第71話

『竜の本屋さん』界隈の人々は、変わった出来事には、いいかげん慣れたと思っていた。

『竜の本屋さん』という、どことなく楽しい秘密の香りのする看板のあげられた、一応、本屋ではあるらしい屋敷が、目をむくような短期間で完成したことにも。

 ハイネリア四貴族筆頭、イェントン家当主ザイーレン・イェントンが、家族を連れてその本屋を訪れたことにも。

 その本屋の中で、長年不仲だった――正確に言えば、ザイーレンが一方的に敵視していた――ハイネリア四貴族次席、ソールディン家当主、リロイ・ソールディンと和解に及んだということにも。

 その本屋の中にはどうやら、いきなり消えたり現れたりする、『悪魔』が巣食っているらしいということにも。

 その本屋の中にはどうやら、稀覯書愛好家なら随喜の涙を流すであろう、値のつけようもないほどに貴重な古書が眠っているのだということにも。

 いやいや、それより何より、その本屋の主は、本物の、『竜』であるらしいということにも。

 なんとか対応して――というか、あれよあれよという間に受け入れざるを得なかった、というほうが正しいのだろうが――きたのだから、これでもう、どんな事が起ころうとも、ちょっとやそっとじゃもう驚きはしない。いいかげん、驚き疲れた――と、思っていた。

 しかし。

 それでも、やはり。

 この、ジェルド半島――いや、ニルスシェリン大陸では。

 存在こそ知られてはいたが、それこそ過去百有余年、実際にお目にかかったことのなかった獣人達が大挙して押し寄せて。

「あ、どーも、すんませーん。あのー、俺らの隊長のにおいが、このあたりからしてくるんスけど、おたくら隊長見なかったッスか? あ、隊長は、めっちゃ強そうでめっちゃ色っぽい、女の豹の獣人なんスけど」

 と、手当たりしだいに聞きまわる、という事態には、驚愕のあまり目をむき、言葉を失わざるを得なかったのである。







「……おまえら一列に並べ。端からぶん殴ってやる」

 寝入りばなを起こされたナルアは、気の弱いものなら悲鳴を上げかねないほど不機嫌な顔でうなった。

「だいたいおまえら、なんだって全員で来るんだ! 私の居場所がわからないんで心配して探しに来た、というのはまあ、ちゃんと連絡をとらなかった私が悪いんだが、だったらせいぜい5、6人で探しに来ればいいだろうが! なんで全員で来るんだ!?」

「だって隊長、抜け駆けされたらたまんないじゃないッスか!」

 黒犬の獣人が、耳と尻尾をパタパタさせながら叫ぶ。

「抜け駆けって何だ!?」

「いや、その、隊長と仲良くなる――」

「……おまえらなあ」

 ナルアはうめいた。

「私はいったい何百回、この任務が終わるまでは誰ともそういう関係になるつもりはないと言わなければならないんだ!? いいかおまえら、私はこの任務が終わるまでは、一人の男も寄せつける気はない!!」

「女ならいいんスか?」

「よしわかった。そこ動くな。その首すっとばしてやる」

「じょじょじょ、冗談ッス!!」

「……ほんとにまったく」

 ナルアは不機嫌に隊員一同をにらみつけ、次の瞬間、隊員達に向けていたのとは全く違う、少し不安そうな、なんとなくはにかんだような顔でオリンのほうを見やった。幸か不幸か、オリンはライサンダーやハルディアナ、エルメラートらとのんきなおしゃべりの真っ最中で、隊員達の話にもナルアの言葉にも、まったく注意を払ってはいなかった。

「……どうもすみません、ご迷惑をおかけして」

 ナルアはクレアノンに向かい、深々と一礼した。

「私は別に、迷惑だとは思わないけど」

 クレアノンは、小首を傾げた。

「ほっほう、隊員の皆さんは、ナルアさんを崇拝してらっしゃるのであるな!」

 パルロゼッタは楽しげに言った。

「そんな上等なもんじゃありません」

 ナルアは深くため息をついた。

「こいつら全員、私をものにしたくてしかたがないんです」

「ほっほう」

 パルロゼッタは再び歓声を上げた。

「獣人族は、配偶者を選ぶ際、女性の方に全ての選択権があると聞いたことがあるのであるが、本当であろうか? 吾輩の知識はいささか古いものなのであるが、今でもそうなのであろうか?」

「『全ての』っていうのは言いすぎだとは思いますがね。でも、そうですね――私達の社会では、女の意に反して無理を通すような男には、死んだほうがはるかにましと思えるような運命が待っていることは確かですね。――それに」

 ナルアはニヤリと笑った。

「こいつら全員対私、ならともかく、それ以外の方法で、私がこいつらに後れをとることはありませんので」

「たいした自信であるな」

「なに、単なる実証済みの事実にすぎません」

 ナルアは小さく肩をすくめた。

「そうでなかったらそもそも、隊長なんてやっていられませんよ」

「なるほどなるほど」

 パルロゼッタは忙しく、使いこまれた帳面に何やら書きつけた。

「やはり、当事者の言葉には重みがあるのであるな!」

「――ねえ、ナルアさん」

 クレアノンは、部屋に入りきらず、廊下のあたりで押しあいへしあいしている、獣人の探検隊一行を見やりながら言った。

「ごめんなさいね、部屋が狭くて。もしなんだったら、もっと広い空間を都合しましょうか?」

「い、いや、そ、そんな事をして下さるには及びません」

 ナルアが、いささかあわててかぶりをふった。

「隊長、『空間』って、簡単に都合がつけられるようなものなんスか?」

 茶色い犬の獣人が、もっともにして根本的な疑問を呈した。

「……この人には、出来るんだろうな」

 ナルアは小さくため息をついた。

「……『人』というか、『竜』か」

「……へ?」

「なに?」

「なんだって?」

「竜、だと」

「竜?」

「マジで?」

「どこどこ?」

「おい、押すなよ!」

「竜ってどこ!? えーっ、見えねえよお!」

「やかましい! 静かにしろ!!」

 ザワザワと騒ぐ、犬系統の者達が主な顔触れの隊員達を、厳しい声でナルアが一喝する。

「――本当にすみません。馬鹿ばっかりで」

 ナルアが深々とため息をつきながらクレアノンに頭を下げる。

「私はそうは思わないけど」

 クレアノンはクスクスと笑った。

「『空間』とは、簡単に都合がつけられるようなものなのか? っていう問いは、とっても鋭く本質をついていると思うわ」

「あんまりほめないで下さい。こいつら馬鹿だから、すぐつけあがるんです」

「あらあら」

 クレアノンは楽しげに笑った。

「ああ――今日は本当に、楽しくて忙しい日だわ!」

「であるな」

 パルロゼッタが、唐突に口をはさんだ。

「吾輩、毎日が今日みたいな日だったらいいと思うのであるよ!」

「勘弁して下さい」

 ナルアは真顔でうめいた。

「それじゃとっても、身がもちません」

「だらしないのであるぞナルアさん」

 パルロゼッタが口をとがらせた。

「吾輩のようなホビットよりも、あなたのような獣人のほうが、ずうっと体力があるであろうが!」

「あのですね」

 ナルアは天を仰いだ。

「今私は、その定説は非常に疑わしいものである、と、全身全霊を込めて主張したい気分です」

「――ナルアしゃん、大変そうやねえ」

 不意にオリンが、クスクスと笑った。

「頭のええ人の相手は、頭のええ人にしかでけんからね。ナルアしゃん、がんばっとくれやあ。ぼくらの中でまともな頭があるんは、ナルアしゃんだけなんやから、の」

「……そんなことは、ないと思うよオリンちゃん」

 ナルアは、まっすぐにオリンを見てそうつぶやき。

「――でも、がんばるよ、オリンちゃん」

 と、生気を取り戻した声で宣言した。

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