第75話 緊急脱出

「ポチ、大丈夫かっ! 何があったんだっ!」

 大声で叫ぶが、犬が事情を説明してくれる訳もない。


 一刻も早く動物病院に連れて行きたかったが、ラプターは一往復すると、もう一度移動できるようになるまで三時間待たなければならない。


 それに、鰻料理専門店『前田屋』の方も心配だった。もしかしたら、女の子達はそこで普通に働いているかもしれない。


 ただ、このままポチを放っておく訳にもいかない。どうするか迷ったあげく、正しいかどうか分からないが、ポチの体を毛布でくるみ、大きめのリュックに入れて背負った。


「ポチ……ちょっと苦しいかもしれないけど、我慢してくれっ!」

 ここで放置しておくと、また盗賊?が襲ってくるかもしれないという判断だった。


『前田屋』までは、自転車で飛ばして約二十分。これほど全力でこいだことは、今までの人生でなかっただろう。

 息を切らせながら店の前にたどり着くと、啓助さん、そして良平が店から出てきた。


「ああ、拓也さん……そんなに慌てて……聞いたんですか?」

 啓助さんは、比較的冷静だった。


「はあっ、はあっ……きっ、聞いたって、何を……」

「この店に、昨日の夜、泥棒が入ったんですよ」

「どっ……泥棒?」

「ええ……知らなかったんですか? 良平、言っていなかったのか?」

 良平に目をやる啓助さん。


「はい、僕は数日前から拓也さんに会っていませんでしたから……あと、どうしたんですか、ポチ背負って……」

「……そ、それより、優達は……」

「えっ? 今日、みなさん、まだ来ていませんけど……どのみち、店を開ける状態じゃなかったですし。気にはなっていましたが……」


 ……なんかいろいろありすぎて、俺はもう、倒れる寸前だった。

 水を飲ませてもらい、少しだけ落ち着いてから、説明を受けた。


 良平が朝、店に出勤してきて扉を開けてみると、内部が荒らされていたという。

『前田邸』ほど派手にではないが、それでも棚や引き出しは全て開けられていた。また、床下や天井裏に忍び込まれた形跡があった。


 前田邸の少女達については、さっき話した通り、二人とも知らないという。

 俺はますます焦り、彼等に、逆に何があったのか聞かれても、うまく言葉が出せない状態だ。


「あと、気になったと言えば……源ノ助さんの娘さんが、病気で倒れたらしいのです」

「娘? あの隣国に嫁いでいったっていう?」

「はい、それで源ノ助さん、昨日の午後から慌てて身支度を調えて、出発したんですが……」


「……その知らせを持ってきたっていうの、どんな奴だった?」

「えっ、どんなって……なんていうか、お役人風の人ですが……拓也さんの知り合いって言ってましたよ。平八っていう名前でしたが……」

「……そんな名前のお役人、知らない……」

 これで、源ノ助さんがいなかった理由を悟った。完全に計画的犯行だ。


 俺は昨日の夜、『前田邸』にも『前田屋』にも、顔を出していなかったのだ。


「拓也さん、まさか……『前田邸』の方にも、何かあったんですか?」

 啓助さんが、俺の焦燥ぶりを見て、恐る恐る尋ねて来た。


「まるで強盗が入り込んだような荒らされようだ……いや、確実に入り込んでいる。そして、優達がいないんだ……」

「……お優さん達って……まさか、全員……?」

「全員、だっ!」


 良平の問いに、つい、語気を荒げてしまった。

 これで、啓助さんも、良平も、事の重大さを認識したようで、青ざめた。


「……この『前田屋』は町中だし、敷地も小さいから、あまり音を立てないように物色したんだろうが……隣に家のない『前田邸』は酷かった……優、みんな……どこに行ったんだ……」


「とりあえず、私は役人……本物の役人を呼んできます」

 啓助さんは飛ぶように走っていった。


「……それで、ポチだけがいたんですか……」

「ああ……可哀想に、ケガしてる」

 そこから先は、俺も良平も、言葉が出なかった。


『本物の』役人が来て見聞が始まった頃には、野次馬もやってきて結構な騒ぎになった。

お鈴さんとヤエは無事だったが、この日は『いもや』の営業も中止。


『前田邸』の方の惨状も役人に見てもらいたかったが、ラプターの休止期間である三時間が過ぎた。ここはポチを病院に連れて行くことを優先したかった。


 それに、女の子達が『前田邸』に帰ってきているかもしれない。『ラプター』なら、ポチを病院に預けた後、一瞬で『前田邸』に戻れる。

 後の事は啓助さんと良平に任せ、ポチを背負って、一度現代に戻ることにした。


 フシュン、という風きり音の後、俺は自分の部屋に姿を現した。

 その次の瞬間、

「きゃああぁ!」

 という、複数の大きな叫び声が、俺の耳をつんざいた。


 一瞬、肩をびくっと上げて……そして周りを見渡し、俺はきょとんとした。

 現代の服に身を包んだ、どこかで見たことのある五人……いや、六人の少女達。


「……拓也さんっ!」

 涙声と共に俺に抱きついてきたのは、紛れもなく俺の彼女、優だった。


 他の少女達も、泣きながら俺に抱きついてくる。

 凜さん、ナツ、ハル、ユキ……。


 全員、現代の服装だったため一瞬分からなかったが、間違いなく江戸時代での『家族』だった。

 あと、俺の実の妹、アキの姿もそこにあった。


「みんな……無事だったのか……でも、どうしてここに……」

「……ポチ、ポチっ! 大丈夫っ?」

 その声を出したのは、ハルだった。


 全員、一斉に俺のリュックの中でぐったりしているポチをみて、声を上げた。


「ポチ、やっぱりケガしているのねっ! お兄ちゃん、私、叔父さんと一緒に病院に連れて行くからっ! 叔父さん、ちょうど来てるからっ!」

 アキが、俺からポチの入ったリュックを奪うように持って行った。


「アキ、俺も……」

「だめっ! 優さん達も動揺してるから……一緒にいてあげてっ!」

 アキは、階段を落ちるんじゃないかと心配する勢いで駆け下りていった。


 俺は、改めて優の泣き顔を見た。

 そして、自分も泣いていることに気づいた。


「優……何があったか、話してくれるかい?」

「はい……怖かった……」

 彼女の話は、本当に冷や汗がでるようなものだった。


 昨日の夜は、源ノ助さんが病気で倒れた娘のために旅立って、前田邸は女性陣しかいなかった。

 数日前に俺が話した『呪いの血文字』が不気味で、怖くて、ずっと気にかかっていた。そしてその話、凜さんにも打ち明けていたという。


 日が暮れて、あたりが暗くなり、もう寝ようかと話していたその時、番犬のポチが、尋常でないほどけたたましく鳴き始めたという。


 しかも、なかなか鳴き止まない。

 こんな時に限って、源ノ助さんはいない。

 それに、あの「呪いの血文字」の話が頭にこびりついて離れない。


 そうしている内に、なにか、人の気配が近づいてくるのを全員感じたという。

 みんな恐怖を覚え……とりあえず一室に集まり、固まった。


 その間、ポチの鳴き声がますます大きくなり、やがて

「キャウン!」

 という悲鳴に替わり、それっきり聞こえなくなり……。


 恐ろしさのあまり叫びそうだったが、そこは凜さんが事前に考えていた策を、冷静に実行に移した。


「万一の事態……強盗に襲われたり、火事になったとき、玄関から逃げられないときは、緊急脱出用の抜け穴を利用する」


 ……それは、俺もその存在を忘れていた、かつてハルが誤って落っこちた、山の下につながる抜け穴だった。


 急いで裏口から脱出し、全員がその抜け穴に入り込んだのと、『前田邸』の玄関が派手な音とともに打ち破られたのは、ほぼ同時だったという。


「なんだ、誰もいねえぞっ!」

「かまわねえ、その方が好都合だ、お宝を探すんだっ!」

 複数の男達の大声が聞こえ、全員恐怖におののいたという。


 そしてこの抜け穴、普段は葉の生えた木の枝に隠れているとはいえ、絶対に見つからないという保証はない。

 かといって、反対側、つまり山の下から逃げるのも、かえって見つかってしまう可能性がある。


 そこで思いついたのが、優の『ラプター』を利用して、『全員を現代に転送させる』という大胆な方法だった。


 彼女は俺の言いつけを守り、ラプターをすぐ身につけられる場所に置いていた。

 今回も脱出に際し、真っ先に両腕に装着していたのだ。


 とはいえ、一往復したあと、もう一度発動させるには三時間待たなければならない。

 どうするか少し迷ったが、ここは現代に転送するのが一番安全だと判断したという。


 まず、もっとも怯えていたハルを、俺の部屋に時空間移動させ、そして隣の部屋にいたアキに簡潔に事情を説明し、託して、再び江戸時代の抜け穴の中に戻った。


 そしてみんなを、『絶対に大丈夫だから』と励まし続け、三時間後にユキを、六時間後にナツを、そして最後に凜さんを転送したという。


 その頃にはもう明るくなり始めており、盗賊の気配も消えていたのだが、念のために、ということだった。


「……でも、俺、今日の昼間に一度、この部屋に戻っていたんだけど……」

「……ちょうど、私たちが下の部屋で、拓也さんのお母さんにご飯をごちそうになっていたときかも。一応、机の上に置き手紙してあったんですけど……」


 そう言われて見てみると、確かに優の字で書かれた手紙が置いてあった。

 でも、あのときは俺はテンパっていて、そんなの見る余裕なかった……。


 とにかく、みんな怖い思いはしたものの、誰もケガもせず、強盗に見つかることもなく、無事脱出できていたのだ。


「でも、ポチ、助けてあげられなくて……それが気がかりで……」

 全員、表情が沈む。


 その時、俺のスマホが鳴った。妹からだった。


「お兄ちゃん、ポチ君、治るのにちょっと時間かかるかもしれないけど、命に別状ないって」


 妹からのその伝言を皆に伝え、ようやく全員、笑顔を取り戻したのだった。

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