第2話 ガール・ミーツ・エース

「な…なにをやってるんですか!?先輩たちは!?」

 時は正午、基地の外周を走り、へとへとになった私に、とんでもない光景が飛び込んできた。

「なにって、ねえ…」

「…単軽で卵焼き?」

 私、すなわち伊川真里菜は華の15歳だ。その可憐な乙女がこの日陰の全くない場所を汗だくになり、さらに昼飯が入らないほど吐きそうになってまで走ってきたところを、この二人は単座式軽戦車ロボットに人間サイズのフライパンをもたせ、卵焼きを作っていたのだ。

「見りゃわかりますよ!なんでそんな回りくどいことを…!!」

 青筋をたてて怒る伊川に、困惑しながらの二人は答えた。

「いや、こいつがね?『単軽は人間モチーフじゃん?ってことは器用なこともできんじゃね?』っていいはじめてよ…」

「うそこけぇ、言いだしっぺお前だろ!?」

「いーや、ヒカルだ。」

「んだとお!?何の為に俺が卵焼きを作ったと思ってんだぁ!?」

「こっそり二人で食べるためだろ?」

「「へへへへへへ」」

「いい加減にしてくださいっっ!!」

 伊川は、とうとう本気で怒った。熱の収まらない脚でずかずかと歩み寄り、胸元からドックタグを取り出し、小型のテーブルに叩きつけた。

「小鳥遊たかなし中尉殿!嵐山中尉殿!自分は付き合ってられないので部屋に戻ります!!」

 きびすを返して自室に戻ろうとしている伊川に、ヒカルと呼ばれたほうの男が声を掛けた。

「え・・・ちょ・・・」

「あなたたちが上官だなんて、信じたくもありません!!」

 伊川はそう吐き捨て、改めて自室に戻った。


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 夕方、食堂にて。

「だからさぁ、謝りなよぉ。あの二人だから許されてるけど、水上大尉が帰ってきたら滅茶苦茶怒られるよぉ?」

 伊川は目の前にいる友人に怒られていた。長い付き合いなのでにべにするわけにもいかず、曖昧な返事を返す。

「うー・・・。」

「大体ねぇ、小鳥遊中尉と嵐山中尉あのふたりがロボットで卵焼き作っているって時点でおかしいし、それをみて訓練ほっぽりだして勝手にキレて部屋に閉じこもるってのもおかしいのよ!」

「だって・・・」

「仮にも相手は上官なんだよ!?上官は絶対なの!!」

「うん・・・」

「わかった!?返事は!?」

「はい・・・」

「ちがう!!『イエス、アイ、マム』でしょ!?」

「・・・なにそれ」

「軍隊式の返事の仕方も知らないの!?もうっ、真里菜は世間知らずなんだから!!ほら、もう一回!」

「・・・イエス、アイ、マム」

「よろしい!さあ、謝りにいくのよ!!」

 普通、軍隊式の返事を知ってる年頃の女の子なんていないとおもうけどなあ、と突っ込むに突っ込めず、伊川は大人しく友人に引きずられていった。


 ●       ●       ●


伊川が引きずられながら基地内を走り回っていた時、サイレンが格納庫の方から響いた。

「これはっ・・・!!事件の匂い!!!」

 友人が引きずる手を止め、唐突に呟く。

「事件って・・・推理小説の読みすぎじゃないの・・・?」

「あんなカビ臭いもん読めるか!そうだ!きっと中尉達もあそこにいるに違いない!」

 絶対に気分で動いている友人に引きずられ、伊川は格納庫へ向かった。


「俺の拳が真っ赤にもえるぅ~っと・・・」

 小鳥遊は、非常におっさん臭く歌いながら単軽を洗っていた。そこに友人と伊川が駆け寄り、声を掛ける。

「こんにちは、中尉殿。」

「おお、どうした」

「ほら、昼間、訓練サボった子、いたじゃないですか…って中尉!その仕事は私たちがやる仕事です!」

「ああ、いいぞ別に。どうせヒマだし、昼間散々遊んでたからな」

「そ、そうですか…」

 遊んでる自覚はあったんだ、と伊川と友人の間で呆れが共有される。

「で、ですね。その子が謝りたいと…」

「お?そうか?じゃ、ちょっと洗うの代わってくれないか?えっと…」

「牧村瑠奈るなです」

「そ、そうか。じゃあ瑠奈…くんでいいのか?頼んだ。」

 牧村にホースを渡し、小鳥遊が伊川に近寄ってきた。小鳥遊は横にも縦にもでかいので、駆け寄ってくる姿を見て少し恐怖を感じる。

「そ、その…昼間は暴言吐いてすいませんでした…。」

 気後れして、小鳥遊から目線を逸らしながらも謝罪をする。それを聞いた小鳥遊は何も言わずにじっと伊川を見ている。

「…反省してるか?」

「…はい」

「マジで?」

「…マジです」

「地味に傷ついてたからね?俺」

「…ふふっ」

「…っく…いけねえ、誘い笑いにつられるとこだった」

 小鳥遊が気をつけの姿勢を取ると、大声を張り上げた。

「貴様の誠心誠意の反省はうけとったァ!!しかーしッ!!上官の侮辱は決して許されることではなーいッ!!よってッ!!貴様には雑用一週間の罰を与えるっ!!」

 思っていたよりも罰が軽く、伊川は思わず顔を上げた。

「いいんですか!?」

「いや、言ってみたかっただけ」

 伊川は昔のコントのごとく派手にこけた。

「言ってみたかっただけなんですか・・・」

「おう。言ってみたかっただけだ。でも、それぐらいはキチっと責任とれよ?」

「わかりまし…きゃっ!?」

 「あ」と牧村の声がしたかと思った次の瞬間、伊川のシャツに水がかかっていた。狙いを澄ましたかのように伊川にだけ水が掛かり、Tシャツ一枚だった伊川を襲う。Tシャツが透けてぴったりと身体に張り付き、ボディラインと下着が浮き出る。

 気まずい沈黙。むなしく滴り落ち続けるホースの水。まじまじと見る小鳥遊。

 「最っっ低!!!」

 伊川はその台詞だけを吐き捨て、格納庫から逃げ出した。

 ホースをもって唖然としていた牧村は、思い出したかのように小鳥遊に尋ねた。

「どうでした?いがいとセクシーだったでしょ?」

「俺、悪くなくね・・・?」


 ●        ●       ●


 その夜。小鳥遊の自室に、紙の束とポテトチップスの袋を抱えた水上が突入していた。

「ふいー・・・、疲れた・・・」

 そう言いながら水上はロケットの如くソファーに飛び込み、足をバタバタと振る。

「あーいお疲れー・・・アイスいる?」

「おいカケル、さも当然かのように人の部屋の冷蔵庫を開けるな。アイス持ってって。・・・で、お疲れ。クソガキ連れての任務どうだったか後で聞かせて。」

 小鳥遊が簡易的なシンクに立ち、ガランゴロンとコップに氷と麦茶を入れていく。六個入りのアイスの冷凍庫から取り出した嵐山は、一足先にソファーでくつろいでいた水上の向かい側に座った。嵐山がポテトチップスの袋を開けた直後に小鳥遊がコップ三つをお盆に載せ、台所から出てくる。

「あいーありがと。ところでこのポテチ、美味いんだけど何味?初めて食べたんだけど…」

「どれどれ…『アボカドチーズバーガー味』・・・?ますますわかんらんぞ・・・?」

「わかんないって…、買ってきたの水上じゃないの?」

「いや、小鳥遊の菓子コレクションから持ってきた。」

 二人の冷たい視線が黙々と食べていた小鳥遊に突き刺さる。

「い、いやー…ははは…ネタにいいかなって…」

「これが万が一『辛さ十倍!』とか『わさび焼肉味のわさび抜き』とかもっと微妙なものだったらどうするつもりでいたんだ?」

「すいませんでした…」

 小鳥遊は期限を損ね、拗ねてしまった。こころなしか、ポテトチップスを食べるスピードが上がっている気がする。

「あーそうだ、任務のことでちょっとあるんだが」

「なんだ?」

「ん?」

「小鳥遊が言っていた素質のある訓練生な、私の方で階級上げといたぞ。」

「事後承諾…。」

「まだ早いんじゃないか?ぜってえこの入ったばかりの時期だとチョーシこきはじめるだろ」

「それに水上、仮にも書類上の手続きなんだからセンセイの許可貰わなくちゃ」

「…!そうだ、そうだよ!めんどくさがりのセンセイなら最低でも一週間は出し渋る!その間に本当にそれでいいのか考えるんだ!」

「いや、報告ついでにそいつの書類一式もってハンコ貰った。」

 ずこーっ、と小鳥遊がソファーの上で器用に滑った。

「ま、まあいいか…」

 リーダーの絶対権限だからな、という言葉を麦茶と一緒にあおり、嚥下する。

「いやー、それにしても…」

 嵐山が感慨深そうにつぶやき改まった口調で言う。

「俺ら、いつの間にか先輩になってたんだぜ」

「…ああ」

「おうよ」

「ついこの前まで単軽でゲロ吐きまくってたってのによ、いつの間にか教える側だぜ?」

「そうだな。小鳥遊みたいな不健康と不健全の塊にならないよう、しっかり教えなきゃな」

「くっ、俺様のいい言葉で締めようとしたのに…。てか水上、その言い方はないだろ!」

「ふふふ、言われるのが嫌なら明日から訓練生と一緒にグラウンド走ってこい」

「げ…。やだよ、あんなん」

「今の、訓練生に聞かれたらクーデターってレベルじゃねえぞ。言いふらしてやろうかな…」

「わーっ!やめてくれ!まじでやめろ!前言撤回!前言撤回―っ!!」

 賑やかな夜のひと時は、日付が変わるころまで続いた。




     2


 翌日、午前中。肩に黄色の帯がペイントされた一機の単軽と、一回り身長が低く、暗い赤にペイントされた小鳥遊の単軽が滑走路に出ていた。伊川や江本たち訓練生は、黄色の単軽の周囲に集まっている。

 キーン、と小鳥遊の単軽に取り付けられたスピーカーがハウリングを起こし、神崎の声を出力する。

『えー、これから射撃演習をする。始める前に質問。お前ら、射撃はどんな風に習った?誰か教えてくれ』

 訓練生の中から、「レーザー?」「確か自動何ちゃらだったよね」「オートロック?」と次々に声が上がる。

『おー、よく分かった。お前らは自動照準で撃つように習ったんだな?残念だが、それは忘れろ。悠長に狙っているようじゃ銃身にハエが止まっちまう。今日やることは無照準の射撃演習なんだが―――嵐山、頼む。』

 小鳥遊の膝立ちに近い単軽が腰のホルスターからリボルバーの拳銃を引き抜き、虚空に照準を合せる。

 滑走路の端に控えていた灰色と茶色の迷彩が施された戦車が(否、そう見えるだけの単軽なのだが)、白色の煙を全身から噴出させた。

 オオオン…と間延びする音が滑走路に響き、音源らしき光弾が高速で伊川たちのいる場所へ接近する。訓練生の何人かがこれから起こることを察知し、逃げる姿勢を取る。

 しかし、その訓練生たちが予想は外れた。

隕石でも落ちたかのような爆発音が響き、戦車の砲弾が赤いペンキを撒き散らしながら爆発四散した。小鳥遊の単軽がもつ拳銃―――人の持つシングルアクションリボルバーに似たそれが薄い煙と甘い火薬の残り香を発散し、底の無いドラム缶のような空薬莢をその場に落とす。

『とまあ、勘と勇気と少々の知識があれば、砲弾を砲弾で落とすこともできる。』

 今のことがさも当然とも言うように拳銃の煙を振り払い、飄々と語った。

『まあ今のは実際には使わない曲芸みたいなものだし、嵐山に撃ってもらった砲弾も一番遅い低速ペイント弾だし、俺は散弾を使った。俺や嵐山にとっては出来て当たり前のことだが、参考にしとくだけにしとけよ』

 ちらほらと返事をする声が上がり、伊川と牧村もそれにつられて返事をした。

『…返事が弱いぞー…。別にいいけど。ほんじゃま、順番にそこの単軽で練習してちょ。ユーザー設定やら何やらは全部整備班の奴らがやったから下手にいじるなよー。んで、残りはペンキの掃除かランニングか選んでちょうだい』


 ●       ●       ●


「どうだ小鳥遊、午前中に終わるか?」

 嵐山は自身の戦車型単軽にハコ乗りし、小鳥遊の近くに停めた。そこからは単軽に乗る訓練生の光景や、アスファルトの上をモップで掃除している姿が見える。

「いーや、全く。第一、単軽の数が足りないんだよ、数が。」

「・・・貸せばいいだろ」

「いーやーだー!お前が貸せよー!」

「・・・それこそお断りだ。センセイにでも直談判しにいきゃあいい話だろ」

「『あるものでどうにかしなさい』だとよ。先行配備の新型三機のうち、一機がパーツ取り、一機が右腕と各部駆動系の破損で少なくとも今日は動かせない。いったいどうすりゃいいのさ?」

「鹵獲したパーツとジャンクで一機でっちあげるとかどうよ。」

「あー…、いいかもな、それ。訓練だけならカカシ同然の奴でも出来そうだし」

「だろ?いざとなりゃ無人機化してデコイにでもすりゃいいし」

「あのな、無人機だってモジュール組んだり有線で繋いだりして大変なんだぜ…?ま、整備班の連中に掛け合ってでもみるか」

 小鳥遊が思い出したかの様に自分の単軽のコックピットに戻り、今日の予定と書かれたメモを取り出した。ついでに缶コーヒーを取り出し、気だるげに口をつける。

「あー、午後から市街地演習入ってるんか・・・。それで進捗聞きに来たわけね」

「どうする?」

「水上は?」

「部屋で爆睡こいてる」

「鬼の居ぬ間に・・・じゃないけど、夕方からにして夜間訓練にでもするか」

「大丈夫かね?伊笠の方、つい最近まで制空権は向こうのものだったじゃないか」

「戦車かよっぽどの手練れの部隊でも来ない限り大丈夫っしょ。それに、こんな僻地の基地にそんな戦力を割くほど、むこうさんも無能じゃ無かろうし」

「・・・それもそうか。んじゃ、アザミさんとこにもそう伝えておくぜ」

「よろしく」

 嵐山はそう言うと、もと来た道を戻っていった。


 ●      ●        ●


 伊川たちが滑走路の掃除を終える頃、太陽は空高くから少しずれたところまで移動し、彼女たちを容赦なく照り付けていた。一仕事終え、自由解散になった伊川たち訓練生は、食堂へ向かったり、シャワー室に向かったりと思い思いの方向に散っていった。伊川も牧村と一緒にシャワー室で汗を流すと、元喫煙所の休憩室で缶ジュースを飲む。

「ぷはーっ!一仕事した後のコーヒー牛乳はうまいねぇ!!」

「瑠奈、おじんくさいしそもそも風呂じゃなくてシャワーだよ?」

「いいのいいの!ノリと勢いがあればなんでもできる!」

「1、2、3、ダーッとでも私に言わせたいわけ?」

 このネタがわかっちゃう私も大概よね、と自分に呆れていると、二人の男が目に入った。片方は良く言えばカジュアル、悪く言えば面白みの欠片も無い服装の地味目な少年で、もう一人は整備班のつなぎの上半身を脱いだ姿の少年だった。

「おう、今週の分ありがとよ。神崎」

「いいっていいって。僕も本島に用があったし。それよりも聞いてよ!さっき買い物にいこうとしたらね・・・」

 そんな話をしながら二人は休憩室に向かってきて、シャワー室の前でむっと顔をしかめた。その渋い表情のまま休憩室へ入ってきた。

「あー、失礼?そこのお二人さん?」

「?、私たち?」

「う、うん。もしかしてさっきまで外でなんかしてた?」

「してたもなにも、あなたも参加してたんじゃないの?」

「う、うん。そうなんだけど・・・いやいや、そうじゃないんだけど…」

 しどろもどろになっている地味目の少年をこいつキモいな、と見ていると、見かねたのかとなりの整備班の少年が口を開いた。

「あー、コイツはな、初戦にして敵をひとり殺った見た目は陰キャ、中身はスタントマン顔負けのとんでもねえ野郎なんだ。いやあ、お前が朝日をバックによろよろと歩いてきた時はロッキーをも超える感動だったぜ…」

「そんな大袈裟に話さないでよ…ま、まあ、任務で居なかったんだよ。細かいことは置いといて、そういうことにしといて!!」

 ふーん、と半目で答えた伊川に、江本がそっと耳打ちした。

「(真里菜、この人たち先週だかに水上大尉と一緒に帰ってきた人たちじゃない?)」

「(あー、この前の?)」

「(そうじゃないかな?一人訓練生で敵を撃破したって小耳に挟んだから)」

 正直良く覚えてないが、今後の人脈作りには欠かせないだろう。うまくいけば将来のエースの彼女になれるかもしれないのだ。

 損は無い。そう判断して、伊川はすっくと立ち上がった。

「つっけんどんな態度とってごめんね。・・・えーっと、名前は?」

 あからさまに不機嫌な態度をとりつつも、地味目の少年は「カンザキ、ユウ」と答えた。

「そう、カンザキ君っていうんだ…。いい名前だねっ!よろしくっ!同じ訓練生としてがんばろうねっ!」

 勢い良くカンザキの手を握り、まくし立てた。普段から活発な女の子に触れていないのか、カンザキは目をそらしたままどぎまぎとしている。

「俺の名前は…」

「あ、アンタはどうでもいい」

「ひどいっ!?」

 つなぎの少年の自己紹介を叩き落し、伊川はカンザキとつなぎの少年を見送った。それをみた牧村が、

「あんたのそういうズーズーしいとこ、尊敬するレベルだよ」

と小さく呟いたが、それは誰の耳にも届くことはなかった。















     3


 コンクリートとツタのジャングル。

 それを踏みつける鋼鉄の脚。

 飛び交うオレンジの光弾。

 炸裂するシンナーの匂い。

 蛍光オレンジに染まる巨人。

 銃把を握り締め、汗だくで駆ける歩兵。


 日が地平線に触れる頃、伊川たちは放棄された市街地に居た。プロテクトアーマーを兼ねた小型パワードスーツを着込み、手に演習用のレーザーポインタがついたアサルトライフルを握り、ビルの隙間を縫って走っている。

『だーっ!暑苦しい!なんで私がこんな泥臭いことしなきゃいけないのよ!』

『兵士だからでしょ!大尉たちに認められたらこんなのが毎日続くんだよ!?』

『やだー!!それだけはいやー!!』

 演習とはいえ、銃声がひっきりなしに響く場所では自然と声が大きくなる。二人は無線機越しに怒鳴りあうという無駄な現象が起きていた。

『熱中症っていってサボろうかしら…!』

『遠距離無線が使えないこの状況で?!』

『近くにあのロボットが来たら乗っけてもらうわよ!』

 ビルの陰を縫いながらそんな会話をしていると、遠くからスキール音が響いてきた。バリバリと甲高いエンジン音を奏でるやたらうるさい単軽は、小鳥遊のものだ。

 うげ、あの人苦手なんだよなぁ、セクハラされたし、とあまり気乗りしない気持ちで伊川はビルから出る。

 瞬間、伊川の視界に無数の弾丸が映り、すぐに身体を引っ込めた。劣化したビルがすさまじい勢いでビビットカラーに染まり、いくつかの飛沫が伊川たちのパワードスーツに付着する。動揺した伊川は、思わず全周波帯の無線で叫んでしまった。

『な、なにするんですかっ!?』

 赤銀に染まった膝立ちの単軽がその場でスピンターンをかけて停車し、ゴムの臭いのする白煙をまき散す。

『…いたんだ』

『「いたんだ」じゃないですよっ!明らかに殺しにかかってたじゃないですか!?』

『へへ、冗談だよ冗談。周り見てみ?』

 そう言われて伊川は周囲を見回した。確かに伊川たちのいたビルは崩れかけた上半分しかペンキに染まっていなく、伊川のいた場所には一発たりとも着弾していなかった。

『だろ?』

『だから…。もういいです』

 とんちで答えられたような気がして伊川は怒る気力を失い、溜息をついた。

『それでですね、先輩。さっきから汗だくで動いてたせいか、気持ち悪いんですけど…』

『うん?ちょいまち』

 小鳥遊の単軽がしばらく沈黙し、伊川は少しだけ冷や汗をかいた。バレたのか、それとも休憩を取らせてもらえるのか。

一分ほど沈黙したのち、コックピットが唐突に開かれた。毒々しいカエルに似たそれの口が開き、レーシングスーツのような操縦服を着た小鳥遊が降りてくる。

「アーマー脱いで。上だけでいいから」

 伊川は何故そんな事を?と思いながらパワードスーツの上半身だけを脱いだ。汗にまみれたTシャツが姿を現し、どれだけ汗だくで動いていたかを物語っている。

「なにを…きゃ!?」

 むにむにむにむにむに。

 むにむにむにむに。

 小鳥遊は突然グローブを外し、伊川の二の腕を揉みはじめたのだ。至って真顔で。冷房にあたって冷えていたのか、冷たい手で触られた伊川は変な声を漏らしてしまう。

「んっ…あっ…やっ…だめぇ…」

 小鳥遊はその声に目もくれず、二の腕を揉む。ときどき「もやしっ子だなぁ…」など物悲しそうに呟き、時間の経過とともに小鳥遊の目が冷たい目に変わっていった。

「熱中症、具合が悪い…。ふ――――――――――ん、具合が悪い、ふ――――――――――ん??」

 明らかにバレている。が、当の本人は全く気づいていなかった。

「こんな短時間でクールダウンするだなんて、ずいぶんと都合のいい熱中症・・・だなぁ…。でも、熱中症・・・ならしかたがないなぁ。単軽での訓練でもしてもらうかぁ。」

「んっ…ふう…」

「ただし、超絶難易度の特訓が終わるまで夕食は抜きだ。」

「そ、そんなぁ~」

 伊川の情けない声が戦場に響き、近くで見ていた牧村は静かに瞑目した。


 ●      ●       ●


 ビルとツタが絡みついた市街地に、赤色の弾丸が駆けていた。リアルタイムで気温や路面状態で変化するタイヤの状況を野性的な感覚で読み取り、スライドさせる距離や角度を操作する。その機械のパイロットにとって、この機械は自分のもう一つの身体であり、飼いならしたペットであり、かけがえのない居住スペースであった。

 教本通りの面白みのない射撃をおちょくるように回避しながら、いつも通りのコースを駆け抜ける。雑貨屋で買ったデジタル時計の数字をちらちらと見ながらも、カーブでのアクセルを開けるタイミングを早くする。

 常人にはわからないわずかなタイヤのゴムのよじれ。素早く身体のバランスを内側に傾け、ドライブユニットの縁でアスファルトとペンペン草を刈り取ってグリップの浪費を抑える。パワーが前から横へ抜けていくことを感じ取り、小さいため息をついた。手近なビルに身体をひそめ、三十秒ほどコックピットの中で鋼の心臓と身体を休めていると、ついさっき通ったコースをシンプルな単軽ががっちょがっちょと不恰好に走ってきた。ざっとヘッドセットにノイズが走り、若い少女の声が届く。

『ま、まってください・・・!』

 わたわたとアームを不恰好に動かし、もたついた動作で単軽を停める。慣性でふらふらとしていたのを一苦労して安定させるなり、その声の主は叫んだ。

『できますかあんなん!何ですか「高速で移動する俺に一発でも当てろ」って!先輩は飛び道具なしでいいって聞いて普通の訓練かと思ったら・・・!まだレシプロ機に乗って爆弾で飛行機を落とせってほうがラクですよ!』

 昔親友に借りた本の内容を挙げて、伊川は抗議した。小鳥遊はそれをからからと笑って一蹴し、言葉を返す。

『そんなこと言われてもなぁ・・・モーメント制御をオートに頼らずに出来ればこのぐらい余裕だぜ?』

 それに、と小鳥遊の単軽の指が伊川の単軽の胸に指を突き立てて続ける。

そいつイージスに載ってる駆動系は俺のボクサーエンジン単体よりも加速の伸びも、トルクも、回転数もダンチのはず』

『?は、はあ・・・』

『つまるところ、使いこなせないお前がタダ飯食らいのボンクラってことだ』

『ぼ、ボンクラ!?あなたみたいなことがそう簡単にできてたまるもんですか!!』

『タダ飯食らいは否定しないんかい・・・』

『そっちもです!!』

 あっそう・・・と小鳥遊が呟きかけたその時、小鳥遊の動きが止まった。彫像のように動きを止め、どことなく耳と目を凝らしているような雰囲気を見せる。

『・・・どうかしたんですか?』

『ちょっと黙ってろ・・・!』

 なにを見つけたのか、伊川は動かずにその様子を固唾をのんで見守った。

 不意に鳴るチチッという着信音。伊川の単軽に、テキストメッセージが届いていた。

『なにも見えないフリをしろ。でなけりゃ死ぬぞ。』

 短いながらも迫力の篭ったメッセージに若干おののきながら返信しようとすると、痛いほどに沈黙していたヘッドセットから明るい声が響いてきた。

『ゴメンゴメン、なんでもなかったみたいだわ。このまま特訓続けるぞ!』

 絶対なんか居たろ、と言う言葉を飲み込み、状況の読めない伊川は合わせて演技するしかなかった。

『なぁ~んだ先輩!脅かさないでくださいよぉ!敵かと思ったじゃないですか~!』

『いや~わりぃわりぃ。ま、俺も人間だからね?失敗もあるさ☆』

『弘法も筆の誤りっていいますもんね~☆』

『はっはっは、上手いこと言っても特訓メニューは減らさないぞっ☆拠点まで俺と競争だ!負けたほうは晩飯なしっ!』

『え~っ!そんな~!』

 最後の台詞だけは、伊川の本心だった。

 そして結果から言うと、伊川は晩飯を食べ損ねるのであった。


 ●      ●        ●


 午前二時半。暗闇の中に煌々と輝く水銀灯の光の中で、小鳥遊は雑誌を読んでいた。基地から引っ張り出された電源車がどろどろと低い駆動音を奏でる以外は、ほとんど音がしない。読書にはうってつけの環境だ。

 ふと思いつき、無線機を少しだけいじる。すると、アマチュア放送局の電波を受信したのか、ノイズ混じりのオルゴールミュージュクが流れはじめた。蒸し暑さが増すだけなので、いくらかジョグを操作して海の環境音を探る。しかし、見つけたのは環境音ではなく戦友の声だった。

『なにサボってんだドアホ』

 暗闇に沈む市街地のどこかで今も敵の監視を続けているであろう戦友の声だ。

『なんのこと?ぼくわかんない』

『おまえの頭ミンチにしてやろうか?』

『むー・・・、けち。』

『・・・少しは緊張感持て』

『で、状況は?その為の連絡だろ?』

『あ、ああ。まだMBT敵さんは動かない。が、随伴兵の方の動きがきな臭い。地雷を仕掛ける気かもしれないぞ?』

 そうか、もう少し変化があったら連絡頼む、と告げ、小鳥遊は無線機のスイッチを切った。読みかけの雑誌を置き、ふらりと訓練生の寝ているテントへ歩みを進める。雑魚寝している中から目的の人物を探し、起床を促した。

「おきろー・・・」

「むにゃー・・・」

「起きたら夜食あるぞー・・・」

「うー・・・」

「起きないと、お兄さんが甘い声で夜這いしちゃうゾ☆」

「うわあああああああああああ!?」

 目的の訓練生が悪夢でも見たかのように飛び上がり、気色悪いと語っている目でこちらを睨みつけた。

「キモい!死ね!セクハラ!!」

 実はその手の単語が弱点な小鳥遊は、すぐに落ち込んでしまった。交代だぞ、とだけ死にそうな声で告げ、小鳥遊はそさくさとテーブルに戻る。

訓練生は寝ぼけ眼でキャンプ地の入り口へと向かった。警備前に言われたとおりに軽量化を施した防弾ベストを嫌々ながら身体に巻きつけ、規定通りに拳銃を持って入り口に立つ。入り口に向かう途中、名前も知らない同級生が眠そうな顔でこちらを見て、それから大きくあくびをする。

 何事もなく交代が終わり、訓練生は一人で残骸の沈む暗闇を睨みつけることになった。しかし、訓練生はすぐに飽き始め、体力に多少のハンデがあることもあいまってすぐにコンクリートの残骸に腰掛けることになった。

(まったく、教科書で習ったことと違うじゃない!普通はこういうのは二人一組ツーマンセルでやるもんじゃないの!?上官たちもだらしないし、想像していたのと全く違うじゃない!)

 ふとそこでセクハラばかりをしてくる上官を思い出し、さらに腹が立ってきた。

(それになによあのセクハラオヤジ!下着を見るはキモい声で囁くはほんと最低!まるで、まるで・・・)

 訓練生の思考はそこでやわらかい壁にぶつかり、黒い感情が溜まるだけだった。深呼吸をして、感情を落ち着ける。時計を確認すると、物思いにふけっていたせいか体感時計が三十分ほどずれていた。気を引き締めなおそうと銃の点検をしようとしたとき、きぃ、と小さく金属の軋む音が背後から鼓膜を刺激した。

「大丈夫か?」

 小鳥遊は、うずくまった状態から急に立ち上がって銃の点検をし始めた訓練生を心配そうに見つめた。どこからか取り出したパラソルとビーチチェアと雑誌を読んでくつろぎながら。

「・・・っ!」

 もはやこの人はギャグの時空から来た人だ、と諦めをつけ、注意することを諦めた。

「なんでもないですっ!お気遣いありがとうございますっ!」

「あっそ。」

 とそれだけ告げると、小鳥遊はひざ掛け代わりにしていたジャケットから文庫本を取り出し、ページをめくり始めた。が、数ページ読み進めたところで何かを思い出したのか、文庫本を置いてバッグをあさり始めた。

「そうだそうだ、カップ麺食う?」


 ●      ●      ●


 よもやこれは何かの罠か。

 伊川は人生最大とも言える警戒度でカップラーメンをすすっていた。夕食を食べていなかったせいか、チープな塩味が胃袋に染みる。いそいそとコンロを片付けていた上官が、またも何かに気づいたように伊川を見つめる。そして、言い出そうか言い出さまいか迷うような表情を取った。

「・・・うーん」

「・・・どうかしました?」

「いや―――・・・、名前、なんて言ったっけ?」

「・・・伊川ですけど、なにか?」

「いやー、食い方がね、小動物っぽいなーって思っただけよ」

 なんとなくむかついた伊川は、無視を決め込むことにした。

「・・・なあ伊川」

 無視。なんとなくカップ麺の味が薄くなってきたような気がする。

「ひとついいか」

 沈黙。カップ麺をすする箸が止まった。

「お前、ふてくされているのか?」

 コトリ。合成樹脂のカップが机の上に置かれた。さっきまでものを食べていたはずの唇もかさかさに乾いている。

「どういう・・・意味ですか・・・」

「俺の勘違いかもしれないが、なんとなくだ。なんとなくだぞ?・・・お前が時々不満気な顔をするんだ。『こんなはずじゃなかった』『どうしてこんなことしなくちゃいけないんだ』そんな感じの表情をだな・・・」

「あなたには関係の無いことですっ!」

 激昂してしまった。無意識にテーブルに拳を叩きつけていたのか、冷たくなったスープが伊川の拳を濡らす。

「あなたには、関係の無いことなんです・・・」

 自分に言い聞かせるように伊川は呟いた。倒れてしまったカップを立て直し、スープをシャツの袖で拭こうとする。

「おい伊川」

 一生懸命にこぼれたスープを拭おうとする。

「おい!」

 おかしい。なぜか全くふき取れない。

「こっちを見ろ伊川!」

 テーブルを拭いていた手を上官は取り上げた。我に返った伊川は、全く濡れていない袖口と、擦り切れて血の滲んだ自分の手首を見た。そうだ。密着するボディーアーマーを装備しているのだ。袖など出せるわけがない。

「いいか伊川、よく聞け。戦場で動揺すると死ぬ。少しでも動きが止まってしまうからだ。人間はそういう風に出来てるんだからしょうがない。その動揺を引き起こすのは、ふてくされるだとか恐怖だとかそういうナーバスな感情だ。ナーバスになった奴は真っ先に死ぬ。俺はそういう奴を何人も見てきた。榴弾でミンチにされる奴もいた。勝手に味方の射線に逃げてきて誤射でズタボロになった奴もいた。歴戦の俺でも、最初はそうだった。何度嵐山に誤射されかけたり水上に踏み潰されかけたりしたことか!でも、俺は生きている。途中で受け入れたからだ。兵士であることを認め、惨めに死ぬことを受け入れた。そうすれば生き残れるんだ」

「でも、どうすれば・・・!」

「現実を受け入れろ伊川。お前は今こうして歩哨に立っている。決して思春期の女じゃなく、屈強な一人の兵士だ。銃とともに眠り、朝焼けとともに起きる。墓標は銃で、仲間の死体を踏み越えて進軍する。お前はそういう人間だ。」

「屈強な・・・兵士・・・」

「そうだ。お前は兵士だ」

 いつもへらへらとにやけていた上官が厳しい顔で伊川を怒鳴りつけた。至近距離でじっと見つめられた伊川は、動揺を通り越し、何も考えられなくなった。

「・・・俺が言いたいのはそういうことだ。現実を見ろ伊川。現在いまに「もし」は存在しないんだ。」

 そして何をを考えたのか、さらに伊川に近づき、抱きとめるような格好で耳打ちした。

「いままでクソ生意気な優等生だと思っていたが、違うみたいだな。俺と似た雰囲気がする」

 あなたと一緒にされたくないです、という言葉はからからに乾いた唇から出ることは無かった。




      4


 午前三時三十分。キャンプ地で待機していた伊川たちはある命令でたたき起こされることになった。

 緊急発進スクランブル。とうとう敵が動き始めたのだ。整備班が慌しく動き始め、コンプレッサーやキャリアーの始動する音がキャンプ地を覆い始めた。電源車から単軽に繋がるケーブルが次々に外され、それぞれの動力炉がうなりを上げて暖気を始める。

「水温チェック・・・OK!バッテリー温度・電解液容量、OK!FCS起動中・・・ちょっと!FCSってどの工程をスキップしていいの!」

その慌しい空気の中、伊川は起動シーケンスを実行していた。ハッチを全開にし、外で作業をしている整備員と連携をとる。

「F30からF50は予備スロットのチェックだけだから飛ばして!逆にAで始まる奴は絶対に飛ばすな!バグってコケるぞ!」

「わかりました!F30から50までシーケンスをスキップ!」

 全身の電磁筋肉が個人設定に合わせて収縮を繰り返し、伊川のシュミレーションで培ったデータ通りに最適化される。コックピットの液晶には、単軽イージスのOS起動アイコンが点灯し、チェックがすべて終わったことを告げる通知が液晶に表示された。

「起動シーケンス終わりました!出撃OKです!」

「わかった!こっちの作業ももうすぐ終わる!それまでハッチ閉じて待機していてくれ!」

 言われるままにハッチを閉じると、エンジンの騒音が遠のき、軽快な振動だけがコックピットを支配した。

(それにしても、どうして私が・・・)

 伊川は液晶越しに外の景色を眺めながら、拭いきれない疑念をもてあましていた。伊川たちと同じく配属されたばかりの新型単軽、しかも先行量産機で数も少ない貴重なはずの機体だ。牧村の受け売りにしても、この機体は未熟な伊川ではなく、小鳥遊や嵐山が運用すべきものだ。考えれば考えるほど増える疑問符が百を越えた頃、小さなビープ音が鳴り、近距離通信で小鳥遊が話しかけてきた。

『さてさて!訓練生の諸君よ、今回の作戦を説明するぜ』

 コックピット越しにも聞こえる空ぶかしとスキール音を響かせながら、小鳥遊は軽く説明を始めた。

『敵は市街地に潜む102型戦車with随伴兵ズだ。嵐山の偵察によると全員が工兵か通信兵、つまりは近寄らなきゃ屁でもない連中だ。歩兵役の子たちはちゃんとセーフティーが外れているか確認しろよ』

 だれかが返事をしたのか、息切れ気味に爽やかな返事が返ってきた。

『おー、いい返事じゃないか。でだ、ちょっと復習だ。単軽・・・単座式軽装甲車もしくは軽戦車の目的は?』

『・・・強い登坂力でもっていついかなる時も歩兵をサポートすること、ですか?』

 訓練所時代の記憶を頼りに、模範的な回答を伊川は無線越しに答えた。

『正解だ。単軽は自分よりも弱いか同じかぐらいの敵を想定している。そして、敵さんの戦車はMainBattleTank・・・つまりは主力戦車なわけだ。よって、並みの単軽乗りならまず勝てない』

『えー!嘘でもいいので気合で倒せるとか言ってくださいよ!』

 一足先に準備を終えたのか、パワードスーツに身体を包んだ牧村が茶化し気味に小鳥遊へやじをぶつけた。上官侮辱罪で捕まっちまえ、と伊川は考えながら、小鳥遊の答えを待つ。

『まあ別にぃ?俺らなら小指で倒せるんだけどぉ?・・・冗談はさておき、戦車にだって弱点はある。履帯を切る、真上か背後から攻撃を当てる、地雷のどれかだ。履帯を切るのは難しいし、地雷はそもそも持ってきていない。』

 すると真上か背後からの攻撃か。伊川はそう考えたが、小鳥遊の答えは予想を上回るものだった。

『すると残るはケツか背中からの攻撃になるわけだが・・・伊川、よろしく頼んだ。地図は後で渡すから、がんばってちょうだい』

 は!?と声が出るのとほぼ同時に、無線が無慈悲な音を立てて途切れた。


 ●     ●     ●


 なるほど。これは確かに私の適任だ。ダークグレーに薄く染まった単軽の身をかがませながら、伊川は納得していた。

正面から小鳥遊と伊川以外の訓練生が襲撃を仕掛け、相手に勢力を誤認させる。当然戦車は迎撃しなければいけなくなり、正面に釘付けになる。そしてがら空きになった背後から伊川が一気に攻めるという算段だ。それには前かがみやしゃがみ走りのできる関節の自由度の高さと、短時間ながらも、バッテリーで静音駆動できる新型の単軽が必要だったのだ。

 ビルと樹木の合間を小走りで駆け抜けながら、単軽のセンサーで地雷を探知しつつ、確実に歩を進める。時々勢いあまって転びそうになるも、確実に戦車へと近づいていた。

 爆発音。キャンプ地の方角から、黒い煙が立ち上った。小鳥遊たちが襲撃を始めたのだ。のしかかる責任を改めて感じながら、慎重に単軽の歩をまた一歩と進める。身体に響く爆発音を聞くたび、自分が狙われているのかそうでないのか冷や汗がつたい、伊川の精神を磨耗させる。

 工程も半分、といったところで、単軽のセンサーが新たな反応を検出した。サーモセンサーに反応。データベースから狙撃兵と観測手の可能性あり。

 伊川は考えうる限りのスピードでそのデータがあった方向へ振り向いた。斜めに崩れ落ち、半分ほど丸見えに見えるビル。そこに、黒い寝袋のようなものとコンプレッサー、ガスコンロが火を掛けた状態のまま放置されていた。座学で習った通り、死体袋とコンロでセンサーを人型に誤認させるブービートラップだ。

 ほっとしたのも柄の間、伊川は続きがあったことを思い出し、もう一度反対方向へ振り向こうとした。

―――このトラップの目的は、誤認させた後、無防備な支援車両の動力源を破壊するトラップである。

 対戦車に特化した歩兵のロケットが、無防備な単軽の背中をずたずたに引き裂いた。


 ●     ●     ●


(遅い・・・っ!)

 弾切れになった単軽サイズの機関銃をリロードしながら、小鳥遊はひそかに焦っていた。脚部のユニットから予備の機関銃を取り出し、使い終わった機関銃は歪みを押さえるために冷却する。

 この任務、小鳥遊にとっては五分あれば片付く程度の敵だった。弾丸が当たらないスピードで肉薄し、ナイフ型に成型された高性能爆薬でグサリと上から刺すだけ。そうしなかったのは、嵐山に訓練生にも戦闘を経験させろと口すっぱく言われたのと、彼なりの考えがあったからだ。

(あのアマはどうなのかね・・・)

 あのアマ、つまりは伊川のことを脳内で評価しつつ、小鳥遊は脚部から信号弾を取り出し、敵のいそうな場所に投げつけた。二拍の間を空けて火の雨が降り注ぎ、たまらず出てきた敵兵を膝の重機関銃で掃射して跡形も無く消し飛ばす。訓練生にあまりグロテスクなものを見せるのもどうかと考え、申し訳程度に燃焼性のある手榴弾を投げた。


がきん。

 がきがきがきん。

 何かの部品が空転してはぶつかる音が、伊川を三途の川から引き戻した。爆発時の圧力のせいか、左耳が聞こえず、頭も痛い。

 伊川の単軽は、ロケットランチャーで抉られた部分を地面に押し付けるようにして倒れていた。整備員が何かダメージを軽減するような部品を取り付けたのか、それとも燃料タンクとなるガスボンベが爆発反応装甲リアクティブアーマーの代わりを果たしてくれたのか、幸いにも伊川は無傷だった。かろうじて生きていた右モニターを再起動し、時間を確認する。気絶からはそう長い時間はたってないようだった。モニターからでる粘液質の液体に辟易しつつ、単軽の身体を起こせるか自己診断をする。

 電解液の容量減るも、短時間のみバッテリー駆動可能。ただし戦闘に支障あり。

 伊川は、苦労してマニュアルモードに切り替え、単軽を起き上がらせた。左腕と顔の左半分がぐちゃぐちゃに潰れ、一歩一歩と歩みを進めるたびにどこの部品ともわからないひしゃげた基盤が脱落していく。冷静になりつつも、自分の予想より近くに戦車がいることがわかった。とはいえ、ビルの陰や天然の塹壕に隠れて偽装している戦車は、半壊したセンサーで見つけることは中々に難しい。そこで伊川は、出撃前に何を求められたのか感じ取った。

 とっさの判断力。戦場にセオリーはない。あのやらしい上官は、スケベな上にこんないやらしい試練を課してきたのだ。伊川のなかでまたもや上官の株が大暴落すると共に、脳が内側から破裂しそうな痛みの中で集中力を最大限に発揮していた。


 戦車は何が目立つ?


 砲塔?反対側にいるのにどうやって見つけるんだ。


 デカさ?・・・偽装しているんだから論外だ。


 熱?―――ダミーも見分けられないようなポンコツAIでしかも半壊しているのに?


 武器はかろうじて残っていた一本のナイフと素手。限界稼働時間が近づく中、伊川は牧村とみた戦争映画のことを思い出した。

たしかあの戦車は、撃つときに―――

「!」

 伊川が気づいた瞬間、土に埋もれているかのように見えた駐車場の一階が、爆音とともに勢いよくめくれ上がった(・・・・・・・・・・・・・・・・・)。土埃が竜巻のごとく吹きあがり、カーキ色の布に覆われただけの戦車が姿を現す。

(見つけた!!)

 生きている右腕でスチール合金の大型ナイフを抜き、よたよたとした動作で戦車に接近する。やっと伊川の存在に気づいたのか、戦車は急発進をし、そこを離れようとした。

 無駄だ。この距離では逃げられない。伊川の単軽は大きくナイフを振り上げ、戦車の装甲が最も薄い場所、すなわち旋回砲塔の前上に突き刺した。

 爆発。装填されていた砲弾が誘爆を起こしたのか、深く突き刺したとこから盛大な炎が上がり、慌てて伊川は離れた。

 一拍置いて、一回り大きな爆発。今度こそ戦車は自らの炎で焼かれ、その鋼鉄の巨体を屑鉄の残骸に変えた。



   5


 微かに聞こえる人のざわめきとエアコンの駆動音。伊川が最初に感じ取ったのはそれらの情報だった。次に、全身を走る疼痛と白い天井が見え、自分はどこかの施設で治療を受けていると察した。おそらくは戦車との戦いの後、気絶したのだろう。全身が痛む中、どうにか首だけを動かすと、雑誌を読みながら炭酸を飲み、さらに高そうな医療機材の上にポテトチップスを置いて油で汚れた手でくつろいでいる小鳥遊がいた。

「……」

「…起きたか。よく二日で目ぇ覚ませたな。」

「…」

「…ここは俺の知り合いの病院だ。何か言いたげだがこれは気にするな」

「はあ…あの、」

「治療代も気にするな。踏み倒すから」

「踏み倒さないでくださいっ!…っ!痛っ…!」

「あー…今な、脳の圧力が上がってるからあまり刺激しない方がいいぞ」

「先に言ってくださいよ…」

 聞きたい事をなんとなく聞きそびれた伊川は、そのままゆっくりと横になると、ぷいっと反対側を向いてしまった。

「あの戦車だが」

 小鳥遊が唐突に話を始め、伊川は身を固くした。

「どんなクソ根性で倒したか知らねえが、戦車は沈黙し、俺達は迎撃に成功した。でだ、…もも食うか?」

 喋りながら冷蔵庫でも開けたのか、寝返りをうつと、紙皿に冷えたももを載せた小鳥遊がいた。ありがとうございますと礼を言ってから一切れをつまみ、口に入れる。ひんやりとした食感と、爽やかな甘みが伊川の口の中に満ちた。

「…おまえ、食べ物に釣られるタイプだろ」

「なにがですか?」

「…まあいいや。でだ、あの戦車のことなんだが、結論から言おう。ヤツは無人機だった。」

「…はあ」

 一体それがどうかしたのだろうか、と心の中で突っ込み、次の言葉を待つ。

「そう考えればいろいろとあの不可解な進攻もうなずける。ありゃ決死隊じゃなく、実地テストだったんだ。」

「つまり?」

「お前は一人も殺していねえし、これからもっと厄介な敵がでてくるかもしれないっつーことだ」

 俺としてはお前がまだ一人も殺してない方が僥倖だと思うんだけどな、と言いながら、小鳥遊はまた新しく冷蔵庫から果物を取りだした。今度はおいしそうに熟れたメロンだ。

「あっ…!私にもください!」

「だーめー、これは経費で買った高級メロンだから上げませ~んよ!」

「一切れぐらいください!」

「やーだね、士官特権って奴だよ」

 ふふふ、とひとしきり笑ってから、心底安心した表情で小鳥遊は呟いた。

「いやあでも、本当によかった、うん。よかった。」

 何がですか?と聞く前に、小鳥遊が貼りついたような笑顔で言った。

「左腕全壊、頭部センサー半壊。各部フレームに無視できない歪み。お前の出した損害だ。死んだら修理代俺もちになってたんだぜ?」

 伊川は本能的にうげっ、と声を出しそうになった。あの単軽が一台いくらかは知らないが、修理するにしても自動車一台分はかかりそうだったからだ。

「・・・ま、本来なら今月の給料無しで自分で直せと言いたいところだが、今回に限っては俺の無茶振りのせいもあるからな。割り勘にしといてやる」

 おもわぬ申し出に伊川はほっとした。本当に給料を無しにされては、来月がすさまじくひもじい生活になることは明白だったからだ。

「しかし!部品の買出しと修理は自分でやること!そのために訓練や座学の時間をサボったりしないように!」

 うげー、と小さくうめき、伊川はベッドに再び倒れこんだ。


 終

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