エピローグ
「――はい、お話はここでおしまい」
「え……」
新緑広がる草原、そびえる大樹のふところで。
母親の話に聞き入っていた少女は、唐突な終わりにポカンとする。
いつの間にか空は淡いオレンジ色で、少女の目は涙でうるんでいた。
「それで終わり? 続きはないの……?」
ゆっくりと首を横に振る母親に、少女は抗議するような口調で。
「だって、ふたりはどうなったのっ? 自分のことをお姫様だと思っていた子と、本物のお姫様だった子は、そのあと……」
そこまで言って言葉を濁す。不幸な続きを想像してしまったのだろうか。
娘の涙をハンカチで優しくぬぐうと、女性は微笑みながら言う。
「この話、ママが知っているのはここまで。だから、続きは――あなたが想像すればよいのではないかしら。そう、幸せな結末をむかえた、ふたりの姿を、ね」
「でも……」
不満そうに。
「どちらかひとりは、しょけい、されちゃうんじゃ……?」
「どちらか、と言うなら、もちろん本物のお姫様でしょうね。『この世界に王族の血を残さない』というのが、革命派の目的だったのだから」
「むー」
「でもね、革命派の人たちだって人間でしょう? 皆が皆、乱暴な考え方をしているとは限らない。例えば、そう、本物のお姫様が自分の命を顧みず真実を話したことに、心打たれた者がいたとして……そうね」
少し間をあけて。
「その子に限って、刑罰の執行を百年ほど伸ばした、というのはどうかしら」
「百年後にしょけいされるってこと? でもそんなに時間がたったら、その前にお婆ちゃんになって、どっちにしても、死んじゃうじゃない」
「そうね。でも革命派の目的からすれば、それでも良かったのよ」
「ん、だって」
「ひとつだけ条件を付ければ」
「あ、そういうこと」
「そういうこと。もちろんこれは、お話の結末としてママが勝手に想像したことだけど、ね」
夕焼けに染まり始めた草原。
女性は立ち上がり、座り疲れた身体をほぐすため、大きく伸びをした。
少女も一緒に立ち上がると、小さな身体でその真似をする。
「でもママ。私、わからないの。『王族の血』ってそんなに価値のある大切なものだったの? そんなもののために、子供を入れかえたり、しょけいしたりするなんて……」
「いいえ。私たちにとっては、まったく価値のないものよ。けれど彼らにとって、それは『誇り』と同じ意味を持つものだったの」
「ほこり……それは大切なもの?」
「人それぞれかしらね。例えば……そう、もしあなたがどこかの国の王女様だったとして――」
「いやよ。私、パパとママの子がいいもの」
「……あら」
そういう話ではなかったのだけれど、と。
思わず目を細めながら、娘の頭を優しくなでる。
少女は母親の顔を見上げ、満面の笑みを見せた。
「ところで、プリメール――」
木に立てかけておいた、あのアンズの枝。
たくさんの花がついたその枝を手に取り、娘に手渡しながら。
「わかってもらえたかしら? このお話の意味」
少し真面目な表情を作り、そう尋ねた。
娘はアンズの枝を受け取り、自分が折ってしまったそれを、心寂しげに見つめてから。
「……なんとなく」
「では、プリメール。あなたがすべきことは?」
その問いに。
「……お友達にあやまる。変な意地をはってケンカしたままで――もし急に会えなくなってしまったとしたら、その後、ずっと後悔すると思うから」
「そうね」
「それと、もうひとつ……」
少女が答えようとした間際に。
「――プリメール!」
遠くから少女を呼ぶ女性の声。
「あ」
少女はそちらを一目見て、気まずそうに母親の顔を見上げた。
駆け寄って来たのは、少女たちの家で住み込みの家政婦として、ずっと働いている女性。
濃紺色のワンピースと白いエプロンが、夕日に映えていた。
女性はふたりの前に立ち、両手を腰にあてる。
そして少女が持つアンズの枝を見るなり、はあ、と、わざとらしく溜息をついた。
もじもじと身体をゆらす少女を、うながすように母親がその背をぽんと叩く。
小さな少女は一歩前に出て。
「ごめんなさい。あなたが大切にしている木を、折ってしまって……」
そう言って、頭を下げた。
家政婦の女性は、呆れたような笑い顔を見せる。
元々、怒ってなどいなかったのだろう。
「プリメール、謝るのはそれだけじゃないでしょう?」
母親に言われ、首を傾げるも、はっと気付いたように。
「ええと、その、家出なんかして……心配させてしまって……」
もごもごと、口ごもりながら。
「ごめんなさい――モニカ」
女性の名を呼び、再び頭を下げた。
「いいのよ。どっちも、慣れていることだから」
家政婦の女性は、少女の母親を見ながら、苦笑いを浮かべていた。
実際、彼女は、少女がここにいることを最初から知っていた。
家出をすると言って飛び出していった少女の後をこっそり追いかけ、この木の下で座り込んでいるのをしばらく眺めていたのだけれど、母親がやって来て何か話を始めたのを知り、安心して家に戻ったのだった。
「さあ、家に帰りましょう」
女性は言った。
「夕ご飯はもうできているから。パパも首を長くして待っているわよ――」
その日の夜。
夕食も終わり、娘を寝かしつけた後。
女性は何の気なしに庭に出て、ひとり、アンズの木を眺めていた。
月明りに輝く夜の花は、何度見ても美しい。
「――今年は一段と花をつけたから、春が終わる頃には果実をたくさん実らせるかしらね」
いつの間にか近くに来ていた、家政婦の女性が、呟くように言った。
「そうね、楽しみだわ」
「ねえ、そういえば」
隣に立って。
「だいぶ長い時間、プリメールの家出に付き合って、一体何の話をしていたの?」
そんなことを訊く。
「少しね。昔話をしていたの」
「あら」
「もちろん少し脚色したり、名前を変えたりはしたけれど――あの子、勘は良いからね。気が付いてしまうかも」
「そう」
「でも――あの子が小さいうちに、話しておきたくて、ね」
穏やかに言って、再びアンズの木を眺める。
春の夜、咲き乱れ、花片を散らす。
時が平穏に過ぎ去り、幸せな生活を家族と共に送れることに、感謝していた。
「さて、戻りましょうか――って、あら?」
庭の反対側、見慣れない光景に気が付く。
目の前にある満開のアンズの木。
それを小さく縮めたようなものが、庭の片隅にひっそりと植えられていた。
「ええと、あれは……あの子が折ってしまった、アンズの枝?」
「そうかしら?」
近づいてみると、それは確かに、少女が折ってしまったあの枝。
たくさんの花がついたまま、枝の一部が埋められて、まるで小さな木のようになっていた。
「あ、そういえば……」
家政婦の女性が言う。
「さっき、あの子にね。折ってしまった枝を元に戻せないかって聞かれたの。だから『それは無理だけど、挿し木すれば、新しい木として育つかも』って、そう教えてあげたのだけど……」
「挿し木って……あんな風に花がついたままでも、うまく育つものなの?」
「さあ?」
素っ気なく言うと、くすくすと笑った。
「でも、プリメールも頑張って穴掘りをしたのだろうから、しばらく、このままにしておきましょう。もしかしたら大きく育つかもしれないし」
「そうね、そうしましょう。これはこれで可愛らしいし……ふあ」
微笑みながらも、大きなアクビをする。
「ずっと話をしていて疲れてしまったようね……戻ってすぐ寝ることにするわ」
「ふふ、久しぶりに一緒のベッドに寝る?」
「……いい年して、何をばかなことを言っているの、まったく」
「なら私は硬いベッドでひとり眠ることにするわ。どうせすぐにプリメールが潜り込んでくるから、寂しくはないもの」
「え……あの子、まだそんなことをしているの?」
「最近、ママはベッドに入れてくれないから、って」
「あの子も、もう学校に行く年なのだから、ひとりで寝られないでどうするのよ、まったくもう」
「それ……あなたが言うの?」
そんな会話をしながら、子供のように笑い、ふたりは去っていった。
庭の片隅。
華やかな魔法の杖は月の光を浴びて、大きく育たんとする。
少女たちの願いをいつまでも叶え続けるため。
アンズの花とお姫様 こばとさん @kobato704
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