第25話 居酒屋

「……あれ、拓也さん、実家には帰らなかっ……何か……あったんですか?」

 青い顔で納屋の裏から戻ってきた俺を見て、優が心配そうに声を出した。


「分からない……ただ……とんでもない事になったかもしれない……」

 そして俺は、そのまま『前田邸』の一室に閉じこもった。


 風呂にも入らず、食事もとらず……少女達が話しかけてきても生返事しか返さず、ただひたすら、『ラプター』のボタンを押し続けた。

 揺すったり、軽くたたいたりもしてみたが、状況は変わらない。


 ……今実家に帰ったなら、まだ怪しまれない……。

 ……今実家に帰ったなら、まだちょっと怒られるだけで済む……。

 しかし、ただ時間だけがいたずらに過ぎていき、そして夜明けを迎えてしまった。


 ついに『ラプター』の画面はピクリとも動くことなく、完全に壊れてしまったこと、そして二度と現代に戻れなくなったことを悟った。


 今まで、実家に帰らない日は一日もなかった。

 この日、俺は現代では無断外泊をしてしまったことになる。

 かなり騒動になっているかもしれない。


 母や妹に、どれだけ心配をかけてしまっただろうか。

 海外に単身赴任している父に、どう説明するのだろうか。

 仲が良かった家族のことを考えると、胸が痛んだ。

 だが、現代の状況を把握する手段も、こちらの安否を伝える術も、存在しなかった。


 俺は、心配そうに何度も声をかけてくれた少女達に、事情を説明した。


 もう二度と、三百年後の世界に帰れなくなったこと。

 真珠や鏡といった、主力商品の仕入れが不可能となり、今までのようには稼げなくなったこと。

 そして、しばらくこの『前田邸』で、俺自身も生活することになる、と。


 最初、特に「今までのようには稼げなくなったこと」を懸念されるかと思ったが、それよりも彼女たちは「元の世界に帰れなくなった」ことの方を気遣い、心配してくれた。


 ……『前田邸』全体の空気が重くなった。

 俺は、逆に彼女たちに対して申し訳ない気持ちとなり、そして断言した。


「今回のことは、きっとこの時代の神様が俺を気に入ってくれて、そして手元に置いてくれたんだ。もし、『元の時代とこの時代でどちらかでしか生きられないとしたら、どっちを選ぶ?』と聞かれても、俺はこの時代を選んだと思う。だからもう、腹をくくった。俺は、この時代でずっと過ごす!」


 その言葉でようやく、彼女たちにも笑顔が戻った。それが、旧暦の九月十八日、早朝だった。


 この日も、啓助さんは「前田邸」を訪れた。

 そこで現在の状況を説明すると、彼は一度深刻な表情でなにやら思案し、しばらくして頷き、そしてこう切り出した。


「拓也さん、今、手元にいくらぐらい残っていますか?」

「資金ですか? そうだなあ……お殿様から受け取った分も含めると、四百両ほどはあったと思うけど……」

「……十分です。もう我々に対する鏡の納品も全て終わっていますし、娘達の代金の支払いも完了している。つまり、今あなたは『四百両のお金持ち』です」


「……でも、今後稼ぐ手段を持っていませんよ」

「だったら、その手段を作ればいいじゃないですか。忘れたのですか? あなたはこの阿東藩で『最高特権を持った』商人の一人なのですよ」


 そう言われてみれば、そんな特権をもらっていた。


 俺は『ラプター』を失ったことで、なんの能力もない、それどころかこの時代の人間としては平均以下のことしかできない「落ちこぼれ」になったと考えていた。

 しかし、実際には相当の資金と商人としての特権を持っている。これを使わない手はない。


 未来や異世界からやって来た英雄が特殊能力を使い、訪れた世界で大活躍する。

 しかしある日、彼は元の世界へ帰る手段と能力を失ってしまう。

 最初は落ち込む主人公だが、その時代で知り合った仲間と共に、数々の苦難を乗り越えていく。


 それはよくあるストーリーではないか。


 そういう類の物語の主人公になったのだ。

 俺は、なかばヤケになって、そういうふうに自分を納得させることにした。


 ただ、それらの物語の多くが、最後につらい別れが待っているということを、当時は認識していなかったのだが。


 そして啓助さんは、「あなたに見せたい物件がある」と、俺を町まで連れ出した。

 そこは一件の大きな……本当に大きな、敷地面積は前田邸の倍以上はあろうかと思われる、二階建ての立派な建物だった。


「『月星楼』じゃないですか。こんな高級料亭で昼間から、なんの打ち合わせをするんですか?」

「いや、打ち合わせじゃありません。先程話題に出た『見せたい物件』というのは、この建物の事です」

「……この建物の? 『月星楼』は……」

「はい。このところの不況で、つい先日、撤退しました」

 ……唖然としてしまった。この地方で一番の高級料亭が、あっさり撤退するとは……。


 もともと『月星楼』は江戸の老舗料亭で、最近『阿東藩』が豊かになってきていることに目を付け、この地方では初の大型宴会施設を建設したのだ。

 しかし、やはりこれだけの規模の、しかも高級料亭は、阿東藩では時期尚早だった。

 そこに今年の不作が響き、ついに撤退を余儀なくされた、ということだ。


「ただ、この建物を遊ばせておくのはあまりにもったいないというのが、江戸の『月星楼』本店の考えです。そこで、格安でも構わないから借りてくれる人を探しており、そこで我々阿讃屋に依頼してきたというわけです」

「……なるほど。で、とりあえず俺にも声をかけてくれた、と」


「とりあえずなど、とんでもない。だってあなたは先程も言った通り、『最高特権を持った』商人なのですよ。お殿様に認められたその信用は絶大です。あなたに借りてもらえるなら、先方も大喜びでしょう」

「……なるほど、そういうことですか。それで、その格安、という金額は?」

「月、十両です」

 ……頭がクラクラしてきた。


 十両といえば、現代でいえば百万円。

 たしかに建物の規模を考えれば安いのかもしれないが、はい、そうですかと即決できる金額ではない。「真珠」や「鏡」で稼げていた頃ならともかく、今となってはそれだけのリスクを背負う事は無謀と思えた。


「……ちょっと無理ですね。確実に稼げるならともかく、月十両となると……使用人だって雇わなければならないし……」

「使用人なら、いるではないですか」

 ……啓助さんに真顔で言われ、はて、なんのことかとしばし考え、そして俺が買い取ったあの娘達のことだと気づいた。


「あの子たちを働かせるのですか? ……いや、いきなり高級料亭でなんて無理でしょう」

「別に高級料亭にする必要はありません。いや、むしろ、高級料亭で失敗したんだ、別の形態に変更すべきでしょう」

「別の形態、といわれても……」

「たとえば、あなたの世界では、どんな店が繁盛していましたか」

 啓助さんが矢継ぎ早にアドバイスしてくる。これはもちろん、何とか俺を口説くためだ。


「俺たちの世界ですか? そうだなあ……俺は未成年だからあまり連れて行ってもらったことはないけど、低価格で、それなりにおいしい料理を出してくれる『居酒屋』がありました」

「いざかや……それは繁盛していたんですか?」

「そうですね。ただ、高級料亭と違って、店員はただ料理や酒を運ぶだけです。お客さんにお酒をつぐことさえもしません。舞妓さんや芸子さんはおらず、本当に気の合う仲間と楽しく飲み食いするだけの場所、といった感じでした」

「……なるほど……それでいいんではないですか? そんな店、これだけの規模の物は、少なくともこの阿東藩には存在しませんよ」

 俺は、「うーむ」としばし悩んだ。懸念材料が山のように出てくる。


「でも、そういう店にするならば、酒や食材の手配が必要ですし……」

「それは我々阿讃屋に任せてください」

「……あと、それなりに腕のいい料理人が必要です。凜さんや優も料理、上手ですけど、それはあくまで家庭料理です。やっぱり本格的に修行を積んだ人が……」

「彼が、適任ですよ」

 いつの間にか、啓助さんは、すぐ隣に一人の少年を連れていた。


 ちょっと気弱そうな、まだ若い、小柄な男子だ。

「彼の名は良平。実は元々この『月星楼』で見習いとして二年間、働いていた料理人です。『月星楼』撤退の際、彼は江戸に呼ばれることがありませんで……それで今、失業状態というわけです。腕の方は、私が保証しますよ」

 啓助さんがそう紹介すると、良平という名の彼は深々と頭を下げた。


「よろしくお願いします、前田様。あなたの様な有名な方の元で料理人として働けるなら、命をかけてご奉公させていただきますっ!」

 ……いや、まだここを借りるって決めた訳じゃないから。それにしても……俺って有名なのか?


 もう少し彼のことを詳しく聞いてみると、出身はこの阿東藩で、『月星楼』開店後に『弟子入り』して、厳しい修行に耐えてきて、最近では包丁も握らされるようになっていたという。

 歳は俺の一つ下。賃金は安くても良いから、とにかく料理の仕事がしたいという。


「もちろん、彼一人では手が回らないでしょうから、女の子にも二,三人手伝ってもらえばいい。さっきあなたが言ったように、料理や酒を運ぶだけなら接客は簡単だ。二人いれば十分でしょう。繁盛するようなら、また改めて雇えばいい。それにこの建物自体、買い取りじゃなくて賃貸です。儲けにならないと思えば、いつでもやめられますよ」

 ……あいかわらず啓助さんは、口がうまいなあ。


「それに、私の考えでは、相当な美人が揃っているのですから、単なる料理の手伝いや簡単な接客だけでなく、なにかしらの工夫をすればかなり集客が期待できると思いますよ」

 ……うーん、客寄せ、か。例えば、メイド喫茶ならぬ、メイド居酒屋、とか。……ナツが強硬に反対しそうだな……。


「どうですか、拓也さん。今が好機ですよっ!」

 ……たしかに、真珠や鏡が手に入らなくなった今、何か別に商売を始めないといけないのは間違いないし、うまくいかなければやめられる、というのも魅力的だ。四百両の資金がある、今なら試せるかもしれない。


 ただ、俺の……駆け出しながら「商売人」としてのカンが、何か足りない、と警告を発していた。


「うーん、彼女たちには相談してみて、了解を得られれば問題ないかもしれないけど……何か、目玉が欲しいなあ。客に『多少お金が高くついても、そこに通いたい』と思わせるような」

「……さすが拓也さん、目の付け所が鋭いですね……」

 啓助さんの顔も、商売人の本気モードに変わっていた。


 俺はスマホを取り出し、「江戸時代 人気 料理」という単語で検索をかけてみた。

 インストールしている百科事典から、該当するキーワードを含む記事が表示される。


「……てんぷらや寿司、蕎麦っていうところか。でも、どこの店でも出しているしなあ……」

 そのグリグリ動く画面を見て、良平は驚きの声を上げた。


「ああ、これは『すまほ』といって、いろいろ便利な道具なんだ」

「拓也さん、それって『でんち』の問題は解決したんですか?」

 啓助さんが目ざとく質問してくる。


「ああ、『ソーラー充電器』っていう太陽の光で充電できる機械を持ってきて……まあ、ようするになんとかなったっていうことです」

 説明が面倒だったのでそれだけ話した。啓助さんも、それ以上は聞いてこなかった。


「……あと、人気があって値段が高かったのは……鰻、とくに鰻丼、か」

「うなぎ? あんな物が人気なんですか?」

 良平が不思議そうな顔をする。


「えっ? だってウナギ、うまいじゃないか」

「そうですか? 僕は全然おいしいとは思いませんけど」

 彼の疑問を不思議に思った俺は、もう少し詳しく調べてみて納得した。


「……なるほど、鰻を『蒲焼きにしてタレをつけて、ご飯にのせて食べる』というのが発明されたのは、もっと後の時代なんだ。それまではぶつ切りにして、串に刺して焼いていただけか。たしかにそれじゃあまずそうだ……蒲焼きの作り方も書いているし、タレも工夫したら完成させられそうだ。これはいけるかもしれない」

 手応えを感じた俺の表情を見て、啓助さんはちょっと怖い物を見るような顔になった。


「拓也さん……どうしてそんなに物知りなんですか? あなたはひょっとして、本当に、仙人?」

「まさか。ただ、この『すまほ』にいろんな資料……百科事典やら、英和辞典やら、歴史資料集やら、いろいろ記録しておいただけです」


 ネットがつながらないこの時代、調べ物するのに便利なように、十万円以上のお金をかけて資料をインストールしておいたのだ。


「……それって、いったいどれほどの情報があるのですか?」

「これですか? うーん、画像データも含めると数ギガはあったはずだから……そうだなあ、この時代の巻物にたとえると、一万本以上は軽くあると思いますよ」

「いっ……いちまんぼん……」

 良平は絶句した。


「……拓也さん……やはり、あなたはすごい人だ。元の世界に戻る術を失っても、その仙力は少しも衰えない……」


 ……彼の言葉を聞いて、俺はまだ、この時代においては「情報」という名の特殊な能力を持っており、人の役に立てるんだということに気づかされた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る