第29話 初恋(前編)

旧暦の一月七日。


 俺が「ツイン・ラプター」でこの時代に帰ってきてから、一夜が明けた。

 昨日は宴の後、ちゃんと自宅に帰り、今日の朝、再び『前田邸』へ時空間移動していた。


 かなり朝早く来たつもりだったのだが、戸締まりがしっかりとなされており、人気がない。どうやら、もう町へと向かったらしい。


 そうと知っていれば最初から町の登録ポイントに出現していたのに、と思いながら、彼女たちの後を追うように早足で歩き始めた。


 一時間弱で、町に到着。かなり急いだが途中で追いつくことはなく、彼女たちの店はもう開店準備に取りかかっていた。


 鰻料理専門店『前田屋』は、この時代の定番通り、机や椅子があるわけではなく、座敷の大部屋が「ついたて」によって分かれているだけだ。


 大部屋と言っても、畳十二畳分ぐらいだろうか。一人ずつにお膳が出される形式で、そんなに沢山の人が入れる訳ではない。一人一畳と考えれば、十二人が定員か。


 鰻丼の価格は、通常八十文のところ、開店特別価格として四十文で売り出されていた。

 かけそば一杯十六文の時代、やや強気の値段設定だが、鰻丼だからあたりまえか。

 それで連日、百杯以上売れているという。


 売り上げは四千文、つまり一両。一日一両売り上げるとは、驚異的だ。


 鰻を焼くのは若き料理長の『良平』、それを凜さんとナツがサポートしている。

 接客は優、ハル、ユキがメインだが、優は漬け物や汁物の準備も手伝っている。

 この三人、かなり人気で「この娘たちに会うため」だけに連日訪れる強者もいるらしい。


 四十文、今の価値に換算して約千円。

 ちょっときついと思うのだが……。


 なお、一緒に出されている汁物は普通の「味噌汁」。

 これはこれでおいしいのだが、やはり鰻と言えば「肝吸物」だ。


 前回わずかな時間でここまで説明できていなかったし、「山椒」が合うことも伝え切れていなかった。また良平に教えてやろう。


 そんな中、俺が不在の三ヶ月ちょっとの間で、かなり印象が変わったのが『ナツ』だ。


 以前は俺にちょっと攻撃的で、何かにつけて文句を言ってきたのだが、こっちに帰ってきてからと言うもの、笑顔を返してくれることが多い。

 あと、なんとなく物腰が優雅だ。


 言葉使いこそ、男っぽいままなのだが、なんというか、トゲが無くなっている。


 なんか、微妙に気になる。


 開店前のこの時間、全員が厨房に集まるとちょっと狭く、ちょうどあふれた優を座敷に手招きし、探りを入れることにした。


「どうしたんですか、拓也さん。お客さんのいない今は、そこで座っていていいですよ」

「いや、まあ、そのつもりなんだけど、ちょっとナツの様子が気になって」

「ナツちゃんの? あら、拓也さん、気づきました? ちょっと色っぽくなったでしょう?」

「色っぽく? ……そう言われれば、そうかな」

 本音では、「様子がおかしい」と感じていただけだけど……。


「実は……私がしゃべったって言わないで欲しいんですが……」

 まあ、たいていそうやって「秘密」は「秘密」でなくなっていく。


「ナツちゃん……良平さんに告白されたんですって」

「……へっ? 告白って……実は昔、親の敵だったと打ち明けられた、とか……」

「……拓也さん……」

 優の呆れたような顔に、ちょっと慌てた。


「ご、ごめん、冗談だ。……っていうか、すぐには信じられなくて。良平、ナツのことが好きなのか?」

「そうみたいですね。……ナツちゃん、このお店ができるにあたって、一番熱心に勉強したんです。それこそ、良平さんにつきっきりで……。自分が一番、拓也さんの役に立てていないから、恩返しするんだって言って……」


「恩返し? ……義理堅いなあ……」

「ええ。それで、そういうところも含めて、良平さん、ナツちゃんのことを好きになっちゃったみたいです。同い年ですし……」

「なるほどなあ……」


「でも、ナツちゃんは、あるじである拓也さんが帰ってこられないのに、恋愛になどうつつを抜かしていられないって。意識はしていたみたいだけど……でも、拓也さんは昨日帰ってきました」


「ふむ。これで堂々と良平とつきあえると」

「違います、逆です」

「へ?」

「だって、ナツちゃんが本当に好きなの、拓也さんじゃないですか」

「……はい? ……俺?」

 目が点になる。


「……もしかして……ご自分で気づいていらっしゃらなかったんですか?」

「いや、意味がわからない」

「じゃあ、忘れてください」

「ああ、聞かなかったことにする」

 俺はお茶を一口飲んで、心を静めた。


「とにかく、その……拓也さんは帰ってくるし、良平さんからは告白されている状況で、その、なんていうか、乙女心というか……」

「……なんとなく分かったような気がする。たぶん、ドラマの主人公にでもなったような気分なんだろうな」

「どらま……?」

「いや、気にしなくていい」


 確かにナツは見た目はかわいいし、ちょっときつい口調も、そういうのが好きな人にとっては魅力的なのかもしれない。


 しかし、よく考えるとナツは満年齢だと十五歳。現代ならまだ中学生なのだ。

 この時代では大人として扱われるかもしれないが、たぶんそういう恋愛問題に関わるのは初めてなんだろうな。


「……でも、それだとナツは良平に気がないんだよな?」

「どうなんでしょう。好きって言われて、嬉しくない女の子は思いますけど……」

 そこまで話したところで、優は凜さんに呼ばれて、厨房に戻っていった。


 うーん、ナツにも春がきたか。言葉だけ聞くと、ちょっと意味不明だけど。

 それにしても、優、途中で妙なことを言っていたな……ナツが俺のことを好きだって? いや、それはないだろう……。


 「タクヤ殿っ!」


 突然後方から声をかけられて、俺はびくっと肩をすくめた。

 店の入り口が半分開いており、いつのまにかナツがそこに立っていた。


「ちょっと、折り入って話があるんだが……聞いてもらえるか?」

 俺が「ああ、かまわない」というと、彼女も座敷に上がり込んできた。


「ユウから、どこまで聞いたか分からないが……まあ、なぜか良平は私の事を気にいってくれているらしい」

 ……そっちこそ、どこまで俺達の話を聞いていたのかと問いたかったが、とりあえず黙っておいた。


「けれど、私は貴殿に買い取られた身。だから他の男にうつつをぬかす訳にはいかないと考えている」


『貴殿』って……以前は『貴様』だったのに。それにしても、本当に義理堅い。


「そこで、お願いがある……一度しか言わないから、よく聞いて欲しい」

 ……顔を赤らめ、神妙な表情のナツ。なにか……重要なことを言われそうな雰囲気。


 まさか、さっき優が言っていたことは本当で……俺に、告白するつもりなのか?

 俺は照れ隠しのため、静かにお茶を飲み始めた。気を落ち着かせる意味もある。


 ナツは覚悟を決めたように、口を開いた。

「……拓也殿、今夜、私を……抱いてくれないか?」

 ……。

 …………。

「うぐおぐはぁっ! ごほっ! げほっ!」

 熱いお茶がストレートに気管に入り、俺は激しく悶えた。


「貴様っ! 私の一世一代の申し出だったというのにっ!」


 ……いや、いきなりこんなとんでもない申し出されるとは思ってないから。あと、『貴様』に戻ってたな……。


 ナツは文句を言いながらも、なお咳き込む俺の背中を軽くさすってくれる。


 赤くなりながらも、少し嬉しそうな表情で手を動かし続ける彼女に、不覚にもどきっとさせられた。


 ちらっと、厨房の方をみると……げっ、優が心配そうに我々二人を見つめている。


 良平もからんでいるこのややこしい関係……さっきのナツの超爆弾発言も含め、うまく対応しないと今後とんでもない事態を招いてしまうぞ……。

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