第28話 少女達の罠

 俺が現代に戻って、三ヶ月以上経っていた。


 三百年前の世界では時期がずれている関係で、既に新年を迎えているはずだ。ということは、数え年の彼女たちは一つずつ歳をとっている。


 凜さんは、もう二十歳。優は十八歳、ナツ十七歳。双子のユキとハルも、十五歳になっているはずだ。


 満年齢では変わっていないのだが、数え年では、ずいぶん大人になったような気がする。


 実際のところ、彼女たちに会えなくなったこの三ヶ月、とんでもなく長く感じた。


 新しい店、無事に出せたかな……。

 みんな、病気や怪我をしていないかな……。

 そして優……浮気してないかな……。


 ――三ヶ月前、俺が現代に戻った先は、叔父の研究室だった。

 叔父はその時、そこに居り……そして俺の帰還を喜ぶと共に、なぜこんなに遅れたのかの事情を聞かれた。 

 隠す理由もなく、ありのままを全て話した。


 その結果、

「対衝撃試験があまかったか……」

 と一人納得していた。


「今回、君が帰ってきていない件について、三つほど理由を考えていた。一つ目が、これがもっとも懸念された、君が病気や事故で死亡してしまっていた場合、もしくはそれに準ずる、ラプターを操作できない状態になっていた場合。二つ目が、君が『現代』に戻る気をなくした場合。三つ目が、ラプターの故障だ」

 ふんふん、と俺は頷いた。


「君が死亡していた場合は、四十八時間後に死体だけここに帰って来ることになり、それを一番恐れていたが、杞憂だった。現代に帰る気をなくして、向こうに留まろうと考えているのならば、それは安全装置の働きによって強制的に帰って来ることになる。だが、その可能性は低いと思っていた。君が家出する理由が思い当たらなかったからだ」

 ……確かに、向こうの世界のことが気に入っていたが、自由に行き来できる以上、こっちの世界に帰って来ない理由はなかった。


「三つ目の『ラプターの故障』……これもかなり懸念事項だった。安全機構自体は『こっちの世界』にその原理が存在するから、向こうでラプターが完全に壊れても帰って来られるようにはなっていたが、あくまで理論上の話だ」

 ……ちょっと聞いただけでは意味がわからない。


「簡単に言えば、糸のついたたこ、ひものついたボール……つまり、糸やひもを引っ張れば、こっちに帰って来る。そういうことだ」

 ……なるほど。それなら分かるし、向こうでラプターが外せなかったのもそのためか。


「しかし、今回二日間とはいえ、君の安否がわからない状態が続いたことは大きな懸念材料だ。ラプターは完全な安全性が実証されるまで、当面使用禁止だ……どのみち、君のそれはもう壊れてしまっているようだしな……」


 ……こうして、俺は過去へ行く手段をなくした。


 叔父に連れられて家に帰ったとき……叱られるかと思ったが、母と妹が涙を流して無事を喜んでくれたのは意外だった。


 父も俺を心配し、帰国の準備まで進めようとしていたが、叔父が「夏休みだし、ハメを外しているだけでしょう。僕には心当たりがある。明日には帰って来るはずです」と言ってくれていたおかげで、捜索願が出されるような大騒ぎにはなっていなかった。


 俺は無断外泊をしたことを詫び、その理由については、どうしても話せない、とだけしか言わなかった。また、叔父も「僕にも責任がある」とフォローしてくれた。


 しばらくして、母と妹には「彼女と関係があるの?」と冷やかし半分に聞かれたが、当たらずとも遠からず。適当にごまかしておいた。


 ――それからの俺は、抜け殻のようだった。


 心にぽっかりと穴が空いた状態……優や、他の少女たちの事が、心配で仕方がない。


 何事にもやる気が起きず……成績も下がり、家族にも心配をかけた。

 そんな俺の様子を見かねたのか……叔父が、実は「危険すぎる」という理由であきらめかけていた「ラプター」の改造に、取り組んでくれたのだ。


 そしてこの日。

 叔父が誇らしげに、デジタル腕時計型のそれを二つ、俺に渡してくれた。


「安全性においてさらに改良を加えた物だ。重量制限や再稼働時間制限は同じだが……使用者、つまり君の心拍数や血圧、体温を常に監視しており、異常だと判断すると即現代に返してくれる。四十八時間の保険もそのまま残っている。あと、強い衝撃を感じた場合も、エアバッグが作動する原理で現代へ強制的に転送される。安全性を大幅に高め、かつ、常にバックアップとして作動するよう、左右の手首に一つずつ装着するようにしている」


 ……ようするに、前みたいにどこかにぶつけて壊れても、少なくとも現代に帰れなくなることはない、というわけらしい。これは心強い。


「新生『パーフェクト・ツイン・ラプター・システム』、略して『ツイン・ラプター』だ!」


 ……いや、微妙に略じゃないような気がする。


 ただ、ツインシステムになっているのは便利だ。故障時のバックアップ用途だけでなく、片方が待機時間中でも使えるようだし。


 そして土曜日で学校が休みのその日、俺は早朝から『ツイン・ラプター』を使用した。


 ――出現したそこは、前回始めて使用したときと同じ、田んぼの真ん中。

 相当寒く、背負っていたリュックから、半纏を取り出して着込んだ。

 前の『ラプター』のメモリは引き継げなかったため、一からポイント登録のやり直しだ。


 そしてこの場所からならば、『前田邸』より町の方がかなり近い。

 先に町に寄って、計画通り飲食店が出店されているか、確認することにした。


 この時代では既に正月が終わっており、なんとなくのんびりした雰囲気に包まれている。行き交う人も少なめだ。


 俺は一人の男性に「最近新しい店ができていないか」と聞いてみると、

「ああ、とてもうまい鰻料理を出す、『前田屋』っていう店が一月前ぐらいに出店しているよ。あそこの鰻丼は絶品だ。小さな店だけど、繁盛してるよ」と、親切に大体の場所まで教えてくれた。


 前田屋、鰻料理……間違いない。


「……本当にできてたんだ。みんな、頑張ったんだな……」

 俺の心は躍った。


 そして、その店の前に俺は立った。

 まだのれんは出て居らず、引き戸が閉まっている。しかし、中から物音が聞こえる。


 三ヶ月、この時を待ちわびた。それと同時に、怖くなった。

 この中に居るのは、本当に優たちだろうか。

 時空のゆがみか何かが発生して、別の世界だったりしないだろうか。

 それとも、間違いなく彼女たちだったとして、俺の事を忘れている……いや、最初から出会っていない事になったりしてしないだろうか。


 俺は恐る恐る、その引き戸を開いた。

 すぐに女性の声が聞こえてきた。


「……あっ、すみませーん、お客さん、まだ準備中なので……」


 ……束ねた黒髪、澄んだ瞳、すっと通った鼻筋、ちょっと湿った小さな唇。

 この三ヶ月、恋い焦がれ、思い募らせ、片時たりとも忘れることのできなかった、その優しげな笑顔。


 ……優だった。


 俺はいきなり、一番会いたかった彼女に、会えた。


 優は、一瞬きょとんとした表情で固まり、二秒後、持っていた布巾を取り落とした。


 そして泣き顔となり……大粒の涙をこぼし始めた。


「ごめん、優。遅くなった……」

 俺も、自分が涙声になるのを感じていた。


 そして彼女は駆け寄ってきて、俺に抱きついた。

 俺も、強く彼女を抱き締めた。


 ……優の様子の変化に気づいた他の娘たちも、俺の顔を見て驚きの声を上げ、そしてみんな集まってきた。


 凜さんは、相変わらず綺麗で、ますます色気が出ているようだった。

 ナツは、少し髪が伸び、なんというか、前より女性っぽく変わっていた。

 そしてユキとハルの双子は、背が少し伸びたこともあるが、顔つきからあどけなさがほんのわずかに消えて、ドキッとするほど綺麗な少女になっていた。


 奥から、料理人の良平も出てきた。

 こちらは前会ったときのおどおどした様子が無くなり、かなり自信を付けているように見受けられた。

 源ノ助さんもいた。彼だけが、ほとんど変わっていなかった。


 四人の少女と二人の男性に囲まれ、俺は盛大に歓迎された。

 その間、優はずっと俺の胸の中で、泣きじゃくっていた――。


 数刻後、町人が教えてくれたとおり、店は繁盛していた。


 俺も「鰻丼」を食べてみて、少し現代の物とは異なるが、十分うまかった。


 本当なら「鰻丼」はもっと後に発明された食べ方であり、そういう意味では俺は「歴史を変えてしまった」ことになるのだが、叔父によればここは一種の平行世界、いわば「パラレルワールド」のため、自分達の歴史が変わることはない、という話だ。


 日が落ち、あたりが暗くなり始める頃には材料が底をつき、完売。

 最近は仕入れの量を増やしているが、それでも売れ残ったことはないという。


 たまたまこの店を訪れた啓助さんの顔も、久しぶりに見た。


 俺は「完全復活」し、また現代とこの時代を行き来できるようになったと告げると、早速「鏡」を発注してきた。やはり、抜け目のない商売人だ。

 優たち五人と源ノ助さんは、「前田邸」から一時間以上の道のりを、毎日通っているという。


 この店を始めてからは引っ越しも考えたが、「俺がいつ帰ってきてもいいように」と、前田邸にずっと住んでいるらしい。


 余談だが、帰るのが遅くなってしまっているため、風呂は湯屋、つまり銭湯を利用しているという。


 この時代、湯屋は混浴。このことにちょっと驚いたが、当時はこれが普通。

 とはいえ、湯屋の中は薄暗く、また、源ノ助さんも一緒に入って彼女たちをガードしてくれていたので、それほど怖かったり、恥ずかしかったりするわけではないという。


 そういう意味では、彼女たち、俺と一緒に風呂に入ったのが混浴の最初ではなかったのだ。どうりで、あまり抵抗がなかったわけだ。

 あと、俺は素直に源ノ助さんがうらやましいと思った。


 その日は、集団でぞろぞろと、懐かしい『前田邸』まで歩いた。

 今まで俺が帰って来られなかった経緯や、彼女たちが店を出すまでの苦労など、話は尽きなかった。


 その中で、最も俺を焦らせたのが、

「拓也さん、あなた、優と婚姻の約束をしたんですってね」

 という凜さんの一言だった。


「え、あ、あの……はい、しました」

 凜さんは、優の姉。つまり、結婚したら本当にお義姉さんになるのだ。


 優は帰り道、ずっと俺に寄り添っており……その時は何もしゃべらず、下を向いていた。

 ユキやハルの冷やかしの言葉も聞こえていて、それがさらに俺の顔を熱くさせた。


「私としては、すごく嬉しいですわ。もう、完全に未来と今を往復する技、取り戻されたんでしょう? 妹が、こんな立派な大商人で、仙人でもある拓也さんと一緒になるんですから。両親も、泣いて喜んでくれますわ」


「いや、俺はそんなたいした人間じゃないです。優と結婚したいって言ったのも、俺が本当にそう思っていたから。そう、わがままです」

「でも、優もそう思っていたんですから……これ以上ないお話ですわ。今日は帰ったら、宴ですわ」


 凜さんのその一言に、待ってましたとばかりにはしゃぐユキとハル。このあたりの子供っぽい性格は、まだ変わっていない。


 それに比べて、ナツは何もしゃべらず、ただ頷き、微笑んでいる。

 正直、えっと思った。なんというか……この時だけかもしれないが、かわいくなっていた。


「拓也さん……優の事、末永くお願いいたします。あと、妹以外の我々のことも……私たち、まだ行く先が決まっている訳ではありません。だから今後、拓也様のお世話になろうと思っています。よろしくお願いいたします……」


 そんなにかしこまって挨拶されると、こっちが緊張してしまう。

 俺も、こちらこそ、よろしくお願いします、と挨拶を返した。


 そして目指す『前田邸』が見えてきた。


 この日、俺は全ての懸念事項を払拭することができた。

 以前より、さらに力を付けて、俺はこの時代に帰ってきた。


 自分の店も持ち、さらに大きくしたいという夢もあった。

 そして何より……優と再会することができた。


 この日を境に俺は、「抜け殻」では無くなった。本来の自分を、取り戻した。


 三百年前と、現代の二つの自分、どちらが本物の「俺」なのだろうか。


 俺は、「三百年前の自分」こそが、俺がずっと理想としていた「人生の主人公」だと、結論づけていた。


 ――これでカッコ良く、俺は一区切り付けられたと、自分で思っていた。


 しかし、俺は凜さんの……いや、優を含めた五人の少女達の、狡猾でずるがしこく、困惑するような、それでいてドキドキするような罠にはめられていたことを、この後、知った。


『○○様のお世話になる』。


 この言葉には、この時代、「○○様のめかけになる」という意味が含まれていたのだ。


 ということは、凜さんのあのかしこまった挨拶の真意は……。


 ……。


 えええぇ――っ!

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