第6話 閑話休題 ある二人

「よし、買い物行くぞ」

「どうしたんですか急に」

暑さも引き、蝉の声もめっきり聞こえなくなったある日、ドワーフのような青年が話しかけてきました。私は面倒くさそうに青年を見上げ(実際にこの人がなにか言い出すと面倒なことになるのですが)、再び読んでいた雑誌へと視線を戻しました。

「いや、だから行くぞって。」

「そうですか。私はこの『特選!秋のスイーツ特集!』を読むので忙しいので。」

「いや、オメーも行くんだよ!」

「なんで?」

「…壊したろ?」

「…。」

私は、ある特殊な職業に就いています。以前、それに使う機材を半壊させてしまったのです。

「…まあ、壊しました。」

「だろ?だから買い物来い。」

「それと買い物になんの関係があるんですか?」

「なんでって、部品買いに行くんだよ」

「はあ…」

なるべくなら行きたくないんだけどなぁ…をという心の声を隠し、私は出かける準備を始めました。


準備を終え、玄関で待っていると、あまり聞きなれぬエンジン音が聞こえてきました。格納庫からサイドカーを取り付けた真紅のバイクが駆けてきたのです。

「…どうしたんですかこれ」

今の時代、電気自動車が移動手段の主流であり、内燃機関を持つ乗り物は重い税が課せられるはずです。かくいう私も、人生で数度しか乗ったことがないのです。

「まあね。細かいことは気にすんなって」

気にしなくていいのでしょうか。言われるままにサイドカーに乗り、荒れた道を進みました。アスファルトがひび割れて乗り心地は良いとは言えませんが、歩きで行くよりは遥かにましです。さらに付け加えると、この荒れた道を行くには、オシャレを諦めなければいけません。

海沿いの道を僅かに進むと、橋の入り口にたどり着きました。ここの道路はさほど荒れていません。古びたバス停と自販機だけが高い空の下にありました。バス1台だけが通れる分しか開いていないバリケードを通り、地平線の向こうに僅かに見える島へと再びスロットルを捻り、橋を渡り始めました。


バイクを地下の駐車場に停め、地下から地上へと上がりました。海風が少しべたつきますが、散歩するにはちょうどいい風です。少なくとも、先輩(そう呼びたくもないがそう呼ぶのが最も適しているためです。必要にかられてのことなのであしからず。)と歩かなければ、の話ですが。とうの先輩はご機嫌な表情で、どんどん先へと進んでいきます。仕方なくついて行くと、少しずつ景色が変わってきました。風通しの良い海辺の道から、ビルの間を縫うように連なる道へと進み、少しずつ空気の淀んでいくのがわかります。道も、オシャレな撥水性タイルから古びたコンクリートが増え、得体の知れない染みと苔が増えていきます。

どこに向かっているんですか、と私が問おうとしたとき、先輩は歩みを止めました。そこは細長い路地の行き止まりであり、不気味な扉が取り付けられた地下への入り口でした。傍らには風雨で劣化した立ち入り禁止の看板と、それをぶら下げていたプラスチックの鎖が落ちていました。誰が観ても、いや、先輩はともかく、私には明らかに胡散臭さが隠されてもいませんでした。

先輩は扉を難なく開け、そのまま階段を下っていきました。あまりのためらいのなさに面食らいましたが、ついていかないわけにはいかず、私も階段を下りました。薄暗い電灯に照らされた階段が長々と続くと思っていたのですが、意外にも階段はすぐ終わり、人気のない地下道へと出ました。ショッピングモールのように整った地下通路ではありましたが、元は店であったであろうシャッターが延々と続き、生臭さを含んだ、すえた臭いのする冷たい風が通路を常に吹き抜けていました。通路はわずかに湾曲しており、どこまで続いているかもわかりません。

「本当にこんなところに部品売ってるんですか…?」

「さあ…」

曖昧で適当な答えに、私はずっこけてしまいました。まあでも適当に歩けば着くし?とそのまま歩みを止めない先輩の後ろをついていくうちに、景色が徐々に変化してきたことに気づきました。心なしか通路全体が綺麗になり、冷たい風が心なしか暖かくなってきているのです。どうやら、島の中心部へと向かっているようでした。

ここは島と呼ばれてはいますが、実際のところは洋上発電プラントを核にした巨大な海上フロートであり、大きなブイのような形をしています。中心部の発電プラントへは、物心が付く前に一度見学しに行ったらしいのですが、当然記憶などありません。

さらに進むと、あらゆる機械が唸る音と油汚れが増えてきました。それと、通路の向こうに人の賑わっている気配を感じます。

通路の曲がり角を一つ曲がると、円形の広場へと出ました。どうやら、島の中心部の発電プラントの近くへと出たようです。日光の代わりに、LED灯とハロゲン灯が無造作に積み上げられ、昼間のような明るさをもたらすクリスマスツリーになっています。広場を囲む壁は、一、二、三…と数え切れないほどの高さの階層に分かれ(おそらく十階以上の高さでしょう)、それぞれにみっしりと似たような扉が取り付けられています。ちょうど、歴史のテキストで見た「ダンチ」のようなものに似ています。視線を広場の中央に戻すと、大樹が根を張っていました。いえ、よく見ればそれは大樹ではなく、一箇所にまとめられた送電線の束とそれを覆うプラスチックの蓋でした。あまりにも巨大な送電線であったため、大樹と見間違えたようです。そして、身を乗り出して下を覗くと、賑やかな市場が見えました。色々なモノが、例えば大型の機関砲と合成肉の缶詰が置かれていたり、どこから来たのかもわからない肥大化した野菜を巡って競りが行われています。その広場からさらに大きなトンネルが続いていて、そこからひっきりなしに重機と人が行き来しています。

頼りない音で軋む階段を降りて、コンクリート剥き出しの広場を壁際に向かってしばらく歩くと、ガレージのようなスペースにたどり着きました。先輩がガレージの前で作業していたツナギの人に一言二言話すと、奥へと通されました。作業員と雑多な機械類を見るに、ここは機械の専門見店であると仮定しました。雑多な部品が散らばったガレージを抜け、冷房の効いた事務室へ通されます。古びた合皮のソファーに座り、会うべき人が来るのを待ちます。先輩は勝手知ったる他人の家と言わんばかりに一通り物色し、冷蔵庫の中から今時珍しい瓶のコーラを取り出し、飽きたら飽きたでソファーにどっかりと座りました。常識というものを知らないのでしょうかこの人は。もちろん私はソファーの隅にちょこんと座っています。人のことを笑うならばそれなりの姿勢を示さなければいけません。

「やあやあお待たせ。今日はどんな用だい?」

事務所の奥へと続いている通路から、薄いカーディガンを羽織った女性が出てきました。手には帳簿と思わしきタブレットとカタログを持っているので、どうやら事務仕事の合間に会ってくれたようです。

「ああ。こいつが例のアレぶっ壊しやがってよぉ、修理ついでにこいつに合わせてチューンしてやってくれないか?」

「あはは、この前納入されたっていうアレをかい?早いなぁ」

少しだけ恥ずかしさで小さくなる私を見て、その女性はからからと笑いました。そのまま対面のソファーに座り、カタログを広げます。

「じゃあとりあえず、どれにするか選んでていいよ。冷蔵庫の中の飲み物は勝手に飲んでいいから…ってもう飲んでるのか。その間にそこの子のデータ取るから」

さ、来て来てと女性に引っ張られ、事務所の奥へと進んでいきます。中は射撃場、計測室、工場…と雑多な部屋が続き、そのどれもが賑わっています。どの部屋も綺麗に整頓され、博物館と同じ印象を受けます。

「はい、じゃあ、この部屋で待っててー」

防音室と録音機器を備えた部屋、有り体に言うならばスタジオのような場所に案内されました。スタジオのような、と形容したのは、本来録音室であるべき場所が一面の緑色であり、天井の四隅にカメラが設置されていたからです。

ヘッドカムを装着し、彼女の指示に従います。手を挙げる、曲げる、伸ばす、しゃがむ、構えをとる、と次々に指示をこなします。その度に女性は画面とにらめっこし、次々にタブレットにデータを入力していきます。

「ははあ…」

なにやら楽しげなので気になりました。

「どうしたんです?」

「あーそうね、面白いほどド平均だったからつい、ね…」

褒めているんですかそれは。

「あはは、褒めてるってば。ここには尖った不健康な人しかいないからね」

なんか複雑です。

「今どきそこまで健康…というか年齢相応の平均的な値を出せるってスゴいことだよ。もしかして、いい家の出?」

ええ、まあ。

「へェ…そんな若いのになんでそんな因果なことに?」

まあ、色々と。

「まあいいや。お客さんの人生には深く立ち入らない主義でね。計測の続きをしよう!」


そのまま計測を終え、私と女性は事務室に戻ってきました。先輩は読みふけっていたカタログを置いて、顔を上げます。その後、私にはよくわからない専門的な会話が交わされ、

固く握手されるのを見ていました。どうやら無事に契約できたようです。私にはさっぱりわかりませんが。

ガレージを後にして再び広場に出ると、広場の中心をトラックが駆けていきました。荷台には、元はロボットであったであろう残骸が、赤黒い液体であちらこちらを汚しています。液体については強いて何も言いませんが、どうやらトンネルの向こうではそれなりにバイオレンスなことが起こっているようです。

「気になるのか?」

先輩が面白そうに話しかけてきました。見透かされているのは気に入りませんが、その通りです。軽く考え込んだあと、先輩は私の手を引いてトンネルへと向かい始めました。照明が白いLEDからオレンジのハロゲン灯へと代わり、独特の雰囲気を醸し出しています。

不意に、トンネル全体を覆うほどの大きな扉が目の前に現れました。どうやら、ここが行き止まりのようです。大きな扉には、それとは対象的に、かがまないと入れないほど小さな扉が取り付けられ、その前には門番と思わしき人がいました。彼を横目に小さな扉をくぐろうとすると、呼び止められました。

「嬢ちゃん、トシはいくつだ。」

14…やっぱ15です。

「んじゃあお帰り願おうかな」

何故ですか。

「嬢ちゃんみたいなガキの来るところじゃねえってことだ」

ガキとはなんですかガキとは。服の上からではわかりませんが、出るとこは出てますよ。下の毛だって生えていますし。

「わりい、そいつは俺のツレだ。」

門番と私の会話に、先輩が割って入ってきました。

「…そうか。」

そう一言だけ告げると、あっさりと通してくれました。扉をくぐるときに心なしか哀れんだ目をされたのは気のせいでしょうか。ともかく、先輩には感謝しないといけません。扉をくぐった先は、スタジアムの観客席のような場所でした。ひな壇状に座席が並び、ひな壇の下には控室兼パドックのような部屋がずらりと並んでいます。適当に観客席に座り、露出の激しい売り子からスナック菓子を買い、一息つきました。

さっきはありがとうございます。

「別にいいさ。俺のわがままで来たわけだし。」

言い出したのは私のような気がしますが、煙に巻かれてしまいました。ところで、どうして「ツレだ」の一言で通してもらえたのでしょうか。

「あー…、そうだな、うん。世の中知らんほうがいいこともあるってことだ」

なんだか含みのある言い方をしますね。知られたらまずいんですか?

「オメーにはまだ早いってことだよ」

なんですかそれは。

先輩にさらに突っかかろうとしたとき、周囲がわっと盛り上りました。どうやら、スタジアムの真ん中に選手達が入場してきたようです。未だにどういう趣旨かもわかっていませんが、始まるからにはとスタジアムの中心に注目することにしました。

私達から見て左側から、どぎつい蛍光ピンクのロボットが出てきました。工事現場で使われているような重機からカスタムされているのか、合金でできた胸当てと、廃材を組み合わせて作られた二本の鉈を持っています。ロボットは平均して3〜4メートル程なので、あの胸当ても人がすっぽり入るぐらい大きいのでしょう。山賊のような印象を受けます。

右側からは、深緑のロボットが出てきました。こちらも工事現場の…というか山賊のロボットとおそらく同じ型でしょう。遠目に見ても、デティールが似ています。山賊のロボットと異なるのは、平べったい頭とぎょろぎょろとした目、全体的に丸みを帯びているところでしょうか。カエルの王様といった印象です。カエルの王様を覆う程の大きな盾と配管用のパイプを改造した棍棒を手に、ポーズをキメています。周囲の反応を見るに、お互いにそれなりの知名度と実力を持っているようです。先程から鳴っていた騒音は、どうやらそれぞれのロボットの紹介だったようです。ドーム状の建物のせいで、反響して聞き取れませんでした。なにやら重要な一戦のようで、試合準備が進むと共に会場に重苦しい空気が満ちます。

試合開始を告げると思わしきブザーが鳴りました。二台のロボットがお互いにジリジリと近づき、全力で得物を振り下ろしました。山賊ロボは棍棒を鉈の一本で受け、振り下ろした勢いを横に逃します。カエルロボは鉈の一撃を盾で受け、その場に踏みとどまりました。そこから、さらに山賊ロボの鬼のような攻勢が始まります。最初に受け流したままの勢いで、カエルロボを中心に時計回りに回転を始め、それなりに大きいロボットとは思えないほどの軽快なステップで、執拗に頭と胸を狙って鉈を振り下ろします。一方のカエルロボはというと、それらを正確に盾で受け止め、ときに返す刀で山賊ロボにカウンターを仕掛けます。それを再び山賊ロボが時計回りに避け…と、バイオレンスな内容とは裏腹に、優雅な社交ダンスのような光景です。その試合運びに対して、怒涛のような罵声が浴びせられます。試合運びを応援するもの、お前にいくら賭けてると思ってるんだという怒号、それらをうるさいと咎める客。あ、今観客席で乱闘騒ぎが起こったようです。ここまで来て、私はここがどのような場所であるかを悟りました。ここは、おそらく非合法な賭けが行われている闘技場のようなものなのでしょう。合法な賭けは高層階で行われているカジノしかないはずです。そして、今戦っている二台のロボットは、古代ローマにおけるコロッセウムのように、剣闘士として戦っているのです。なんて野蛮な、という声が喉から漏れ出る前に、試合に変化が起きました。先程の乱闘騒ぎをしていた人々も固唾を飲み、二台のロボットを見つめます。カエルロボが山賊ロボの攻勢に耐えきれなくなり、初めてまともなダメージを食らってしまったようです。盾が山賊ロボの猛攻に耐えられず、ぐしゃぐしゃに歪んでしまい、本来の大きさの半分ほどになり、棍棒を持つ腕が吹き飛ばされ、丸腰になっています。機体のバランスが崩れたのでしょうか、心なしか足取りもよたよたとした頼りないものになっています。山賊ロボが好機と言わんばかりに一旦下がり、鉈を真っ直ぐに構え直します。おそらく、あの一撃でカエルロボの操縦者を貫くつもりでしょう。はらはらとした展開に、私も固唾を飲み込みます。

山賊ロボが重々しく地面を蹴り、全体重を乗せて鉈を突き出します。いくら刃のついていない部分とは言え、あのサイズの鉄板をもろに受ければ絶命間違いなしでしょう。一方のカエルロボは、腰を低くして待ち構えます。

巨大な物体同士がぶつかる音がしました。あまりの大音量に、私は目をつむります。あわれカエルは轢き潰されてペチャンコに、と多少の哀れみをもって目を開けると、予想外の光景が広がっていました。山賊ロボがスクラップの山になり、カエルロボが力強く立っていたのです。隣に座っていたおじさんに、一体何が起こったのかと聞くと、悔しそうな声で俺も何が起こったのかさっぱり…と付け加えて話してくれました。曰く、カエルロボが突然脱力し、たまたま足を引っ掛けた山賊ロボが勝手に転び、そのままもんどり打って倒れてしまったそうです。俺の給料…と悔しそうに続けるおじさんを見て、それ以上は聞くまいとその場を離れました。さっさと先輩を見つけて帰ろうとすると、私はあることに気づきました。

迷子です。

なんと情けない。先輩を探そうと奔走している内に人の流れに流され、異様なほど人が密集している場所へと流されてしまったのです。そこはどうやら払い戻し金を受け取る場所のようで、悲喜こもごもの声に私は揉まれていました。それが本人達にとって喜ばしいのかはともかく、とにかくすさまじい口臭に、私のメンタルはどんどん削がれていきます。さながら生ゴミの山にうっかり顔を突っ込んだまま、どこかへ流されて行くようです。一刻も色々とまずい事態を打開するために、私は人をかき分け、人混みの外へと抜け出しました。まだすさまじい異臭が残るものの、比較的新鮮な空気を一気に吸い込み、少しだけ咳き込んだ後に、やっと一息つけました。ポケットから古めかしい携帯を取り出し、先輩の番号に電話をかけます。

反応はありません。実のところ、これは想定内でした。この競技の趣旨を知っていたならば、大勝ちか大負けで出る余裕も無さそうだからです。出口で待てば必ず見つかるでしょう。人の濁流をかき分けて出口へと進もうと歩き始めると、人混みの中から手を掴まれました。嫌な予感がします。その手の感触は、先輩のごつごつとした大きい手では無く、ひょろひょろで、そのくせ力だけはある手だったのです。突然のことに抵抗できないまま、人混みの中へ再び引きずり込まれてしまいました。

そのまま誰かもわからない手に引っ張られ、私は出口の近くまで戻ってきていました。結果オーライです。

「ネネ、君。お金に困ってるんでしょ…?おじさんが助けてあげるよぉ…」

前言撤回。最悪の危機です。私の手を引っ張っていた人物の正体は、細くしなびた中年でした。作業服のまま、今では紙くずになったであろうチケットを握りしめています。

生憎ながら、お金には困ってないので。それより人を探しているんですけど。

「そんなツレないこと言わないでさぁ…」

生憎ながら私はこの歳で援交するほど地に落ちていませんし、そういういかがわしい店にでも行ったらどうですか?

「ごめんな、おじさん風俗に行くほど金持ってないんだ…」

アナタ一体私がOKと言ったらどうするつもりだったんですか。絶対OKだなんて言いませんけど。

「う、うるさい!子供が俺に口出しするな!」

子供とはなんですか。その子供にフーゾクまがいのことをさせようとしていたくせに。大人のプライドってものは無いんですか?そんなんじゃ、アナタの底も知れてますね。

「うるさい!」

その声と共に、私は地面へと投げ出されました。理解するのに時間が掛かりましたが、頬の熱と痛みで我に返りました。どうやら、殴り飛ばされたようです。手を離されていたことが幸いしたのか、うまくダメージを受け流せました。ですが、頭にきました。是非とも習ったばかりの関節技で病院送りにしてやりましょう。

「やめんか!」

聞き覚えのある声がし、頭を軽く叩かれました。後ろに素早く振り返ると、先輩がいました。そのいかにも大金が入っていそうないかついケースについては後で聞くとして、ほんのすこし前に見失った先輩の顔が、今は頼もしく見えました。私が半身に構えた姿勢から戻すと、頭を掴まれ、頭を下げさせられました。

「すいません!うちの者が余計なことを!」

横を見ると、先輩も頭を下げていました。どうやら、私が悪いことにされたようです。悪くないのに、とむくれながら謝罪の言葉をつらつらと並べると、やっと掴む手を離してくれました。

「この通り、うちの者も反省していますので!何卒!穏便に…!」

「お、おう。そうか…。別にいいぞ、うん。」

どうやら穏便に済んだようです。友好の証として握手を、と先輩とおじさん双方が歩み寄り、握手しようとすると、先輩が目を疑う行動に出ました。

それはそれは綺麗に一本背負いを決めたのです。油断していた、というよりはそこまで頭が回らなかったのでしょう、おじさんは「訳がわからない」といった顔のまま地面に叩きつけられていました。さらに先輩は、目にも止まらない速さで拳銃を引き抜き、おじさんの眉間に狙いをつけていました。鈍い銀色に光る大口径のリボルバーで、いかにも当たったら無事では済まなそうな見た目をしています。

「次にコイツに手ェ出したらよォ…テメエのドタマをマッシュポテトにすんぞォ…?」

先程の声のトーンとはうって変わり、マフィアかと見紛うほどの声のトーンで告げます。私は前に一度だけ本気の声を聞たことがありますが、それとは別方向の説得力があります。逆らったら死ぬ系の説得力です。

「は、はい…」

「ん♪分かればよろしい!」

さらにトーンが変わり、極めてご機嫌なトーンに、私は頭の処理が追いつかなくなりました。先輩は優しく手を差し伸べて、おじさんを起こします。

そして、今度は銃床でおじさんを殴りつけました。

私は他人のフリをしたくなりました。こんな滅茶苦茶が服を着て歩いてるような人と同類に見られたくありません。


食べ物には釣られません。目の前の巨大なパフェを前に、私は強く誓いました。たとえそれがヒマラヤ山脈の様に美しく生クリームで雪化粧をしていようと、それとは対象的に、オレンジ色のメロンが山脈を鮮やかに飾っていようと、さらにその下のフレークの地層と内なるソフトクリームを混ぜて食べる至福がまじまじと想像できたとしても、です。

「…食べたそうだな」

なにを失礼な。さっきの痛い目はこの程度で精算されるほど甘くありません。生クリームの甘さは大好きですが。対面に座る先輩をきっと睨みます。

「もう食べなよ…。」

いいんですか?食べてしまっても。あとから一口くれと言われたって譲りませんからね。

そう言って私はスプーンでひとすくいし、口へと運びました。予想通り、想像を絶する美味しさです。先程の出来事などどうでもよくなりました。

先輩と私達二人は、先程の競技場からほど近いカフェへと来ました。先輩曰く、ここのスイーツは絶品だそうです。噂に違わぬ美味しさです。思わず満面の笑みで二口目を頬張りました。

「わかりやすく釣られるなぁ、お前…」

なにを言いますか。まだ完全に許してはいませんよ。今はパフェを食べることに全力を注いでいるだけです。それよりも、気になっていたことがあります。

そのケースはどうしたんですか?

「これか?たまたま大勝ちしただけよ」

やっぱり…。先輩は、私を置いてちゃっかりと大金を手にしていたようです。

「ごめんって…な?そんな恨めしい顔しなくたっていいじゃない…ね?」

いいえ。許しません。

「もう一つなにか頼んでいいから…」

さすが先輩。女の子の扱い方がわかってますね。それではチーズケーキ一つ。

呆れたような顔のまま、コーヒーも一緒に注文した先輩は、私の方に向き直ると、スッと表情を消しました。私も、三口目を頬張ろうとした手を止めます。

「お前、また余計なこと言ったろ」

違います。正論です。

「そいうのが余計だって言ってんの。どうせ援交でもせがまれたんだろ?」

…なんで分かったんですか。

「お前ぐらいのトシであんな所にボケっと突っ立てるのは、水商売の人間しかいねえんだよ」

どうしてそれを分かってて置いてったんですか!

「チッ…、俺の判断ミスだ。悪かった」

反撃が来ると思って身構えていた私は、とうてい先輩の口から出るとは思えない台詞に、言葉を失ってしまいました。よく見れば、先輩はうつむいてばつの悪そうな顔をしています。

…いいです。スイーツで手を打ちましょう。

「…!そ、そうか…。よかった…」

買収できると思われるのは嫌ですが、この際仕方ありません。

それにしても、よくカエルロボが勝つと分かりましたね。未来予知でもしたんですか?

「?見てなかったのか?あいつ、ローキックが勝ち筋だぞ?」

ローキック、ですか。

「おう、ローキックだ。勝ち試合がことごとく地味だから注目されないんだ。だから俺は大儲けってワケ」

私は先輩の言っていることが理解できず、頭の中で整理してみました。親切なおじさんに教えてもらった状況と、先輩の言っていたローキックのことを考えると…。

ははあ、なるほど。そういうことでしたか。おそらく、カエルロボはわざと隙を見せ、相手が大振りの技で仕掛けてくるのを狙い、逆にそれを利用してローキックでバランスを崩したのです。

「ま、そういうこった」

やっと届いたチーズケーキとコーヒーを受け取り、コーヒーに角砂糖を二つ入れ、一口飲みます。そして、いたずらな笑みを浮かべてこう言いました。

「でも、楽しかったろ?」

私はむっと頬を膨らませて抗議しようとしましたが、今日の出来事と先輩の謝罪で考えを改め、そしてこう言いました。


ええ、楽しかったです。


(終)

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メタルボーイズ2050 くりむぞん @Gemgemaer

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