第79話

 トントントン、と、扉を叩く音に、アレンは驚いて目を丸くした。

「え、あの、ええと――ど、どうしましょう、ユミル?」

「――すみません、どちらさまですか?」

『竜』の支配する屋敷の中に、自分達に仇なす者が入りこむことはないだろうと思いつつも、それでもやはり、わずかに警戒しつつ、そう声をかけるユミル。

「突然お邪魔してごめんなさい。エリシアです」

「え!? エ、エリシア様!?」

 ユミルは驚いて扉を開けた。

「驚かせてしまいましたか?」

「あ、ええと――ザイーレンさんは?」

「レンは、レオノーラといっしょに、あちらの宴会会場におります。わたしは、あの――」

 エリシアはにっこりと笑った。

「お二人が、その、宴会会場にはいらっしゃれないと聞いて――」

「せっかくの宴会の夜なのに、二人ぼっちはつまらんであろ?」

 エリシアの後ろから、パルロゼッタがヒョコリと顔を出した。

「こんばんはー」

 エルメラートもまた、にこにこと顔をのぞかせた。

「ハルさんは頭がいいからクレアノンさんに助言ができるし、ライさんは宴会の切り盛りしなきゃいけないけど、ぼく、あそこじゃやることがなくってひまなんですよ。だから、ちょっと、おしゃべりにつきあっていただけますか?」

「で、でも、エリシア様や、パルロゼッタさんは――」

「あの、『様』はやめていただけませんか?」

 エリシアは申しわけなさそうに言った。

「そう言われると、あの、落ちつきませんので。すみません」

「あ、その――それでは、エリシアさん。エリシアさんは、あちらにいなくて――」

「大切なお話は、みんな、ザイーレンがまとめてくれますから」

 エリシアはにっこりと、絶大な信頼を込めて微笑んだ。

「わたしは、あの――お友達と、おしゃべりがしたくて。あ、あの、お邪魔でしたか?」

「とんでもない」

 ユミルはにこりと微笑んだ。

「わざわざありがとうございます。妻も喜びます」

「ご馳走も持って来たんですよー」

 エルメラートが楽しげに言いながら、様々な料理を載せたワゴンをゴロゴロと運び込む。

「いっしょに食べましょうよ。アレンさん、まだつわりは来てませんよね? 食べられますよね?」

「わあ――ありがとうございます」

 アレンはうれしそうに顔を輝かせた。もちろん、アレンとユミルの二人は、夕飯ももらわずに放っておかれたというわけではない。おなかはそんなにすいていない。それでも、そこはそれ、その気持ちがうれしいというやつだ。

「パルロゼッタさんは、ええと――社会学、についての、あの、聞き込みをしなくてもいいんですか?」

 と、アレンが小首を傾げる。

「ああ――吾輩があそこにいると、アスティンが、もう寝ろもう寝ろってうるさいのであるな。ほんとにもう、吾輩、子供ではないのであるがなあ、まったく」

 と、パルロゼッタが顔をしかめる。

「しかもそれを、吾輩の移動書斎の中から、拡声器を使って連呼するもんだから、吾輩もう、恥ずかしくってしかたがないのであるよ、ほんとにまったく」

「アスティンさんは、パルロゼッタが大切なんですよ、きっと、とっても」

 と、アレンが微笑む。

「それは、吾輩もわかっているのであるがな」

 と、パルロゼッタも微笑みを返す。

「それでもやっぱり、うるさく言われるのはいやなのであるよ」

「それはそうかもしれませんねえ」

 あっけらかんとした声で、エルメラートが言う。

「ライさんも心配症ですからねえ。似たようなことを、しょっちゅうぼくやハルさんに言ってますよ。まあ、ぼく達の場合、たいてい聞きながしちゃうんですけどね。あはは」

「ええと、あの、すみませんね、ろくに椅子もなくて――」

 おもてなしの準備をしようにも、もともとここは、二人入ってちょうどいいくらいの小部屋だ。椅子もテーブルもろくにない。

「あ、じゃあ、ちょっとこっちの部屋に移りませんか?」

 という、エルメラートの提案にしたがって、部屋を移動する5人。

「――わざわざ、来てくださって、本当にありがとうございます」

 と、うれしそうに――本当に、うれしそうに言いながら、ペコリと頭を下げるアレン。

「アレンさん達も早く、人前に出られるようになるといいですねえ」

 と、屈託なく言うエルメラート。言う者によっては皮肉と受け取られかねない発言だが、その言動に裏表のないエルメラートの発言なので、アレンはもちろん、ユミルもまた、その言葉に素直にうなずく。

「大丈夫ですよ。ザイーレンが、頑張ってくれてます。だから――大丈夫ですよ」

 エリシアが、アレンとユミルに大きく笑いかける。

「ぼく達だって、頑張ってますからね。まあ、ぼくらは、ハイネリアの人じゃないから、ハイネリアの人達に根回しするとかいうことはあんまりできないですけど、それでも、クレアノンさんや、エリックさんのお手伝いをすることくらいは出来ますからね」

 エルメラートがにこにこという。

「――ありがとうございます」

 ユミルが深々と頭を下げる。

「ありがとうございます」

 アレンもまた、ペコリと頭を下げる。

「どういたしまして」

 エルメラートは、恩に着せるでもなく、必要以上に謙遜するでもなく、ごく自然な声でそう答えた。

「ハルさんがねー、出産、早まりそうなんですよー」

 エルメラートはサラリと言った。

「ほら、ぼく達淫魔は、他の種族の影響を、すごく受けやすい種族でしょう? 歳が若ければ若いほど、受ける影響も大きいんですよ。だから、ハルさんのおなかにいるぼく達の子も、クレアノンさんの、竜の力を四六時中そばで浴び続けてるから、成長が早くなってるみたいで。まあ、これで、ハルさんの体に負担がかかるとか言うんなら、少し考えなくっちゃいけないんですけど、今のところはまあ、そんなこともないようですし」

「あ――じゃ、じゃあ、もしかして、私達の子も――?」

 と、アレンが目を丸くする。

「そうですね、アレンさんとユミルさんの子は、ぼく達の子より、淫魔の血が薄いですからね。影響も、そんなに大きくは出ないと思いますけど、でも、そうですね、妊娠期間は、少し短くなるかもしれませんね。それに――」

「――それに?」

「体のどこかに、ちょっとだけうろこが生えるとか、そういうことも、あるかもしれませんね」

 エルメラートは、軽く肩をすくめた。

「え、それは――竜族の影響を受けて、ということですか?」

「はい。まあ、竜族のそばに長いこといた淫魔なんて、ぼくの知る限りではいませんからねー。どうなるのかはわかりませんよ。でも、もしかしたら、そういうこともあるかもしれませんねー」

「あ――そうなんですか――」

 アレンは目を白黒させた。

「まあ、ぼく達の子が、クレアノンさんの力を、少しだけ引き継いで生まれてくることは、もう、まず間違いないですね。だって、すでにもう、成長が早くなるほどの影響を受けているわけですから。アレンさんとユミルさんのお子さんは、ぼく達の子より、淫魔の血は薄いですけど――」

 エルメラートは、にっこりと笑った。

「妊娠の、ほんとに初期のころから、クレアノンさんの――竜族の側にいるわけですからね。やっぱり、竜族の力を引き継いで生まれてくるんじゃないかなあ」

「え――」

 アレンは、わずかに不安げな顔をした。

「だ――大丈夫、でしょうか――」

「え?」

 エルメラートは、きょとんとアレンを見た。

「『大丈夫』って、何がですか?」

「わ、私達の子が――ほ、他の人達に、怖がられたり、するように、ならないでしょうか――?」

 アレンはおどおどとうつむいた。その、生まれ持った強大すぎる力のせいで、人間純血主義のファーティスに、淫魔の血を半分引いて生まれついたせいで、祖国ファーティスでは、疎まれ、誰からも親しくしてもらうことは出来なかったアレンだ。その瞳は、消すことの出来ぬ、根深い不安に震えていた。

「大丈夫ですよ」

 エルメラートはにっこりと、アレンに大きく笑いかけた。

「他の人達はどうだか知りません。でも――ねえ、アレンさん、ぼく達の子も、アレンさん達の子と、条件はまったくおんなじなんですよ? そして、きっと、生まれた時からずっとそばに、いっしょにいることになるんですよ? それってもう、友達を通りこして、兄弟みたいなもんじゃないですか。だから、大丈夫です。ぼく達と、ぼく達みんなと、ぼく達の子供だけは、他の人達が何をどういったって、アレンさん達の子を、怖がったりなんてするはずありません」

「わたし達も――わたしと、ザイーレンと、レオノーラも、アレンさん達のお子さんを、怖がったりなんかしませんよ」

「吾輩も、怖がったりなんかしないのであるな。むしろ、興味しんしんなのであるな。大きくなったら、詳しくお話を聞きたいくらいであるな」

 エリシアとパルロゼッタも、アレンに向かって大きく笑いかけた。

「あ――ありがとう、ございます――」

 アレンもまた、大きな笑みを、皆に返した。

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