第5話 少女の胸元

 翌日、彼女達の様子が気になっていた俺は、朝から母屋を訪れた。


ちなみに、この家は凜さんによって「前田邸」という仮称が付けられていた。

「前田」は俺の名字。なんかちょっと気恥ずかしい。


 昨日はいろいろあって疲れてたはずだけど、みんなよく眠れたかな……そんなことを呑気に考えながら門をくぐると、誰も庭にいない。見張り役の源ノ助さんまでもだ。


 ちなみに、源ノ助さんは俺とは違い、彼女達の許可がなければ母屋に入れない。


 俺は出入り自由なのだが、さすがに無断でズカズカと入っていくわけにも行かないので、

「拓也です。誰かいませんか?」

 と、自分が借りた家なのに来客であるかのように呼びかけてみた。


 トンッ、トンッ、トンという軽快な足音とともに現れたのは優。この娘のかわいい顔を見ただけでドキリと鼓動が高まる。けれど、彼女の表情は微妙だ。


「拓也さん、おはようございます。ごめんなさい、なかなかお迎えも出来なくて」

「いや、そんなことは全然構わないけど……何かあったのかい?」

「ええ、実は、ユキちゃんが熱を出しちゃって……」

「えっ、あの元気っ娘のユキが?」

「はい。それで今、源ノ助さんが水を汲みに……」


 ちょうどそこに、まさに今話していた監視役のお侍、源ノ助さんが水の入った桶を抱えてきてくれた。

 ちなみに、この家には納屋の裏手に井戸があり、そこで水を汲むことができる。


「や、これは拓也殿、来られていたのですな」

「やあ、源ノ助さん、すみません、そんな雑用させてしまって」

「何をおっしゃる。私はここにいる娘さん達を守る義務がありますのでな。このぐらい、当たり前のことです。……ただ、ここから先にはあまり入ることは出来ませんので」

「わかりました、部屋には俺が持って行きます」

「かたじけない。では、私は見張りに戻るとします」


 そう言い残して庭へと帰っていく源ノ助さん。本当に真面目な人だ。

 ちなみに、台所に貯め置きの水はあるのだが、やはり井戸から汲んできたばかりの水の方が冷たい。つまり、これはユキの額を濡れ手ぬぐいで冷やすための水だ。


 彼女は、一番奥の部屋に寝かされていた。


 優がふすまを開けて先に入り、俺が来たことを告げる。

 少し間を置いて、中に呼ばれた。

 ユキは、俺の顔を見て少し笑った。だが、何もしゃべらない。

 見るからにつらそうだ。


 熱が少しあり、寒い、と言っているらしい。掛け布団も二枚重ねられている。

 考えてみれば、この数日は十三歳のこの子にとって、過酷な試練の連続だった。


 父親の死。

 あまり意味は分かっていないようだが、自分が身売りされるという現実。

 俺が仮押さえしたとはいえ、数時間に渡って歩かされ、そしていきなり慣れない家で監視付きの共同生活することを強制させられた。

 いくら明るく振る舞っていても、心と体は疲れ切っていたのだ。


 さすがに凜さんも、親身になって看病する。

 額の手ぬぐいを、俺が持ってきた桶の水に浸し、軽く絞り、そしてユキの額にまた乗せる。


 ナツは、自分の妹の事が心配でしょうがないらしく、厳しい表情のままずっと側から離れようとしない。

 いつも脳天気なハルも、少し離れてちょこんと座り、じっと双子の姉を見つめていた。


 優は、ユキの為に芋がゆを作ると言って、台所に戻っていた。

 まあ、なんというか、ちょっと大げさな気はするが、始まったばかりの共同生活でいきなりハプニングが起こったので、みんなで乗り切ろうと頑張っているのだろう。


 その後、ユキは眠ったようなので、姉のナツを残してみんな囲炉裏部屋に集まった。


 彼女の症状を聞いてみると、くしゃみや咳といった典型的な風邪の症状で、特に喉を痛がっているという。季節の変わり目、ということもあるようだ。


 ちなみに、俺の住む現代では夏休みの前半だが、三百年後のこちらでは季節がずれており、もう秋に入っていた。


 芋がゆ、ユキは食べられなかったので、残りのメンバーで食べることにした。

 女性達はおいしい、と言って優の料理を褒めていたが、正直、俺はそれほどには感じない。

 もちろん、優の腕の問題ではなく、材料が貧相なのだ。


 この時代、ただでさえ庶民は生活が苦しいのに、この地方は不作だった。あまり贅沢なものは食べられない。現代から米を持ってくれば良かったと後悔した。


 ただ、今日朝から持ってきたものの中にはすぐに役立ちそうな物もある。リュックの中に、念のため救急箱を詰めてきたのだ。

 もちろん、これは彼女達が怪我をしたり、病気になったときのため。

 包帯や絆創膏の他、胃薬や、まさにすぐに使えそうな風邪薬も入っている。

 ユキが起きたなら、早速飲ませてあげようと考えていた。


 凜さんは、

「お医者さん、呼んだ方がいいのかしら……」

 と心配していたが、往診となると時間も金もかかる。また、この時代の医者がどれほど信用できるか怪しかったので、単なる風邪ならゆっくり休めばいいだろう、と短絡的に考えていた。


 しかし、しばらくの後、様子を見に行ったナツが血相を変えて囲炉裏部屋に駆け込んできたときから、状況が一変する。


「ユキの様子が急に変わった! さっきまでとは違い、暑がりだして、苦しそうで、息が荒いんだ!」

 容態が悪化したようだ。


 全員で慌ててユキの休んでいる部屋へと向かう。

 確かにナツの言う通り、苦しそうだ。さっきまで寒がって被るようにしていた掛け布団も、はねのけている。


 優が駆け寄る。

「すごい熱……」

 額に手を当てた彼女の目が、驚きで見開かれていた。

 俺は慌てて救急箱から体温計を持ってきた。


「これで熱を測れる。デジタルだからすぐ表示される」

「えっ……どうやって……」

 優が戸惑う。見たこともない物なのだから当然だ。


「えっと、ボタンを一回押してリセットして、脇の下に挟んで……」

 全員、きょとんとした顔になる。


 説明が無駄であることを悟った俺は、少し強引だが、自分で体温計をセットすることにした。


 浴衣のような寝巻の胸元を、大きく広げる。

 十三歳、まだ子供だとばかり思っていたユキの胸は、思ったよりも膨らみが大きく、形も整っており、思わずドキリとしてしまった。


 しかし、今はそんなことに構っている場合ではないし、まわりの少女達も何も言わない。

 静かに腕をずらして、脇の下に体温計をはさみ、そしてそのまま閉じさせる。

 一旦襟元を閉じ、しばらくそのままにする。

 待っている時間が、とんでもなく長く感じられた。


 ようやく測定完了を知らせる電子音が鳴り、急いで取り出し、そしてそこに表示されている温度に我が目を疑った。


 (40度……)


 子供でこれだけの高熱。下手をすれば命に関わるんじゃないかと考え、ぞっとした。


「ど……どうなんだ?」

 実の姉であるナツが、焦ったように俺に迫る。


「熱が高すぎる。なんとか下げなきゃ……とりあえず、持ってきた風邪薬でも少しは効果があるだろうから、それを飲ませて、後は額を濡れ手ぬぐいで冷やして……」


 俺がそこまで口にしたとき、どすん、と後方で鈍い音がした。

 振り返ると、ユキの双子の妹であるハルが、床にしりもちを着いていた。


「なんか、私、変……」

 確かに、顔が少し赤く、ビックリしたような目をしている。


 ナツが慌てて掛け寄り、彼女の額に手をあて、そして泣きそうな顔になった。

「ハルも……ハルも熱があるっ!」


 彼女の言葉に、俺だけでなく、その場にいる全員が衝撃を受けていた。

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