第80話

「あら――もしかしたら、もう眠くなっちゃったのかしら?」

 コシコシと、小さな手で両目をこするティアンナを見て、クレアノンは小首を傾げた。

「だ――大丈夫です!」

 ティアンナが、あわてて背筋を伸ばす。

「あら、無理しないで。確か、あなたがた人間族や亜人族は、子供のほうが大人より、長い睡眠を必要とするはずですものね。ええと――確か、あなたがたの文化では、こんな夜遅くの、子供の一人歩きっていうのは、しないほうがいいことなのよね?」

「うん、まあ、帰りもおれが面倒みることになってるけど――」

 と、クレアノンにもティアンナにともつかず答え、ちょっと考えこむ、セティカの、早耳クラリー。

「――なあ、クレアノンさん」

「なにかしら?」

「おれ――ティアンナをキャストルクまで送ってきたら、またここに戻ってきてもいいかなあ? こんなに面白いネタの宝庫、ほんとだったら一瞬だってこの場を離れずかじりついていたいくらいなんだぜ、おれは!」

「えと――ご、ごめんなさい、私のせいで、ここから離れなくっちゃいけなくなっちゃて」

 と、しょんぼり肩を落とすティアンナ。

「そんなん気にするなって」

 と、ティアンナに人なつっこい笑みを向けるクラリー。クラリーは、エルフとノームの混血だという。一般に、エルフは長身で知られ、ノームのほうは逆に、小柄なことで有名な種族だ。クラリーはどうやら、身長に関しては、ノームの血を色濃くひいたらしい。少女であるティアンナと、それほど極端な身長の差はない。

「おれ、鳥船で空を飛ぶのも大好きだから! おまえといっしょに夜空が飛べてうれしいぜ」

「えと、えと――ありがとう、ございます」

 クラリーの言葉に、ホッとしたような顔で、ペコリとお辞儀を返すティアンナ。

「お話が楽しかったから、今夜は私が、ティアンナさんを一人占めしちゃったわねえ。ごめんなさいね、ティアンナさん。他の人達とも、おしゃべりしたかったんじゃないかしら?」

 少し申しわけなさそうに、クレアノンが言う。クレアノンにとって、人間というものは、それが大人であろうと子供であろうと、等しく興味深い存在だ。今まで、書物を通してしか人間を知らなかったクレアノンは、その長い生の中ではじめて、親しく交わるようになりはじめた人間、ひいては亜人という存在に、興味をひかれると同時に、非常な魅力を感じているのだ。

「え――」

 ティアンナは、びっくりした顔で大きく目を見開いた。無理もないのかもしれない。なにしろティアンナは、かつて、『暴虐の白竜』としてその名を知られる、白竜のガーラートに、まさに腕ずく、力ずくで、国土のすべてを奪われてしまった、神聖ハイエルヴィンディア皇国の、生き残り達がつくりあげた国、ハイネリアの国民、しかも子供だ。今日だって、クレアノンは優しい竜だということを、宴会会場に来る前、そして、鳥船の中でクラリーから、「おれは、まだ、直接会ったことはねーんだけどよ、それでも、会ったことのあるやつらはみーんな、優しい竜だって言ってるぜ」と、言ってもらってきたのだが、それでもやはり、昔語りの中で語られる、人間にはとうてい太刀打ちすることの出来ない、強大にして恐るべき力をふるう、『竜』という代物との対面に、ガチガチに緊張していたのだ。

 だが、クレアノンは、まだ子供でしかないティアンナの話を、真剣に、本当に真剣に聞いてくれた。いっしょにケーキを食べながら、とても楽しく笑いあった。夜が更けて、眠たくなってボーっとしてしまっても、ちっとも怒ったりなんかしなかった。

 そして、その上クレアノンは、ティアンナに、自分とだけでなく、他の人達ともおしゃべりしたくはなかったのか、などと、気を使ってくれたりするのだ。

「……えと、あの、クレアノンさん」

「なにかしら?」

「あの――どうすれば、クレアノンさんに、また会えますか?」

「え?」

 クレアノンはきょとんと、その銀の瞳をしばたたいた。

「私は、あなたが訪ねて来て下されば、いつでも喜んでお会いするけど――でも、ええと、きっと私が、招待もされていないのに、あなたのところに遊びに行くのは、不作法なこと――なのよね? 私、どうもそこらへんの、細かいしきたりとかは、まだよくわからなくって。ええと――ああ、ハルディアナさん」

「なあに、クレアノンちゃん?」

「実はね――」

 と、ハルディアナに事情を説明するクレアノン。

「あらあ」

 ハルディアナは、優雅に小首をかしげて見せた。

「それは――そうねえ、今のまんまじゃ、クレアノンちゃんが、ティアンナちゃんのところへ遊びに行ったら、キャストルクの皆さんは、びっくりしちゃうかもねえ」

「だったら私は、どうすればいいのかしら?」

 クレアノンは、真剣な顔で問いかけた。

「せっかく仲良くなれたんですもの。ティアンナさんとはこれから先も、親しいおつきあいを続けていきたいわ」

「そう、ねえ――」

 ハルディアナは首をひねった。

「ねえ、クラリーちゃん」

「ん? おれに、なんか用?」

「あなたは、セティカの、『早耳』ちゃんでしょう? クレアノンちゃんとティアンナちゃんが、これからも仲良く出来るように、キャストルクのかたがたに、うまいこと言ってあげてくれないかしらあ?」

「なるほどな。まあ、まかせとけって」

 クラリーは、ポンと胸を叩いてニヤリと笑った。

「クレアノンさんとティアンナが仲良くなるのは、キャストルクの連中にとっても、決して悪い話じゃないんだからな!」

「よろしくお願いするわ、クラリーさん」

 クレアノンは、にっこりと笑った。

「よろしくお願いされたぜ」

 クラリーもまた、ニヤリと笑い返した。

「なあ、クレアノンさん、あんた知ってるか? おれらセティカに、『お願い』するってことはさ、その次は、そのお願いしたやつが、おれらセティカの、『お願い』を、聞いてくれなきゃいけないんだぜ?」

「それは当然のことね。『ギブ・アンド・テイク』ってことね」

「え? な、なに? そ、それ、どこの言葉?」

「あら――この世界じゃ、この言い回しじゃだめだったのね。それじゃあええと――『相身互い』ならどうかしら?」

「ああ、そうそう、そういうこと」

「わかったわ」

 クレアノンは、再びにっこりと笑った。

「それじゃあ、私も、あなたがたセティカのお願いを、何か聞くことにするわ」

「えー、条件とか、なんにも聞いてなくって大丈夫かよクレアノンさん。なんにも条件つけなかったら、おれらもしかしたら、あんたに、とんでもないことお願いしちゃうかもしれないぜ?」

「あらあ」

 ハルディアナが、クスクスと笑いながら口をはさんだ。

「そおんなこと言っちゃってえ。あなたがた、ほんとは、そんなお馬鹿な目先の欲を追って、将来実るであろう素敵な果実を逃しちゃうほど、お馬鹿な人達なんかじゃないんでしょう?」

「んー、どうだかなー」

 クラリーは、面白そうな顔で、ハルディアナを、そして、クレアノンを見つめた。

「あなたがた、亜人族や人間族が、私みたいな竜族に、『とんでもないこと』をお願いするっていうのは、なかなか難しいことだと思うけど」

 クレアノンは、いたって真面目な顔で言った。

「でも、あなたの言うことはわかったわ。『お願い』を思いついたら言ってちょうだいね」

「おお、これってばもしかして、おれ、今日の功労賞ものかも」

 クラリーは楽しげに言った。

「黒竜から、言質をとっちまったぜ! さて――んじゃあ、帰るとすっか、ティアンナ」

「あ、は、はい! えと――クレアノンさん、本日は、お招きいただき、本当にありがとうございました」

「どういたしまして」

 深々と頭を下げるティアンナに、うれしそうに会釈を返すクレアノン。

 その、銀の瞳は、とても楽しそうな、優しい光を放っていた。

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