7. 願い
まだ空が暗いうちに、屋敷にたどり着いた。
夜明けまで自分の部屋で待機するように言われ、灯りも点けず、ひとりたたずむ。
ずっと過ごしてきたはずの場所、ふわふわのベッドも、今は物寂しい。
窓から朝日が射し込むと同時に、ノックの音。
付いて来るように指示された。
広い客間には、見知らぬ者たちがいた。
昨日の男が薄ら笑いを浮かべながら、アプリコーゼの手を取る。
そのまま部屋の中央、ぽつんと置かれた椅子に座らされる。
まるで王座を仰ぐ兵士たちのように、一同が椅子の前に列を作った。
その端に唯一顔を知る者。
アプリコーゼをずっと育て続けてきた侍女長だった。
呆然とした虚ろな目。頬はこけ、ひどくやつれた顔をしている。
慌てて声をかけようとしたが、男に止められてしまった。
「――アプリコーゼ様、滅びし王家の血を引く貴女に、申し伝えます」
少女の前、昨日の男が直立し、何かが書かれた紙を広げる。
朝の淡い光を浴びた部屋。
わずかな静寂の後、まるで王に請願でもするかのように、うやうやしく。
その男は紙を両手で掲げ、その内容を読み上げ始めた。
難しい言葉が散りばめられた、回りくどい文章。
椅子に座ったまま、ぼんやりと聞くアプリコーゼ。
時折、心配そうに侍女長の方へと目を向ける。
彼女は顔をふせたまま、震えるほどに自分の拳を強く握りしめていた。
「さて、アプリコーゼ様。これより貴女の処遇を伝えさせて頂きます」
男は、読み上げていた紙を、くしゃっと片手で握りしめる。
感情を殺したような目で、アプリコーゼを見下ろしながら。
「貴女は、我らの国におられる貴女のご両親と、一緒に過ごす時間が与えられます」
わずかに笑うように。
「しかしそれは数日限りのこと。その時が過ぎた後」
重々しく。
「アプリコーゼ様、貴女はご両親と一緒に」
勿体ぶるようにして。
「処刑されます」
そう告げた。
ほぼ同時に、列の端にいた侍女長が、勢いよく足を踏み出す。
怒りを込めた形相で、男につかみかかろうとする間際、他の者たちに制された。
「あなたはっ! 子供相手に……どうしてそんな残酷なことをっ……!」
侍女長は目を赤く腫らしながら、必死に叫ぶ。
男は澄ました顔を向けながら。
「落ち着いてください。ご婦人。これはもちろん私個人が決めたことではありません。法にのっとった正式な裁判で決定されたこと。すなわち国民の総意なのですよ」
そう言って、アプリコーゼの方に向き直る。
「ふむ、お姫様の方がよっぽど冷静だ。ああ、ひょっとして、処刑という言葉の意味が理解できなかったのですかね?」
馬鹿にしたような口調で話しかける男に対して。
「いいえ、殺されるのでしょう。私が」
アプリコーゼは不動の姿勢で答えた。
「ほう」
男は感心したような表情を見せ。
「お嬢様……」
侍女長は、その場で膝から崩れ落ち、うなだれてしまった。
少女にとって、まったく予想だにしなかった結末では、決してなかった。
冷静に思い返せば、昨晩のモニカの行動は、そういうことなのだろうし。
そもそも少女は学んでいた。
それは「れきし」の勉強のとき。
色々な国の成り立ちを。その滅びを、学んだ。
自分が生を受けた国と、その行く末については、詳しく教えてくれなかったけれど。
こんな結末を迎える可能性を、遠まわしに教えてくれていたのかも知れない。
そうであれば、私が取り乱しては――いけない。
少女はそう決意していた。
「もちろん、貴女が何か悪いことをしたわけではありません。アプリコーゼ様」
男は言う。
「悪いのは王であった貴女の父親。はたまた歴代の王たち。彼らはその地位を利用して、一部の人たちに酷いことをしてきましてね。国を支配する者として仕方がないことだと、そう解釈する輩もいましたが――」
わざとらしく首を横に振ってから。
「結果、貴女の父親は、支配者としての座からひきずり降ろされることになった。我々、革命派の手によってです。とは言え、国とはそう簡単に変われるものではない。国が安定するまで、貴女の父親には色々と協力して頂きました。しかし」
憎しみの感情を隠すことなく。
「革命派の多くは納得していなかった。貴女たち王族は代々、自らを『優れた血統』と崇めさせ、すべての国民をその出自で区別し、国を支配し続けていた。その支配が終わった今……『王族の血を、この世界に一滴も残すな』と。それが虐げられてきた我々の、長年の願いだったのですよ」
男は天を仰ぐように、そう言い捨てた。
「でも……この子自身には、罰を受けなくてはならないほどの……罪は……」
侍女長は膝をついたまま、悲痛な声をあげる。
男は呆れたような口調で言う。
「王族の処遇については、先程も述べた通り、裁判の場で賛否わかれ、散々議論され尽くした話です。そもそも、裁判を無駄に長引かせたのは、ご婦人、貴女たち王権派のお仲間でしょう。まったく、そんな余計なことさえしなければ――」
そこで言葉を止めると。
「己の罪に対する悔恨。与えられる罰への恐怖――そういった感情が育つ前に、審判を下すことも可能だったはず」
少女を
「そう――お姫様の不幸を招いたのは、貴女たち自身なのですよ」
哀れみなど一切感じさせないような冷たい表情で見下ろした。
侍女長は言葉無く、くずおれる。
「ふん、勝手に決めないで頂戴」
アプリコーゼは、しかめ面を作り、勢いをつけて椅子から飛び降りた。
そのまま男の前に立ち、あごを上げて、男を見上げると。
「あなたは、偉い人なのかしら?」
腰に手を当てながら、そんなことを訊く。
「ええ、そうですよ」
男は柔らかい口調で返す。
「我が国には、以前のように支配者がいるわけでありません。しかし人の上に立つ役職は存在しており、私はそれなりの地位を与えられています。それこそ国の体制に口を出せる程度の、です」
「ふうん」
アプリコーゼは頬をつり上げる。
「なら、あなたたちの国も、大したことはなさそうね。やがて同じ『れきし』が繰り返されることが、目に見えるようだわ」
「ほう?」
「私は、私のお父様やご先祖様がどんな悪いことをしたか、知らない。けどね」
きっ、と、鋭い目で睨みつけながら。
「夜中に女の子の部屋へと忍び込んで、怖がらせて、挙句の果てに暴力を振るう。そんな人が偉ぶって、私の罪をどうこう言うなんて滑稽だわ。他人に口出しをする前に、ご自身の足元を固めてはどうかしら?」
強い口調で、そう言った。
「おやおや……」
男は呆れたように肩をすくめ、首を横に振った。
そして周囲の者たちに合図を出す。宣告の儀式は、終わりなのだろう。
「さて、お姫様も外出の準備をしてください。この屋敷にはもう ―― 戻れませんよ」
淡々と言う男を無視するように、アプリコーゼはくるりと背を向けた。
膝をつき、うなだれたままの侍女長。
アプリコーゼはその前に立つと、小さな身体で包み込むようにして。
ぎゅっと抱きついた。
「いままで――わたしを育ててくれて、ありがとう」
「お嬢様……」
侍女長は少女を強く抱き寄せ、嗚咽をあげる。
「大丈夫、わたし、幸せだったから」
アプリコーゼは泣かなかった。
これ以上、この人を悲しませてはいけない、と――
やがてふたりは身体を離す。
しばらく寂しげな表情で見つめ合った後。
「ねえ……」
アプリコーゼは急に不安そうな目をしながら、訊く。
「モニカは……戻ってきた?」
侍女長は、やりきれない想いをその目に浮かべてから、無言で首を横に振った。
あの男に頬を叩かれ、倒れてしまったモニカ。
無事だったのだろうか。
もし目を覚まし、この屋敷に向かっているのだとしたら――
「さあ、お姫様。出発の準備はできましたか?」
アプリコーゼが何の準備をしていないことを知りながら、男はそう言った。
「ま、待ちなさい。私は、まだ……」
「いいえ、待てません。本来であれば、昨晩、貴女を連れて国へと戻る予定だったのですから。貴女が、この屋敷から逃げだしさえしなければ――」
「少しだけで良いの! もうすぐモニカが――あの子が、ここに戻ってくるから!」
こらえていた気持ちが溢れてしまったかのように、アプリコーゼは焦燥の声をあげた。
「諦めてください。いずれにしても貴女はもう、誰とも会うことはできません」
男は吐き捨てるように言った。
「だ、だって……」
アプリコーゼは声を震わせる。
「わ、わたし、あの子にひどいことを言ってしまって……だ、だから、きちんと……」
謝らないと――
少女は駆け出していた。
部屋を飛び出し、屋敷の入口から外に出る。
庭園の向こう、あの鉄の扉が固く閉ざされているのを見て、裏庭に向かう。
あのアンズの木。
魔法なんて使えなくても、木の一番上から飛び降りれば、外に出られる。
モニカはそう言っていた。
怪我をするかも知れないけれど、そんなことはどうでも良い。
そのまま街に向かって走り続ければ、どこかでモニカと会えるはずだから――
少女が、強い意思を保てたのは、そこまでだった。
「あ……」
アンズの木を見上げ、少女は力なく、膝から崩れ落ちた。
目のふちに涙があふれ、口から嗚咽が漏れる。
やがて。
うわあぁぁぁん――と、赤子のように、声をあげて泣きはじめた。
夜が明けたばかりの淡い空。
高くそびえるアンズの木。その枝の先、つぼみがあった場所には――
小さな花がひとつ、鮮やかな色を振りまいていた。
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