第30話 初恋(後編)

「……今のって……どういう意味で……」


 やや落ち着いた俺は、改めてナツに聞いたのだが……顔を赤らめたまましばらく無言が続き、ようやくあきらめたように口を開いた。


「私は……貴様のめかけになって生きていく、と決めたんだ……」

「妾って……そういえば、凜さんもそんなことを言っていたけど、俺はそんなつもりはないんだ」

 俺は正直、困惑していた。


「では、どうして私を買い取ってくれたんだ? これから、私たちをどうするつもりなんだ?」

「……例えば、この店で働いてくれれば、それでいいと思っているけど」

「では……妾としては、雇ってくれないんだな……」

 その表情は、本気で寂しそうなものに見えた。


 凜さんはともかく、ナツも本気でそう考えていたのか?

 昨日、優と二人で話をしたとき、こう言われたのを思い出した。

「もし、拓也さんが他の人と夫婦になったとしても……私は妾になってでも、ずっと一緒にいたい……」

 これを聞いたときは嬉しかったし、優なら本気でそう思ってくれていそうだ。


 けど、ナツが、はたしてそこまで俺の事を考えていてくれているのか。

 それとも、あるいは双子の妹達のため、安定した収入、生活を望んでいるのか……。


「実は、私も混乱しているんだ……同い年の、まだ会って三ヶ月程度の良平に、好きだと言われて……けれど、私は貴様に買い取られた身だし、大きな恩もある。良平のことも、嫌いではないが……」

 そこまで聞いて、俺は理解した。


 恋愛経験の浅いナツは……自分で言っているように、初めての経験ばかりで、混乱しているんだ。だからさっきみたいな突飛もないことを言ってきたんだ。


「それに……貴様は優や凜さんとは、もう済ましたんだろう? なら、私も……」

「いや、いろいろ誤解してるって。俺は優とも凜さんとも、なんにもなってないから」

「えっ……優とも?」

「ああ。なんの自慢にもならないが、俺はまだ誰とも経験がない」

 ナツは、しばらく目をパチパチさせて……そして安堵したようにため息をついた。


「なんだ……私だけ取り残されているような気がしたが、そうでもなかったんだな……」

 ……ふう、ようやく理解してもらえたか。


 そしてそこに割り込んでくる影があった。

「拓也さん……お話があります」

 げっ……こんどは良平だ。いつの間にか俺達のすぐ脇まで来ていた。ずっと話、聞かれていたのか?


「あの、その……拓也さん、僕が百両用意したら……夏のこと、譲ってもらうわけにはいきませんでしょうか?」

 ……またなんかややこしい話になってきた。


 ナツは「馬鹿なことを言うなっ!」って怒ってるし。

 俺の方がひとつ年上だし、ちょっと文句言ってやるか。


「なあ、良平。ナツは物じゃないんだから、百両がどうこう言う前に、まずナツの気持ちを考えないと」

「それはそうですが……いつも彼女に『自分は拓也殿に買い取られた身だから』って言われるので……」

 なるほど、だったら自分が買い戻すって訳か。でも、百両って大金だ。


「……まあ、おまえが金を貯めようっていうなら、それは別に止めはしない。けど、俺としても百両積み上げられたからって、簡単にナツを手放すつもりはない」

 ちらっとナツを見る。彼女は深く頷いた。


「……ただ、お前がどれだけ本気なのか見てみたいところはある。たぶん、ナツもそう思っているはずだ。それに、百両なんてそんなに簡単に溜まるものでもないだろう? まずは、努力するんだ。料理の腕も、それと同時に男も磨くんだ。それによっては、考えが変わるかもな……俺も、ナツも」

 再びナツを見る。ちょっと驚いたような表情をしている。俺がこんなことを言うのは意外だったか。


「……そうですね。すみません、ちょっと先走りすぎました。仙人のような、本当に雲の上の存在である拓也さんでさえ女性との経験、無いんですものね。僕も決して焦らず、でも頑張って男を磨きますっ!」

 ……こいつに余計な事聞かれてた……。


 まあ、あんまり良平のことは知らなかったけど、料理の腕は現段階でも確かなようだし、悪い奴でもなさそうだ。

 さっきの説得は結論を先送りさせるだけの方便だったけど、なんとか切り抜けたかな。


 ……と、そのとき、入り口の引き戸が勢いよく開かれた。

 そして入ってきたのは……身長百八十センチ以上あろうかと思われる大男だった。

 上背だけではない。肩幅も、体の厚みもあり、体重は百五十キロを超えるのではないか……そう思わせるほどの巨漢だ。


「おい、鰻丼よこせっ」

 ……なんか命令口調だ。顔もちょっと赤いし、酒臭い。

 朝っぱらから飲んでいる、たちの悪い酔っ払いだ。


「すみません、まだ開店前で、準備できていないんです」

 良平が必死に対応する。

「ふざけたことぬかすなっ! ……うん? かわいいおなごがいるじゃねえか、鰻丼ないなら、てめえ、ちょっと酒ついでくれっ!」

 そう言ってナツの方に腕を伸ばしてくる。

 咄嗟に良平は間に入り、きっと大男を睨み付けた。


 ……分かったぞ! これはたぶん良平の仲間だ。

 タイミングよくやってきてナツにからんで、良平が彼女を守り、大男を追い返し、そして見直してもらう……そんな筋書きなんだ。


「てめえに用はねえっ! 引っ込んでろっ!」

 バシィ! 


 大男の腕の一降りで、良平は店の奥まで吹き飛ばされた。

 ナツも、厨房にいた優も凜さんも悲鳴を上げる。

 ……『良平の筋書き』説、あっけなく終了。ということは、ほんものの暴漢だ!


「気にいらねぇ! こんな店、叩きつぶしてやるっ!」

 大男は大声でわめいている。ふっ、馬鹿なヤツ。こっちには用心棒として剣の達人が居るんだ。


「源ノ助さん、お願いしますっ!」

 俺は高らかに声を上げた。

「源ノ助さん、さっきユキちゃん、ハルちゃんと一緒に、買い物に行きました……」

 優が申し訳なさそうに告げた。

 へっ? ……じゃあ、まともに相手できるの、俺だけ?


「なんだ、てめえ、やるのか? 相手になってやるぜ。言っておくが、おれは大関を投げ飛ばした事があるんだぜっ!」

 ……こいつ、力士か? ハッタリかもしれないが、ケンカは得意みたいだ。


「優、あれをっ!」

「はいっ!」

 以心伝心、彼女は俺に向かって警棒……バトン型スタンガンを投げてよこした。


 以前、侍に襲われて以来、いくつか護身グッズをこっちの時代に持ち込んでいたが、その中でも最強の威力を誇るシロモノだ。

 持ち歩くには若干かさばるので、この店の警備用にと今朝持ってきたばかりなのだが、こんなに早く使う機会があるとは……。


 ボタンを押すと、バチバチバチッ! と破裂音と共に火花を撒き散らす。

 護身用としては『催涙スプレー』も有効だし、実際に持っているが、店内ではあまり使いたくない。

 それに威嚇という点においては、音とスパークで相手をびびらせるこっちの方が有効なはずだ。


「なんだ、そりゃ。そんなおもちゃで、俺がすくむとでも思っているのか? それとも、それがウワサの『仙界の武器』か?」

 なっ……こいつ、なんでそんなこと知っているんだ?

 若干……いや、かなり気になったが、今は店を守る事の方が先決だ。


 俺が奇妙な武器を持ち出したことで、大男も真剣な表情になる。

 バチバチッと鮮烈な音を響かせるスタンガン。

 それを右手で持ち、左手を添え、ピタリと先端を相手ののど元目指して掲げる俺。


 大男は両手を大きく広げ、俺を捕まえようとする構えだ。

 狭い店内、一歩踏み出すだけで相手に武器が届く。

 異様な緊迫感の中、先に動いたのは大男だった。

 不気味なバトンを勢いよく払いのけようと、腕を振り降ろしてきたのだ。


(ここだっ!)

 俺は添えているだけ、と見せかけていた左腕を前にかざした。

 そこに準備されていた物は……明るさ二百ルーメン、世界最高クラスのフラッシュライトだった。


「うわっ! なんだっ!」

 大男は一瞬、強烈な閃光により視力を失った。

 だが、ケンカ慣れしてるのか、カンだけで腕を振り回してくる。


 しかし、俺の狙いは大男の下半身だった。

 体を低く、沈み込むように相手の足下にせまり、そして右の太ももにスタンガンを突き立てた。


「うっぐあぁ!」

 大男はうめきながらその場に倒れ込み、悶絶した。


 これまた世界最強クラス、百三十万ボルトの超強力スタンガンは、「真冬の寒さに凍えた手の甲を、金槌で思い切り叩いたような」衝撃を与える。男はしばらく立ち上がれないはずだ。


 けど、念のため左ももにもやっておこう。

「ぎぁああぁ!」

 さらに悶える大男。

(なんかちょっと楽しいっ!)

 もう一回右足。甲高い悲鳴。もうこのぐらいにしておくか。


 すると、ちょうどそこに源ノ助さん、ユキ、ハルが帰ってきた。

 俺とナツが事情を説明すると、源ノ助さんは大男を立ち上がらせ、腕をひねり上げ、

「これから役所へ連れて行く。抵抗すれば斬る」

 と忠告し、そしてそのまま彼を連れて行った。

 さすが用心棒をしているだけはあると、俺は感心した。


 ふと、外で誰かに見つめられているような気がして顔を出してみると、一組の男女が、怪しげな笑みを浮かべてこちらを見ていた。

 この騒動に、十五人ほどヤジウマが集まっていたのだが、遠巻きにこちらを見る彼等の目は、明らかに異質だった。


 店内に戻ると、良平はしょげていた。怪我はなかったようだが……。

「僕はやっぱり、拓也さんにはかなわない……」

 そんな愚痴をこぼしているようだったが、ナツが

「……私を守ろうとしてくれてありがとう。……カッコ良かったぞ」

 と、彼を褒め、そして開店準備に戻ろう、と、二人で厨房に入っていった。


 入れ替わりに、優が出てきた。


「……拓也さん、大丈夫? かなり暴れたみたいですけど……」

「大男のこと? 俺のこと?」

「えっと……両方です……」

 そう言われると、ちょっとやりすぎたかな。


「あんまり無理、しないでくださいね。本当に、今日はどきどきしっぱなし……」

「どきどき?」

「ええ、さっきの騒動もそうでしたけど、その前に……」

「その前?」

「はい……あの……ナツちゃんに先を越されるかと思って……」

「ああ……あれか……」


 もう忘れかけていたが、俺はナツに「今晩、抱いて欲しい」って言われたんだった。結局うやむやになったわけだが。


「大丈夫だよ。今、ナツ相手にそんなこと考える余裕もないよ」

「そう……ですね。でもナツちゃん、もてるのね。良平さんに、たった三ヶ月でここまで気に入られちゃうなんて」

「ああ……三ヶ月、か。でも……俺は君と知り合って、一ヶ月で結婚まで申し込んだんだけど」

 ちょっと照れながら、俺は話した。


「……そういえば、そうですね。それで私もお受けしたんですものね……」

 そうだった。優は、俺のプロポーズ、了解してくれていたんだ。


 ……顔を桜色に染め、肩を寄せてくる優。それだけで、ものすごく幸せを感じる。


「私も、ナツちゃんを見習わなきゃ……」

 へっ? ……優、ますます顔が赤くなっている。


「拓也さん……あの……」

 ドキドキッ。


「今晩、あの、その……」

 ドキドキドキドキッ。


「私と一緒に……」

 ドキドキドキドキドキドキドキッ。


「私と……初めての……私を……」

 ドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキッ!


 ピーッ!


 突然の警報音。

 慌ててラプターを見てみると、大きく警告の文字がっ!


『心拍数上限値突破を感知 強制帰還します!』

「なっ、ちょ……ちょっと待っ……」


 フシュン。


「……うわああっ! あっ……あっちぃー!」

 ……そこは帝都大学の研究室だった。


 突然の俺の出現に驚いた叔父はあわててのけぞり、そして食べかけていたカップラーメンを太ももにこぼし、あの大男のように悶えていた。


 少し落ち着いたところで、俺は叔父に話した。


「あの……ラプターの心拍数閾値上限、もう少し上げてください」


「……善処しよう……」


 ラプターの改修が終わるまで、俺は「経験」を積めないかもしれない。

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