第67話 前田連隊
現代の「天ぷら専門店」で食事をした後、俺と優、ヤエの三人は江戸時代へと戻った。
ヤエを戻すだけなら俺は無理について行く必要はなかったが、やはりここは彼女を無事親元に帰すところまで見届けたかった。
屋台『いもや』は、『半焼』といったところだったが、燃えている部分は脆くなっていることもあり、『食い物通り』の店主達による『危険だ』との判断で、すでに解体が始まっていた。
その様子を呆然と見つめていたヤエの母親・お鈴さんだったが、娘が無事帰ってきたのを見てすぐに駆け寄り、泣きながら抱き締めていた。
ヤエは気丈に
「もう、大丈夫だから……痛くないから……」
と、逆に母親を慰めていた。
その後、俺は現代で逃れられない用があったので、後は優に託してとんぼ帰り。
後で聞いた話では、お鈴さんはヤエがお土産として持って帰った海老や白身魚、野菜の天ぷらの味に驚いていたということだが、やはり『揚げたて』をぜひ味わってもらいたいところだ。
翌週の土曜日。
この日、俺は朝から江戸時代へと時空間移動していた。
この時代の屋台は組み立て式で、比較的短時間で新しい天ぷら店舗を完成させることができていた。
ただ、それを購入したのは『前田屋』であり、お鈴さん親子にはその店舗を『貸し出し』という形にした。
これは『食い物通り』に存在する他の店舗に対する配慮というか、決まりというか、そういうもので、「前田屋で責任を持って営業を再開します」という意味合いを持つ。
たとえ『借り物』でも、復活した『いもや』に親子は大喜び。
ヤエの火傷もかなり回復してきており、営業再開は間近に思われた。
最初は元の、商店街から少し離れた場所に屋台を設置して、試験的に天ぷらを作成する。
現代から火力の調整が簡単な『ガスコンロ』を持ち込もうかとも思ったが、この時代の『七輪』の方が慣れているみたいだし、ガスボンベを持ち込む必要もない。そのまま七輪を使用してもらうこととした。
なるべくこの時代の素材で営業させてあげたかったが、やはり油の品質だけはいかんともしがたい。現代から持ち込んだ菜種油にゴマ油を少しブレンドして、天ぷら油とした。
精製され、透き通った美しい油の色に、お鈴さんは驚嘆の眼差しで見つめていたが、それを熱していっても臭みが出ないことに、なお一層驚きの声を上げていた。
水でといた衣を一滴落として温度を確認。
早速、早朝に仕入れたばかりの白身魚や海老に衣を付け、入れてみると……。
気持ちのいい音と共に揚がっていく天然素材。嫌な臭いも、煙もまったく出ない。
これには、『いもや』の親子だけでなく、店舗復活を見届けようと集まっていた『食い物通り』の店主達からも歓声が上がった。
以前は臭いも煙も凄かったので、火災の危険性も含めて自分達の商店の近くには来て欲しくない、しかし人気店で客寄せになるのであまり離れて欲しくない、というのが彼等の本音であったため、これはかなり重要なポイントだった。
もちろん、この親子がずっと頑張っていたのを皆知っていたということもあるが。
そして、見事にキツネ色に揚がったその天ぷらを食べてみた、お鈴さんの反応は……。
「……こんなにおいしいなんて!……これ、本当に私が作ったの?」
大きく目を見開いた、驚嘆の表情。いや、今目の前で自分で揚げてたから。
彼女が驚くのも無理はない。天ぷらにとって、それほど『油』は重要なのだ。
集まった各飲食店の店主達も、その試作品を食べて一様に驚いていた。
また、そば屋の店主に、ここで出てきた「揚げ玉」をかけ蕎麦に入れてみることを提案してみたところ、彼は早速試し、その味の変化に唸り、さっそく交渉を持ちかけてきた。芝エビの天ぷらを載せた「天ぷら蕎麦」も、メニューに加わることになりそうだ。
そもそもこれらの天ぷらは元々『前田屋』で扱いたかったもの。
煙と匂いの問題が解決し、火事にさえ気を付ければ、特に通りから離れて営業する必要はなくなる。
今の屋台の位置では遠すぎるため、『前田屋』の裏手、十五メートルほど離れた位置に移動してもらうことになった。
ここだと大通りからは見えなくなってしまうが、大きな看板を用意してその存在を知らせ、細道から回り込めば直接屋台で天ぷらを買うことができるし、『前田屋』の注文にも即対応することができる。
本当は『前田屋』の内部で天ぷらを揚げる施設を持ちたかったのだが、大火事防止として藩の取り決めで禁止されているため、仕方のない措置だった。
営業を再開したところ、それを待ちわびていた今までの固定客に加え、その大幅な味の向上の評判を聞いた新規のお客さんが殺到し、以前以上の行列ができる人気店へと成長した。
とはいっても、課題もある。
まず、『前田屋』では、良平が新しい『天つゆ』、および『天丼』用のタレの開発に着手、俺が現代から持ち込んだそれらを参考に、連日夜なべして新しい味の模索を始めていた。
また、天ぷら油をいつまでも『現代』から持ってくる訳にもいかない。
今実施しているのは、いわば『裏ワザ』で……できればこの時代の素材だけで同様の味が生み出せることが理想だ。
油の完全な精製方法が完成するのはまだまだ先の時代。今の時代の技術でできるだけ高品質な油が精製できるよう、研究しなければいけない。
あと、意外と好評だった『野菜の天ぷら』も、試してみたくなった。
まず無難なところで、現代でも人気の『さつまいも』だが、この時代にはまだ育てられていないようだったので、現代から苗を持ち込んだ。
また、『かき揚げ』には欠かせない『タマネギ』も同時に作る。
といっても、俺は全くの素人なので、とりあえず郊外に小さな畑を借りて、そこで試験的に栽培してみることにした。
まだ季節はちょっと早いが、マニュアル片手に畑に畝を作るところから始める。
肥料をやり、水も撒く。
現代から持ち込んだ苗も、水に濡らしておくなど、それなりに手間がかかる。
わりと面倒だし重労働もあるのだが、そこは手伝ってくれる人……優をはじめとする『前田屋』の女の子達が交替で来てくれるので、楽しく作業できている。
たまに『ヤエ』や、海が荒れて漁ができないときに海女の『ミヨ』も手伝いに来てくれた。
作業自体が珍しいこともあってか、みんな生き生きと作業してくれる。
凜さんのように、弁当を作ってきてくれる人もいた。
特に賃金を支払っているわけでもないのに、なぜ俺の仕事をこれほど熱心に手伝ってくれるのか少し不思議にも思ったが、まあ、新しいことに興味があるのだろう。
しかし、ここでちょっと問題が発生。
『前田邸』、『前田屋』、『借りた畑』はそれぞれ距離が離れており、歩きだと移動にそれなりに時間がかかってしまうのだ。
俺だけならまだ『ラプター』での移動が使えるのだが、手伝ってくれる女の子達はそうもいかない。
そこで、現代から軽量の『マウンテンバイク』を持ち込んでみた。
試しに乗ってみると、江戸時代なので舗装された道などないのだが、それでも歩きよりは数倍早く、また、格段に楽に移動出来る事が分かった。
ただ、さすがに本格的な『マウンテンバイク』は、乗りこなすのは難しい。
そこで女性向けに『丈夫なママチャリ』を用意、これでも整備された大きな道であればなんとか乗りこなすことができた。
当初、初めて見る自転車に女の子達は怯えていたが、まず活発な『ユキ』が挑戦し、何度か転んだものの一日で乗れるようになり、次いで『ハル』が、一週間以内に『ナツ』、『優』、『凜さん』、さらに『ミヨ』、そして火傷をしていた『ヤエ』も、止めていたのにこっそり練習して乗れるようになっていた。
興味を持った運動神経抜群の『サブ』さんは一度も転ぶことなく乗りこなし、『啓助さん』や『良平』までも数日で乗れるようになった。
ただ、『源ノ助』さんだけは未だに乗りこなせないが。
『阿東藩』では、俺が『仙人の道具』としていろいろ奇妙な物を持ち込む事で有名で、藩主から『特権』を貰っていた商人でもあったので、珍しがられることはあっても、怪しまれることはまずない。
女の子は着物だと乗りにくいので、袴(あまり一般的ではないが女性用も存在していた)に着替えての乗車だ。
連日街道を疾走する『ママチャリ』集団が誕生し(しかも半数以上女性)、『前田連隊』という名で(別の意味で)注目されることとなったのだった。
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