第60話
「なーんやーあ、エリックやないかあ」
サバクトビネズミ族の獣人、オリンの、いとものんびりとした声が響いた。
「すまんかったの、おいてけぼりにしてしもうて。なんというかの、急に、ナルアしゃんに声かけてきたやつがおっての。大切な話やったんやろうねえ。そいつの話聞いたら、ナルアしゃん、そのままそいつについてく言うてねえ。そんで店でたんよ。ナルアしゃんは今、そいつと中でお話し中やあ。ぼくには正直、ようわからんから、こやって外でまっとるんよ」
「ああ、ええと、他の獣人さん達はどうしたんスか?」
エリックはいささかせかせかとたずねた。オリンは、ハイネリアの首都、エルヴィンドのはずれを流れるリディン川の川原で、のんびりと川を眺めていた。
その、オリンのかたわらには。
びっくりするほど巨大で、びっくりするほどごてごてと、実用的なのかそうでないのかすらさっぱり見当のつかない、様々な『何か』が装着された、おそらくは幌馬車であろうもの、がとまっていた。
「ああ、あの馬鹿どもなら、みんな二日酔いで宿屋でうんうんいうとるよ。あいつらほんとあほやね。いくらぼくらが酒に強いいうたかて、あんだけパカパカ飲めばそうなるいうことがわからんのかね、ほんとにまったく」
「ははあ、二日酔いッスか」
エリックは軽くうなずき、ついで、む? と首をひねった。
「ええと――ナルアさんは、その、今日の朝、だか、昨日の夜、だかからずっと――?」
「正確に言うと、今日の明け方からずっと、ええと――名前、なんていうたかの。とにかくあれや、ちっこい、ええと、あらなんちゅう種族や――?」
「ホビット、じゃないスか?」
「そうかもしれんの。とにかくそいつと、ずーっとお話しとるんよ」
「へえ」
エリックはあきれたような声をあげた。
「オリンさん、その間ずーっとここで待ってたんスか?」
「ん? そうやよ。ぼく、むつかしいお話はわからんけんね」
「退屈じゃなかったッスか?」
「サバクトビネズミ族はの、待つのが苦にならん部族なんや」
オリンはやはり、のんびりと答えた。
「ははあ――まだお話、続いてるんスか?」
「そやないかの? さっきっからしょっちゅう、『であるかであるか!』とか、『であるなであるな!』とか、『うむうむ、それは面白いのであるよ!』とか、あの、えー――あれって幌馬車なんかの?」
「オレにもわっかんねーッス」
「ほうか。とにかくの、そういう声が中から聞こえてくるから、まだお話、続いとるんやないかの?」
「にゃるほど」
エリックは大きくうなずいた。
「だそうッス、クレアノンさん」
「なるほどね」
クレアノンは、軽くうなずいた。そして、オリンに向かって優雅に一礼した。
「初めまして。こんにちは」
「こちらこそ、初めまして、こんにちわあ」
オリンはにこにこと礼を返した。
「ぼく、サバクトビネズミ族の、オリン・ジュートいうんよ。アヤティルマド大陸から来た、オルミヤン王国の探検隊の一員なんよ」
「あら、ご丁寧にどうも」
クレアノンはにっこりと笑った。
「私は、セルター海峡を越えたところにある、ディルス島からやってきた、黒竜のクレアノンよ」
「…………竜、言うたかの?」
オリンは、まるい目をパチクリさせた。
「……人間か、亜人かなんかみたいに見えよるがの?」
「だって、私が本当の姿でここらをうろうろしたら、みんなびっくりしちゃうもの。だから今は、この姿に化けてるのよ」
「……ほぅん」
オリンは、感心したようにうなった。
「で、その竜が、いったい何の用なんかの?」
「そうねえ――」
クレアノンは、ちょっと口をすぼめて考えこんだ。
「のう」
オリンは首をのばして、クレアノンの後ろで成り行きを見守っている、ユミルとアレンのほうを見やった。
「あそこの二人も、竜なんかの? エリックは昨日、自分で悪魔というとったが、の」
「いや、私は人間です。初めまして。ユミル・イェントンと申します」
ユミルが丁寧に一礼する。
「あ、ど、どうも、初めまして。わ、私はえーと、人間と淫魔の混血の、アレンと申します」
アレンもあわてて一礼する。
「いんま? ほぅん? すまんの、ぼく、こっちの大陸の種族にはあんまり詳しくないんよ」
と、オリンが小首を傾げる。
「で――みなしゃん、ナルアしゃんになんか用かの?」
「いや、なんつーか、ナルアさんに、というか、獣人の皆さん全員に、用があるんスけど」
と、エリックがあわてて言う。
「エリック、おまえ、一晩ぼくらといっしょにいてわからんかったんか?」
小さなオリンが、大きく肩をすくめる。
「ぼくらの頭は、ナルアしゃんやあ。ちゅうか、探検隊の連中の中で、まともな頭があるのはナルアしゃんだけやよ。あの馬鹿どもは、体ばっか立派で、頭のほうにはまともに栄養がまわっとらんしの。ぼくは――ぼくはのう、とろいんや。ぼく、自分では頭悪くない思うんやがの。でも、ぼく、ゆっくりとしか考えられへんのや。だからの、結局、頭がきちんとしとるのはナルアしゃんだけやよ。だからの、何かを決める時は必ず、最後はナルアしゃんがどうするか決めるんよの。うん、あれやの、頭が一つだと、もめごとがなくてええの」
「それも一つの集団統率法ね」
クレアノンが真顔でうなずく。
「でもオリンさん、私はオリンさんも、とても頭がいいと思うんだけど」
「ほ――ほんとかあ!?」
オリンは、もともと丸い大きな目を、さらに大きく見開いた。
「ほんとにそう思うとるんかの!?」
「私、こんなことで嘘をついたりしないわ」
クレアノンが、やはり真顔で言う。
「そうかあ。――うれしいなあ」
オリンはにっこりと笑った。
「ぼく初めてやよ。ナルアしゃん以外の人に、本気でそんなこと言うてもろうたの」
「あなたの真価がわかる、ということは」
クレアノンはにこりと笑った。
「ナルアって人も、やっぱりとっても、頭がいいのね」
「そうやよ。ナルアしゃんは、なんというかの、生まれつきぼくらとは別あつらえやあ。格がちがうんよ、うん」
「ふうん――そうなんだ」
クレアノンの瞳が、銀色に輝いた。
「――ねえ、オリンさん」
「なんやあ?」
「オリンさん達は、どうしてこちらの大陸を探検しに来たの?」
「ああ」
オリンはいささか、うんざりとした顔をした。
「王様の見栄やよ」
「え? 王様の見栄?」
「そうやあ」
オリンは肩をすくめた。
「うちの、ボナパロン王がの、ウルラーリィのドナセラリア女王に、オルミヤン王国のすごさを見せつけるためにの、百年以上も途絶えとった、アヤティルマド大陸とニルスシェリン大陸との交流を、オルミヤン王国だけの力で復活させることにしたんやあ。――まあ、の、たぶん裏には、なんやかっか、いろんな事情があるんやろうけどの。そこらへんはナルアしゃんに聞いとくれやあ。ぼく、むつかしい話はようわからへんよ」
「ありがとう。とっても参考になったわ」
クレアノンは大きく笑った。
その笑顔に、少しだけ。
巨大な黒竜の面影が垣間見えた。
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