第17話

「私ほんとは、飛ぶのってあんまり得意じゃないのよ」

 そう言ってクレアノンはクスクス笑った。

「ほんとですかあ?」

 ライサンダーが首を傾げた。

「だって、すっごく気持ちいいですよ? 全然揺れないし」

「あら、ありがと」

 クレアノンはにっこり笑った。もっとも、竜体に戻ったクレアノンのその表情を、もしライサンダーが正面から見ていたら、もしかしたら腰を抜かしてしまったかもしれないが。

「でも、本当よ。私の翼、見えるでしょ?」

「あ、はい、見えます」

「ちっちゃいでしょ?」

「え? うーん、俺から見れば、充分でかく見えますけど――」

「でも、体と比べてみて。私の体の大きさからすると、私の翼って、ちっちゃいのよね」

「んー、言われてみればそうかな――」

 クレアノンの声は、竜体に戻った今も、やはり人間形をとっていた時と同じ、特に若くも年老いてもいない、がっちりとした女性だったらこんな声であろう、という声だ。その声のおかげでだいぶ喋りやすくはあったが、竜体に戻ったクレアノンの、どのあたりに向けて話しかければいいのか、ライサンダーはひそかに頭を悩ませていた。

「だからね」

 クレアノンは快活な声でつづけた。

「私は今、翼の力だけで飛んでるんじゃないの。浮遊魔法とか、風魔法とか、いろんな魔法と組み合わせて飛んでるのよ」

「俺には、翼だけで飛ぶよりもそっちのほうが大変そうな気がしますけどねえ」

 ライサンダーは感心した声をあげた。

「えーと、ハルさんも、浮遊魔法出来たんだっけ?」

「まあねえ、それなりにはねえ」

「そっかー。俺、魔法ほとんど出来ねえもんなー。ねえハルさん、クレアノンさんの魔法って、どれくらいすごいの?」

「あたしと比べて、ってこと?」

「んー、まあね」

「大人と子供、どころじゃないわよお」

 ハルディアナは優雅に肩をすくめた。

「だってライちゃん、あたしなんかは浮遊魔法を使う時は基本的にそれにかかりっきりにならなきゃ使えないのよお。クレアノンさんが使ってるのは、浮遊魔法に、風魔法に、あと、あたし達が風にあたったり背中からおっこったりしないようにする防護魔法でしょう? それに、誰かがセルター海峡から竜が飛んでくるのを見て腰を抜かしちゃったりしないようにする目くらましと――」

「うへえ、もうだいたいわかったよ」

 ライサンダーはポカンと口を開けた。

「ほんとになんていうか、竜と俺達って、格が違いすぎるんですね」

「――でも、私は、竜としては、別に大したことのない竜なのよ」

 クレアノンの声に、苦笑の響きが混ざりこんだ。

「ほめてくれるのはうれしいんだけど――それは、私がすごいんじゃなくて、竜という種族がすごいのよ。ああ、ごめんなさい、自慢に聞こえるかしら? でも、そうなの。私がすごいんじゃないの。たまたま竜に生まれついたっていう、幸運を手にしてるだけ」

「でも、クレアノンさんは、ぼく達と仲良くお付き合いしてくれるじゃないですか」

 エルメラートが、楽しげに弾む声で言った。

「それって、普通の竜はしないことでしょう?」

「ああ――そうね。それはそうかもしれないわね」

「ぼく」

 エルメラートはにっこりと笑った。

「クレアノンさんとお友達になれてよかったですよ」

「ありがと」

 クレアノンの声も弾んだ。

「そう言ってもらえると、本当にうれしいわ」

「いーい、景色ねえ」

 ハルディアナがのんびりと言う。

「晴れてよかったわねえ」

「だねー」

「ですよねー」

 ライサンダーとエルメラートも、のどかな声をあげる。

「ねえ、クレアノンちゃん、あたし達、これからどっちに行くの? ファーティス? ハイネリア?」

「とりあえずはハイネリアかしらね」

 クレアノンは即答した。

「ファーティスは、亜人嫌いで有名だっていうから」

「ありゃ、そりゃまずい。俺達全員、亜人だもんな」

 ライサンダーは肩をすくめた。

「亜人を嫌うと、なにかいいことでもあるんですかね?」

 エルメラートが、真顔で言う。

「私には思いつかないわねえ」

 クレアノンが苦笑したらしき気配が、声から伝わってきた。

「でも、知的生物っていうものは、理不尽なことを自分から喜んでやってしまうこともあるからねえ」

「ふーん。何の得もないならやめればいいのに」

 あっけらかんと、エルメラートが言う。

「私には思いつかないだけで、何か得をする人がいるのかもしれないわね」

 クレアノンの声が、肩をすくめる。

「ところでクレアノンさん、俺達、ハイネリアでいったい、何をすればいいんですか?」

「観光旅行」

 ライサンダーの問いに、クレアノンは間髪いれずに答えを返した。

「か、観光旅行!?」

「そう。観光旅行」

「え? そ、それって、冗談じゃなくて?」

「冗談じゃなくて、よ」

 クレアノンは、クスクス笑った。

「もちろん私にだって、調べてもらいたいことはあるわ。でもね、それを言っちゃったら、あなた達、私が調べて欲しいと思うことしか、調べてくれないじゃない?」

「え――それじゃ、いけないんですか?」

「いけなくはないけど、それじゃ、あなた達を連れてきた意味がないわ。だって、私が調べたいと思っていることは、私だって調べられることだもの」

「え? ええと――」

「だから、例えばね」

 クレアノンは、少し考え込んだようだった。

「例えば私があなたに、ハルディアナさんが男か女か調べてくれ、って頼むとするじゃない。そうすると、あなたはそれを調べてあなたに教えてくれる。だけど、他のことは調べてくれない。私が頼まなかったから。でも、私が何を調べてくれとは指定しないで、ただハルディアナさんのことを調べてくれって言ったら、あなたはハルディアナさんがエルフだってことを調べて、私に教えてくれるかもしれない」

「え、えーと――」

「つまり、こういうことでしょお?」

 ハルディアナが、のんびりと口をはさんだ。

「あたし達は、クレアノンちゃんが、わざわざ調べてみようなんて思いつかないことや、クレアノンちゃんみたいな竜には当たり前にわかるから調べるも何もないけど、あたし達亜人や人間にとっては、調べなきゃわかんないことを調べてくれって言ってるんでしょお?」

「そのとおり」

 クレアノンの竜の頭が、ゆっくりと動く。どうやらうなずいたらしい。

「私が欲しいのは、竜ではない種族の視点なの。私達竜は、その――他の種族と比べると、ちょっと、っていうか、かなりずれてることが多いから」

「それは、そおねえ」

 のどかな声でハルディアナが言う。ライサンダーは、思わず、といったふうに首をすくめた。

「そうでしょう?」

 クレアノンは、おかしそうに笑った。

「だからね、とりあえずは、みんなで観光旅行をしましょうよ。ねえ――私も仲間に、いれてくれる? 私――誰かといっしょに旅行したことってないの」

「もちろん」

 ライサンダーは大きくうなずいた。

「よろこんで」

「仲良くやりましょおねえ」

 言いながらハルディアナが、クレアノンが用意し、自らの背中にすえつけてくれた巨大なクッションに身を埋める。

「そおよねえ。旅は道連れっていうもんねえ」

「ふふっ」

 黒貂の黒蜜をじゃらしながら、エルメラートが楽しげに笑う。

「楽しい旅になりそうですね」

「そうね」

 クレアノンはにっこりと笑った。

「楽しい旅になりそうね」

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