第55話 柴犬
帝都大学准教授の叔父は、2019年の5月、デジタル腕時計型タイムトラベル発生装置「ラプター」という世紀の大発明を行った。
その際、俺に対して次のような事を語った。
「現在、俺が考えるに、いわゆる『神の領域』に踏み込んでしまった技術が三種類存在する。一つは『原子力利用』、もう一つが『遺伝子操作』、最後の一つが『時空間移動』だ」
原子力技術は発電に利用すると膨大なエネルギー源となる反面、事故による放射能被害や、兵器としての使用することにより大量無差別殺傷兵器となりうる。
遺伝子操作も、病気に強く収穫量の多い穀物の開発に役立てられる反面、細菌兵器という人類の存亡を脅かすような代物さえ作成可能だ。
そして、現在叔父しか技術を持っていない『時空間移動』。
ただ、『現代』と『過去』は完全なパラレルワールド(平行世界)となっているため、たとえ俺が過去の世界でなにか大きな事件を起こしたとしても、それによって『現代』の歴史が書き換えられることはない。
それでも、俺は一度、自力で過去から現代へ帰ることができなくなった事がある。
また、アキは時空の狭間に紛れ込み、三週間以上もの間、やはり現代へ帰る術を失っていた。
そして今回、『ポチ』が行方不明となった。事故としては三件目だ。
『なにか想定外の事が起こると、移動できなくなる』という『時空間移動』の特性上、十分に注意しなければならない。
それでも、俺はこの時点では、少なくとも『現代』に与える影響というのは、『神の領域』である他の二つの技術に比べればたいしたことはないと考えていたのだが……。
番犬『ポチ』が行方不明になったことを、その日の夜にアキに話した。
彼女は
「大変! すぐに探しに行かないと!」
と大慌てだった。
「大げさだなあ……まあ、俺も心配だけどもう暗くなってしまっているし、明日の朝から……」
「ダメ! 私が帰れなくなったと分かったとき、どれほどパニクって、かつ落ち込んだか分かる?」
……まあ、確かに俺も身に覚えはあるが……ポチ自身、果たして時空間移動したことに気づいているだろうか?
アキは焦っていたが、この日はまだ『江戸時代から現代に帰ってきた』当日だった。
疲れもあるし、夜中に探したってはかどらないので、まずは『迷い犬情報サイト』にポチの写真(江戸時代にスマホで撮っていた)と特徴を掲載し、この日はゆっくり休むこととした。
――翌日。
アキは警察にこれまでの経緯を説明に行く事になっていたが、精神面、体調面を考慮して午後からとしてもらっていた。
しかし、当の本人は相当元気で、早朝からポチの捜索を手伝ってくれた。
アキはポチと会ったことはないのだが、動物は好きな方だ。
また、慣れない江戸時代で心細かった自分の体験を重ね合わせたのか、親身になって探してくれた。
公園や河川敷等の広場、学校の校庭、住宅街、路地裏に至るまで、いろんな箇所を自転車で見て回る。
現在、学校は冬休み中。
江戸時代と現代では季節がずれており、向こうの世界は春先だったので、この環境の変化もちょっと心配だ。
木枯らしが吹くとかなり寒いのだが、アキは頬と耳を赤く染めながら探してくれる。
以前の彼女ならばすぐ飽きたり、「寒い」と愚痴を言ってやめてしまいそうなつらい状況だったが……江戸時代での巫女としての修行が、アキを少しだけ成長させたのかもしれない。
昼前まで探したが、やはりそう簡単には見つからない。
念のため、スマホで『迷い犬情報サイト』を探してみると……あった!
「写真にそっくりな柴犬の子犬を、預かっています」
という書き込みを見つけた!
住所を確認すると、家から二キロほど離れた住宅街だ。
この距離で「写真にそっくりな柴犬」ならば、まず間違いない。すぐに電話で連絡し、昼から受け取りにいくことになり、俺とアキはハイタッチして喜んだ。
アキは昼から警察に行かなければならなかったので、ここで一旦家に帰った。
続きは、叔父が協力してくれることになった。
まず、ポチを受け取ったとしても『抱きかかえて』時空間移動するのはちょっと危なっかしい。リードをつけるだけでも心許ない。そこで小型犬用のキャリーゲージを用意した。
叔父に車を運転してもらい、親切な拾い主のお宅を訪問。
大きな庭のある立派な一軒家だった。
呼び出しベルを鳴らすと、出てきたのは綺麗な三十代後半ぐらいの女性と、小学校高学年ぐらいの女の子。親子のようだ。
門の中に招き入れられると……いた! 赤毛、柴犬の子犬だ。
『迷い犬情報サイト』には、ポチの特徴として
「女性にはよく懐く」
「男性には吠える」
「たまに靴に噛みつく」
と書いていたのだが……。
その子犬は俺の顔を見るなり、ワンワンと元気に吠えながら走ってきて、そして俺の靴に噛みついた。
……ポチであることが確定した。
しかしそれを見て、女の子は泣き出してしまったではないか。
俺と叔父は家に招き入れられ、この母子に昨晩のことについて説明を受けた。
夕方、二人で買い物を終えて帰って来ると、どこから入り込んできたのか、この子犬がちょこんと庭に座っていたという。
最初は驚いたが、娘……桜子という名前のこの子にすぐに懐き、甘えてきたという。
その時点で、どこかで飼われていた子犬が迷い込んだに違いないと思ったらしい。
そして今朝、飼い主が探しているかもしれないと思い『迷い犬情報サイト』を調べてみたところ、ポチの情報を見つけたのだ。
この家は、俺達と同じく、父親が単身赴任で海外に長期出張しているという(偶然にも、同じ会社の社員だった)。
この広い家、女性二人だけでは寂しいので、もし飼い主が現れなければ自分達で飼ってあげよう、と話していたらしく……なのに俺が引き取りに来てしまったので、桜子は思わず涙してしまったのだ。
「……それなら、この犬をくれた人はまだ何匹も飼っているはずだから、貰ってきてあげるよ。このポチは、一応大事に飼っていた女の子達がいて、いなくなって落ち込んでいたから帰さないといけないけど……良く似た別の子犬で良ければ、ポチを大事にしてくれたお礼にプレゼントするから」
俺がそう言うと、彼女はぱっと明るい表情に替わり、目を輝かせた。
お母さんは
「いいんですか?」
と聞いてきたが、そのぐらいの手間、どうってことない。
こうして、俺は別の子犬をあげる約束をして、無事ポチを引き取った。
そしてすぐにでも江戸時代に帰りたかったが、叔父は
「せっかく現代に来ているのだから、狂犬病予防の注射をしてもらいなさい」
と警告してくれた。
なるほど、たしかにそれはそうだ。もしポチが狂犬病にかかり、前田邸の女の子達に噛みついたりしたら大変な事になる。
そのまま叔父の高校の同期、という獣医の元へポチを連れて行った。
ところが、その獣医は、ポチを診て、尋常ではないほど驚いた。
「この子犬……『川上犬』じゃないか! なんでこんな貴重な子犬が……」
へ?
……詳しく話を聞いてみた。
なんでも、『柴犬』はその存在自体が天然記念物なのだが、その中でも特に『長野県南佐久郡川上村』原産の和犬である『川上犬』は希少な存在らしい。
ただ、この獣医さんによると、現在の『川上犬』と良く似ているが、特徴がさらに古い……言い換えれば、オオカミに近いという。
まあ、三百年も前の、いわば『柴犬の先祖』なので、そういうこともあるかもしれないが……。
これは大発見かも知れない、どうやって手に入れたのか、と言われたが、適当にごまかした。
とりあえず注射してもらい、また病気になった時や、定期的に健康診断で来るから、と、興奮気味の獣医さんをなだめて、その動物病院を後にした。
まさか、俺の靴に噛みつく、ちょっとおバカなこの子犬が、そんな貴重な存在だとは……。
いや、江戸時代に帰れば、貴重でも何でもなくて普通にいっぱいいる。
そう考えると、たとえば日本固有の種は絶滅してしまった『トキ』や、あるいは『日本オオカミ』だって……『時空間移動』を利用すれば、現代に持ち込むことが可能だ。
そしてそれは、場合によっては『世紀の大発見』となる事も、生態系を大きく変化させるきっかけになる事もあり得る。
つまり、『ラプター』は……やはりそれだけの可能性を秘めた『神の領域』の技術であるということを、改めて思い知らされた。
さて、ここで困った事が一つ。
俺は江戸時代に行って、ポチの兄弟か、親戚の子犬を貰ってこようと思っていたのだが……大騒ぎになる可能性が出てきた。
うーん……これはちょっと手痛い出費になるが、桜子ちゃんのためにペットショップで柴犬の子犬を買ってあげるしかない。
近所の店で、ポチによく似た赤毛の、一回り小さな子犬を見つけたのだが……。
(……じゅういちまんえん……)
その子犬、11万円もしたのだ。柴犬って、人気なんだな……。
いかに小判を売ってお金を儲けていたとはいえ、経済的にかなりのダメージだったが、これは仕方がない。思い切って、即金(叔父に借りたけど)で買い取った。
桜子ちゃんはその愛くるしい子犬を見て大喜び。お母さんにもお礼を言われ、
「いや、ただで貰った子犬ですから」
と、引きつった笑顔で応えてあげた。
ポチは無事江戸時代に帰り、ユキやハルも元気になった。
相変わらず俺の靴には噛みついてくるが、11万円もかかったのだから、番犬としてしっかり働いて貰わねばなるまい。
……お金かかったの、ポチじゃないけど。
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