第78話
「よお、ザイーレン」
気軽にかけられた声に、ザイーレンはわずかに眉をひそめた。
「何か用かな、カルディン?」
「おめーにも、わかってんだろ?」
カルディンはニヤニヤと――だが、その底に、真剣さをひそめて言った。
「キャストルクの連中の思惑が?」
「……わかっていないのは、クレアノンさんと、子供達だけなんじゃないのか?」
ザイーレンは、大きくため息をついた。
「……だよな」
カルディンは、小さく肩をすくめた。
「まあ、かっちん頭のあいつらとしちゃあ、よそからやって来た得体の知れない竜だか何だかに、いきなり滅茶苦茶あれこれひっかきまわされて、面白いわけがないっていうのはわかるけど、よ」
「それでも、ある程度は認めざるをえんだろうな。なにしろここには私がいる。ハイネリア四貴族筆頭、イェントン家当主たる、この私がな。私が――イェントン家当主が、『得体の知れない竜だか何だか』を、認めているんだ。キャストルクとしても、表立ってそれに、あからさまに逆らうわけにもいかんだろうさ」
「まあ、そりゃその通りだわな」
カルディンは、再び肩をすくめた。
「そんでも、『ホントは認めたくないんだぞコラてめえら!』ってことを言いたいから、あーんな末席の、ちびっ子ちゃんをよこしたってわけだ」
「……相変わらず、下品だな、おまえは」
ザイーレンは、大きく眉をひそめた。
「もう少し、身分と年齢に応じた口がきけないのか?」
「めんどくせーこと言うんじゃねえよ」
カルディンはニヤニヤと笑った。
「今のまんまの俺がいやだっていうやつらは、俺のほうから願い下げだね」
「ふん――いい気なもんだな。いったい誰のおかげで、そんなにのんきに、気楽にしていられると思っているんだ?」
「兄貴と姉貴と、ナスターシャとミーシェンのおかげだよ、もちろん」
カルディンは言下に答えた。
「……ミーシェン、か」
ザイーレンはゆっくりと言った。
「彼は――曙王、リルヴィア陛下の側仕えだったな」
「ああ。生まれつき、『ソールディン』っていう地位をもらってぬくぬくしてた俺らと違って、シェンは、自分一人の力で、あそこまで上りつめたんだ。俺らの自慢の弟だぜ」
「……本当に、仲がいいんだな、おまえ達兄弟は」
ザイーレンは、小さく笑った。
「……ありがとよ」
「……いきなりなんだ。いったい、何に対して礼を言っているんだ?」
「ミーシェンのことを、俺らの、『兄弟』だって、きちんと認めてくれて」
「……今まで、きちんと認めていなくて悪かった。だが――これからは、その態度を改めることにする。彼もまた、ソールディンの兄弟の一員だ」
「ああ。――ありがとよ」
「……同じことを、していた」
「……なんだって?」
「私は、ずっと――エリシアのことを、素性が怪しいと、きちんとした貴族の出ではないからと、母親が昔しでかしたことを忘れたのかと、嫌い、後ろ指をさし、皮肉を言い、あてこすり、爪はじきにし――受け入れようとしない、一族の者達に、ずっとずっと、腹を立て続けていた。どうして認めないんだと思っていた。エリシアは、こんなにこんなに素晴らしい女性なのに、どうしてそんなくだらないことを言うんだ、どうして認めようとしないんだ、どうして受け入れないんだ。ずっと、そう――思い続けていた。だが――私も、同じことをしていた。私も、また、彼の――ミーシェンのことを、私や、おまえ達より――『ハイネリア四貴族』に連なる者達より、一段も二段も下に見ていた。『ソールディンの四兄弟』。この言葉に、なんの疑問も抱かなかった。――馬鹿なことをしていたと、今では思う。彼は――ミーシェンは、20歳にもならないあの若さで、リルヴィア陛下の側仕えに選ばれるほど、優秀で有能な男なのにな。それよりなにより、おまえたち兄弟はみな、常に変わらず、ミーシェンのことを、大切な弟だと、言い続けていたのにな――」
「……そうなんだよ。あいつは、俺達の大切な弟だ。そんでもって、ものっすごく、優秀で有能だ。ったく、当のミーシェン自身が、そのことをきちんとわかってねえっていうのが、ものっすごく、じれったくって歯がゆいんだけど、よ」
カルディンはため息をついた。
「でも――おまえがそうやって、あいつのことを認めてくれりゃあ、あいつだって少しは、自分のことを認めることが出来るようになるかもしれない。ハイネリア四貴族筆頭、イェントン家当主、ザイーレン・イェントンが、自分のことを認めてくれてる、って知りゃあ、あいつだって――シェンだって、自分のことを、きちんと認めることが、出来るように、なるかも知れねえな――」
「あまり私を買い被るな」
ザイーレンは、小さく苦笑した。
「それでも――そうだな。私が、彼のことを――ミーシェンのことを、『認める』という態度を取り続ければ、彼本人はどうだか知らんが、周りの有象無象連中の彼に対する反応も、少しは変わってくるだろうな」
「たいした自信だねえ、イェントンの御当主様」
「なに、単なる事実だ」
「ってなこと言いやがる」
カルディンはケラケラと笑った。
「俺らのほうこそ――悪かったよ」
「……なんの話だ?」
「俺らはみんな、あんたと兄貴が、つまんねーことでいがみあってんのを知ってた。つーかまあ、正直言わせてもらえば、やたらとつっかかってくんのはいっつもあんたのほうで、兄貴はただ、きょとんとした顔で困ってただけなんだけどな。――知っててなんにもしなかった。クレアノンさんが来てくれなかったら、俺ら、今でもやっぱり、なんにもせずに、そんでもって、あんたと兄貴は、ほんとはお互い、仲直りしたくってしょうがないのに、兄貴は不器用すぎて、あんたは、意地を張って、それに、きっかけがなくって、仲たがいしたまんまだっただろうよ――」
「……ずけずけ言う男だな」
「俺に気のきいた気配りなんかを期待するんじゃねーよ。まあ――あんたも悪かったし、俺らも悪かったし、兄貴だって悪かったよ。俺ら、みーんな、悪かったんだよ、うん」
「……ふん」
ザイーレンは、大きく鼻をならしながら、それでもニヤリと笑った。
「おまえがそういうなら、まあ、そういうことにしておこう」
「そうそう。すぎちまったことは、いまさらもう、どうしようもねえ」
カルディンは、さばさばとした声で言った。
「だからよ――俺らは、これからのことを考えようぜ」
「――『三相王』の御三方に、クレアノンさんに会っていただく手筈を整えなければな」
ザイーレンは、静かな声で言った。
「やっぱ、それはやんなきゃまずいよな」
「あたりまえだ。こんな、国の大事に関わるようなことを、あの御三方に知らせずにおけるはずがないだろうが」
「まあ――そりゃ、そうだわな。しっかし、もうすっかりその気だねえ、イェントンの御当主様」
「――変えて、欲しいんだよ」
「え?」
「変えて、欲しいんだ」
ザイーレンの視線が、ふと、宴会会場をさまよう。
――そして。
「古来より、よくも悪くも、竜が動けば、すべてが動く。私は――変えて欲しいんだ。隣国の者達と――ファーティスの者達と、互いに延々、決して相容れない主張をぶつけあい続け、土地を奪ったという負い目を抱え、ファーティスの者達からの呪詛と憎しみを浴び続け、延々と、不毛な膠着状態に陥った戦争を繰り返し――こんな状況を、変えて、欲しいんだ。私は――私は、娘に、そんな悲しい国は、残したく、ないんだ――」
「俺だって――おまえとおんなじ気持ちだよ、ザイーレン。俺だって、俺のガキどもに、そんな悲しい国は残したかねえ」
カルディンの視線もまた、宴会会場をさまよう。
「もちろん、クレアノンさんに頼りきりになるつもりはねえ。でも、よ――」
「ああ。誰かの力を借りれば、この状況を変えることができるというのなら――力を借りて見たって、いいじゃないか――」
「ああ――俺も、そう思う」
「珍しく意見の一致を見たな」
「ケッ、そりゃお互い様だ」
ニヤリと笑いあう、二人の視線の先には。
おいしそうにケーキを食べながら、楽しげにティアンナと語りあう、クレアノンの姿があった。
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