第147話 恋敵
現阿東藩主・郷多部元康公と江戸藩邸で会談し、そしてその後に涼姫と再会するまでの十日間、様々な動きがあった。
まず、三郎さんに、藩内で後継者争いがあったことは本当なのか、と聞いてみたところ、彼は「本当だ」との主張を変えなかった。
そして正室のご懐妊の知らせにより一気に沈静化した、との新情報も得た。
また、『松丸藩』に関しては、そもそも藩主が最初に断っていたため、それ以降動きがないという。
とすれば、これはあるいは、家臣達による無意味な家督争いだったのかもしれないと、俺と三郎さんは話し合った。
ただ、まだ話が完全になくなった訳では無い。
生まれてくる藩主の子供が男か、女かは分からない。もし、女の子であったならば、また蒸し返される事になるだろうと三郎さんは予言した。
それと、涼姫が城に呼び戻されたのは、実は藩主の指示があったわけではなかった。
まだ彼女は、俺の店で修行中、という扱いのままだ。
そこでまた、城から出て『前田美海店』で修行するということになった。
これで表向き、『松丸藩』からの縁談話が来る前に戻ったことになる。
ただ、俺は五人の嫁達と、そして涼姫に最終的な意思の確認を行っていた。
まず、五人に『涼姫を嫁に迎える』、あるいは『婿入りする』事についての確認。
これについては、凜、ナツ、ユキ、ハルの四人が、すでに答えを決めていた。
「自分達に、拓也さんが新しい嫁を迎えることを反対する権限はない」
と言うのだ。
唯一、それを言えるのは、優だけなのだという。
元々、最初に結婚したのは優だった。
相思相愛で、現在でも常に一番側にいる彼女。
毎日彼女が現代から様々な物資を運んできてくれなければ、『前田美海店』も『前田妙薬店』も商売が成り立たない。
そんな彼女の献身的な姿に、皆ずっと感謝しているという。
俺と苦楽を共にした時間が最も長く、そして彼女自身が唯一の妻であったにもかかわらず、他の四人も平等に嫁とするよう、俺に強く要望してきたのもまた、優だった。
だから彼女たちは、口には出さないものの、俺に次いで優にも恩を感じているとも語ってくれた。
正直、俺はそれを知らなかったし、優自身も気付いていないだろう。
そういう言葉を、彼女が望んでいないと知っているからだ。
だから――優がいいと言うのなら、たとえそれが『前田女子寮』の新しく入った女の子だったとしても、自分達に反対する権利はないという。
優がここまで、実の姉である凜はともかく、ナツ達三姉妹に慕われているとは予想外だった。
また、四人は個人的に意見を言うならば、涼姫であれば身分に関わらす、俺の嫁になることは歓迎だ、とも言ってくれた。
この後で、優だけにも聞いてみたのだが、やはり涼姫に関しては笑顔で賛成してくれた。
人が良すぎる気もするのだが……ただ、その優しさが彼女の魅力でもあった。
そして肝心の涼姫は……あの茶屋での再開で、もう一度、自分の意思をはっきりと述べてくれた。
「拓也さんと一緒に暮らしたい……もちろん、凜さん、優さん、ナツちゃん、ユキちゃん、ハルちゃんとも。ずっと、末永く……」
その言葉に感動し、俺もまた自分の素直な気持ちを、彼女に伝えたのだった。
こうして、再び『前田美海店』で働き始めた涼。
最初、『前田女子寮』の新規メンバー達は、涼の正体を知ってガチガチに緊張していたのだが、彼女の気さくな笑顔と接客の手際を見て、次第に打ち解けていった。
この人当たりの良さも、持って生まれた彼女の優れた才能なのだろう。
ところが、その長所が思わぬ事態を招く事となった。
彼女が『前田美海店』に復帰して七日後。
あまりこの辺りでは見かけたことのない侍が、店を訪れた。
昼はとうに過ぎ、かなり席が空いていた時間帯だった。
身なりは、まあ普通の侍。
結構若く、俺と同じか少し年上……つまり、満年齢で言えば十八~二十歳ぐらいだろうか。
やや鋭い目で、俺より少し背が高く、がっしりとしている。
ということは、つまりこの時代で言えば大柄な方だ。
腹が減っていたのか、一心不乱に飯を食っていたのだが、やがて満足したようで、たまたま近くを通った涼に声をかけていた。
「ここの料理は本当に美味い……あんたが作ったのか?」
「いいえ、私ではありません……でも、美味しいと言っていただけて、料理長も喜ぶと思いますよ」
と、涼は笑顔で返した。
「ふむ……あんた、美人だな……人妻なのか?」
何ともぶっきらぼうな物の言い方だ。
「いいえ、私はまだ結婚していませんよ」
「そうか……なら、俺の嫁になってくれ」
……一瞬、きょとんとする涼だったが、さすがに冗談と思ったのか、
「まあ、お客さん、嬉しいお言葉、ありがとうございます。でも、お店の中ではちょっと控えてくださいね。私、困ってしまいますから」
と無難に受け流す。
「困る? どうして困るんだ? 嫌なのか?」
と、侍も食い下がる。
そこにハルがやってきて、
「あの、お客様、ほかのお客様もいらっしゃいますので、ここでそのようなお話は……」
と、侍は今度は彼女の顔を見る。
「……あんたもなかなかのべっぴんだな。人妻なのか?」
するとハル、予想外の問いだったようで、
「あ、あの……一応、結婚しています……」
と頬を赤らめて語る。
「だったら、用はない」
……ハル、撃沈。
俺は資材を整理するため厨房の奥にいて、その様子が見えていたので、ちょっと出て行こうとしたのだが、料理長のナツに制止され、代わりに彼女が出て行った。
「……お客様、なにか問題がありましたか?」
ちょっときつい視線のナツ。
「いや、そういう訳では無いが……ふむ、あんたも美人だな、もう結婚しているのか?」
「それが何か?」
さすがナツ、負けていない。
「ならば残念ながら用はない。俺は嫁探しの旅に来ているんだ」
「そうですか……しかし、その事情をこのお店に持ち込まれては困ります。ここは料理を食べていただく飯屋であって、女性を口説く場所ではありません。迷惑です」
「迷惑? そうなのか? 女性は嫁になってくれと言われると、喜ぶものだと聞いていたが?」
どうもおかしな侍だ。
「このお店では困る、と申し上げているんです。給仕は料理を運ぶのが仕事ですので」
「そうか……迷惑をかけたのならば申し訳なかった、謝ろう。けど、店に入ったときから見ているが、店員に話しかける客は何人も居るようだが」
「まあ、ある程度常連の方であれば、一言、二言ぐらい交わすことは全く問題ありませんが」
「ふむ……そういうことか。すまなかった、今日の所は帰るとしよう」
と、この日は特にそれ以上揉めることなく、侍は帰っていった。
後でナツに、なぜ俺が出て行くのを制したのか聞いてみると、
「男同士で殴り合いのケンカにでもなったら嫌なので。それに、この店は私が任せられているから」
との、頼もしい回答だった。
ところが、その客は翌日もやってきたのだ。
相変わらず飯を腹一杯食ったあげくに、涼に対して
「どうだ、昨日の件、考えてくれたか?」
と図々しくも迫ったのだ。
すると涼は、
「いえ、残念ながら私には、もう心に決めた方がいらっしゃいますので」
ときっぱりと断った。
「そうか……ならば、その考えが変わるまで通うとしよう」
と言い残して帰って行く。
それを聞いて騒然となったのが、他の男性客だった。
「ええっ、お涼ちゃん、決まった相手がいるのかい? ……まさか、前田の旦那じゃないだろうな」
「さあ、どうでしょう?」
「うわぁ、やっぱりまた奴だっ! また若い娘が犠牲になった!」
奥で聞いていたが、酷い言われ様だった。うーん……やっぱ俺、評判悪いのかな……。
特にその日はトラブルというほどでは無かったのだが……ただ、帰り際にすれ違った三郎さんは、俺に忠告してきた。
「今の男……かなりの剣の使い手だ……お蜜から聞いてはいたが、警戒した方がいい」
と、空恐ろしい事を言ってきたので不気味だ。
さらに翌日も、その男はやってきた。
飯を食った後、涼に対して
「気は変わったか?」
と性懲りもなく聞いてくる。
彼は他の店員にも声をかけるのだが、「結婚しているかどうか」を聞くだけで、「嫁になってくれ」と言うのは涼に対してだけだった。
涼がその理由を聞いてみると、容姿や接客態度が一番気に入っているからだという。
さらに、
「そういう質問を逆にしてくる、ということは、俺に興味を持ったということだな」
などと厚かましいことを言う。
「変わった方だな、という興味はちょっとありますけど、残念ながら気は変わっていないですよ」
「そうか……なら、また明日も来る」
そう言い残して去っていく。
もうこの頃には、店員達はこのお侍のことを、
「変わってて不器用だけど、悪い人ではなさそう」
という、わりと高評価に変えていた。
とはいえ、その行動になんとなく違和感を感じる。
念のため、三郎さんも彼の動向を探ってみるということだった。
次の日、激しい雨が降っているにもかかわらず、彼はやってきた。
いつも通り、涼に
「気は変わっていないか」
と問うが、一日でそんなにころっと変わる筈もない。
が……なんとなく、彼とのやりとりを、涼は楽しみ始めているようにも見えた。
また、彼はその他にも、
「なぜこの店には、こんなに美人が多いのか」
と、店員が喜ぶような事を口にし、そしてその中の数人が俺の『嫁』であることを知ると、
「前田拓也……なるほど、つまりそういう男だという事だな……」
と、意味ありげなセリフを残して帰って行った。
あの……俺の評判、やっぱり悪そうな気がするんですけど……。
と、その日の夜、前田邸を三郎さんが尋ねてきた。
例によって、他の人には聞かれたくないと言うことで、庭に出て小声で話をする。
「拓也殿……あんたが作ってくれた『写真』のおかげで、割と早くあの侍の正体が分かった。これはちょっと、やばいかもしれない」
「正体? やばい? どういうことですか?」
三郎はあまり冗談を言うタイプではない。彼がヤバイというならば、本当にヤバイのだ。
「奴は、俺が前に話をした『松丸藩筆頭家老の長男』だ……つまり、松丸藩として、涼姫の婿候補に推した人物ということになる」
「……はっ?」
「つまり、わかりやすく言うと……あんたの恋敵、だ」
俺はあまりに理解しがたい三郎さんの言葉に、しばし放心状態となったのだった。
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