第66話 番外編:張り込み その②

「君らの中途半端な張り込みなど、何日も前から知っていた。まあ、気づいていない拓也の方がもっと未熟だが」


 氷川准教授は、したり顔でそう切り出した。


「そんな……でも、それじゃあ知ってて、彼に教えていなかったんですか?」

「ああ。特に教える必要もなかった。彼には何一つ、やましい点などなかったはずだから。むしろ、君らの目の前で堂々とタイムトラベルを実践してほしいぐらいだ」


「確かに……拓也君は、犯罪めいたことは何一つしていませんでした。でも、今日、怪我をした女の子を連れて家から出てきました。それが気になって……」

 大島の表情は曇っている。


「ああ、そういうことか。拓也が怪我をさせたんじゃないかとでも思ったのか? それなら、まるっきり逆だ。さっきも言ったように、火傷を負った女の子がいたから、江戸時代からわざわざ連れてきたんだ……まあ、正確に言うとそれを実行したのは、同じく三百年前の少女で、拓也の彼女でもある『優』だがな」

 氷川が座敷に上がり込みながら、小声で説明した。


「……じゃあ、やっぱり、先生は本当に……時空間移動装置を発明していたのですか?」

 久米はそう問い、脇にあった座布団を、准教授が腰を下ろそうとしているところに敷く。氷川は右手で小さく礼のジェスチャーをし、そこに座った。


「だから、何度もそう言っているだろう? 警察の上の方も半信半疑のようだがな。本当に事の重大さに気づいていたならば、君らだけで張り込みなんかさせないだろうから」


 今、帝都大学准教授の氷川、刑事の久米、大島のいる座敷と、拓也らが天ぷらを食べている部屋は襖一枚を隔てているだけだ。

 少年少女たちがはしゃぎながら飲食しているのに対し、刑事達の会話は全て小声。今のところ、気づかれている様子はない。


「先生……どうしてこっちの部屋に来たんですか? ひょっとして、なにか文句を言いに?」

 大島が怪訝そうに尋ねる。


「いや、そんなことはない。ただ、君らの目から見て、私の甥っ子はどう写っているのかと思ってね」

「……拓也君がですか? どうと言われても……いまいち、行動が読めなくて。なにか毎日忙しそうにしているのは分かるんですが」

 彼女の口調は、氷川と知り合ってからの年数が久米のそれより長い分、若干フレンドリーだ。


「そう、それだ。忙しそうに……生き生きとしている、と思わないか?」

「あ、それは僕も思います。なんていうか……何かに熱中しているというか……」


「そのとおり。奴は、タイムトラベル発生装置『ラプター』を使いこなし、三百年の時空を自在に行き来し、そして青春を謳歌している……私はそんな拓也が眩しく見えてしかたがない」


「眩しく見える、ですか?」


「ああ……確かに『ラプター』は過去と現在を往復出来る、画期的な……手前味噌だが、大発明だと思っている。しかし逆に言うとそれしかできない、単なる移動装置だ。にもかかわらず、結果だけを見れば……拓也は犯罪行為を一切行うことなく、三百年前の世界で多くの人に慕われ、一定の財産と地位、名声を手に入れている。花嫁までも、だ」


「「花嫁!?」」


 久米と大島の声が重なり、その大きさに思わず二人とも口を塞いだ。幸い、隣には聞こえていないようだ。


「ああ。今、過去からこの時代にやってきてる『優』とは、あちらの世界で既に『夫婦』だ。ほかにも、四人の女性と同居し、さらに彼を慕う女性は複数いると聞いている。奴がなぜあんなにモテるのか分からなかったが……さっき話を聞いてある程度理解できた。奴は……まっすぐなんだ」


「……まっすぐ?」


「ああ。『困った人を放っておけない』、『興味を持ったことはとことん突き詰める』、『常に周囲の幸せのために何ができるか考える』……純粋で、まっすぐなんだ。それに周囲も引き寄せられる。過去の世界では商人であるにもかかわらず、身近な人間には損得勘定なしで接する。それにつられて周囲も、彼に同じように対応する。信頼し、信頼され……そして今、隣の部屋で楽しそうに過ごす拓也がいる……」

 氷川ははしゃぎ声の聞こえる襖の方を、ちらりと見やった。


「たしかに……そう言われると、僕も彼がうらやましく思えてきました」

「ああ……六百年前に、同じようにタイムトラベルした私が『怪しげな術を使った』として捕まり、処刑されそうになったのとは大違いだ……」


 その言葉に、大島は一瞬きょとんとし、次に吹き出しそうになるのを懸命に堪えた。


「さらに、拓也はもっと先を見据えて行動している。もっと大胆な冒険をしたいと願っているのだ。そのために、現代でスキューバダイビングの講習を受けようとしている」


「スキューバダイビング、ですか?」

「ああ、彼の妹のアキと一緒にな」

「それって……ひょっとして、さっきの三十万両がどうとか、っていう話と関係があるんですか?」


「いや、それは先の話で、私もたった今聞いた。その前に『沈没船の財宝引き上げ』のプロジェクトが進んでいる。その準備のためだが……さっきも言ったように、青春を謳歌している、と思わないか?」

「……そんな話があるなら、確かに……彼が毎日生き生きとしているのも分かる気がするわね」


「そうですね……それに、あんなかわいい娘が嫁さんだなんて……」

 久米の一言に、氷川と大島は「そこをうらやましがるか」とでも言いたげな視線を向け、彼はそれに気づき、赤面した。


「ただ……あいつは純粋すぎる。いつか、『ラプター』の価値に気づいた『悪い大人』に利用されかねない。また、拓也自身が大人になるに従って、欲に溺れ、犯罪行為にそれを使わないとも限らない。とりあえず、今、君たちの話を聞いた限りではその心配はなさそうだが……悩ましいところだ。彼から『ラプター』を取り上げればそんな心配はいらないのだろうが、それはもう私にはできない。それどころか、どういう風に『ラプター』を使って、どんな人物と知り合い、どんな冒険をしてくれるのか……楽しみでしょうがないんだ」


 甥っ子の行動と成長に期待を寄せ、目を細める氷川准教授。


「でも……それだと、僕たちどうやって上司に報告をすればいいのか……『彼は本当にタイムトラベルしているようです』なんて言っても、その証拠を見せろと言われると、用意できないし……」


「そう、それだ。それも、私が拓也をうらやましがる一因だ。我々大人は、そんな細かい、どうでもいいようなことに縛られている」

「どうでもいいこと?」


「ああ、そんな一枚や二枚の報告書が書けないため、夜も眠れないほどに悩む。現代の我々が生きていくためには逃れられない宿命ともいえるが……拓也はもはや、そんなものに縛られない。自分の店舗や家庭、使用人を持つ『主人』であり、やりたいようにして生きていける。それだけでもうらやましいことだ……そう思わないか?」


「たしかに……」

 久米は自分の今の状況に照らし合わせて、大きく頷いた。


「……わかりました。上司には、なんとかうまく報告します。そして、氷川先生の許可が得られるのなら、私たちは拓也君たちが『悪い大人』の誘惑に惑わされないか、危険な領域に踏み込まないか、時々監視……いえ、見守らせてもらえれば、と思います」


「ああ、そう言ってもらえると助かる。今、この部屋に来たのは、それをお願いするつもりだったんだ……君はカンが鋭い。刑事に向いているよ」

 大島はそう言われて、照れたようにうつむいた。


 久米は、

「さっき自分達の事を未熟と言ったのに、調子がいいなあ」

 と小さくつぶやいたが、特に悪い気分になることはなく、笑顔で頷いていた。


 ……その時。


「ああっ、もうこんな時間だっ! やばい、俺、物理で赤点取ってたから、補講受けなきゃならないんだっ!」


 隣の部屋から聞こえて来た拓也の悲痛な叫びに、大人三人は顔を見合わせる。


「……前言撤回、拓也も現代の『縛り』には悩まされているようだな」


『天才』とも称される物理学博士の言葉に、彼自身を含めた三人とも、笑った。

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