第46話

「――『小さな男の子のお話』」

 クレアノンはゆったりとした声で、紙芝居を読みはじめた。

「あるところに、小さな男の子がおりました。

 その男の子は、少しだけ、みんなと違っていました。

 どう違っていたかって?

 たとえば、その男の子は、新しい服を着るのが嫌いでした?

 どうして? 新しい服ってとっても綺麗で、着ていて気持ちがいいでしょう?

 でも。

 その男の子の肌は、とっても敏感でした。他の人なら平気なことも、その男の子にはつらかったのです。

 男の子は、新しい、パリパリの服を着ると、服と肌がこすれて痛くなってしまうので、新しい服を着るのが嫌いでした」

 ――カシャリ。

 ザイーレンの記憶の歯車が回る。

(ロイちゃんは、どうして新しい服が嫌いなの? 新しい服って、きれいじゃない。きれいでいいじゃない。きれいな服を着るのが嫌いなの?)

(ううん、きれいな服は好きだよ。でも、新しい服って、とっても固いんだ。着ていると、体が痛くなっちゃうんだ。だからぼく、新しい服を着るのはいやなんだ)

(ふうん、そうなんだ。だからロイちゃんは、新しい服を着るのが嫌いなんだね)

「たとえば、その男の子は、大きな音や、大きな声が嫌いでした」

 クレアノンの声に、ザイーレンはハッと我にかえる。

「その男の子の耳も、やっぱりとっても敏感だったのです。他の人の耳より、ずっとずっと、音が大きく聞こえてしまう耳だったのです。だから、他の人には何でもない音でも、その男の子には、とてもとても怖い、大きな大きな音だったのです」

 カシャリ。

 また、歯車が回る。

(ロイちゃん、あんなふうに、『うるさい!』って言ったりしちゃだめだよ。みんなびっくりしちゃうよ。ねえ、みんな、そんな大きな声でしゃべってなかったよ?)

(レンちゃんは――大きな声には聞こえなかったの?)

(うん――ちょっとは、大きな声だったけど、ロイちゃんがあんなに怒るほど、大きな声じゃなかったよ)

(ぼくには――とっても大きな声に聞こえたんだ。大きな声が――怖かったんだ。でも、レンちゃんは平気だったの?)

(うん。きっと、ロイちゃんは、すっごく耳がいいんだね。だから、すごく大きな声に聞こえちゃったんだね。ねえ、あっちで遊ぼうよ。あっちは静かだよ。うるさくないよ。あっちで一緒に遊ぼうよ)

「――みんな、その男の子の事を、わがままだって言いました。

 だって、せっかくお母さんが用意してくれた服を、いやだいやだってだだをこねて着ないんですもの。

 本当は、着ると体が痛くなるから着たくなかっただけなのに。わがままだって言いました。

 お母さんがせっかく用意してくれた服がいやなの? わがままな子ね、って言いました。

 そうじゃないのに。体が痛くなるのがいやなだけだったのに。

 でも、男の子は、そのことをうまく説明することができませんでした。

 だからみんなに、わがままだって言われました」

「――」

 ザイーレンの瞳に、恐怖に似た色が浮かぶ。

 これは――この話は――。

「みんな、その男の子の事を、わがままだって言いました。

 だって、みんながせっかく楽しくおしゃべりしているのに、『うるさい!』って怒るんですもの。

 みんなが楽しくしているのがいやなの? わがままな子ね、って言いました。

 そうじゃないのに。その男の子は、大きな音が、大きな声が、とってもとっても、怖かっただけなのに。

 でも、男の子は、そのことをうまく説明することができませんでした。

 だからみんなに、わがままだって言われました」

 これは――。

 リロイの話ではないのか!?

 ザイーレンの心に、恐怖にとてもよく似たものがあふれる。

 このクレアノンという女性は――なんなんだ、いったい!?

「――その男の子は、きれいな石を集めていました」

 カシャリ。

 また、歯車が回る。

(ほら、レンちゃん、これ、ぼくの宝物。きれいな石)

(――『きれいな』石?)

(うん。どの石も、とってもきれいでしょう?)

(ロイちゃんは――こういう石が、きれいに見えるの?)

(ん? だって、きれいでしょう? ねえ、さわってみて。――ね? きれいでしょう?)

(そっか――ロイちゃんは、こういう石が、『きれいな』石だと思うんだね)

(うん、そう)

(んっと――ちょっと待っててね。今ぼく、ロイちゃんが好きな『きれいな』石を探して来てあげるから)

(ほんと!? ありがとう、レンちゃん!)

「男の子がきれいな石を集めていると知ったみんなは、いろんなきれいな石を、男の子のところに持って行ってあげました」

(ほら、ロイちゃん、これ、ロイちゃんが好きな『きれいな』石でしょう?)

(うん! レンちゃん、ありがとう!)

「でも、男の子は言いました。『ちがうよ。これはみんな、ぼくの好きなきれいな石じゃないよ』って。

 せっかくきれいな石を持って行ってあげたのに、そんなことを言うのです」

(レンちゃんだけだ。ぼくの好きなきれいな石持って来てくれたの。みんな、きれいな石をあげるよ、ってぼくに石をくれるんだけど、それ、ぼくの好きなきれいな石とはちがうんだ)

(ねえ、ロイちゃん――)

「だからみんな、男の子の事をわがままだって言いました」

「――違うよ」

 ザイーレンの記憶が唇を割った。

 紙芝居の中には、べそをかく小さな男の子がいた。

 その、黒い巻き毛も、茶色の瞳も、リロイとは似ても似つかないのに。

 途方に暮れて泣きじゃくるその表情は、まぎれもなく、幼かりし日のリロイがよく浮かべていた表情だった。

「ねえ、ロイちゃん、ロイちゃんは、言葉の使いかたが、みんなと少しちがってるんだよ。ロイちゃんが、こういう石のことを、『きれいな』石だって思ってるのはわかるけど、そういう言いかたじゃ、みんなにはわからないよ」

「――だったら」

 部屋の奥から現れた人影を見ても、ザイーレンは驚かなかった。

 心のどこかで、とっくに予想していた。

 そして。

 自分でも意外な事に。

 嫌悪も、憎悪も、怒りも、胸の中には浮かんでこなかった。

 かわりにわきあがったのは。

 とてつもない――懐かしさだった。

 だって、その人影は。

 リロイは。

 幼かりし日に何度も見た、そしてそのたび、何度も一所懸命慰めてやった、途方に暮れた泣きべそ顔で、自分の事を見つめていたから。

「だったら――どう言えばいいの? 私には、わからないんだ。ねえ――レンちゃん、教えてくれる?」

「あのね」

 幼かりし日と同じ言葉が、ザイーレンの口をついて出る。

「ロイちゃんが好きなのはね、『きれいな』石じゃなくて――うん、もちろん、ロイちゃんがこういう石をきれいだと思ってるのはわかるんだけど――ロイちゃんが好きなのはね、『ツルツルして、スベスベして、さわり心地のいい石』なんだよ。ロイちゃんは、自分の好きなものが、みんなきれいに見えるんだね。でもね、他のみんなは、そういう言いかたじゃわからないんだよ。だから、言いかたを変えるだけでいいんだよ。言いかたを変えれば、きっとみんな、ロイちゃんがどんな石が欲しいのかわかってくれるよ」

「――でも、レンちゃんは、私が上手に言えないのに、私が言いたいことわかってくれた」

 そう――『私』という一人称は、大人になったリロイのものだ。

 だが、リロイの瞳の中には、あの日と同じ幼子がいた。

「レンちゃん、いつもありがとう。レンちゃんがいろいろ教えてくれるから、レンちゃんが、私の言いたいことわかってくれるから、私はとってもうれしいんだ。レンちゃんがお友達でいてくれて、私はとってもうれしいんだ」

 リロイが、にぎりしめた拳を突き出し。

 そして――ゆっくりと、開いた。

「な――なんで――」

 ザイーレンは絶句した。

「リ、リロイ――お、おまえ、なんで――なんで、なんでそんなもの持ってるんだ――? だ、だってもう、何十年も前の事なのに――!?」

「――だって、うれしかったんだ」

 リロイの瞳から、涙が一筋流れた。

「レンちゃんが私の言いたいことわかってくれて、私はほんとに、ほんとにうれしかったんだ」

 リロイの手のひらの上には。

 幼かりし日のザイーレンが、リロイのために探して来てやった、ツルツルして、スベスベして、このうえなく、さわり心地のいい小石が、静かにちんまりと乗っかっていた。

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