第25話

「やれやれやれ、整備はこんな所ですかね」

 ノームの少女、ルーナジャは、グイと額の汗をぬぐった。白銀の髪をひどく無造作な二つのクチャッとしたおさげにまとめ、身につけているのは、汚れが目立たないよう藍色に染められた、あちらこちらにポケットがやたらとついたシャツとズボン。ノームに典型的な、小柄で華奢な体を、うんと大きくのばしてのびをする。

「――ターシャ?」

 ルーナジャはふと、鳥船『比翼号』のかたわらで、空とよく似た青い瞳で、空の果てを見つめているナスターシャに目をとめた。

「なにを見ているのですか?」

「ああ――ナジャ」

 ナスターシャはふっと吐息をもらした。外見は、ルーナジャと同じく、少女のように見えるナスターシャだが、その実彼女はもう何年も前に成年を迎えている。口の悪い者には、嫁き遅れなどと言われてしまいかねない年なのだ。

 ナスターシャの栗色の絹糸のようなまっすぐな紙と、青空よりもわずかに濃い色の青い瞳は、まぎれもなく彼女の一族、ソールディンの血によるもので、その彫刻のような美貌は、一番上の兄、ソールディン当主、リロイとひどくよく似ていた。髪型が、リロイと同じく、肩を過ぎた長さの髪を無造作に後ろで束ねるというものだったので、とくにその相似が強調された。身につけているのはルーナジャと、大きさこそ違え全く同じ意匠の服で、この二人が同志であることが一目でわかる。

「空の果てにはいったい何があるのだろう――と、思っていた」

「空の、果て?」

 ルーナジャは首を傾げた。もともと、彼女の属するノームは、大地に属すと言われている種族だ。鳥船の整備士などをやっているルーナジャは、かなりの変わり者といえよう。そのルーナジャにして、ナスターシャの空への憧れは、時々ひどく不可解にさえ見えてしまうほど、切実で強烈なものと映っていた。

「そう。空の果て。この空を、どんどん、どんどん、どんどん登っていったら――」

 空色の瞳が、焦がれるように空を見つめた。

「いったいどんなものがあるんだろう――」

「息が苦しくなると思いますよ」

 ルーナジャは、実際的な意見を述べた。

「高い山に登った人の話によると、高い山の上では、ひどく息が苦しくなるそうで、それより上に行くとしたら、いやはやいやはや、なにが起こるやら」

「――行けなかったんだ」

 ナスターシャは、深いため息をついた。

「相方が、くたびれてしまってだめだったんだ」

「ああ――」

 ルーナジャの瞳に、同情の色が浮かんだ。

「ターシャにあの眠り病さえなければね――。あの眠り病さえなかったら、ワタシなんかをいっしょに乗せて、よけいな重さを増やす事もないのに」

「しかたがない。そう生まれついてしまったんだ。それに」

 ナスターシャはにっこりと笑った。

「ナジャといっしょに空を飛ぶのは楽しいし」

「おやおや、それはそれは、どうもどうもどうも」

 ルーナジャは照れたように笑った。

「でもワタシ、一回見てみたいですねえ。ターシャがあの、眠り病の事を気にせずに、全力で力を発揮するところを」

「ナジャは、あれを、病気だとわかってくれるから助かる」

 ナスターシャは再びため息をついた。

「私のあれを、ただの怠け癖だと思ってる人たちも大勢いる。リロイ兄さんの、決められたことがきめられた通りに進んでいかないと逆上してしまうあれを、ただのわがままだと思ってる人達が大勢いるみたいに」

「ああ――」

 ルーナジャはうなずいた。人間――もしくは亜人――には、誰にでも、他人にはよくわからないこだわりが、一つや二つはあるものだ。ただ、リロイにはそのこだわりが異常に多く、また、そのこだわり通りに事が進まない場合の逆上が、異常なほど激しいのだ。例えばリロイは、食事の時に食べる目玉焼きが、卵二つのものでなく、一つや三つだったりした場合、顔が真っ青になるほど動揺してしまう。一事が万事、その調子なのだ。

「ノームにもああいう人はいますよ。というか、他の種族よりああいう人の割合は多いかもしれません。ワタシがリロイさんとちょっとはうまく付き合えているのも、たぶんそのおかげでしょうね」

「とても助かっている」

 ナスターシャは真顔でこたえた。

「いやいやいや、どうもどうもどうも。――ところで」

 ルーナジャが、不敵な笑みを浮かべた。

「――今年も優勝はいただきですかね」

「さあ、どうだろうな。勝負は時の運というから」

「いやいやいや、大丈夫ですよ」

 ルーナジャは不敵な笑みを浮かべたまま、グルリとあたりを見渡した。

「だって、ターシャほど、風に愛されている人が他にいるはずないんですから」







「――戦争につかえるわね」

「ふえっ!?」

 クレアノンの不穏当極まりないひとりごとを聞いてしまったライサンダーは飛び上がった。

「な、なんですって、クレアノンさん!?」

「ああ――ごめんなさい、つい」

「いや、つい、って――」

 ライサンダーは、先ほどまでとは全く違う視線で、空を飛び交う鳥船達を見あげた。

「あれを――戦争に?」

「あれとよく似たものを、戦争に使っている世界があるわ」

「へ、へえ――」

「――そうならないといいけど。空爆って、ほんとに悲惨なものだから」

「見たことあるの、クレアノンちゃん?」

 ハルディアナが小首をかしげる。

「ああ、ええと、水晶玉の中で、ね。こことは違う世界の話よ。直接この目で見たわけじゃないわ」

「ふうん」

「へえ――あれを、ねえ――」

 ライサンダーは、むつかしい顔で鳥船を見あげた。

「ハイネリアの人達、そういうこと、考えてますかね? ええと、その、なんていうか、鳥船を戦争に使おうとか――」

「どうかしら? 考えているかもね。今は考えてなくても、じきに思いつくんじゃないかしら。戦争をしている人達の思考法って――」

 クレアノンはため息をついた。

「どこの世界でも、なんだかどこか似ているから」

「――でも、今は」

 エルメラートが、いつもよりほんのわずか、明るい声で言った。

「ここは、平和ですよ」

「そうね」

 クレアノンは、にっこりと笑った。

「せっかく来たんですものね。お祭りを楽しまなくちゃ」

「ここの魔法は――私の世界の魔法とは系統が違います」

 先ほどから、完全に度肝を抜かれた顔で鳥船を見あげていたパーシヴァルは、ため息とともにそう言った。

「いや、私、こんなもの初めて見ました」

「安心して下さい。俺も初めて見ました」

 とぼけた顔でそういってのけるライサンダーの言葉に、パーシヴァルはクスリと笑った。

「そうなんですか。いやあ、私、こんなに驚いているのは私だけかと」

「いやいやいや、俺だって驚いてますって。なにしろ、父方のドワーフも、母方のホビットも、大空にはあんまり縁のない種族ですからね。こんな鳥船なんて、思いつきすらしませんって」

「けっこう人がいますねえ」

 エルメラートが楽しげに言った。

「ライさんライさん、鳥船競争の、順位あての賭けが出来るみたいですよ」

「俺はやらない」

 ライサンダーは、きっぱりと言った。

「賭け事なんてものは、胴元しか儲からないって相場が決まってるんだから」

「そうね、確率論的に、それは正しいわあ」

 ハルディアナがのんびりといった。

「あたしも、賭け事なんかするより、おいしいもの食べてるほうがいいわあ」

「えー、ぼくだって、本気で儲かるとか思ってませんよ。でも、ちょっとぐらいお金かけてたほうが、見てて楽しいじゃないですか」

「じゃ、エーメ君だけ買って来なよ」

 ライサンダーは苦笑した。

「っと、もしかして、クレアノンさんやパーシヴァルさんも、賭け札買ったりしたいですか?」

「私はいいわ」

 クレアノンはクスリと笑った。

「私は買わなくても十分楽しめるから」

「私も、賭け事はしたことがないので」

 パーシヴァルがふとため息をもらした。

「いや、ここにエリックがいなくてよかったですよ。あいつ、やたらと弱いくせに妙に賭け事が好きで」

「あらあ」

 ハルディアナが少し驚いた声をあげた。

「悪魔なのに、賭け事に弱いのお?」

「ええ、あの、契約を結んだ相手を、賭け事に強くしてやる、というのは、出来るそうなんですがね。それと自分の賭け事の腕とは、まったく別の問題だと、エリックは言っておりましたが」

「あらあ、意外と不便なのね」

「そうですねえ、まあ、悪魔も万能というわけではありませんので、はい」

「あらあ、なあんだ」

 他愛のないおしゃべりを聞きながら。

 クレアノンは、祭りの喧騒を十二分に楽しんでいた。

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