4.5回目 体育祭のあとで

――白石家にて――


 うたた寝から目を覚ますと、家の中に優しい、それでいて空腹に鋭く突き刺さる匂いが部屋に満ちていた。体育祭で疲れたのか、制服も脱がずに寝こけていたらしい。部屋の時計を確認すると、すでに夜の8時をまわっていた。

(・・・この匂い・・・)

今日も、例によって忙しい両親は仕事で帰って来ない。となると、この匂いの元は。

少しずつはっきりする意識で考えながら、出水はリビングへと続くドアを開けた。

「お、起きたか。お疲れさん」

机の上に並ぶきれいに盛り付けられた洋食の向こうで香坂は出水の寝癖をからかうように自身の頭で位置を示す。

「素さん・・・どうしたんですか?」

寝癖をなおしながら、出水は重い頭を傾げた。 

「というか、これって・・・」

 もしもの時にと、両親が合鍵を渡してあるから香坂がいること自体は不思議ではない。けれど、出水が高校に入って(先生と生徒)という関係が加わってからは、香坂が自宅で作った料理を受け取る、というのがお決まりになっていた。こうして、出水の家で料理する香坂を見るのは久しぶりだ。

「帰ってきたら電気ついてなかったから、様子見に上がらせてもらったぞ。そしたらコレ食ってねぇし、体育祭で疲れて寝てんだろうなーって」

コレ、と香坂が指さした先には2つのタッパー。今日の夕飯にと、香坂が作っておいてくれたものだ。中には、手の込んだおかずが丁寧に詰められている。

「?それがあるのに、どうして・・・」

この机に並ぶちょっとしたご馳走達はどうしたことだろう。

「別にコレは明日食えばいいだろ。せっかく時間的に一緒に食えるんだし、出来たて食おうぜ。今日はお前頑張ったしな」

「えっ・・・?」

香坂は相好を崩して、ワシャワシャと出水の頭を撫でまわした。

「借り物。一位だったじゃねぇか。よかったな」

「!は、ハイッ、ありがとうございます!」

一緒に走ったのだから、知っているのは当然だ。

けれど、出水は、

1位になったことよりも、褒められたことよりも、

和食が得意な香坂が、出水の好きな洋食を作ってくれたことよりなにより  

久しぶりに一緒に食卓を囲えることが、何よりも嬉しいのだった。    


――生徒会室にて――

 「さて、手始めにこれを全部各部活に配ってきてもらおうか」

そう言って、皇牙は分厚い紙束を天河に押し付けた。HRを終えて何事もなかったかのように帰ろうとしていたが、そうはいかない。連行されてきた天河の表情は不機嫌極まりなかった。

「帰ろうとしても無駄だぞ。貴様の携帯は預かった」

「誘拐犯かっ!・・・分かりましたよ、行けばいいんでしょ行けば!」

ふくれつつも、紙束を受け取る天河。お人好しだな、と皇牙は思った。

「ま、せいぜい頑張るんだな」

煽るように笑いかける。効果はてきめんで、天河は苛立ちを床にぶつけるように足音を響かせながら、生徒会室を後にした。

「あいつは本当、からかいがいがあるなぁ」

「あーぁ、天河君かわいそ」

台詞と裏腹に、一片の同情も孕んでいない声。

「――とんだ大根役者だな。早速」

心にもない冗談で応えると、生徒会書記、鈴木早速(すずき さはや)は不満げに皇牙の背に体重をかけた。

「演劇部の花形捕まえてそれはないんじゃない?今回だって、あたしが麻生君を保健室で足止めしてたから成功したんでしょー」

「あぁ、それに関しては感謝している。よくやった」

体勢はそのまま、猫を撫でるようにコショコショと早速の髪をいじる。早速には今回、その演技力を利用して利市を足止めするよう頼んであった。結果は、ご存じの通りだ。

「・・・そういうならあたしにくらい、何でお題を変えたのか教えてくれてもいいんじゃないの」

「・・・」

それは、ある程度覚悟していた問いだった。

「本当は今年も(一発芸)させるっていってたじゃない。直前になってお題を変えた上に、ここで雑用なんて、どういうつもりなんだか」

皇牙が素直に答えないとわかっているのだろう。早速は独り言のようにつぶやいた。

「・・・いつもの気まぐれだ」

(キーワード)をちらつかせた時の天河の様子を思い出す。

掴まれた胸ぐらが、また締め付けられるようだ。

「僕には、神谷会長のようなカリスマ性はない。どうしたらいいのか分からん。だから、とりあえず手元においておくことにしたんだ」

少しでも、あいつの気が紛れればいい。皇牙の言葉に、悪友は追及することなく、

「ま、仕事が減るんだからいいけどね」と屈託なく笑った。          

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