第24話

『二流ぞろいのイェントン  奇人変人ソールディン

 かっちん頭のキャストルク  逃げ足一番セティカの衆』



「――私は、いい」

 ザイーレン・イェントンは、声には出さずにつぶやいた。だいぶ白髪が混ざった茶色い髪に、眉間をはじめとして、深いしわが縦横無尽に走る顔。ザイーレンは、年より老けて見られることがひどく多かった。同い年のソールディン当主、リロイ・ソールディンが、その老いをまるで表に現さない容姿であるのと、残酷なまでに対照的に。

「私は――いい。どう言われようと、どう思われようと。それは私がやったことと、私が出来なかったこととに対する正当なる報いだ。――私は、いい。どう言われようと、どう思われようと――どんな仕打ちを受けようと。だが――」

「とーたん」

 幼子の声に、ザイーレンの顔がほころぶ。

「ああ、レオニー、レオニー、おめめが覚めたのかな? 私のお姫様のご機嫌はいかがかな、レオニー?」

「とーたん、おはよー」

 母、エリシアの腕に抱かれた、まだ三つになるかならぬかという幼さの、ザイーレンの一人娘レオノーラが、機嫌良く短い腕を振り回す。もっとも、ザイーレンの家族についてよく知らぬ者は、たいてい妻のエリシアをザイーレンの娘と、娘のレオノーラをザイーレンの孫と勘違いするのだが。

「エリシア、疲れないか?」

 ザイーレンは、小さく華奢で、しかも、子供を持つにはいささか若すぎると言われかねない年の妻に、いたわりの言葉をかけた。

「私がかわろう。レオニー、父さんの所へおいで」

「あいっ!」

 元気のいい返事とともに、レオノーラがエリシアの腕の中からザイーレンの腕の中へと飛び込む。

「ありがとうございます、ザイーレンさん」

「エリシア」

 ザイーレンは苦笑した。

「君の、その、慎み深いところを私はとても愛しているんだが、その、こんなときくらいは、もう少し、その、くだけた口をきいたってかまわないんだよ。なにしろ――」

 ザイーレンは、まだ競技が始まってもいないのに、すでに青空を縦横無尽に駆け回っている鳥船(とりぶね)達をまぶしげに見上げた。

「今日はお祭なんだから」

「ええ――そうですね、レン」

 エリシアは、はにかんだように微笑んだ。

「とーたん」

 レオノーラが、短い両腕でザイーレンの首にしがみつき、まん丸い目で空の鳥船たちを振り仰いだ。

「おふね、いっぱいね」

「そうだね。今日は鳥船祭りだからね」

「ごめんなさいね、レン」

 エリシアが、申し訳なさそうにザイーレンを見あげた。

「え――どうして謝るんだね、エリシア?」

「あの、ええと、レンは忙しいのに、わたし、なんだかわがまま言っちゃったみたいで――」

「わがままじゃない」

 ザイーレンは身をかがめ、エリシアの瞳をまっすぐにのぞきこんだ。

「若い娘がお祭に行きたいというのがわがままだなんて、そんなひどいことを私は言ったりしないよ」

「でも、レンは忙しいのに――」

「なに、別に君に強制されたわけじゃない。私自身が、君と、レオニーといっしょに、家族みんなでお祭に来たかったんだ。――家族、みんなで」

「――ええ」

 エリシアは、そっとザイーレンに寄り添った。

「ありがとう。本当に――ありがとう、レン」

「――どういたしまして」

「とーたん!」

 レオノーラがはしゃいだ声をあげる。

「レオニーも、おふね、のるの!」

「え――ああ、どうかな、頼めば乗せてくれるかな?」

「あ、危なくないですか?」

 エリシアが不安げな声をあげる。

「低いところを飛んでもらえば――」

 言いかけて。

 ザイーレンの顔が、一瞬歪む。

 天空高くを自由自在に飛び回るより、地面近くをすれすれに飛ぶほうが、実は高度な技術を要求される。天高く昇るのは、昇るまでは苦労するかもしれないが、いったん上がりきってしまえば障害物は何もない。地面すれすれの、障害物だらけの、地形によって気流が乱されてしまうようなところを飛ぶほうがよっぽど難しい。

 イェントンに、そんな腕を持った者はいない。そんなに高度な風魔法を操れる物など一人もいない。

 地面すれすれを、こともなげに縦横無尽に飛びまわれる者。

 風魔法の天才。

『風の同胞』と呼ばれる人々。

 イェントンに天才はいない。秀才ならいくらでもいるが、天才はいない。

 天才が生まれるのは、天才を数多く生み出す血筋は――。

「――奇人変人――」

「ザ――ザイーレンさん?」

「――え?」

 はっと、ザイーレンがわれに帰る。

「――とーたん?」

「――ああ」

 娘の不安げな顔を見て、ザイーレンは大きくため息をついた。

「レオニーは、お船に乗りたいのかな?」

「うん!」

「じゃあ、あとで、父さんが乗せてくれるように頼んであげようね」

「あいっ!」

 レオノーラは大喜びで、ザイーレンに抱きかかえられたまま両の手足をばたつかせた。

「とーたん、あいがと!」

「どういたしまして」

 レオノーラには、一番素晴らしい物を与えたい。

 ザイーレンは思う。痛切に、思う。

 愛娘に、最高の物を与えたい。

 愛娘の乗る鳥船を操る者は、最高の腕の者であって欲しい。

 ただ――ただ。

 その、最高の腕の持ち主に、頭を下げることに、自分は耐えられるのか。

 ザイーレンは、知っている。

 自分の嫌悪も憎しみも、すべてが一方通行だ。

 相手は自分の事など、まるで何とも思っちゃいない。軽蔑ですらない。単なる他人。ただそれだけの存在なのだ。

 相手――相手。

 ザイーレンは、ふと思う。

 メリサンドラとカルディンはまだましだ。あの二人なら、事と次第によっては、自分と同じ土俵に乗ることがある。同じ言葉で会話が出来る。同じように利害をぶつけ合い、同じように憎しみ合う事さえできる。

 ただ。

 実を言うとザイーレンは、その二人の事はそんなに憎んでいるわけでもないのだ。メリサンドラとカルディンは、うっとうしく目障りではあるが、鮮烈な憎しみを感じるような相手ではない。

 ザイーレンが憎むのは。

 本当に、鮮烈に、心の底から、それが理不尽な憎しみであることを自分自身、誰よりもよく知っていながら、その愚かしさを自分自身、骨身にしみて知っていながら、どうしても憎まずにいられないのは。

「――『からくりリロイ』に、『風のナスターシャ』――」

 声に出さずに、ザイーレンはつぶやく。

 もちろんザイーレンはよくわかっている。

 ハイネリアを束ねる四貴族の当主同士が憎み合って、得になることなど一つもない。

 いや――そもそも、『憎み合う』ということすら不可能なのだ。

 ソールディンの当主、リロイ・ソールディンと、その妹、ナスターシャ・ソールディンは。

 他者の悪意を理解することが出来ないという、大いなる欠落を持った、歪な天才達なのだから。

「さあ――レオニー」

 自分の中の何かを、自分の奥底へと封じ込めるべく、ザイーレンは愛娘に弾んだ声をかける。

「父さんが肩車をしてあげよう!」

「うあーい!」

 自分の肩の上ではしゃぐ愛娘のあたたかさを感じながら、ザイーレンは血を吐くような思いで願う。

 自分はいい。どう思われようと、どう言われようと、どんな仕打ちを受けようと。それは自分がしてきたことと、自分が出来なかったこととに対する、正当なる報いなのだから。

 だが――レオノーラは。

 まだ汚れることすら知らない、何よりも愛おしい小さな幼子には。

 天才ではなく秀才であるという、ただそれだけで、ただそれだけのことで、あんなにも嘲られるということのない、安らかな人生を与えたい。自分が悪いわけでもないのに、相手が悪いというわけですらないのに、不毛な憎しみに、いたずらに心をすり減らす。そんな思いをして欲しくない。

 それがザイーレンの、父親としての切なる望みであった。

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