が二名の、計五名。

 団長以外は相当疲れているようだった。


 そしてその東元殿は、他の作業員と整列して一行を出迎えた俺を見て、あっと小さく驚きの声を上げた。


「あんたは……『前田美海店』の従業員……」


「ええ、よくお気づきになられましたね。自分が経営する店なので、ああやって時々、厨房などから様子を見ているんですよ」


「……では、もしや、貴殿が……」


「はい、私が『前田拓也』です」


 全くの想定外の事態に、彼は呆然としているようだった。


 そして彼……東元安親殿は、仙界の技術をふんだんに取り込んだ採掘場の光景に驚愕し、今回の旅の目的そのものを大きく転換することになるのだった。

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