第77話
「――ごめんなさいね、ユミル」
アレンはそっと、夫のユミルにささやきかけた。
「私のせいで、宴会に出られなくて」
「別に、たかだか一回宴会に出られないことくらい、どうということはありません」
ユミルは小さく笑った。
「別に私、そんなにものすごく宴会が好き、というわけでもありませんし。ここであなたと二人でいられれば、それで満足ですよ」
「――すごく、うれしいです」
アレンがそっと、ユミルにもたれかかった。
「一人じゃなくって、二人でいられるのって、すごくすごく、うれしいです――」
「――もうすぐ三人になりますよ」
「そうですね、もうすぐ、三人に――」
「ああ、でも、もしかしたら双子とかかもしれませんよ?」
「え?」
ユミルの冗談に、アレンは目をパチクリさせた。
「ふ、双子、ですか? あ、でも、そういう可能性もありますねえ――」
「男の子か、女の子か――」
「それとも――」
アレンは、怯えたような顔で、ユミルを見つめた。
「わ、私のように、ど、どちらでもないか――」
「――それでもいいじゃありませんか」
ユミルは静かに笑った。
「別にそれでも、なんにも問題ないじゃないですか」
「――」
アレンは、泣き笑いのような表情を浮かべた。
「――ほら」
ユミルは、アレンを連れて、そっと窓辺に立った。
「ここからみんなの様子が見られますよ」
「ああ――ほんとだ。みんな、楽しそうですね」
アレンがにっこりと笑う。
アレンが、宴会会場に行けない理由はいろいろとある。妊娠の初期にあるため、大事を取って、出来るだけ体を休めておいたほうがいいというのもあるし、アレンはファーティスの――現在、ハイネリアと交戦中の国の、逃亡軍人であるということもある。そして、ユミルもまた、公式には、彼はいまだに『消息不明』ということになっているのだ。
「そうですね。皆さん、楽しそうにしてらっしゃいますね」
ユミルは、そっとアレンを抱き寄せた。
「今日は、出られませんでしたけど、いつか、きっと、二人で、宴会に出ることが出来るようになりますよ。いつか二人で、みんなといっしょに、楽しむことが出来るようになりますよ、きっと――」
「ええ――」
ユミルとアレンの耳に、楽しげなさんざめきが、かすかに響いていた。
「ようこそいらっしゃいました」
クレアノンは、満面の笑みをたたえてティアンナを見つめた。
「キャストルクのかたなんですって? どうぞ、ゆっくり楽しんでいってくださいね」
「は、はい!」
ティアンナは、頬を紅潮させてうなずいた。
「こ、こんばんは! え、ええと、あの――」
「ああ、ごめんなさい、自己紹介がまだだったわね。私はクレアノン。種族は黒竜よ」
「クレアノンさん――ええと、それから?」
「え?」
「あの、ええと、あの――」
「クレアノンちゃん、たぶんこの子、名字の事を聞いてるんだと思うんだけどお?」
きょとんとするクレアノンに、ハルディアナがそう教えてやる。
「ああ――竜族にはね、名字を名乗る習慣がないのよ。ええと、そうね、私は勝手に、クレアノン・ソピアー、って名乗ることもあるんだけど、それでもいいかしら?」
「え、あ、ええと、はい、わかりました、ソピアーさん」
「あら、私は、クレアノンって呼んでくれたほうがうれしいわ。そっちのほうが呼ばれ慣れてるから」
「ご、ごめんなさい!」
「あら、怒ったんじゃないのよ。そういうふうに聞こえたんなら、ごめんなさいね」
「え、ええと、あの――」
クレアノンが優しげに微笑んでいるのを見て、ティアンナも、ホッとしたように微笑んだ。
「ええと――クレアノンさんは、本当に竜なんですか?」
「ええ。でも、今、この場じゃちょっと、竜の姿になって見せるってわけにはいかないわね。だって、ここじゃあ狭すぎるんですもの」
クレアノンは、にこにことそう言った。
「そうなんですか――」
ティアンナは、感心したようにうなずいた。
「ティアンナさんは、フィリスティアさんの、姪御さんの姪御さんなんですって?」
「え、あ、はい、そうです」
「あなたがたのつながりって、すごいわよねえ」
クレアノンは、心の底から感心したような声で言った。
「私達竜族なんて、たとえ親兄弟だって、何百年もの間、顔一つあわせることもないのが普通だったりするのに。でも、あなたがたにとっては、姪御さんの姪御さん、なんていう、遠い血のつながりでも、ちゃんと大切な『家』の一員なのね。人間や、亜人のかたがたの結びつきって、本当に親密で、強いものなのねえ」
「ええと――」
どう答えたらいいのかわからないなりに、とりあえず、ほめられているらしいことを感じ取ってにこにこするティアンナ。そう――クレアノンには、悪気も裏も何もない。本当に心の底から、人間の、親密にして緊密な『結びつき』に感心しているだけにすぎない。ティアンナもまた、そのクレアノンの心を素直に受けとめた。だが――。
二人の周りにいた者達は、そっと目と目を見あわせた。もちろん、クレアノンの言葉をそのまま、素直に受け取った者達もいる。だが――。
だが、クレアノンの言葉は、歪めて聞けば、こうも聞こえる。
私のところに、当主の姪っ子の姪っ子などという、親族としては末席もいいところの遠い血のつながりしかもたない、そんな者をよこすとは、この黒竜たる私への、まったくたいした対応ですこと、という、皮肉にも。
「ティアンナさん、何か召しあがる? ああ、あなたは子供だから、お酒は飲めないのよね?」
「あ、はい。お酒は、だめです」
「それじゃあ、どんなものがお好きかしら?」
「ケーキが好きです」
ティアンナが、真面目に答える。
「あら、それじゃあ、こっちにたくさんあるわよ。いっしょにいただきましょうか?」
「クレアノンさんは、人間の食べるものを召し上がられるんですか?」
「ええ、もちろん。あなたがたの食べるようなものは、たいていなんだって食べられるわよ」
「クレアノンさんは、どんなものがお好きなんですか?」
「そうねえ、あなたがた人間の料理は、どれも私達竜にとっては珍しいものだから、食べていてとても楽しいわ。特に好きなのは何かしら――?」
にこにこと、楽しげに笑いながら、語りあいながら。
クレアノンとティアンナは、ケーキをはじめとする、お菓子類が満載されたテーブルのほうへと歩を進めた。
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