4回目:体育祭
二学期に入るとすぐに、九月下旬にある体育祭に向けて練習が始まる。
「あーぁ、体育祭やだなぁ。」
柚季が不満げに漏らしたのは、体育祭が2週間後に迫った日のことだった。
委員会の仕事が終わり、あとは香坂のチェックを待つのみという、緩やかなひと時。
「嫌なんですか?」
「ユズパン喰い競争に出たかったのに、人数の関係で出られなかったの!パン美味しいの並ぶから出たかったのになぁ・・・。」
「あぁ、なるほど・・・」
確かに、出水の組でもパン喰い競争は人気が高く、すぐ枠が埋まっていた記憶がある。
「そーいえば、シロちゃんは何組?」
「私ですか?青組です。天河先輩と安藤君も一緒ですよ」
今回の体育祭では、全校生徒が赤組、青組、黄組に分けられている。青組での合同練習の際、なんどか天河の姿を見かけていた。
「あぁ、そういえば練習の時居たっけ」
天河も、思い出したようにうなずく。
「えーっいいなぁ!ユズ黄組なんだよねぇ。りーち君は?」
「俺?赤組。運動苦手な奴ばっか集まってるから進みゃしねぇ」
「あーぁ、りーち君とも別かぁ。じゃぁ、出る競技が一緒だったら勝負だね!」
「いや、お前女子だし、戦うとしてせいぜいシロじゃね?そもそも俺出るのリレーだし」
「それもそっか。ねぇねぇ、シロちゃんは何に出るの?」
「私は借り物競争ですよ。人気なかったですし、足の速さあんまり関係ないかと・・・どうしました?」
出水の言葉に、2年生3人は黙って暗い表情で顔を見合わせた。
「あ、あの・・・?」
「・・・僕も借り物なんですけど」
今まで一言も発していなかった安藤が、珍しく声を上げた。今日も、どんな借り物なんでしょうね、なんて話していたところだ。
「そっかぁ、借り物選んじゃったかぁ・・・」
と、柚季。
「可哀そうに」
と、天河。
「今年はどうなるんだろうな・・・」
と利市が締めくくり、3人のため息がきれいに揃う。
「あの、ただの借り物競争ですよね?」
「甘いね」
厳しい声音でそういったのは、意外にも天河だった。
「うちの借り物競争は体育祭の名物でね。生徒会の諜報部隊の情報をもとに出場者にあった無茶ブリを考えるんだ」
「待ってください。諜報部隊ってなんですか」
文字通り受け取るならば、高校にあっていいものではない。
「生徒会の目に留まった、ごく少数の生徒で作られた組織だよ。交友関係の広い人が、各学年で何人か選ばれるんだ。」
「そんなものがどうしてあるんですか」
「・・・馬鹿な卒業生の思い付きだよ」
「おいおい、自分の姉貴にずいぶんな言い方だな神谷ぁ」
えらそうな声とともに、化学室のドアがどこかかっこつけながら開け放たれた。
きれいな黒髪に映える、色とりどりのメッシュ。声の主は、アクセサリーをジャラジャラと鳴らしながらゆっくりと天河に歩み寄った。
「・・・面白そうなことをしてるじゃないか」
「何の用デスカ。用がないならとっとと帰りやがれくださいバ会長サン」
抑揚のない声で、天河が応える。
如月皇牙(きさらぎ おうが)。生徒会長であるにも関わらず、染髪、アクセサリー等、校則違反の常習犯。校内で、彼を知らない人間はいないだろう。
「なんだその態度は、神谷会長に言いつけてやろうか?ん?」
「そういうこというから嫌われるんだっていつ気づいてくれるんですかねぇ?馬鹿だからわからないのかなぁ?」
「・・・て、天河先輩と会長さんって仲悪いんですか・・・?」
まるで、喧嘩する小学生のようだ。小声で利市に尋ねると、利市はあきれたように肩をすくめた。
「仲悪いっつーか、会長が天河にちょっかい出すんだよ。天河の姉ちゃんが如月と仲いいらしくて、その筋で知られたくないこといろいろばらされてるらしくてなぁ・・・」
「あぁ・・・上のご兄弟がいるっておっしゃってましたけど、お姉さんなんですね」
「確か、俺らより3つ上だっけな。今3年の如月が1年のときに会長やってたんだと。」
「へぇ・・・いいですねぇ」
香坂が兄貴分とはいえ、出水は一人っ子だ。兄弟というものには昔からあこがれがある。
「全っ然よくないよ!」
皇牙と言い合いをしながらも、話は聞こえていたらしい。
「いい?白石さん、姉なんてね、弟をおもちゃとしか見てないからね?メイクの勉強とか言ってビューラーでまぶた挟まれる恐怖が分かる?」
「いいのか?そんなこと言って。神谷会長に告げ口してやろうか」
「うるさい。用がないなら帰ってくださいって言いましたよね」
「馬鹿だな。用もないのにこんなところに来るわけがないだろう。僕は忙しいんだ」
皇牙はそういってブレザーのポケットから1枚のプリントを取り出し、天河に突き付けた。
「体育祭のエントリー表だ。貴様、借り物競争にエントリーしていないが、どういうつもりだ?」
「ハッ、なんに出ようと俺の勝手でしょう。二度とでるかあんなもん」
「そうか・・・残念だ」
皇牙は口調とは裏腹に愉快そうに口角を上げて、指を鳴らした。
途端に、どこに隠れていたのか体の大きな男子生徒たちがぞろぞろと化学室へと雪崩れ込んだ。
「・・・本当にいるんですね、ああやって呼ぶ人」
「あいつくらいだろうな・・・」
「おい!離せよ!」
あっという間に、天河は野郎どもに抱え上げられ、地面から足を浮かしていた。
「!?はぁ?ちょ、うわぁぁ!」
「神谷会長には少々手荒でも構わんと許可をとってある。生徒会室でゆっくり話そうじゃないか。なぁ?」
「ふざけんな――――!!」
「さぁ、ちゃっちゃと連行しよう。邪魔したな」
さすがにこの人数ではかなわないのか、天河はあっさりと連行されていった。
「あ、あの・・・大丈夫でしょうか・・・?」
「あー・・・大丈夫だろ。いつものことだし」
「いつものことなんですか!?」
「ユズ天河君が虫入りの虫かご持った会長に追われてるの見たことあるよー」
「あの人どうして会長続けてられるんですか・・・」
生徒会室に入ると、天河を抱えた男たちは下がり、皇牙と2人きりになった。
ここまでは、悔しいけれどよくあることだ。
「・・・で、だ。借り物競争に大人しく出る気になったか?」
「なるかぁっ!出たらとんでもない借り物なのが目に浮かぶわ!!」
「ふぅ、馬鹿だなぁ。断ったら切り札がでてくるだけなのに」
ここでの切り札とは当然、天河の姉や諜報部隊からの情報を指す。
「お好きにどうぞ。あいにく俺は、マトモに生きてるんでね」
校則を破りまくっているお前とは違う。そう、皮肉るつもりだった。
しかし、皇牙の次の言葉に、天河は冷静さを失った。
「お前がさっきの(委員会)をつくった、本当の理由だ」
「!?・・・」
「僕は何も考えずにお前を迎えに行ったわけじゃない。お前の作った委員会がどんなものか、見ておきたかったからだ。・・・罪滅ぼしとは、お前にも人間らしいところがあったものだな」
カッと顔が熱くなり、気づけば天河は皇牙の胸ぐらをつかんでいた。
「・・・誰から聞いた。」
「っ・・・かみ、や・・・?」
「誰から聞いたか、答えろよ!」
皇牙の腰が座っていた椅子から浮くほどの力が、腕に込められている。
「・・・落ち着け。僕は、何もしらない」
「嘘をっ・・・」
「嘘じゃない」
皇牙は毅然とした様子で、天河の言葉を遮った。
「僕はキーワードをきいただけだ。それ以上は何も聞いていない」
「・・・本当だろうな」
「あぁ。知ったかぶりで、殺されてはかなわん。僕はそこまで馬鹿じゃない」
天河の手が、少しだけ緩む。
「二度と、探ろうとするな。」
「面白半分できいていい話でないことは理解した。もう探りなんかしないさ」
「・・・そうか」
この時、天河はまだ動揺していたのだろう。あっさりと、皇牙を放した。
「・・・ただし」
皇牙は再び偉そうに腰かけると、机の引き出しから一枚の紙を取り出した。
「エントリーの変更届だ。出てくれるよなぁ、僕の胸ぐらをつかんだんだから」
「なっ・・・!」
「さっきの様子は隠しカメラで録画してある。言い逃れはできんぞ」
握りつぶしたくなるようないい笑顔で、皇牙は小首をかしげて見せた。
「さぁ。どうする?」
「――っ、あんたやっぱり最低だ!」
この生徒会長の一日でもはやい引退を願う天河であった。
ようやく解放され生徒会室を出ると、廊下で出水が待機していた。
「!・・・なんでここに?」
「あ、えっと、委員会が終わって化学室閉められてしまったので、先輩の荷物持ってきました」
出水の手には、襲撃のせいで置き去りにされた哀れな天河の鞄が握られていた。
「あぁ。ありがと。利市にでもこさせればよかったのに」
「利市先輩は素さんに呼ばれて職員室に行ってしまったので、私が代わりに」
「そっか。わざわざありがとう。待たせちゃった?」
鞄を受け取りながら、暗に先ほどの会話を聞かれていないか、探りを入れる。
「いえ、桜井さんや安藤君とお喋りしてましたし、少し前に来たところですよ」
「・・・ならよかった」
嘘をついているようには見えない。安堵して微笑んだ天河の顔を覗き込んで、出水は心配そうに眉根を寄せた。
「天河先輩、大丈夫ですか?なんだか疲れた顔してらっしゃいますけど」
「えっ・・・そう?全く、あのバ会長と話すと疲れるんだよねぇ」
そう答えながら、天河の頭の中は皇牙の言った(キーワード)で埋め尽くされていた。
(罪滅ぼし・・・か。そんなんじゃない。こんなことじゃ、俺がアイツにしたことは許されるハズがないんだ・・・)
「天河先輩・・・?」
出水の声で、ハッと我に返る。
「ごめんごめん、思ったより疲れてるのかな。何?」
「先輩は、結局借り物競争に出られるんですか?」
皇牙とのやり取りのせいですっかり忘れていたが、そもそもの問題はこっちだ。
天河は真横から殴られたようなダメージを受けつつ、かろうじて苦笑をつくろった。
「あー・・・うん、出るよ。二年連続とか勘弁してほしいよ・・・」
「去年も出たんですね・・・去年は借り物、なんだったんですか?」
「・・・(鼻眼鏡で一発芸)」
「・・・へ?」
思った通りの出水の反応に、天河は少し語り口調を意識して続けたる。
「俺、一発芸なんてできるキャラじゃないし、焦ったよあの時は」
「そ、それで、どんなギャグを・・・?」
期待を抑えられず、出水は少しだけ身を乗り出して本人による再現を待った。
しかし、相手は天河である。素直に従う人間ではない。
「期待させて悪いけど、俺何もしてないよ」
「?じゃぁ、どうやって・・・」
「近くにいた利市に鼻眼鏡かけて腹話術のマネやったんだ。(コンニチハ、アソーリーチデス)ってね」
疲れを忘れたような、すがすがしい小悪魔の笑み。
出水は一瞬目を丸くして、同情するように目を伏せた。
「なんというか・・・どっちかというと利市先輩のトラウマな気がするんですけど・・・」
「・・・僕だ」
不満が伝わるように、相手が返事をする前に切りだす。
『あら、随分早かったわね。もう面談は終わったの?』
電話越しでも、相手がほくそえんでいるのが容易に想像できた。こういう時、この人にはかなわないと皇牙は嫌でも実感させられる。
「あんた、僕を使ってあいつを試したんだろう。キーワードに対するあいつの反応が見たかった・・・違うか?」
『やっぱり、頭のいい奴は話が早くて助かるわ。その分じゃ、随分暴れたみたいね』
「僕の胸ぐらをいきなりつかんで(誰から聞いた!)だ。あいつらしくもない」
『あははっ、あんたどーせまた煽るようなやり方したんでしょ』
相手は悪びれる様子もなく、んー、と小さな唸り声を上げた。
『・・・まだ早かったかしら』
何がだ。と聞きたかったけれど、今日の天河の様子を見るに、下手に知らない方がいいことなのだろう。エントリー変更届を見ながら、皇牙は余計な言葉を飲み込んだ。
「あんたも人が悪い。自分でやればいいだろうに」
『なーに言ってんのよ。あいつの弱みを聞いてきたのあんたでしょ。私はキーワードを教えてあげただけ。詳細を教えなかったこと、感謝しなさいよね。』
「こうなることも想定してたってことか」
『そーゆーこと。あんたのことだから、ちゃっかり脅して借り物に出したんでしょ』
「もちろんだ」
でないと、わりに合わない。
『さっすが。今回はそれで手を打ってよ』
「・・・しかたないな。」
『いい子。・・・あ、うちの愚弟が帰ってきたみたいだから切るわね』
「あぁ。また。――神谷会長」
今はあんたが会長でしょ。
そう笑って、天河の姉、神谷千歳(かみや ちとせ)は電話を切った。
体育祭当日。
天河の心とは裏腹に、空は嫌味なくらい体育日和の晴天だった。
「て、天河先輩っ、頑張りましょうね!」
暗い表情の天河を気遣ってか、出水の声は少々わざとらしいくらいに明るい。
「うん、ソウダネ・・・」
「慌ただしく働く役員たちを遠目に眺めながら、天河はつくろうこともなくただ気のない返事を返すことしかできなかった。
「だ、大丈夫です!何かあったらまた、利市先輩に任せましょう!」
「励まそうとしてるのは伝わってくるけど、言ってることなかなかゲスいよ・・・」
いやまぁ、そのつもりなのだけど。
「あっ、次大縄とびですよ!桜井先輩です」
「本当は、俺も今頃向こうにいるはずだったんだけどなぁ・・・」
乾いた笑いをもらすと、出水は苦しそうに口をつぐんだ。隣では、いつの間にかやってきた安藤がねぎらうように出水の肩に手を乗せた。
――せいぜい借り物までに体力を温存しておけ――
皇牙にそういわれ、天河の大縄跳びへのエントリーはなかったことになっている。
今日天河が出場するのは、借り物競争だけだ。
(・・・何を考えているんだか)
本部と銘打ったテントの中でふんぞり返っている皇牙に視線を送る。皇牙は時折教員や役員と会話しながら、悠然と体育祭を眺めていた。
「あっ、桜井先輩すごいです!軽々ととんでますよ」
出水の声で、視線が手前へと引き戻される。グラウンドの中央で、柚季を含む黄組の面々がきれいに足並みをそろえてリズムを刻んでいた。
「あぁ、桜井さん運動神経いい方だからね。この位楽勝でしょ」
体育の授業で、柚季はいつも楽しそうに活躍している。適当に体育をやり過ごしている天河には、少しまぶしく感じるほどに。
「あっ・・・」
出水の残念そうな声と同時に、会場がどよめく。柚季の後方にいた生徒がひっかかったらしい。次は、三人の所属する青組だ。
「せーのっ!」
回し手の掛け声とともに、縄が空を切った。声援と、回数を数える声が飛び交う。その中で、天河は黙って汗ばむ手を握り、その様子を見守っていた。天河も、途中までは練習に参加している。今とんでいるメンバーがどれだけ努力してきたか、容易に想像がついた。結局、どこかの誰かさんのせいで天河はこうして応援することしかできないのだけれど。
(・・・ん?)
その(誰かさん)をにらんで、天河は違和感に目を凝らした。
皇牙は名は体を表すといわんばかりにそこに君臨している。違和感の正体は周りだ。先程まではひっきりなしに出入りしていた役員たちの姿が見当たらない。嫌な予感がする。
天河の視線に気づいたのか、皇牙はこちらを見ると一層不敵に笑ったのだった。
盛夏は過ぎても、外で何時間も動くにはまだまだ暑い。自然と流れた汗の分を補給していると、クイ、と体操着の裾を引かれた。
「んぁ?」
水筒から手を放すと、自分と同じ黄色いハチマキが目に入った。腕で口元をぬぐいつつ向き直る。裾をつかんでいたのは見覚えのない女子生徒で、利市より頭一つ分背が低かった。
加えてうつむいているため、利市からは顔が見えない。
「あの、すみません・・・」
今にも消え入りそうな声で、相手は利市の裾を握る手を強めた。
「ちょっと、気分が・・・保健室まで、ついてきてもらえませんか・・・」
「!分かったから、しんどいなら黙ってろ。行くぞ」
この暑さだ。参ってしまう生徒がいてもおかしくない。
利市は声をかけつつ、少女の肩に手を添えて歩き出した。
少女の浮かべた笑みを、利市が知ることはない。
とうとう、プログラムは次が借り物競争というところまで来ていた。何も知らない1年生や天河のような生贄が、6列になって行儀よく並んでいる。
確か、仔牛が連れて行かれる歌があったっけ。現実逃避に、天河はそんなことを考えていた。
「ハーイッ!借り物競争に参加される皆さん、行きましょうか!」
苛立つほどの笑みで、誘導担当の生徒が声をあげた。一つ前の競技に出場していた生徒達と入れ替わりに、ハリボテの入場門からゾロゾロと雪崩れ込む。
「さぁやってまいりました、我が校名物借り物競争!」
そんな名物いらない。と、天河はひとりごちる。
「ルールの説明です。出場者はスタートしたらまず平均台や網くぐりなどを通過してもらい、その先にある自分の名前が書かれたカードをとってください!あとはその条件を満たしてゴールするだけという、非常にシンプルな競技となっております!」
その条件が、一筋縄ではいかないのだけれど。
「さぁそれでは早速始めましょう!あ、本部までくれば放送で借り物を呼びかけますので、カードをとったら来てくださいね!それじゃ、並んでー・・・」
促されるままに、出水を含む第一走者たちがスタートラインに立つ。
皆の緊張や期待を背負いながら、音だけのピストルが開幕を告げた。
「えっ・・・白石さん足はやっ!」
思わず声が漏れる。
(ほんと、何であんなに自信がないんだか・・・)
出水は誰よりも早く障害物を通過すると、カードを手に取った。その顔に、戸惑いが浮かぶ。
「さーて、白石さんの借り物は――(化学の香坂先生手をつないでゴール!)」
名前が読み上げられ、本部で慌ただしく動いていた香坂は漸く顔を上げた。
「へ、あぁ、オレかっ!」
「お、お願いします・・・」
「おっ、いくか!」
香坂はどこか楽しそうにテントを出ると、出水の手を取って走り出した。
本部を超えれば、ゴールは目と鼻の先である。2人はぶっちぎりの一位で、ゴールテープを切ったのだった。
「・・・いいなぁ」
あれ以上の(当たり)はそうそうないだろう。
どれだけの時間がかかろうと、リタイアは許されない。時間をかけつつも着々と協議は進み、とうとう天河達最終走者の番がやってきた。
「いよいよ最後の組となりました!・・・ご愁傷様です」
「オイ今ご愁傷様って・・・」
司会の言葉にツッコむ暇もなく、ピストルは無情に鳴り響いた。止まっているわけにもいかず、足を動かし、カードを目指す。
「え・・・?」
開いたカードに書かれていたのは、たった4つの漢字。
「さーて、神谷君の借り物は――(麻生利市)くん!麻生くーん、いますかー?」
何かある。あの皇牙が、こんなに単純なお題を出すわけがない。
「あれ、麻生くーん?」
案の定、黄組が集まっている辺りに目を凝らすが、利市が出てくることはなかった。
(・・・先回りってわけか)
利市が天河の逃げ道ならばと、先にどうにかして隠してしまったのだろう。
「さぁ、待ってやるから、ゆっくり探すといい」
天河は顔をひきつらせつつ、広いグラウンドを見渡して途方に暮れた。
「品川せーんせ、熱中症っぽいやつ連れてきた・・・っていねぇし」
おぼつかない少女に合わせたゆっくりとした足取りでようやく保健室まで多度志ついたというのに。利市はドアを開けたまま立ち尽くした。
「えーと・・・どうすりゃいいんだこれ」
「・・・横に、なりたい」
「!あ、そか、そうだよな」
この様子では、立っているのもつらいだろう。ベットに横たわり、少女は苦しそうに目を閉じた。
「悪いけど・・・飲み物、とってくれないかな。その冷蔵庫に、こういう時のためにはいいてる、はず・・・」
「あれか?ちょっと待ってろ」
養護教諭である品川がいない以上、利市は言われるがまま、できることをするしかない。
利市は大人しく、保健室の隅に設置された冷蔵庫に歩み寄った。
「どうした神谷。ギブアップか?」
獲物をいたぶるような、皇牙の声。
「・・・あんた、本当に利市に何したんだ」
熱くなったら負けだ。天河は平坦な声で応える。
「さぁな。安心しろ。リレーに出られなくなるようなことにはなっていないさ」
天河が黙って睨んでいると、皇牙はさも今思いついたかのように手を合わせた。
「このままじゃ永遠に終わらん。そこでだ、これから僕の人気が終わるまでの約一か月、生徒会の雑用を手伝うなら、リタイアさせてやろう」
「!なるほど、・・・それが目的か」
引継ぎまでの一か月となれば、さぞかし忙しいことだろう。そのために。
「嫌だといったら」
「お前のせいで体育祭がいつまででも延びる。それだけだ」
この男のことだ。天河がYesというまで退かないし、逃がさない。
「・・・悪徳会長め」
誰にも聞こえないように呟いて、天河は辺りを見渡した。
借り物競争が始まって、それなりに時間がたっている。そこには、戸惑いのほかに、早く終わらせろという空気が満ちていた。
この視線や空気に勝てるほど、天河は強くない。
「・・・分かったよ!やればいいんだろ!」
天河の叫びに、皇牙はやれやれと言いたげに頷いた。
「ありがとう、少し、楽になったわ」
少女は美味そうに スポーツドリンクを飲み干すと、しんどそうにベットに背を預けた。
「じゃぁ俺、品川探しに一旦戻ってみるわ。向こうで待機してんのかもしれねぇし」
「!待って!」
病人とは思えない力で,腕を掴まれる。
「もうちょっと、ここにいて・・・?」
潤んだ瞳と、すがるような表情。利市は手を振り払うこともできず、手近な椅子に腰を下ろした。時折冷やしたタオルや飲み物を運ぶだけの、気まずい時間が流れる。
――ピピピピピピピピピッ!!――
ピリオドを打ったのは、甲高い着信音だった。
「やっと、か」
言葉の意味を考えるより先に、少女が軽やかにベッドから飛び降りる。
「えっ、お前・・・」
「もう大丈夫みたい、ありがとうね」
少女はケロッとした表情で利市を顧みた。
「君、リレーに出るんでしょう?行った方がいいんじゃない?」
「!やっべ!」
今利市がここにいることは、目の前の少女しか知らない。
「わりぃ、俺行くわ!あとでちゃんと品川に見てもらえよな」
「・・・ほんと、お人よし」
少女のぼやきを聞くことなく、利市は保健室を飛び出した。
並んでいる生徒のほとんどが、憔悴しきった表情を浮かべている。
「て、天河先輩、大丈夫ですか・・・?」
入場門と対に作られた退場門を抜けたところで、出水は気まずそうに口を開いた。
「うん、まぁ。大丈夫」
笑顔はつくろえそうにないが、後輩に愚痴を吐くほど、落ちぶれてもいないつもりだ。
自身に喝を入れようと顔を上げた天河の眼に、校舎から走ってくる人影が目に入った。
「!!利市・・・っ!」
諸悪の根源が、そ知らぬ顔でこちらへ歩いてくる。
「お、天河お疲れ。借りもの終わったんだな。間に合ってよかったぜ」
「・・・っ間に合ってないんだよこのバ――カ!」
八つ当たりの手刀を一発お見舞いし、天河は利市の肩を掴んで揺さぶった。
「な、なんだよ、リレーまだだろ?」
「そうじゃなくて!おま、ホント・・・っ」
「リレーに参加する選手は集合してくださーい」
「ギリギリだったな。じゃ、なんか知らねぇけどあとでなー」
「利市ぃ!」
自分が人質にとられていたことなど知りもしない利市は、早足で集合場所へとかけていった。
数日後。生徒会室には、大量の書類と戦う天河の姿があったという。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます