第3話

「――あなたが、ライサンダーさん?」

 クレアノンは目をまるくした。庭先で揺り椅子に最後の仕上げをしている若い男は、確かに小柄ではあるが、ドワーフにしては驚くほど華奢だった。ドワーフにつきもののひげもまるで生えていない。

「はい、そうですけど?」

 ライサンダーもまた、四角い眼鏡の奥の目をきょとんとまるくした。

「ニックルビーさんの従弟の息子さんの?」

「はい、そうです。――ああ」

 ライサンダーは、納得したようにうなずいた。

「ニックおじさん、なんにも言ってないんですね? おじさんいい人なんだけど、そういうところに気が回らないから。俺、母親がホビットなんですよ」

「ああ」

 クレアノンはうなずいた。ホビットには太っているものも多いが、ドワーフに比べればもちろんだいぶ華奢だ。それに、大人になっても子供のようにつるりとした顔のものも多い。

「ところで、あなたはどちらさまですか?」

 ライサンダーは首をかしげた。

「俺も種族がわかりにくいってよく言われるけど、あなたの種族もわからないなあ」

「人間に見えない?」

「ちょっと雰囲気が違うような気がするんですけど」

「あら、ご炯眼。それとも私が未熟なのかしら? それとも」

 クレアノンはライサンダーの眼鏡をまじまじと眺めた。

「それ、破幻鏡?」

「いや、俺のはただの近眼用の眼鏡ですよ。破幻鏡をご存じってことはシャス叔母さんにも会いましたね?」

「ええ。そこまでシャスティナさんに案内していただいたんだけどね、あなた達とは、まずは私一人で会ってみたかったの」

「あなた達?」

 ライサンダーは眉をひそめた。

「ってことは、エーメ君やハルさんにも何か用なんですか?」

「ええ、まあね。二人はお留守?」

「ええ、ちょっと散歩に」

「あら」

「実は」

 ライサンダーは、誇らしげに微笑んだ。

「ハルさんがおめでたで。妊婦には適度な運動が必要だって、エーメ君が」

「あら、おめでとう。ええと――ハルさんっていうのが、エルフなの?」

「そうですよ。エーメ君が淫魔で、俺はドワーフとホビットの混血」

 ライサンダーは、屈託なくこたえた。

「そう――」

 クレアノンは少し考え込んだ。長い寿命を誇る種族は、その寿命との引き換えのごとく、子を生む能力が低いものが多い。エルフなどはその筆頭だ。

「――あなたとエーメさんの子なのね」

「よくわかりましたね」

 ライサンダーは、驚いたように言った。

「どっちの子なの、とか聞かれると思ったんですけど」

「だって、エーメ――エルメラートさんは淫魔なんでしょう? 彼ら――それとも彼女達? とにかく、淫魔達はその種族単独での繁殖は出来ないわ。女性体――サキュバスとして他の種族から受け取った精を、男性体――インキュバスとして放出する。もちろんその過程において、淫魔が受け取った精はその淫魔自身の影響を受ける。でも、彼らは繁殖のために、他の種族の精を必要としているのよ。雌しかいない魚ってのがいるんだけど、その魚の卵は他の種族の魚の精をかけられた刺激で成長をはじめるの。淫魔と少し似てるわね」

「はあ――詳しいですねえ」

 ライサンダーは、あきれたようにポカンと口を開けた。

「当の淫魔のエーメ君だって、そんなにスラスラは説明できませんでしたよ」

「え、まあね。ちょっとね、趣味で」

「趣味?」

「知識を蒐集するのが私の趣味なの」

 クレアノンは真面目な顔で言った。

「なるほど」

 ライサンダーもまた、真面目にうなずいた。

「で、その、話を戻すようなんですけど、いったいどちらさまでしょう?」

「あら、ごめんなさい。また自己紹介を忘れてたわ」

 クレアノンは苦笑した。

「私は、黒竜のクレアノン」

「竜!?」

「あら、ニックルビーさん達よりは驚いてくれたわね」

 クレアノンはクスリと笑った。

「大丈夫よ。とって食ったりしないから」

「あ、はあ――で、あの、何のご用でしょう?」

「そうね」

 クレアノンはちょっと口をすぼめた。

「そう――あなた達なら面白そうね?」

「は?」

「まあ、でも、やっぱりエルメラートさんと――ハルさんって、愛称でしょ? 本名は?」

「あ、ハルディアナ・スピクスですけど」

「そう。その、ハルディアナさんにも会いたいわね」

「はあ、まあ、まってりゃもうすぐ帰ってくると思いますけど」

 ライサンダーは首をひねった。

「俺達三人全員に用事? いったいなんなんだかさっぱり見当つかないんですけど」

「それはそうよ」

 クレアノンはおかしそうに笑った。

「あなた達に何をやってもらうかなんて、全員に会うまで決められるわけないんだから」







「ハルさんったら、もう終わりですかあ?」

 そう言いながら小道をやって来るのは、淫魔というより妖精のように見えた。ほっそりと筋肉質の体は驚くほどに中性的で、少年とも少女ともつかず、ある意味性からは遠くも見える。弾むように歩を進めるその足は、時々思い出したように地を蹴るだけで、ほとんどの時間空中で踊っている。短く刈られた深緑色の髪は、きらめく汗をはじかせ、奇妙な清潔感すら漂わせている。

「だってエーメちゃん、赤ちゃんが重たいんですもの」

 続いて現れたものを淫魔だと言っても、ほとんどのものは特に疑うこともなく信じただろう。ほったりと豊満な体はふるふるとやわらかく揺れ、青い瞳はうっとりと濡れた艶を帯びている。口の中に蜜を含んででもいるかのような甘い声。瞳よりやや淡い空色の髪はうねうねと揺らめき、抜けるような白い肌に花開くように血の色がさしている。

 先に現れたほうが淫魔のエルメラート、あとから来たほうがエルフのハルディアナだ。

「えー、そんなはずありませんよ。だって赤ちゃん、まだこーんなに小さいんですよ?」

「だってほんとに重いのよお」

「重いのはハルさんのお肉でしょ」

「やめてよエーメちゃん、おデブって言わないで」

「どうしていけないんですか? ぼくは太った人が大好きです。ハルさんがもっと太ってくれると、もおっとハルさんを好きになっちゃうんだけどなあ」

「いやあよ。あたしはこれでいいの」

「そうですかあ? ――あれ?」

 ここでようやっと、エーメはクレアノンに気づいた。

「あれれ? どちらさまですか?」

「初めまして。私は黒竜のクレアノン」

「あらあ、あなた竜なの?」

 ハルディアナはゆったりと目と口をまるくした。

「まあ珍しい。竜なんて子供のころに一度見たきりよ」

 と、言うハルは、長命を誇るエルフである。子供のころ、というのは、どう少なく見積もっても百年以上は前だろう。

「きっとほんとはもっと会ってるわよ」

 クレアノンは肩をすくめた。

「ただ、みんな、騒がれるとめんどくさいから人前に出るときは普通正体は隠すのよね」

「あらあ」

 ハルディアナは首をかしげた。

「それじゃああなたはどうして正体を隠さないの?」

「いい質問ね」

 クレアノンはにっこりと笑った。

「それはね、私があなた達に頼みたいことがあるから。正体を隠したままお願いをするんじゃ不誠実だと思ったから」

「竜がお願い? ぼく達に?」

 エルメラートは、面白そうに目を輝かせた。

「へえ、いったいなんですか?」

「そうね、とりあえず、中に入ってゆっくり話さない? ライサンダーさんがお茶の用意をして下さっているから」

「あら、いいわね。じゃあ中に入りましょうか」

「そうですね」

 こうしてクレアノンは、ごくあっさりと、三人の家へと招き入れられた。

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