第7話

 白竜のガーラートは、知らない。

 知らないというか、興味がない。

 興味がないから、知ろうとしない。

 知らなくても別に困ることはない。

 他の存在はどうだか知らない――というかどうでもいい――が、とにかくガーラートはそんな事を知らなくても別に困ることはない。

 だから、知らない。

 白竜のガーラートは、知らない。

 ガーラートは、知らない。

 研究所をつくりたいという自分の欲求が、そしてそれを実際に作ってしまった行為こそが、一つの国の運命を大きく変え、それどころか、他のいくつもの国や地域に、すでに百年以上が経過した、今現在に至るまで、大きすぎる影響を与え続けていることなど。







「――ま、もともと私達竜は、他人の都合なんて完全に無視するやつが多いんだけど」

 クレアノンはため息をついた。

「あの、ガーラートっていうやつは、その中でも特にひどいわ。残酷とか、横暴っていうほうがまだましよ。だって残酷とか横暴っていうのは、少なくとも自分の犠牲になる相手としての他者の存在を認めてるってことじゃない」

「あらあ、それってあれよね、愛の反対は、憎悪じゃなくて無関心、ってやつね」

 ハルディアナがけだるげに言う。

「そのとおり」

 クレアノンが大きくうなずく。

「ま、その、なんていうか、自分が興味のある話を話しはじめたら、ちょっと面白いやつなんだけどね、ガーラートって。けっこう美形だし」

「へえ、美形なんですか?」

 エルメラートが身を乗り出す。

「美形よ。すごい美形。うろこは白いけど、ただ単純に白いんじゃなくて、なんていうのかしらねえ、すごく上等な真珠みたいな光沢があって、一枚一枚の形が整ってて。角なんかスゥッとながぁく伸びててねえ。綺麗な左右対称で。翼がまた、大きくってねえ。ほんとガーラートって、飛ぶのがうまいの。目はね、翡翠色なんだけど、これって私達竜の中では、けっこう珍しい色なのよ」

「あらあ」

 ハルディアナは面白そうに笑った。

「クレアノンちゃんてば、ガーラートちゃんのことが好きなのお?」

「――え」

 クレアノンは、ちょっと絶句した。

「……どうなのかしら。そ、そりゃまあ、ガーラートは美形だから、見てて楽しいのは確かだけど。でもあいつ、他の存在にほとんど興味がないし」

「少しは持っていただきたかった」

 ユミルが大きなため息をついた。

「それじゃ、あれですか、私の祖国、ハイネリアの前身、神聖ハイエルヴィンディア皇国が壊滅したのは、神聖ハイエルヴィンディア皇国の首都、エルヴィンディアがまさにまさに、その白竜のガーラートさんとかが、自分のつくろうとしていた大掛かりな研究所を立てるのにピッタリな場所の真上にあったという、言っちゃなんですがただそれだけの理由なんですか?」

「あの、なんていうか」

 クレアノンは再びため息をついた。

「同じ竜族として謝っておくわ。その――ごめんなさい」

「別にあの、ハイエルヴィンディアに恨みがあったとかそういうんじゃなくて?」

「ああ、ないない、それはない。ガーラートが誰か、それとも何かに恨みを持ったりするほど興味を持つことなんてあるはずないもの」

「あの、それでは」

 アレンが小首を傾げた。

「ガーラートさんはいったい何を研究してらっしゃるのでしょう?」

「量子力学。素粒子レベルになるとその存在の速度と位置とを同時に特定できないのが気持ち悪くてしかたがないんだって。素粒子の速度と位置とを同時に完璧に測定することが、あいつの目下の研究命題」

「…………ええと、あの、すみません。まったくわかりません」

「でしょうね。ガーラートの研究を完璧に理解できるやつなんて、竜や悪魔の中にもめったにはいないわよ」

「は、はあ、そうなんですか」

「あなたにも、ごめんなさいね、アレンさん」

「え、あの、な、何がでしょう?」

「だって」

 クレアノンは、三度ため息をついた。

「ガーラートが神聖ハイエルヴィンディアを壊滅させたせいで、そこに住んでいた人達は、あなたの祖国ファーティスのあるジェルド半島に攻め入って、今に至るまでずーっと戦争を続けてるんですもの」

「……まあ、あの、私達としても、無理やりハイネリアを建国してしまったのはその、少しは後ろめたくもあるんです」

 ユミルはぼそぼそと言った。

「しかしその、なんというか、私達にはもう、帰るべき場所がないんです」

「本当にごめんなさい。ガーラートが私より弱ければ、一発ぶん殴ってやってもいいんだけど、あいつはその、あの、竜神一歩手前ってくらい強いから」

「あれでまだ竜神じゃないんですか!?」

「ああ、だって」

 クレアノンは肩をすくめた。

「あいつを竜神としてあがめてくれる存在がいないんだもの。あいつ、そういうところはとことん不器用なのよね。怖がられはしても、あがめてはもらえないの」

「というかその、私の国の歴史書を信じるならば、そもそも意思の疎通が出来なかったようなのですが」

「興味がなかったんでしょうね」

「少しは持っていただきたかった」

「そうなのよねえ」

 クレアノンは小さくかぶりをふった。

「ガーラートって本当に、おつきあいっていうのが苦手なの」

「――あの、それで」

 ライサンダーが首をかしげた。

「面白いお話だとは思うんですけど、そのガーラートさんと俺達と、いったいどういう関係があるんでしょう?」

「ああ、ええと、あの、なんていうか」

 クレアノンはちょっと考えこんだ。

「ごめんなさい。竜ってやっぱりこういうの苦手だわ。どうしても竜の基準で考えちゃう」

「え、というと?」

「私はね」

 クレアノンは苦笑した。

「あなた達の代だけで、すべてを終わらせるつもりじゃなかったの。だからつい、あなた達にとってはもしかしたら、子供の世代に引き継がれるかもしれない話まで、今しちゃってるのよ」

「ええと、どういうことでしょう?」

「あのね」

 クレアノンは苦笑したまま、

「今現在、ハイネリアとファーティスとがいがみあっているのは、ものすごく大雑把に身も蓋もなく言っちゃえば、土地が足りないところにぎゅうぎゅう詰めにされてるからでしょう? だからアレンさんとユミルさんが、敵国の仇どうしなんかになっちゃう。――だったら」

 クレアノンは肩をすくめた。

「ガーラートとあいつの研究所をあの土地からどかしちゃえば、それなりの土地があくんだけどな、って、そう思っただけなの。ごめんなさいね。これって絶対、すぐには無理。だってガーラートは、並みの竜や悪魔じゃ太刀打ちできない相手だもの」

「――クレアノンさんは」

 アレンが驚いたように口をはさんだ。

「そんな強大なガーラートさんを、私達のようなちっぽけな存在が、すぐには無理でもいつかはなんとかできるとお考えなんですか?」

「力押しだけが能じゃないもの」

 クレアノンは簡潔にこたえた。

「――そうですか」

 アレンの目が輝いた。

「――クレアノンさん」

「なあに?」

「そ、そういうお話を、もっともっとして下さい。私――いえ、きっと私だけじゃないです」

 アレンの瞳は。

「私達、本当は――戦争なんて、ほんとはしたくないんです」

 強く強く、輝いていた。

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