6回目 認める(下)

何かを創る人間というものを、初めて見た。少年が手を動かす度に、言葉が生まれ、登場人物達が呼吸をする。想像しただけでワクワクした。

(少しでも、話を聞いてみたい・・・)

やがて、少年は疲れたのかノートを閉じて大きく伸びをした。

(!もしかして、タイトルくらいなら・・・)

本は、元にあった場所に戻さなければ。丁度パラパラめくるにも飽きてきたところだ。

再び言い訳を心の中で何度も唱えながら、少年の後ろの棚に歩み寄る。

「えっ・・・」

思わず漏れた声に、少年は異様なほど緊迫した様子でこちらを見上げた。

「あぁ、えっとごめんな。(化学)のノートに小説を書いてるんだなーと思って」

閉じられたノートの表紙には、(化学)としか書かれていない。少年はみるみる青ざめて

「・・・見てたの?」

かすれる声を絞り出した。

「!あ、いやっ、違うぞ?その、偶然チラッと見えただけで・・・」

意味のない言い訳。それを言い終わる前に、少年はノートを鞄にしまうと勢いよく腰を上げた。

「えっおい!」

少年はこちらを振り返ることなく、逃げるように走り出す。

「図書館では走らないでくださーい」

職員の声など聴きもせず、少年はあっという間に姿を消した。



 化学室の前に、人影が1つ。窓から差し込む光のせいで、逆光になって顔がよく見えない。出水がゆっくりと近付くと、細身のシルエットとこの高校のものではない制服が目に入った。2駅ほど離れた場所にある中学のものだったように思う。

「!あ、お前もしかして委員会のやつか?」

少女は出水に気付くと、凛とした見た目に似合わず溌剌とした声でそういった。

「?そう、ですけど・・・」

中学生がこんな時間に、どうしてこんなところに。

しかも、委員会を知っている。一体、何者なのだろう。

「よかった。今日はないのかと思った」

出水の疑問など意にも介さず、少女は胸を撫で下ろす。

「「認・・・?」」

戸惑う出水をよそに、廊下に2つの声が響いた。

「先ぱ・・・」

天河と利市が、あっけにとられた様子で立っている。

知り合いですか。

出水が問う前に、少女が駆け出していた。

「天兄―!」

飛びつかんばかりに、天河に駆け寄る。

「お前、何でここに・・・」

「千歳姉にきいたんだ!ここに来れば天兄に会えるって」

少女の答えに、天河の眉が忌々しげにゆがむ。反対に、少女の顔はどこか得意げだ。

「あのバ会長、そんなところまで・・・」

以前、利市は皇牙から天河の姉に情報が流れているといっていた。そのことだろう。

「今日はテスト最終日でな。せっかくだから来てみたんだ。私も来年からはここの生徒だし下見に丁度いいだろ」

「はぁ・・・来るならせめて俺に言ってよ。会えなかったらどうすんの」

「その時はちゃんと帰るつもりだったって。そしたらソイツがきて委員会があるって言ってたから。」

なー?と少女は同意を求めるように出水をみて小首をかしげた。

「コラッ、ソイツなんて言わない!来年先輩になるんだぞ」

「あ、あの、そちらの方は・・・?」

自分に話が向いた隙に、会話に潜り込む。天河はじゃれつく少女をあしらいつつ困ったように息を吐いた。

「騒がしくてごめん、この子俺の従妹で沢本認(さわもとみとむ)。昔から俺とか姉とか遊ぶことが多かったからか年が近いと馴れ馴れしくなっちゃって・・・」

「認だ、よろしくなっ。あんた名前は?」

「認!お前いったそばから・・・」

「大丈夫ですよ。白石出水です、よろしくお願いしますね、認ちゃん」

「出水か。あんたいい奴だな。」

「どっちが先輩なんだか・・・」

確かに、本来は認が出水に敬語を使うべきなのだろう。けれど、出水のこれはもう癖のようなものだ。認のほうも同じだとしたら、そう簡単には変えられない。出水は深く考えることなく溌剌とした後輩に微笑みかけた。

「つーか認。てめぇ委員会見ていく気かよ」

「フン、当たり前だろ。やっぱり利市は馬鹿だな」

「おい天河やっぱこのガキ一回しばいていいか」

天河を挟んで、認と利市が火花を散らす。先ほどまでの無邪気な顔から一変、認の表情は不機嫌そのものだった。どこか皇牙と対峙している天河に似ている気がするのは、従妹と聞いたからだろうか。

「2人とも、ほどほどにしな。白石さん困ってるでしょ」

「俺悪くねぇし。こいつがいつも生意気言いやがるから・・・」

「全く、心が狭いな。少しは出水を見習ったらどうだ?そんなんだから彼女ができないんだぞ」

「それ今関係ねぇだろ!?っつーか別にいらねぇし」

知らぬが仏。この時、出水は思い知ることとなる。

だって、知らなければ。

「え・・・?でも利市先輩、桜井先輩が好きなんですよね?」

こんな言葉が漏れることも、なかったのだから。

「は・・・?」

気持ち悪いものを見たかのように、利市の顔が歪む。その横で、天河は勢いよく吹き出した。

「シロ、てめ、何言って・・・」

「ハハッ、白石さんって、案外鋭いんだね」

利市が目を見開き、天河を振り返る。

「!?天河、それってどういう・・・」

「え、ゴメン。お前の態度見てて気付かないほど俺バカじゃない」

嫌味なくらい綺麗な天河の笑みは、利市の心を折るのに十分だった。ガクリ、と利市の頭が垂れる。

「・・・まさか、桜井を委員会に誘ったのって・・・」

「親友の恋は応援しなきゃね!」

「テメェはただ楽しんでるだけだろ!?」

「へぇ、お前にも好きな奴はいるんだな」

煽るように覗き込んだ認に、利市は躊躇せずにデコピンを見舞った。そして、照れを隠す鋭い視線が出水に向く。

「シ~ロ~・・・」

「わ、私じゃないです!私はただ安藤君に聞いただけで・・・」

柚季と初めて会った日の放課後、安藤がコッソリ教えてくれたのだ。

—―麻生先輩、たぶん桜井先輩のこと好きだよ—―

「安藤が・・・?」

「あははっ、せっかく頑張って本人の前では平静を装ってたのにねぇ」

「うっせ!つーか俺が認めてないのに何で事実みたいになってんだ!」

「事実じゃん。認めなよ。な?」

「黙れよ・・・」

半信半疑で、馬鹿なことを口走ってしまったと思っていたけれど、利市の反応を見る限りあながち間違いでもないらしい。

「今日桜井さんが休みでよかったねぇ。1人で行くのもつまらないからってお前のHR終わるの待ってたかいがあったよ」

「ホント性格悪ぃな・・・」

「そういえば、桜井先輩は・・・?」

いつもなら、同じクラスである天河と柚季が先にやってくる。

「例の(用事)だってさ」

「あぁ、成程・・・」

今日も、あの双子が喧嘩しているのだろうか。出水は深追いせず乾いた笑いを返した。

「なーんだ、利市の思い人は今日は来ないのか。残念」

チラリと利市を見ながら口をとがらせるあたり、天河の従妹らしいというか、なかなかの小悪魔だ。最初の可愛らしいイメージに、出水の中でひびが入る。

「違うっつってんだろ!」

「まんまと挑発に乗せられ、利市は顔を赤くして目を泳がせた。これでは、全く説得力がない。

「まぁ、せっかくだ。その(安藤)ってやつにも話を聞きたいな。」

「そーだなぁ、俺もゆっっっくり話をききてぇなぁ」

余計なことを、と利市のただでさえ吊り上った目が更に研ぎ澄まされる。

出水は心の中で安藤に謝罪しつつ、怒り心頭の利市から隠れるように目を伏せた。

「はやく(安藤)こないかなぁ」

噂をすれば、影が差す。本人のように静かな足音に最初に気付いたのは、出水だった。

「!あ、安藤君」

「ん・・・」

ピタリ、と安藤の足音が止まる。その、視線の先で

「あ—――――――っ!」

認が、大声をあげた。

「なんで、・・・ここに・・・」

震える声は、静かな廊下に響いてようやく聞こえるほどに弱弱しい。

安藤は幽霊でも見たかのように青ざめていて、目を吊り上げていた利市ですら、心配そうに安藤の様子をうかがっていた。



 読書という趣味の、延長のようなものだった。小説を書き始めたのは。

いつの間にか、小説の中の世界は少しずつ広がっていて。

教えられたように、それでいて自分らしく。

読んでは書いて、書いては読んで。それでよかった。

人に読んでほしいと思わないわけではない。けれど、本の趣味すら言えやしないのに、見せられるはずもない。

口下手でも言葉を交わすことは好きだったから、ノートに話を聞かせるように文字を重ねた。それで、十分だったのに。

—―化学のノートに小説書いてるんだな—―

図書館で、初めて見かけた少女は無邪気にそう言った。

見られないように、窓際の隅でひっそりと書いていたのに。

頭が真っ白になった。

—―・・・見てたの?—―

この一言を絞り出すのが、やっとだった。

少女はなにやら言い訳をしていたけれど、そんなことどうでもいい。

図書館だということも忘れて走った。

どうせ、偶然会っただけの他人だ。ここで振り切ればもう会うことはない。

そう、思っていたのに。

いつものように委員会へと向かった化学室の前。

どうして、あの少女が立っているのだろう。



 「制服でもしかしてとは思ってたけど、こんなに早く会えるなんて!」

重い雰囲気の中、認だけは興奮した様子で一歩安藤に近づいた。安藤の方は、凍りついたように動かない。

「安藤君、認の知り合い・・・?」

「し、知らないっ!僕は、何も・・・っ!」

安藤が首を振ると、認はムッと眉をひそめて安藤の腕を掴んだ。

「忘れたとは言わせないぞ。図書館で・・・」

「わぁぁぁぁぁっ、ダメッ、黙って・・・!」

今まで聞いたことがないような大声で、認の言葉が掻き消える。

「なんだ、覚えてるんじゃないか」

「っ・・・!」

安藤は口ごもりながら、ようやく認の手を振りほどいた。

「えーと、ゴメン、うちの従妹が迷惑をかけたみたいで・・・」

「!先輩の、従妹・・・」

「あぁ。沢本認だ。よろしくなっ」

「・・・ドウモ」

その3文字には、少しの温度も込められていない。安藤は警戒するように鞄を引き寄せて認を見据えていた。

「そ、そんなに警戒しなくてもいいだろ・・・」

「認、お前なにしたの?迷惑かけたならちゃんと謝りなさい」

「!濡れ衣だ!私は何もしてないぞ。信じてくれよ天兄ぃ・・・」

続けようとした言葉を察して、安藤が認の口に手を伸ばす。

しかし、力強い認の声は、静かだった廊下によく響いた。

「私はただ、コイツの書いた小説が読みたいだけだ」

安藤の顔から、スゥ、と血の気が失せる。

「安藤君の小説・・・?」

安藤が恋愛小説を好んで読んでいることは、この場にいる全員が知っている。逆に、安藤自身が小説を書くというのは、誰もが初めて知る話だった。

「安藤君、小説を書かれるんですか?」

「・・・て」

「え・・・?」

「忘れてっ・・・お願いだから」

小説が書けるなんてすごいですね。そんなチープな感想、安藤の今にも泣きそうな声を着た後でいえるはずがない。出水はぐっと押し黙るしかなかった。

「・・・どうして、忘れろなんていうんだ?」

安藤をそんな顔にした張本人が、心底不思議そうに首をかしげる。

「どうしてって・・・」

「お前、自分が書いてるものが恥ずかしいと思うのか?」

「そういうわけじゃ、ないけど・・・」

「なら、いいじゃないか」

認の口調は諭すようにも、拗ねているようにも聞こえた。

「自分の作品なんだから、堂々としてればいいだろ!無かったことにするなよ!そんなの、自分にも作品にも失礼だっ」

認の率直な言葉に、安藤の顔が少しだけ上がる。

「認、ちょっと落ち着きな」

「だって、せっかく小説が書けるのにもったいないじゃないか!」

出水が飲み込んだ純粋な羨望を、出水は子供らしい素直さでぶつけた。

「そう単純にはいかないんだよ。笑う人間だって、確かにいるし」

「・・・悪かったって・・・」

天河の視線を受け、利市が居心地悪そうに口を歪める。

「なんだ、利市のくせに天兄を馬鹿にしたのか?」

「ちげーっつの!」

息のあった二人に翻弄される利市を見ながら、安藤はおもむろに鞄の中に手を伸ばした。時折目で確認しつつ、泥棒のようにコソコソと手を走らせる。

「・・・神谷先輩」

.「はい?」

天河の薄い胸板に、ノートが押し付けられていた。

「・・・化学、先輩得意なら、見てくれませんか」

天河よりも先に、認の目が輝く。安藤はぶっきらぼうに顔を背けていた。

「なぁっ、それ、私も見ていいか?」

「・・・知らない。先輩に聞いて」

「?どういうこと・・・?」

化学と題された表紙をめくる。そこには、出水からでも化学記号や化学式の代わりに「」や!が並んでいるのが見えた。

「これ・・・いいの?」

「・・・この前と今回の麻生先輩見てたら、必死で隠すのが馬鹿らしくなりました。笑われても、きっと悪意がないなら深く考えてないんだろうなぁって」

「分かってくれたようでなによりだよ」

「さり気に馬鹿にしてね―かオイ」

認と対面した時に比べたら、安藤の表情は格段に落ち着いている。利市には悪いけれど、これでよかったのだろう。出水の視線に気づいたように、安藤がこちらに向き直った。

「・・・白石さんも、読んでくれる?」

「!いいんですか・・・?」

勿論、この多くを語らない友人が書く小説には興味がある。けれど、今までの反応を見ていると、ちょっとした興味で読んでいいものには思えない。

「白石さん、本の趣味合うし・・・今も、興味持ってくれたみたいだったから」

言葉にはできなかったけれど、出水の羨望は伝わっていたらしい。

出水ははにかみながら是非、と勢いよく頷いた。

「あ、麻生先輩はダメです」

意地悪をするように、安藤の背中が天河の手元を隠す。

「テメェなんか天河の性悪に影響されてねぇか・・・?」

「わぁコワーイ」

「まぁ落ち着きなよ利市。ちょっと思い人当てられたくらいでさ」

にやけながらかばう天河の後ろで、安藤は訳も分からず目を丸くしていた。

出水と目があい、首をかしげる。

「す、すみません、その、・・・安藤君からこの間聞いたこと話しちゃいました・・・」

「あぁ・・・麻生先輩が桜井先輩を好きって話?」

「安藤テメェ表でろ、じっくり話そうじゃねーか」

「あははっ、それにしてもよく分かったね。やっぱり恋愛小説とか読んでると分かるもの?」

「天河もさらっと肯定してんじゃねーよ!」

安藤は一瞬考えて、あっさりと口を開いた。今日はいつもより多く喋ったからか、口がよく動く。

「書くために注意してみるようにはしてますが・・・それより、神谷先輩がヒントをくれたので」

「へ、俺?」

「初めて集まった時、桜井先輩のことわざわざクラスが違う麻生先輩に聞いていたので・・・あのとき、ちょっとだけにやついてたし」

「あぁ!あったねぇ」

「ちょっとまて、あれそういう意味だったのかよ!?」

「そうだよー、本人が気づいてくれないからからかいがいが無いったら」

何気ない一言だったのに、よく安藤は気づいたものだ。

「でもよくそれだけで分かったね」

「まぁ、あれ以降麻生先輩の反応に気をつけたり・・・お弁当のときとか」

「!もしかして、私を隣に座らせたのも・・・?」

あの時、柚季を押し切って安藤は出水を自分の隣に座らせた。

「うん、桜井先輩の隣に座ることになったらどうなるかなって・・・やっぱり一瞬戸惑ってるのみて、確信した。」

「あの変な配置はテメェのせいか・・・」

配置に小言を言いながら柚季の隣に座るまでの一挙一動を、安藤はよく観察していたのだろう。そして、仮説を自分の中で確信に変えた。

「つーか、それもこれも元をたどれば全部テメェのせいじゃねーか天河ァ!」

「えー、俺しーらないっ。バレるお前が悪いんじゃなーい?」

諸悪の根源が涼しい顔で知らぬ存ざぬと肩をすくめる。その後ろでは、先ほどの言い合を忘れたかのように安藤と認が顔を見合わせて、意味ありげな視線を利市に送っていた。

「り、利市先輩大丈夫ですっ、私応援しますよ!」

目の前に浮かんだ矢印を、応援しないわけがない。

「だから違うっつーのぉ・・・」

出水の善意100%の言葉に、利市は毒気を抜かれたかのように情けない声を廊下に響かせたのだった。

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