第4話 斥候狙撃手は眠らない ②血と火薬

 太陽が地平から顔を出し、朝を告げる。嵐山はそれを屋上で眺めていた。

 あまりに悩み、徹夜してしまったのである。百を超えるシュミレートを繰り返し(途中水上に蹴られたが)、息抜きのために屋上に上がったところ、そのまま夜明けを迎えてしまったのだ。深いため息を吐き出し、朝露を多く含んだ空気を吸って気分を入れ替える。さて、戻ってシャワーでも浴びるか、と振り向いたとき、屋上の扉が開いた。

 昨日の訓練生だ。私服らしきラフな格好で、眠たげな目をしている。こちらに気づいたのか、扉を開けたままその場で固まっていた。

「・・・おはよう」

「・・・おはようございます」

 やはりまだ警戒されているのか、少し遅れて挨拶を返された。

「・・・あのさ」

「・・・はい」

「昨日はマジですまんかった・・・」

「い、いや、気にしないでください」

「・・・」

「・・・」

 気まずい沈黙が流れた。シュミレートはしていたが、まさかここで会うとは予想外だった。想定外のことが起き、混乱している嵐山に、さらに過負荷をかける事態が発生する。

「・・・嵐山先輩」

「はっ、はい?」

「昨日の話・・・相談があります」

「お、おう・・・」

 やはり駄目か、急速冷却された脳内で次に声を掛けるべき訓練生を考えていると、またも想定外の言葉が嵐山の耳に飛び込んできた。

「私を、任務に連れて行ってください」

「そうか、ざんねn・・・え?」

「だから、任務に連れて行ってください。」

「そ、そうか・・・わかった。・・・本当にいいんだな?」

「・・? はい。大丈夫ですけど」

「わかった。そしたら、今日中には出発するから準備しておいてくれ」

 ところで、と前置きし、嵐山は気になっていたことを訊いた。

「どうしてここに?それもこんな早朝に」

「はい、自主トレしようと思って来ました」

「・・・ここに入れること知ってるの結構少ないはずなんだけどなぁ・・・」

 嵐山の知る限り、訓練生にはここに入れるということを教えていないはずだ。暗黙の内の休憩所になっているため、むやみに水上も伝えてはいないだろう。

「最初は部屋でやっていたんですけど、同じ部屋の友人にうるさいって追い出されて・・・困ってたらこの場所を水上大尉が教えてくれたんです」

 なるほど。嵐山は納得し、改めて後輩の服装を見た。確かに、下にトレーニングウェアを着ているようだ。男の割に、肉付きが多く、色も白い。そして肌も綺麗だ。男というより線の細い女だなぁ、これがコウの言っていた男の娘かぁ、これはこれで抜けるとか言ってたけどやっぱ無いな、など本人を前に発言しようものなら大変失礼な感想を脳内で浮かべていると、彼は頬を赤らめて恥ずかしそうに露出した肌を隠そうとした。

「ど、どこみてるんですか・・・もう・・・」

「い、いや、すまなかった。俺はもう部屋に戻るよ。トレーニングがんばれな」

「あ、ありがとうございます」


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「やりゃあ出来んじゃねえかオイ」

 納豆の入った小皿をカチャカチャとかき回しながら小鳥遊は言った。

「まーね。てか臭いよ。そのナットー」

「ばっきゃろーもぐもぐこういうのはもぐもぐ美味しそうなもぐもぐにおいっつーんだよもぐんぐ・・・ぷはー」

 小鳥遊と嵐山は今、食堂にいる。ついこの間までは個人がバラバラで食べていたが、増員に従い、食堂の機能が復活したのだ。嵐山はコーンフレークをザラザラと流し込み、小鳥遊はそれと同ペースで白米をかき込んでいる。

「そうだ、お前も食ってみろよ。納豆。うまいぞ?」

「やだ。どう見たって腐ってるじゃん。明らかにシュールストレミングとかキビヤックとかのイロモノ系列じゃないの」

「分かってないなぁ・・・オメーがこの前気に入ってた味噌汁だってよー・・・」

「おはよう」

「ん。って水上、今日は早いな」

 寝ぼけ眼の水上が二人の隣に座り、半覚醒の状態で朝食を食べ始めた。どうやら彼女は焼き魚定食を選んだようだ。

「たーかーなーしー・・・ぎょうぎわるいぞー・・・くいながらしゃべるなー・・・」

 なぜか味噌汁の椀に生卵を割って入れようとするのを小鳥遊が阻止し、うつらうつらしている水上の代わりに嵐山がコップに水を入れる。

「で、今日はなんで早起き?」

「あらしやまがしんぱいでな。・・・もういいぞ」

 やっと火が入ったのか、のろのろとした動作で魚をほぐし始める。

「それで、首尾はどうだったんだ?」

「そりゃあもう大成功よ。今日の午後にでも出れそうですぜ」

「ほう・・・良かったじゃないか、嵐山」

嵐山は無言で牛乳に浮かぶフレークを弄っていた。顔には出さないが、彼が意味の無い動作をしているときは、大概が照れているときなのだ。もちろん、三人は旧知の仲なので、深くは追及しない。

「そういえば、嵐山が声をかけた奴だがな、あいつ実は・・・」

「(おっと水上の姉貴、その話は内密に、内密に、ですぜ)」

「・・・ううん。なんでもない」

 多少ごまかし方に無理があったようだが、嵐山はよほど照れているのか、気づいていないようだ。むしろ、声が届いていたかも怪しい。

「(でも何故秘密に?深い理由があるのか?)」

「(いや、まったく。面白そうだから)」

「(なるほど)」

 そして、完全に覚醒した水上は、とある事実について大きな声で叫ばざるを得なかった。

「・・・ってか口臭いなお前!なに食ったんだ!?」


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「じゃあ、これからデータリンクの説明をするわね」

 昼下がりの休憩時間、作戦室は異様な雰囲気に包まれていた。カーテンを閉め切り、コードがのたくって一台のコンピューターに集結し、それが映すスライドを真剣な目で全員が見つめている。まるで、これから国家の存亡を賭けた戦いのブリーフィングが始まる、そんな重苦しい空気が流れていた。アザミはそれを一瞥し、ため息をついたが、それからは事務的に説明を始めた。

「このデータリンクシステム『メデューサ』は、本体をこの基地に置き、受信端末を各機・各スーツに取り付けることで、リアルタイムでのデータ連動を可能にするものよ。楓ちゃん、詳しい説明は任せたわ」

 そうアザミが告てコンピューターの前から去ると、横から少しばかり童顔の女性が出てきた。

「木村楓です。この度、新任技師として皆さんと働くことになりました。よろしくお願いします。・・・それでは、詳しい構造を説明しますね」

 そこで壁面に映し出されたスライドが切り替わり、球体の周りを不恰好な機械の塊が周回している動画に切り替わった。

「はじめに、このシステムは、衛星軌道上に浮かぶ人工衛星を経由することで初めて機能するシステムです。よって、場所によっては遅延(ラグ)が発生したり、圏外になる場所が出てきます」

 地球を模した球体がぐっと拡大され、マザーと書かれた直方体が地表に姿を現す。

「まず、作戦指令書を読み込んだAIがこの基地内の本体―――ここでは、マザーと呼びますね。そこで演算をし、その結果、最適化されたデータが上空の衛星に送信されます」

 強調されたフレームで構成された箱から、光る糸がずいっと空に伸び、同時にズームアウトした衛星に繋がる。

「そして、この衛星が司令を強力な信号に変換し、再び地上へ。今度は皆さんのパワードスーツや単軽、携帯端末に送信されます」

 衛星が受け取った糸よりも数倍大きい糸が、何本も地上に降り注ぐ。そして、再び地上にズームし、パワードスーツのCGや人の持つタブレットに繋がった。

「基本的な説明は以上です。なにか質問はありますか?」

「じゃあ、いいか?」

 嵐山の隣で居眠りをしていた小鳥遊が手を挙げた。

「どうぞ」

「そのシステムってよ、やっぱ衛星と端末の間に電子妨害チャフとかあったら受信できないわけ?」

「え、ええ。確かに受信できません」

「それが、無数の金属粒子が含まれた火山灰でも?」

 嵐山は、自分が疑問に思っていたことを小鳥遊も感じ取っていたことに驚愕した。まるで興味ないと、会議の最初から居眠りを決め込んでいたのに。

 確かに、火山灰による妨害は計算に入れるべき要素だ。火山灰に含まれる鉱物の粒子が電波を吸収・反射し、風向きによっては電子的に目隠しされたも同然となるからだ。それでは、虎の子のデータリンクも、無用の長物に過ぎない。むしろ、足枷になってしまう可能性も十分にありうるのだ。

「・・・はい。残念ながら、受信できない可能性があります」

「チッ・・・使えねえ・・・」

 小鳥遊は露骨に舌打ちし、また惰眠に戻った。只でさえ暗い空間に悪い空気が立ち込める。なんとか雰囲気を変えねば、と立ち上がろうと腰を浮かしかけたとき、作戦室の中に光が満ちた。誰かが室内灯を付けたのだ。

「はい。この話はおしまい。個別で質問がある人はあとで私か楓ちゃんに聞いてね。それじゃあ、解散、解散!」

 アザミが助け舟を出したのだ。のろのろと部屋から出て行く後輩達を尻目に、嵐山は小鳥遊をたしなめた。

「コウ、言い方って物があるでしょ。あまり自分の期待通りじゃないからってそういうこと言うのはよそうよ」

「・・・うるせえ。オメーが言えたクチじゃねーだろ」

「あのねえ・・・!」

 かっとなって手を上げようとすると、ケーブルを片付けていたアザミが、二人の方に視線を向けずに言った。

「まあ、そう責めないであげて。コウくんがその仕様知ったの説明が始まる少し前だったのよ。私だって昨日知ったときは落胆したわ。まるで現場を考えていないシステム構築なんだもの。こんなのカーナビにしたって劣悪すぎるわ」

 アザミまでもが文句を言う。専門外の嵐山ですら欠陥がわかるほどの杜撰なシステムだ。本当なら突き返したくてたまらないのだろう。空気がさらに悪くなり、重苦しい沈黙が流れる。

すると、それに耐えかねたのか、先ほど説明をしていた女性が小鳥遊の元へ駆け寄ってきた。

「・・・申し訳ありませんでした!!!」

 その声と共に、頭を下げる。突然の行動に、嵐山は絶句した。

「このシステム構築、私開発メンバーの一人として関わった初めてのソフトなんです!なので、責めるなら私を責めてください!」

「楓ちゃん・・・!」

 アザミも言っている意味が分かったのか、珍しく語気を強めて女性をいさめる。

「ほら、カエデちゃん?も怒ってるんだから!コウも謝りなよ!」

「アザミさん。いえ、アザミ整備班長。この件の責任、私が背負います。そして、根本的にソフトを作り直します。どうか、これだけは邪魔しないでほしいです!」

「楓ちゃん・・・!あなたまだそんなノウハウを持っていないじゃない!どうするの!」

「・・・おっぱい」

 混乱する作戦室の中で、場違いな言葉が響いた。三人の聞き間違いでなければ、「おっぱい」という単語が、小鳥遊の口から飛び出したはずだ。

「おっぱい。触らせてくれたら許す。なんか触り心地よさそうだから」

「コウ・・・!」

流石に空気を読まなすぎる発言の数々に、嵐山も親友としての認識を改めざるを得ない。そう感じ取った嵐山は小鳥遊の胸倉を掴み上げようと詰め寄ると、それよりも前に爆発寸前になっていた彼女が信じられない行動に出た。

「分かりました。見たいと言うなら、お見せします。けど、それとこれとは別の問題です。きちんと開発者としての責任は取ります!」

そう叫び、シャツのボタンを外し始めたのだ。小鳥遊の予想通りと言うべきか、確かに彼女の胸には大きく実った二つの果実が窮屈そうに押し込まれていた。

「さあ、触ってください!早く!!その気が無いならこちらから行きますよ!!!」

「お、おう・・・」

「さあ、早く!!!!」

「ちょっと楓ちゃん!」

 完全に自分を見失っている楓となぜか同じく混乱している小鳥遊、ヒートアップした二人を止めたのは、一つの音だった。

 ドガッ。その音と共に、小鳥遊のすぐ後ろの壁に万年筆が刺さっていたのだ。防音壁で脆い木材で出来ているとはいえ、である。少し遅れ、水上が特殊部隊も顔負けの完璧な姿勢で部屋に転がり込んできた。

「間に合ったか・・・」

息を切らし、水上は言った。

「なにか揉めているのが見えたからな。慌てて戻ってきたというわけさ」

 そう言いつつ、水上は壁から万年筆を引き抜いた。ペン先が壊れたのか、インクが血のように滴り落ちる。

「涼子ちゃん、万年筆が・・・」

「大丈夫です、アザミさん。小鳥遊に修理費を立て替えてもらうので。それより、小鳥遊。覚悟は」

「如何様にしてくださって結構です、水上様」

 いつの間にか、小鳥遊は床に土下座をしていた。驚くべき身の変わりようである。

「そうか。なら、訓練生全員で一回ずつロビンフッドゲームだな」

「えっ・・・」

 土下座のまま小鳥遊が凍りついた。ロビンフッドゲームとは、壁に人間を貼り付け、投げナイフでいかに近くに当てられるかを競う、度胸試しの意味を含めたゲームである。そして、水上はその的を小鳥遊にやってもらおうと言い出したのである。

「・・・マジすか姐さん」

「大マジだ。大体、常日頃から『女性には真摯に対応し、泣かしたことなどないぞ!わっはっは』なんてぬかしてたノータリンはお前だろ!」

「いや、そうだけど・・・」

「水上さん!これには深いわけがあるんです!どうか彼を責めないでください!」

 流石に罪悪感が湧いたのか、楓が二人の会話に割って入った。

「・・・そうなのか?というか、早く前を閉めたらどうだ?」

「は、え・・・?ひゃっ!?」

 今頃気づいたのか、楓は慌てて前にシャツをたくし寄せた。そして、腕が胸をより寄せることで強調され、嵐山にとっては眼福であった。

「・・・カケル」

 地獄の底から響くような声の水上の声で嵐山は我に返り、同時に身を竦ませた。

「お前までコイツと同等になってどうする。早く準備して出撃してでかけてこい」

 見逃されたと判断した嵐山は、脱兎の如く作戦室から撤退した。


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「・・・そんなことがあったんですか」

 スポーツ用の下着に着替えながら、牧村は言った。データリンクの説明も終わり、いよいよ出撃の時が来たのだ。

「もうね、いつものことだけどこっちだって肝を冷やしちゃったわ」

 アザミはさも当然かのように更衣室に居座り、牧村のサイズに合いそうな下着を次々と渡してくる。もっとも、牧村は幼い頃から兄弟と着替えてきたため、特に騒ぐことは無かった。

「大変ですね、アザミさんも・・・ってこれ、なんか臭くないですか?」

「あらそー?使ったの結構前だからカビてるのかしら?ま、今回はそれで我慢してもらえる?」

「まあ、いいですけど・・・」

「それより、サイズはちゃんと合ってる?緩かったりキツかったりしたら言ってね?」

「はい、大丈夫です」

 実は、胸の部分にかなり大きな隙間があったが、特には言わないことにした。なぜなら、胸が無いことは牧村にとってコンプレックスでもあったからだ。

「よかったわ。ちょっと胸のトコが大きめのしかなかったのよ。さ、早く試着するわよ」

 アザミはそう告げて更衣室を出て行き、牧村もそれに従った。鉄骨がむき出しの廊下をしばらく歩き、スチール製の扉を開けて、機械油の臭いとモーターの回る音に満ちた開けた空間に出る。すると、若い男が作業の手を止め、アザミに駆け寄ってきた。

「班長!お疲れ様です!」

「ハーイ、お疲れ。どうしたの?」

「頼まれていた件、早急に少し相談したいことがあって・・・」

「ちょっと待って。・・・ルナちゃん、ちょっとだけ待っててもらえる?」

「はい、了解です」

 言われた通り、牧村は壁際に下がって様子を見ることにした。エンジンマウントが、そうすると端子の形とバッテリーが、と途切れ途切れに専門用語の会話が聞こえてくる。手持ち無沙汰になり、周囲を見回すと、小型戦車の中から嵐山が出てくるのを牧村は見つけた。何故か大量のガラクタを運び出しては雑巾を持って戻り、の繰り返しの何往復もしている。何往復かしている内に牧村に気づいたのか、嵐山が牧村の方へと駆け寄ってきた。

「・・・もしかして、今ヒマ?」

「・・・はい」

「手伝ってくれる?」

「・・・別に、いいですけど」

「じゃあ、」

「ルナちゃん!ごめんねー、今終わったわ~」

 嵐山が牧村に手伝わせようとした瞬間、アザミの用件は終わったらしく、テレポートの如きスピードで牧村の元へやってきた。

「あら、カケルくん。ごめんね、ルナちゃんこれからおニューの服試着しなきゃだから、片付けなら別の機会にしてもらえる?」

「・・・ウス」

「それとも、カケルくんも見に来る?」

「・・・いや、いいっス」

「あらそう、残念」

 その言葉とは裏腹に、アザミはそう残念でもなさそうだった。

「なら、さっさと片付けちゃいなさい。出撃するんでしょ?」

「・・・はい」

 なにか嵐山は言いたげだったが、それを口にせず彼は小型戦車の元へ戻っていった。


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「さ、ついたわよ」

 整備場の隅、ごちゃごちゃした機械が積まれているそこに、だらんと垂れ下がり、天井から伸びたワイヤーに吊られた巨人が居た。

「さっきまでちゃんと動作するかデータ取ってたのよ。引っ張り出すのも久しぶりだったの。とりあえず、降ろすから待ってね」

 アザミはそう言うと、手近なコンソールを操作した。ワイヤーで吊られたパワードスーツが重力に従って床に崩れ落ち、脱ぎたての服のような見た目になった。牧村がそのスーツの元に歩み寄り、早速着ようと持ち上げる。すると、牧村はある驚きの言葉を漏らした。

「軽い・・・!」

「そう、そのスーツ、とっても軽いのよ」

 アザミは牧村がたどたどしく着るのを見ていられなくなったのか、着替えを手伝いながら解説を続ける。

「元々戦闘用に重く、硬く作られていたスーツの装甲を全部剥いて、その分胸部・脚部に強い衝撃が加わると硬化するジェルを入れたのよ。そして、内装の武器も剥いちゃってオプションは外付け。ほら、背中は出来たわよ」

 そう言って、アザミは牧村の背中を叩いた。コン、とプラスチックのような音が鳴る。

「偵察用に仕上げてあったスーツだから、もちろん足も速いわよ。最高・・・そうねぇ、80キロぐらい出たかしら。電源入れるわね」

 アザミが電源を操作し、牧村のスーツに火を入れる。プラスチック繊維の筋肉がわずかに収縮したのち、牧村の背格好から逆算された最適なサイズに調整される。そして、牧村はさらに驚愕することになった。自分の身体が、羽のように軽いのだ。試しに大きく動かしてみたり、格闘術の構えを取ってみたりしたが、自分のものとは思えないほどの軽さと重々しい人工筋肉の収縮音のみが響くのみなのだ。試しに手頃な金属片を拾い、少し力を入れると、紙くずのように簡単に曲げることができた。

「すごい軽いですねこれ!訓練で使ってたのとは大違いです!」

「訓練に使ってるのはちょっと筋肉がヘタれたやつだからね・・・それは昨日下ろしたばかりの新品よ?電子機器の説明するから、一旦止めてね」

 内部から電源を落とし、全身の人工筋肉から力が消えた後でも、牧村はただただパワードスーツに驚嘆していた。


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「んじゃ、行ってきまス」

 嵐山は入り口の守衛が黙礼をするのを確認すると、自らの愛機に乗り込んだ。小さめの自動車サイズの戦車が唸りを上げ、舗装のされていない柔らかい大地を力強く蹴る。そして、彼の左側で、いつもの偵察とは違う事態が発生していた。

「う、うひゃあああああああ!?」

 いつもは収納として使っている副操縦(コ・パイロット)席に座る牧村が、情けない叫び声を上げていたのである。

「先輩!?このタイプの単軽ってこんな加速出来ましたっけ!?」

「・・・なんだって!?聞こえない!!」

 嵐山と牧村の座る座席は、真後ろにエンジン、二人の間に主砲の制御機構を挟んでいる。後方には全力駆動中のエンジン、二人の間にはその揺れを減衰するために油圧シリンダーがあるのだ。装甲の薄い車内で太鼓の様に共鳴する爆音、段差を乗り越える度にガツガツと鳴るシリンダーが二人の声を遮り、意思疎通を困難にしていた。

「だ・か・ら!このタイプの単軽ってこん

なトルクありましたっけ!?」

「そのことか!!エンジン弄ってあったり装甲薄くしてるらしいが俺は知らん!!」

「ええっ!?何でです!?」

「興味無いから!!」

「そうですか!!これからどこに向かうんです!?」

 もう叫ぶのに疲れたのか、牧村は事務的な質問に叫ぶ内容を変えた。

「んー・・・とりあえず北西!!」

「ええっ!?決まってないんですkひゃあああああああああああ!?」

 比較的まともな突っ込みをしようとした瞬間、嵐山が戦車をさらに加速させ、突っ込みを置き去りにした。


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 その調子で進むこと三時間、二人の乗る戦車は、山奥の湖に到着した。切り立った岩山の陰に戦車を止めた後、牧村は真っ先に戦車から降りた。元は人工湖だったのか、所々に厚いコンクリートの壁が残り、それを枯れたツタと苔が覆っている。既に太陽は紫の残滓を残して山の向こうに消え、闇が二人を覆おうとしていた。尻や全身の関節をほぐしつつ周囲を観察していると、嵐山がテント生地の布に灰色の迷彩が塗られたシートを抱え、戦車の中から出てきた。

「・・・ぼけっと見てないで手伝って」

「はい!・・・ここで泊まるんですか?」

「・・・うん。いつもこのあたりで夜を明かす」

 牧村はなにも言わずにシートの片方を持ち、端を戦車に結びつけた。嵐山と牧村が少し離れ、掛け声で同時にシートを広げようとすると、不気味な鳴き声が響き、薄暗い森林がざわざわと揺れ、黒い鳥の群れが木から去っていく。

「・・・大丈夫?」

 牧村は、いつの間にかシートを放し、呆然とその場に立っていた。

「・・・?」

 嵐山が不審に思い、牧村の前で手を振ると、そこで初めて気づいたかのように飛び上がり、身をすくませる。

「・・・帰りません?」

 牧村は、蚊の鳴くような小さい声でそう言った。嵐山は呆れて元の場所に戻り、何事も無かったかのようにシートの端を掴む。

「ほら、さっさとやる」

「・・・はい」

 牧村も諦めたのか、大人しくシートを掴みなおし、シートを広げた。適当な木の枝にロープで括りつけ、中から食料やその他の機材を車内から取り出す。簡易的な行動拠点が完成し、二人は一息ついた。


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 設営から数時間後、嵐山は明かりを落とした戦車の中で、息を潜めていた。旧式のデジタル時計が深夜の時刻を示し、電子回路がじりじりと小さく唸る。その中で彼は、ペンライトを口で咥え、地図を見ていた。通った場所、時間、気になった変化などをサインペンで記入していき、報告書を作成するときの資料にするのだ。

「ん・・・」

 するり、と衣擦れが鳴り、嵐山の隣で小さく動くものがあった。牧村だ。ぼろぼろのタオルケットを被り、小さく丸まって穏やかな寝息を立てている。さながら、小動物か、幼児のようだ。嵐山から見れば牧村は幼いが、それ以上に幼い不気味な雰囲気を、彼は感じ取った。だが、それも自分の周りが成長しすぎているか、それとも成長していないのか、という推察の中に押し込み、続けて資料を作る作業に戻る。

 少しだけ怖くなったのか、嵐山はその直後音楽プレイヤーに手を伸ばし、資料を作り終えるまで聴き続けた。


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 牧村は、外から流れ込む熱気で目を覚ました。半覚醒の脳で不用心に起き上がり、天井に強かに頭を打ち、ぶつけた痛みで完全に覚醒する。熱気の原因は、戦車のハッチが開け放たれていたことだった。横を見ると嵐山の姿が無く、どこかへ向かったあとだった。タオルケットをどけて外へ出ると、嵐山が半裸で戦車の外に居た。首にタオルをかけ、引き締まった身体にはうっすらと汗が流れている。

「おはよう。よく眠れたか?」

 そう嵐山は言うと、近くの岩に干していたTシャツに手を伸ばし、それを着る。

「まだ移動するのに時間があるから、近くの川で軽く汗を流してこい。着替えはあるよな?無いなら貸すが。」

「い、いえ。持ってきてます。それじゃあ、行ってきますね」

 そう言ってコンテナから着替えを取り出そうとすると、嵐山がそうそう、と言って新たな情報を加えた。

「あそこの川、今の季節は飲むと腹壊すからくれぐれも飲もうとするなよ。野郎の下痢なんざ見たかねえ」

 女ならいいのか、というツッコミを飲み込み、牧村は小川へと向かった。

 コンバットブーツを履いていても足首を挫きそうな河原を歩き、僅かに白く濁る小川へとたどり着いた。汗に濡れた服を脱ぎ、底が見えなくなるほど深い場所に向かい、肩まで浸かる。雪解け水のような冷たさだが、身体中の水分が搾り取られそうな蒸し暑い気温の中では、丁度良い涼しさだ。さらさらと流れる清流が牧村の身体を癒やし、不思議な落ち着きを与える。周囲を見回すと、昨日の時点では分からなかったものがよく見えるようになっていた。

例えば、今牧村たちがいる場所。元は露天風呂かプールのように四方をコンクリートで囲われていたのか、切り立った険しい崖にへばりつくように柱の残骸が残っている。険しい斜面にも一箇所だけ途切れる場所があり、そこには錆びついたガードレールが見える。更に遠くを見ると、今度は民家のようなものと、平らに整地された土地が見えた。牧村は知る由もないが、そこは元々農村として人の暮らしていた集落だった。流石に長く浸かりすぎたのか、身体が冷え込み、ブルブルと震える。牧村は急いで川から上がり、嵐山への元へと向かった。


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嵐山の戦車がドコドコと低い唸りを上げ、荒れたアスファルトの上を走る。嵐山はハンドル代わりのスティックを握りながら、片手で牧村に栄養食のチョコバーを投げた。

「それ、朝飯。今のうちに食っとけ」

 牧村は楽しみにしていたのか、笑顔で包装を剥き、一口頬張る。すると、一回、二回と咀嚼する度に笑顔が消え、飲み込む頃には真顔になっていた。

「…独特な味ですね」

「正直に言っていいよ」

「ゲロマズです」

「だろうね」

 実は、嵐山の手渡したチョコバーは、水上が食べるのを嫌がり、小鳥遊がそのままゴミ箱に入れ、センセイが「なんでこんなもの買っちゃったの」と呆れたというとてつもなく不味い代物である。だが、一部には熱狂的なファンが存在し、アザミや一部の事務職員は段ボール一杯のチョコバーを常に所持している。そこで、嵐山は新人へのイタズラのためにアザミから数本を譲り受けたのだ。朝食が不味かったのが余程嫌だったのか、牧村は不機嫌な顔のまま黙り込んでしまった。

「…うまいもん食いたいか?」

 牧村はしばらく無言を貫いた後、小さく頷く。

「じゃあ、後ろにある袋取ってくれ」

 コンテナを漁らせるために一旦アクセルを緩め、振動を抑える。徐々に速度を落として路肩に止めると、牧村が奥から細長い黒革のケースを持ち出してきた。丁度、地面に立てたら腰まで届きそうな長さだ。嵐山が開けるように指示を出し、牧村はそれに従い側面のファスナーを開ける。

中から出てきたものは、黒々をした鋼鉄とポリカーボネードの塊だった。いや、正確には肉抜きされたプレートにスコープが付き、消音器サプレッサーが付き、引き金トリガー弾倉マガジンが装備されたスナイパーライフルだった。

「先輩、これは…」

「スーツに目標地点入れといたから、日が暮れるまで狩ってがんばってきて」

「え…えぇ!?」

「大丈夫、モニタリングはしてるから。上手く行けば数日は飽きるほど肉を食える」


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背中にライフルとそのケースをマウントし、牧村は森の中を進んでいた。背の低い雑草をかき分け、青臭い汁をパワードスーツに染みつかせながら、前後の分からなくなる森の中を進む。幸い、装備とライフルに体力を持っていかれる事態にはならなかったが、自分が今歩いているかも怪しくなるほどの代わり映えのない景色に、牧村の精神は少しずつ削られていく。頭上に生えた樹木が日光を妨害し、樹の根元や幹からは、名前も分からぬヘビや昆虫が顔を出し、ヘルメットを兼ねたHUDヘッドアップディスプレイのシールドに無数に衝突する。時々貼りつく糸の感触は蜘蛛のものだろうか、牧村は偵察についていくと言ったことを後悔していた。

牧村の視界に重ねて表示される地図とコンパスを頼りに、今日何度目かもわからぬ下り坂を降りると、さらさらという水の流れる音が聞こえてきた。ルートを外れて猛スピードで駆け下りると、そこには清流があった。微量ながらも透き通った水が苔むした岩の上を通り、更に麓の方へと向かっている。誰かが組んだまま放置されたのか、石を積み上げて作られた泉にぱしゃぱしゃと水が飛んでは散る。

牧村はグローブを外し、泉の中へと手を入れた。途端、逃げ場を失っていた体内の熱が水中へと流れだし、牧村の手を濡らす。十分に冷えていることを確認した牧村は、ヘルメットを脱ぎ、手で水を掬って口元へと運んだ。渇いた喉に水分が補給され、さながら砂漠に降る雨のように、身体の中へ水分が補給される、はずだった。牧村が異変を感知し、わずかに口の中へ入った水を吐き出したのだ。

牧村はなぜ、自分が吐き出したかがわからなかった。だが、本能で危険を感じ取ったと同時に、自分の味覚がおかしくなったのかと思うほどの苦さを感じ取ったのだ。先程は水の温度と綺麗さに気を取られていたが、よく観察するといろいろな異変が目についた。よく見ると、水際に貼りつく苔が、すべて茶色く変色して枯れているのだ。さらに、この水に近づく虫や鳥を一切見かけない事に気づく。牧村はやっと有害な成分を含む水だと気づき、落胆した。肩を落とし、泉の壁に寄りかかってぼうっとする。しばらく休憩していると、元は集落だったと思わしき痕跡が多数あることに気づいた。半ば朽ちた小屋や、風化した石が山を成し、もう数十年は動いていないであろうタイヤの外された車が放置されていた。

 飲めないにしても、装備を綺麗にすることぐらいはできるだろうと牧村は立ち上がり、パワードスーツとヘルメットに張り付いた汚れを落とすために泉へと装備を水に浸す。電子機器に水が掛からないように、なるべく水面を荒らさないように汚れを洗い流した。本来滑らかな曲面であるはずの外殻に、虫の死骸や体液を思わしきものがこびりつき、牧村は指で感じ取るたびに名状しがたい不快感がこみ上げる。滑らかな面であればまだマシであるが、脚の装甲のように表面に溝の入ったものになると、溝に虫が入り込み、青臭い汁が端から滴るという精神面に強大な攻撃力をもつ代物になる。げっそりとしながらも、両脚の脚甲を洗い終え、胸の装甲を外そうと金具に手を掛けたたき、かすかな足音が牧村の耳に飛び込んできた。牧村はその姿勢のまま固まり、音の主の動向を探る。朽ちた枯れ葉の上をサク、サクとゆったりと歩き、泉へと近づいてくる。骨のきしみが聞こえるほど静かに、かつゆっくりとライフルへとにじり寄る。

 林の向こうに、その音の主は居た。針金のようであり、焦げた茶色の体毛。短い足に、鼻の近くから生えた角。要するにそれは、只の猪だった。しかし、写真や模型でしか猪を見たことのない牧村は、とっさに動けずにその場で固まってしまう。猪は、表情の読めない小さな目で牧村をじっと見つめていたが、ふいに視線を逸らし、林の中へと戻っていった。得体のしれない重圧から開放された牧村は、即座にライフルの元へ駆け寄り、セーフティを外す。ライフルのスコープとパワードスーツを同期させ、HUD越しに猪を覗き込んだ。茶色い体毛が林の地面への迷彩となり、HUDによる強調表示がなければ、見失っていただろう。

トリガーを強く引いた。バスッ、という低い音とは裏腹に、牧村の両腕はライフルの反動であらぬ方向へと暴れた。まるで両腕を強く殴りつけられたような衝撃に、牧村は混乱する。その場にライフルを落とし、自らの両手を確認する。幸いと言うべきか、両手が僅かに腫れているだけだった。そこでようやく冷静さを取り戻した牧村は、HUDの画面越しに弾が当たったかを確認した。画面の表示を温度分布図サーモグラフィに切り替え、周囲に生物がいないかを表示する。そして、HUDには点々と地面に置かれた赤色の光点と、その原因と思わしき一際赤色に輝く塊が表示されていた。

命中していたのだ。浅い傷ではあるようだが、猪と思わしき赤い物体は、動こうとしない。その場にライフルを置き、ナイフをスーツの中から取り出した。そして、おそるおそるHUDの表示の光学モード、つまりは普通のカメラに戻す。

猪は、その小さい目で牧村を睨みつけていた。固い毛の下から僅かに血を滴らせ、その不釣り合いに小さい目で、たった今自らを傷つけた敵に憎しみの目を向けていた。

悲鳴すら上がらずに牧村の身体は凍りつき、中途半端にナイフを取り出したまま、猪の視線に射竦められる。

かすかに生臭い獣の息が、牧村を骨の髄まで恐怖させる。

猪が、全力で走り出した。地を走るロケットの如きその突進を、直前で金縛りが解けた牧村がかわす。意図せず非常に情けない声が出たが、そのことすら気にしている暇はない。死にものぐるいで茂みの中へ転がり込み、干していたパワードスーツを装着する。手甲を付け終え、茂みから立ち上がろうとすると、猪がこちらへ突進してきた。

あわてて身をかがめ、茂みの中を中腰で走る。もはや、牧村はHUDの表示など見ていなかった。自分がどこに向かっているのかすら、考えていなかった。

脚に変な力が入り、それをパワードスーツは律儀に認識してしまったのか、牧村の身体はいきなり宙と投げ出される。自動車ほどのスピードのまま森林の中へと投げ出された彼女は、高速で視界から消える樹木に恐怖し、身体を丸めて目を固く瞑った。物理法則に従って牧村の平衡感覚がシェイクされ、加速、減速、落下の運動をする。物体の輪郭線が溶けて曖昧になるほどのスピードで地面に叩きつけられ、牧村の顔のすぐ前のHUDのシールドが凄まじい勢いで曇っていく。木の根にヘルメットを打ち付け、そのまま綺麗に一回転を決めると、ようやく牧村の身体は完全に失速し、止まった。

ぬるぬるとした虫の体液とも液晶のジェルともわからない液体が割れたシールドを伝って牧村の顔にしたたり落ち、思わず牧村はその場で身を起こした。口に入ったと思わしき液体をぺっぺっと吐き出し、現状の確認をする。

猪からはある程度距離を取ることができたようで、そう遠くない場所で猪の気配を感じ取った。牧村は上り坂と下り坂の途中に落ちたようで、Vの字型の斜面の中腹にいた。ライフルは取り落としてしまったようで、全身には脱がなくても無数の擦り傷、打撲があるとわかった。ヘルメットのHUDも割れてしまい、まともに文字が読めない。

完璧な迷子である。しかも、近くに人の気配はなく、聞きかじった程度のサバイバル知識しか持たない牧村にとっては、救助を待つことも自力で指定された場所へ行くことも絶望的だった。

不意に涙がにじみ、ヘルメットと手甲を取って目元を拭った。

「はぁ…最悪…」

声にでも出さないとますます悲観的になってしまいそうな状況に、牧村は一人落ち込む。すぐにでも猪に食べられ、消化されるのが関の山だろう。そう諦めて動かずにいると、2本の履帯が重々しくその車体を持ち上げている。斜面にドスンと車体を叩きつけ、しばらく沈黙していると、ハッチから嵐山が現れた。牧村のそれとは趣の違った猟銃のようなライフルを持ち、首にヘッドホンを掛けている。

「まぁ…そんなことだろうとは思ってた」

「嵐山先輩…なんで…」

「なんでって、尾行してたから。こっそり。」

「してたんですか…」

全く気付かなかった。そういえば、エンジンの音がしない。どうやってここまで来たのだろう。

「ほれ、ちょっと耳塞いでろ」

ヘルメットに阻まれ、塞ぎようがなかったが、とりあえず塞ぐジェスチャーをした。そのジェスチャーを確認し、嵐山はライフルを構えた。

楽器のような軽い音で3発、ライフルが瞬いた。一体何を?と聞く暇もなく嵐山が降り、撃った方向へと走る。牧村もあわててそれについていき、降りてきた斜面を登る。嵐山は生身で斜面を駆け上がり、その速さは牧村がパワードスーツで駆け上がるのと同じ速さだった。

斜面を登りきると、そこには瀕死の猪がいた。両目と額を弾丸で撃ち抜かれ、痙攣している。未だに生きているのが不思議なぐらいだ。

「あまり撃つと肉が火薬臭くなるからな、仕留めるならこれぐらいにしておけよ」

ライフルから拳銃に持ち換え、嵐山は、改めて二発、額に撃ち込んだ。長い残響を残して猪は沈黙し、牧村の足元に生暖かい血が流れてきた。

「このサイズだと俺だけじゃ厳しいか…手伝って」

「は、はい!」

初めて体験する生々しい命のやり取りに混乱していた牧村は、嵐山の一言で我に返ることができた。

「あの、ヘルメット取ってもいいですか?」

「あ、メット割れてんのか。うーん…ちょっとこれ上に運ぶまでは我慢してもらえる?」

嵐山が足で猪を転がし、持ち上げやすいポジションへ移動させる。

「それとも、メット取って血まみれになりたい?」

「い、いやいや!全然大丈夫です!あとでメット外します!」

慌てて猪を持ち上げ、牧村は泉の方角へと戻った。

猪は、受けていた印象よりも、ずっと小さかった。


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