第26話

「えへへ」

 クレアノンは、ちょっといたずらっぽく笑いながら、どこからともなく掌にすっぽりと収まる大きさの水晶玉をとりだした。

「ちょっとズルして、操縦士さん達の顔とか、よーく見えるようにしちゃおーっと」

「クレアノンさん、そんなの全然、ズルでもなんでもありませんよ」

 ライサンダーがクスリと笑った。

「遠見の術が出来るやつなら誰でもやることですって。それを商売にしてるやつだっていますし」

「あら、そうなの?」

 クレアノンも、クスリと笑った。

「じゃあ堂々と、みんなで見ましょうか」

「ぼくは自分の目で見ますよ」

 エルメラートが、ちょっと肩をすくめた。

「だって、水晶玉じゃ、ええと、なんていうか、全部が見えないじゃないですか」

「え?」

 クレアノンは面白そうな顔をした。

「全部が見えないって?」

「え、だって、水晶玉じゃ、ええと、狭いところ、っていうか、ほら、操縦士さんの顔とか、鳥船が一艘だけとか、一部分しか見えないじゃないですか。ぼくは、全部をいっぺんに見たいんです」

「あら、そうね、そういう考えかたもあるわね」

 クレアノンは大きく頷いた。

「あたしは両方見るわあ」

 というなりハルディアナは、クレアノンの隣に腰をおろした。

「クレアノンちゃんもお坐りなさいな。ライちゃんが、せっかく敷物用意してくれたんだから」

「ありがとう。そうさせてもらうわ」

 敷物の上に腰をおろしたクレアノンは、手のひらの上の水晶玉にむかって、ちょいちょいと指を動かした。

「――うん、感度良好。バッチリだわ」

「へえ――俺もそんなの出来たら便利だろうなあ」

 ライサンダーが、感心した声をあげる。

「ははあ――ここでは、自分が遠見したものを、他の人に見せることまでできるんですか」

 パーシヴァルは、感心しきった声をあげた。

「あ、パーシヴァルさんがもといた世界では、そういう魔法ってなかったんですか?」

 パーシヴァルの結界に守られていることをよく知っているライサンダーが、気軽にちょっとした秘密を口にする。

「そうですねえ、ある、と言えばありましたが、その、こんなふうに、水晶玉の中に映し出したりは出来ませんでしたねえ。遠見をしている、本人の頭の中に絵が浮かぶだけで、他人がそれを見ることはできません。それに――」

 パーシヴァルの瞳を、追憶がよぎった。

「そんなことが出来る人は、遠見が出来るというただそれだけのことで、世の常の人とは全く違う存在として扱われますからね」

「あ、おせっかいとは思うけど、パーシヴァルの言葉を補足しておくわ」

 クレアノンが口をはさんだ。

「パーシヴァルの言っている、パーシヴァルの世界の『遠見』は、ただ遠くのものが見えるっていうだけじゃないの。そうね、ある種の、予知の力も加わっているわ」

「うわ、そりゃ、ここでだってたいした力ですよ」

 ライサンダーが目をむいた。

「予知の力なんて、そうそうめったにあるもんじゃないです。つーか俺、予知の力を持った人って、まだ見たことがありませんよ。あー、まあ、占い師連中の力も、予知の力の中に入れるんなら話は別ですけど」

「予知なんて、面白くないわよお」

 ハルディアナが肩をすくめる。

「予知をする連中なんて、絶対に、あいまいでどうとでもとれるようなことしか言わないんだもの。あれはきっと、はっきりいっちゃうとはずれた時に思いっきりばれちゃうから、わざとわかりにくく言ってるのよお」

「まあ、それだけが理由じゃないと思うけど」

 クレアノンは苦笑した。

「観察される世界は、観察者の存在によってその在りかたを変えてしまうからね。世界を観察しつつ、いかにして、その観察そのものが世界に与えてしまう余剰情報を抑制していくか、が、優れた観測者の腕の見せどころよ」

「……ナンカスゴイコトイッテルッテノダケハワカル……」

 ライサンダーが、なぜか急に片言になってそうつぶやき、首をすくめる。

「え? 別にそんなにすごいことを言ってるわけじゃないんだけど。例えば、そうねえ――」

 クレアノンは、クスリと笑った。

「口うるさい親戚のおじさんに見張られてるって知ってたら、どうしたってお行儀よくしてようとするでしょ? 私が言ってるのは、つまりそういうことよ」

「うーん、そう言われると、なんかわかるような気もするんですけど」

 ライサンダーが首をひねる。

「に、しても、観察だけで世界が変わるって――」

「変わるのよ」

 クレアノンは、不意にどこか、はるか遠くにある何者かにむかって微笑みかけているかのような笑みを浮かべた。

「観察する。ただそれだけのことで、世界の形すら変わってしまうの」

「じゃあ、ぼくにも世界を変えることが出来るんですか?」

 エルメラートが面白そうに口をはさんだ。

「あら、もうやってるじゃない」

「え?」

「生きとし生けるもの全て――いえ、この世に、この世界に、存在しているものたち全てが」

 クレアノンの瞳に、銀の炎が宿る。

「存在している、ただそれだけのことで、絶え間なく世界を変え続けているのよ」

「――あたし達の、赤ちゃんも?」

 ハルディアナはやわらかい笑みを浮かべ、そっと自分のおなかをなでた。

「あたし達の赤ちゃんも、もう、ここにいるだけで、ただそれだけで、世界の形を変えはじめているのかしら?」

「もちろん」

 クレアノンは大きく笑った。

「きっともう、その子ずいぶん世界の形を変えたわよ」

「あらまあ、せっかちさんだこと」

 ハルディアナはクスクスと笑った。

「おなかの中でくらい、のんびりおねんねしてればいいのに」

「でもまあ、ぼく達の子ですから」

 エルメラートがそっと、ハルディアナのおなかに手をあてた。

「こんな面白いお祭の日に、グゥグゥ寝てたりしませんって」

「それはそうかもなあ」

 ライサンダーもまた、ハルディアナのおなかに手をあてた。

「起きてるかー? 今日はなー、いい天気でなー、風が気持ちよくてなー、俺は自分じゃ飛べないけれど、飛ぶにはきっと、絶好の日だぞー」

「――いいものですね」

 パーシヴァルは、そっとつぶやいた。

「家族というのは本当に――本当に、いい、ものですね――」

「――ほんとね」

 クレアノンの瞳に、ふと羨望が浮かぶ。

 どの竜でもそうだが、竜という種族は一般に、家族との縁がひどく薄い。

「――ねえ」

 クレアノンは、そっと問いかけた。

「私も、ハルディアナさんのおなか、さわっても、いい――?」

「もちろんよお」

 ハルディアナはにっこりと笑った。

「あたし達、お友達じゃない」

「あ、それなら、パーシヴァルさんもですよ」

 エルメラートが、ヒョイとパーシヴァルを見やった。

「せっかくだから、ここにいるみんなで、ぼく達の赤ちゃんに、外はすっごく楽しいんだってことを教えてあげましょうよ」

「光栄です」

 パーシヴァルはにっこりと笑った。

 そして。

 五人の手が、ハルディアナのおなかの上でひしめきあったまさにその時。

 鳥船達が、こぞって空に舞い上がった。

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