第27話 プロポーズ
旧暦の九月十九日、早朝。
俺は幸せな気分で目を覚ました。
隣では、優がほんのわずか、寝息をたてている。
少し乱れた髪が、大人になりかけである彼女の色気を醸し出している。
しかしそれに相反するような、まだ少しだけあどけなさも残るその美しい顔の造りが、さらに俺に愛おしさと、この上ない満足感をもたらしていた。
それから、約二時間後。
囲炉裏部屋で、源ノ助さんを含む全員で朝食を済ませ、俺は今後の方針を彼女たちに伝えた。
まず、『月星楼』借り受けの話は、一旦断ること。
その代わり、もう少し規模の小さな店を探し、借りるか買い取るかして「居酒屋」にすること。
ただし、啓助さんが紹介してくれた「良平」という料理人が「鰻」の新しい調理法、タレを付けた「蒲焼き」を成功させ、かつ、皆が納得してくれたならば、彼を料理長として「鰻丼専門店」を出店させること。
これは歴史上、「鰻丼」が登場と同時に大流行したという事実から、やってみる価値はあると考えたのだ。
まずは小さな店から経営を始め、儲けが出るようになれば徐々に拡大させ、最終的に『月星楼』のような大きな店舗を目指そう、と話した。
昨日は懐疑的だった凜さんも、
「それならば、無理がありませんしよろしいんじゃないですか。私もお手伝いさせていただきますわ」
と笑顔で納得してくれた。
優には前日の内に話しておいた内容であるし、ナツ、ユキ、ハルの三姉妹にしても、内職だけでは今後生活が苦しくなることを理解してくれていたので、まず小さな店から、という今回の提案には賛成してくれた。
源ノ助さんだけは最初の規模が小さくなってしまったことを少し残念がったが、とりたてて反対する訳でもなかったので、この方針でいこう、とあっさり決まった。
あと、問題があるとすれば啓助さん、だ。
彼からすれば「商談の規模が小さくなってしまう」ことになる。
おそらく、相当がっかりするだろう。
しかし、ここは慎重に行きたいと俺は考えている。
別に「大金持ち」になりたいわけではなく、優や、他の子達と幸せに暮らせればそれでいいのだから……。
――それは、突然鳴り響いた。
左手の、もう壊れて動かないと思っていたデジタル腕時計型タイムトラベル発生装置、通称『ラプター』が、警告音を発し始めたのだ。
驚いてその表示を見てみると、さっきまでは故障した時刻、つまり一昨日の午後を表示したままピクリとも動かなかったのに、今は秒刻みで「何かの」カウントダウンが始まっている。
内容をよく見てみると……。
「最終安全装置作動 現代へ強制転送まで あと 00:59:40」
と表示されている。
どくん、と心臓がはねた。
叔父は、このラプターについて、常々「一日一回は現代に帰ってくるように」と言っていた。
俺はその言いつけを守っていたし、それ以上使用し続けたらどうなるか、考えた事もなかった。
そしてこのカウントダウンが終わる時刻は……一昨日、俺が最後にこの時代にやってきてから、ちょうど48時間後となる。
「現代へ強制転移……これ、ひょっとしたら、俺、元の世界に帰れるかも……」
これは俺が万一事故や病気、事件に巻き込まれた際の、現代へ帰るための「保険」のようなものだと考えて間違いなさそうだった。
そして最終安全装置であるが故、もっとも障害に強く設計されていたのだ。
「それはよかった、一昨日あれだけ悩んで損したかもしれませんな」
源ノ助さんも喜んでくれている。
他の女の子達も、「よかった、よかった!」とか、「これでより一層、お金儲けができるようになりますわねっ」とか、まるで自分のことのように喜び、ユキやハルはなぜか大はしゃぎしている。
――ただ、優だけは微妙な……言うなれば「心配そうな」顔つきだった。
「……それで、拓也さん、またこの時代に帰って来るんですよね?」
「うん? ああ、あっちには予備の『ラプター』があるから、それを使えばすぐにこっちの世界に帰って来られるよ。それに、もし万が一、それらがうまく働かなかったとしても、君たちは自由の身だし、ある程度資金は残っているわけだし、今後の出店計画も今、決まったところだから、もう俺がいなくても大丈夫……」
そこまで言葉にしたとき、ぞくん、と鳥肌がたった。
昨日考えた、よくあるストーリー。
未来や異世界からやって来た英雄が特殊能力を使い、訪れた世界で大活躍する。
しかしある日、彼は元の世界へ帰る手段と能力を失ってしまう。
最初は落ち込む主人公だが、その世界で知り合った仲間と共に、数々の苦難を乗り越えていく。
やがて、仲間達は成長し、もう主人公の存在なしでも十分生きていけるだけの力を身につける。それと同時に、タイミング良く主人公は元の世界に帰る力を取り戻す。
「君たちは、もう俺がいなくても大丈夫」
それだけ言い残し、彼は元の世界に帰って行く。
そして、もう二度と帰ってこない――。
(まさか……俺は自分で何かのフラグを立ててしまった……?)
俺が言葉を詰まらせた様子を見て、優が、ますます不安げに……泣きそうな顔になる。
やがてそれは、他の少女達にも伝わった。
「まさか……帰って来られない……のか?」
ナツまでもが、目に涙をためている。
ユキも、ハルも、はしゃぐのをやめ……そして俺を見つめた。
「帰って来られない……その可能性が、あるのですね?」
凜さんが、悲しげに……俺の瞳を見つめた。
この時代では、ラプターは「体から取り外すことができない」仕組みだ。
だから、強制転移はおそらく間違いなく実行される。
そして、今身につけているラプターは故障しており、「自由に移動すること」ができない。つまり、この装置で三百年前の、この時代に来ることはできない。
現代に帰れば、叔父がラプターの二号機、三号機を作成しているが、それらは一度も時空間移動に成功していない。
叔父の理論によれば、それはこの時代が「俺」しか受け入れられない世界となっているからだということだが……。
つまるところ、今身につけている「ラプター」の、「故障する前」の物しか、自由な時空間移動は実現していないのだ。
そうしているうちにも、カウントダウンが進んでいく。
呆然としている暇はない。今、この世界でやっておくべきことを済まさねばならない。
「凜さん、俺がいなくなった後は、あなたを番頭とします。それでここにいる彼女たちを束ねてください」
「……そんな、いきなり……でも、今、この状況だと、そうするしかないのですね……分かりました。どこまでやれるか分かりませんが、ここにいる女の子達に対して責任を持つ、という意味でしたら、お引き受けしますわ」
覚悟を決めた返事だった。
「優、君は凜さんの補佐をしてくれ。俺がどこに資金を隠しているか、知ってるな?」
「はい……あの場所の、金庫の中ですね」
「そうだ。金庫は柱にチェーンでくくりつけて、取れなくしている。金庫の番号と、鍵の在処を説明しておく」
墨と筆を用意する時間が惜しい。俺は急いで、現代から持ち込んでいたメモ帳にボールペンで情報を記入した。
ちなみに、凜さんと優にしか話していなかったが、金庫は納屋の床下に隠していた。
「ナツ、君はこの中で一番読み書き、そろばんが得意だったはずだ。だから帳簿なんかは任せる。あと、他の人にも教えてあげてくれ」
「いや……帳簿の付け方なんか分からない。私は……実は、なにもできない」
彼女は不安そうだった。自分が大して役に立つ能力をもっていないと、卑下していたのだ。
実際は、武士である父から基礎教養は受けているのだが……。
だから、俺は彼女を安心させるように笑顔を見せた。
「ナツ、分からないことがあれば、他人に頼ればいいさ。啓助さんに聞けば教えてくれるだろう。そのためにお金が必要なら、使ってくれて構わない。あと、源ノ助さんも相当物知りだし、なにより教養は俺なんかよりも遙かに高い。なにしろ藩の重職だったのだから」
俺の言葉に、「えっ」と、凜さん、優、ナツの三人が彼を見つめた。
「あっ、いや、これは参りましたな。拙者、そんな大層なものではござらん」
突然のムチャ振りに困惑する源ノ助さんだったが、今はそれを構っている時間がなかった。
そしてユキ、ハルの双子にも、接客方法を学ぶように指示した。
元々人見知りせず、愛想のいい二人だ。すぐにでもできるようになるだろう。
そして後のことは、啓助さん、源ノ助さんを頼るように指示した。
特に啓助さんは切れ者の商人だから、基本的には信用できるが、いつの間にか彼のペースに乗せられている可能性もあるので注意するように、と冗談交じりで警告した。
これで、今後の商売の方針については一通りの説明が終わった。
その時点で、ラプターのカウントダウンは、数分しか残っていなかった。
俺は、最後の時間、優と二人きりで過ごしたいと申し出た。
その願いは叶い……俺と彼女は、奥の部屋で一度抱き締め合った。
「拓也さん……帰って来るんですよね? 私、信じています……待っています……」
……一瞬、どう回答するか迷った。
『万一、もし帰らなければ、他にいい男の人を見つけて、結婚して、子供を産んで、幸せに暮らすんだ』
その一言を言ってしまうと、本当にもう、俺はこの時代に帰って来られなくなる気がした。
だから、俺はこう言った。
「俺は、必ず帰って来る。そしたら……そしたら……結婚してほしいっ!」
……突然のその一言に、彼女は一瞬、驚きで目を見開いた。
数秒後、涙をあふれさせ、満面の笑顔になって……そして再び俺に抱きついた。
「はい……私、約束します……拓也さんのお嫁さんになります……」
……この江戸時代で、俺は一六歳にしてプロポーズし、そして受け入れられた。
長い別れの、ほんの数十秒前に……。
――ラプターの強制転移発動時刻が、迫ってきた。
俺と優は、体を離した。
今まで、俺はこの時代、誰かの目の前で転移したことはなかった。
しかし今回は、最後の瞬間まで優に見届けてもらいたかった。
「じゃあ……行ってくる」
俺は微笑みを浮かべた。
彼女も、微笑みを返してくれた。
そして俺は、彼女の視界から、その姿をかき消した――。
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