第16話

「俺達が留守するあいだ、この家を使ってもらえませんか?」

 と、ライサンダーはユミルに言った。

「人が住んでないと、家ってどうしても荒れますから」

「ありがとうございます。願ったりかなったりです」

 ユミルは、深々と一礼した。

「ありがとうございます」

 黒猫リリーを大事そうに胸に抱いたアレンも、ペコリと頭を下げる。人間と淫魔の混血であるアレンは、ユミルとの性的接触により、貧相な中年男と可憐な少女とをいったり来たりしてしまう。純血の淫魔なら生まれつき、特になんの苦労もなく出来る自分の容姿や性別のコントロールを、淫魔の血を半分しかひいていないアレンは行う事が出来ないため、ユミルとそう言った行為を行うたびに、不随意に性別と容姿とが揺れ動いてしまうのだ。

「ああ、そうだ、その、ライサンダーさん、もしよろしければ、その、服を少し、貸していただけませんか?」

「え? ああ、アレンさんにですね」

 男性である時のアレンは、貧相は貧相だが、それでもやはり男の体格は男の体格で、今現在の、少女の姿のアレンよりはかなり大きい。アレンが少女の姿に変化するようになったのは、ユミルと出会ってからだ。当然のことながら、少女の服など持っているはずもない。

「チビですからね、俺は」

 ライサンダーが苦笑する。父方のドワーフ。母方のホビット。どちらにせよ、小柄なことで有名な種族だ。まあ、ドワーフのほうは、その筋骨隆々たる体格も、同時に有名になっているのだが。

「あ、いえ、そんなつもりは――」

「いいんですいいんです。これでも俺、親戚の中ではけっこう背が高いほうなんですよ」

 ライサンダーはニヤリと笑った。

「でも、服が欲しいんなら、俺がもと住んでた山まで行けば、なんかしらあると思いますよ」

「え?」

 ユミルは目を見張った。

「あ、あなた達、えーと――」

「ドワーフの親戚のほうですよ」

「こ、こんな近くに竜の縄張りがある所で暮らしているんですか!?」

「ううん――そうですねえ――」

 ライサンダーは、驚くユミルを、ちょっと不思議そうに見た。

「つーか、竜って基本的に、こっちからちょっかい出さなければ、あっちも俺らにちょっかいなんか出さないもんでしょ?」

「…………私の祖国は一度、竜のきまぐれによって壊滅の憂き目を見たんですが」

「あ!」

 ライサンダーは、しまったという顔をした。なるほど、確かにユミルの祖国、ハイネリアの前身である神聖ハイエルヴィンディア皇国は、白竜のガーラートの、量子力学を修める研究所を作りたいという欲求により、一度灰燼に帰され、その上にガーラートの研究所を建てられてしまったのだ。

「す、すみません! い、いやその、いやあの、ディ、ディルスにいるのは、ガーラートさんじゃなくてクレアノンさんなもんで!」

「ありがと」

 クレアノンは、クスクスと笑った。

「そうね、確かに私は、他の種族に被害を与えるのは極力避けるようにしているわ。だって、もったいなさすぎるじゃない。何の気なしにひどい目にあわせてしまった誰かが、私のとっても知りたい、面白い貴重な知識を持っててくれるかもしれないのよ? 竜にとってはね、壊すって、ほんとに簡単なことなの。でも、私は、壊すのって、別に好きじゃないの。私は――」

 クレアノンはにっこり笑った。

「他の種族のかたがたと、楽しくおしゃべりするほうが好きなの」

「私もです」

 不意にアレンが、どこか苦しげに見えるほど真面目な顔で言った。

「私もです。私も――私にも、クレアノンさんほどではありませんが、力が、あります。今まで私は、その力を、壊す事にしか使って来ませんでした。でも、私は――」

 アレンにギュッと抱きしめられ、リリーが、ニィと鳴いた。

「私は――私は――私は皆さんと、な、仲良く、したいんです――」

「するわよお」

 ハルディアナがのんびりと言った。

「アレンちゃんは、こんなにかわいいんだもの。いっくらだって、仲良くしてあげるわよお」

「そうですよ」

 エルメラートも口をはさんだ。

「なにしろアレンさんは、ぼくにとっては遠い親戚のようなものですからね」

「大丈夫ですよ、アレンさん」

 黒い小魚、ジャニを体にまとわりつかせた、使い魔のパーシヴァルが静かに微笑む。

「あなたがどんな事をして来ても、どんなにたくさんのものを壊しても、どんなにたくさんの人の運命を狂わせても、私ほどはた迷惑でろくでもない、国を裏切り冒涜し、関わった人みんなの運命を狂わせるようなことなんて、やってるはずがないんです。誰があなたを責めたとしても、私にだけは、あなたを責める資格なんてありはしないんですよ」

「――おれもなんか言ったほうがいーのか?」

 さすがに雰囲気の変化を感じ取ったのか、蜘蛛化けリヴィーがきょとんと周りを見まわす。

「えーと、大丈夫だよ。おれ、腹が減っても、ここにいるやつらを食うのは最後にするから」

「つーか、食えねえだろ、リヴィー」

 と、ライサンダーがつっこむ。

「本気でやりあったら、おまえが勝てる可能性がある相手って、ここにはミラと俺しかいねーぞ」

「あ、そっか」

 すっとぼけた顔でリヴィーがうなずく。

「――ありがとう、ございます」

 真っ赤に頬をほてらせて、アレンは何度も何度も、あちらを向き、こちらを向きしておじぎを繰り返した。

「じゃあ、ええと、話を戻しますと」

 ライサンダーが、照れ隠しのようにポンと両手を叩いた。

「俺達が留守にしてるあいだ、ユミルさんもアレンさんも、このうちにあるものを、みんな好きに使って下さってかまいませんから」

「ん? ライサンダー、どっか行くのか?」

「おいこらリヴィー、おまえ人の話全然聞いてなかっただろ。俺とハルさんとエーメ君、あとそこのパーシヴァルさんは、クレアノンさんといっしょにジェルド半島に行くの!」

「ええー」

 リヴィーは口をとがらせた。

「じゃあ、おれのメシはどうなるんだよ?」

「ライサンダーさんほど上手ではありませんが、私も簡単な料理くらいは出来ますよ」

 と、ユミルが口をはさむ。

「食っていい?」

 単刀直入に、リヴィーがたずねる。

「もちろん」

「あー、ならいいや」

「ジェルド半島、かあ」

 エルメラートが不穏な笑みを浮かべた。

「ぼく、ちょおっと、個人的に楽しんじゃおっかなー」

「……あなたがたのあいだでは、そういうのは公認なんですか?」

 エルメラートの言葉の意味がわからずきょとんとしているアレンを横目で見ながら、ユミルがぼそりとつぶやく。

「そんなんでいちいち目くじらたててたら、エーメ君やハルさんとはやってけませんって」

 ライサンダーは、ヒョイと肩をすくめた。

「いいんですよ、最後に俺んとこに帰って来てくれりゃ」

「なるほど、含蓄深いお言葉ですね」

「つーかこれって、普通は女の言葉だと思うんだけど」

 ライサンダーは苦笑した。

「ま、いっかあ。俺は、あちこちほっつき歩くより、待ってるほうが性にあうから」

「そおよお。ライちゃんは、おうちにいて、あたし達においしいご飯をつくってくれる役目なのよお」

 ハルディアナが、かすかに妖艶さを含んだ笑みを浮かべる。

「表に出ていろいろやるのは、あたしやエーメちゃんがみぃんなやってあげるんだから」

「――」

 ユミルは目をしばたたいた。ハルディアナは、容姿からすれば、純血のエルフ以外の何物でもない。ただ、その肉体の、エルフとしては異様といってもいいほどの豊満さと、満開の花からこぼれる香りのような、あたりにふりまかれる妖艶さと淫蕩さとが、ハルディアナを、エルフであるとしか言いようがないのに、どうしてもこの存在がエルフであるとは断定できなくなってしまうことの非常に大きな要因となっている。

「――やだあ」

 ハルディアナはユミルの表情に気づいてクスクスと笑った。

「あたしがあんまりエルフらしくないからびっくりしちゃってるのお? あたしは、エルフだってばあ。まあ、村一番の変わり者で、村の恥、一族の恥っていっつも言われてたけどお」

「え、いや、その――し、失礼なことをしてしまったのなら謝ります」

「別に、いいわよお。そういう顔も、けっこうかわいいわよお」

「だ、だめです!」

 不意にアレンが、ブンブンとかぶりをふった。

「ハ、ハルディアナさん、ユ、ユミルは、わ、私の恋人ですから! そ、そんな綺麗な、そんな色っぽい顔をしちゃだめです!」

「あらあ」

 ハルディアナはクスクスと笑った。

「ありがとねえ、ほめてくれて」

「――ふふっ」

 クレアノンは、小さく笑った。

「ああ、あなた達ときたら――ほんとに私を、退屈させずにおいてくれるわね――」

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