3回目 同属嫌悪な天邪鬼
「おっ、二人とも早いねぇ」
週のあけた月曜日。無邪気な声に出水はピンと背筋を伸ばした。
「お、お疲れ様ですっ」
「・・・どうも」
今週の実験の前に、薬品の整理やチェックをしておきたい。天河の提案でこうして放課後、化学室に集まってきていた。
「あれ?りーち君まだ来てないの?」
「あ、ハ,ハイッ。私と安藤君だけデス」
抑えようと思うほど、声が硬くなる。柚季は少し目を見張って、続いて入ってきた天河は小さく吹き出した。
「えーっと、これはもしかしてユズ怖がられてるかんじ?」
「い、いえっ、その、・・・」
先日、出水は柚季の(お友達)を紹介されている。(可愛らしい先輩)からイメージが一転するのも、仕方がないというもので。
「もー、そんなに怖がらなくてもいいじゃん!」
柚季は拗ねたように口をとがらせると、優しく出水のほほをつまんだ。
「言っとくけど、ユズ不良じゃないからね?」
「え、えっと・・・?」
「ねー?天河君、ユズ不良じゃないよねー?」
同意を求めて、圧力など感じさせない様子で、柚季が天河を振り返る。
しかし、この天邪鬼な男から求めた反応が返ってくるはずもなく。
天河は穏やかに、少し困った表情で黙って頷くのだった。
「のらなくていいから!それじゃますますシロちゃんたちが誤解するじゃんもー!」
「いえ、今ので少しわかった気がします・・・」
天河の顔には、どこかからかう余裕がにじんでいる。本当に柚季が不良なら、こんな表情はしないだろう。
「なーんだ。信じないなんてつまらないなぁ」
「天河君!」
優しそうに見えて、その実裏では何を考えているかわからない。それが、出水の中の(神谷天河)だ。
「っていうか白石さんどうしたの急に。誰かから噂でも聞いた?」
「噂、といいますかこの前校門のところでその、桜井先輩のご友人にお会いしまして・・・」
「あぁ、なるほど・・・」
「まぁ、りゅーじ達は見た目で誤解されやすいからねぇ。でもっ、二人ともいい子だよ!喧嘩だって兄弟でしかしないし・・・タバコ吸わないし・・・」
「はぁ・・・」
目が合っただけでからまれた出水からすれば、とても(誤解)とは思えないのだが。
「桜井さんって本当に怖いもの知らずだよね」
「えーっ、だってもったいないじゃん!その人のこと知らないのに、イメージだけで避けたり、嫌ったりするの。ユズそーゆーの大っ嫌ぁ―い」
柚季は大げさに顔をしかめた後、一転して晴れ晴れとした笑顔を見せた。
「だーかーらっ、ユズはシロちゃんともいっくんとも仲良くなりたいなぁ。ユズ悪いことしないし、さ。ね?いいでしょ?」
その笑顔で小首をかしげる様子に、嘘はなくて。
出水も思わず微笑み返した。
「よろしく、お願いします」
「シロちゃんいい子!いっくんもよろしくね!」
出水を撫でた手が、安藤の頭に伸びる。
「・・・はい」
「うん、シロちゃんの後ろに隠れつついうことじゃないよね?」
安藤は座ったまま上体を引いて、隣の椅子に座っていた出水の後ろに潜り込んでいた。強めに腕をひかれ、出水は危うく椅子から落ちそうになる。
「なーんでー?ユズ怖くないよー、ねぇってばー!」
「別に・・・・怖いわけじゃないです」
安藤には2人が来る前に先日のことを話してあるが、特に怖がる様子はなかった。
おそらく、柚季の積極的な性格と基本的に合わないのだろう。
「いっくんノリ悪―い。もっと楽しもうよ!」
「はぁ・・・これでも一応、楽しんでますが」
二人に挟まれ、動こうにも動けない。出水は助けを求めて天河に視線を送ったが、帰ってくるのは憎らしいほどの(いい笑み)のみだった。
「――っ悪ぃホームルーム長引いて遅れ、た・・・」
あわてた様子で駆け込んできた利市の視線は、膠着状態の3人に気づいたところで固定された。
「お疲れ。お前の担任長話好きだもんなぁ」
「いや、それ以前にあいつらなにやってんだよ」
「りーち君聞いてよー!いっくんがねっ!」
柚季が飼い主を見つけた犬のように、利市に駆け寄る。
「いっくんがね、ユズに不良の友達がいるの知って怖がっちゃって」
「・・・怖がってるっつー面か?あれ」
柚季が離れた途端、安藤は出水から離れてどこか興味深げに2人をじっと見据えていた。
「・・・麻生先輩は知ってたんですね。桜井先輩に不良の友人がいること」
「あ?知ってるも何も。2年じゃ知らねぇ奴はいねぇよ。それがどうした」
「・・・いえ、聞いてみただけです」
そのあとの安藤の
「・・・物好き」
という消えそうな呟きが聞こえたのは、隣にいた出水だけだろう。
「おっ全員そろってるな。じゃ、始めるかぁ」
何も知らない香坂が顔をのぞかせ、実験委員会の時が、いよいよ本格的に動き始めたのだった。
「出水―、これそっちな」
「ハイッ」
言われたものを言われた場所に。昔から理科が苦手だった出水には、それが精いっぱいだった。
「あっ神谷。このエタノール補充しといてくれ」
「はーい。これですよね?」
天河は(立案者)だけあって化学が得意なのか、香坂の指示にもうろたえることなく対応している。
「硫酸30ml、・・・桜井、そっちはどーだ?」
「こっちは終わったよー、はいっ」
利市と柚季で薬品の量を確認しており、その傍らでは安藤が確認の終わった薬品の整理を行っていた。
「出水、次これな。一番上の棚」
「はい・・・あッ!」
香坂と出水の間で空っぽの三角フラスコが回る。重力に従ったソレは受け止められることなく床に落ちて砕け散った。
「あー・・・大丈夫か、出水。触んなよ」
「ご、ごめんなさ・・・」
「んー、いや、今のはオレが手ぇ離すのが早かったんだ。悪ィな」
香坂は狼狽えることなく、掃除するものはないかと視線を巡らせる。
出水がうつむいたまま動けずにいると、右手にヒヤリとした感触が伝わった。
「・・・白石さん、ここ切れてるよ。破片がとんだかな。痛くない?」
右手が軽く持ち上げられ、その側面にうっすらと血がにじんでいる。
その手の向こうには、暗い表情をした天河が立っていた。
「だ、大丈夫ですよ?このくらい」
「そう。でも、念のため消毒くらいしといたほうがいいかもね」
化学準備室は大きな薬品棚もあって薄暗く、天河の表情もどこかぼやけている。
それでも、出水には天河がうっすらと唇を噛んだのが分かった。
「天河先輩・・・?」
「・・・コレ捨てるついでに保健室寄ろっか」
冷たい指先が、天河の手を優しく離れる。
天河は淡々と香坂が持ってきた箒を受け取って破片を集め始めた。
「あっ、先輩、私自分で・・・」
「いいよ、また手怪我するかもだし」
「そーだな。お前は破片が残ってねぇか周りよく見とけ」
自分のミスを、2人が片づけてくれている。
「・・・ごめんなさい」
罪悪感で、つぶれてしまいそうだ。
「・・・よし、これでいいかな。それじゃ、白石さんいこっか」
「 あ、神谷それ捨てる場所わかるか?」
「わかりますよー、去年文化祭で出店のガスとかやってたんで。あの辺ですよね。ついでに白石さんに場所教えとこうと思って」
「そうだな。んじゃ、頼むわ」
「はい。行くよー」
「あ、はいっ・・・」
香坂が利市たちに指示を出す声を聴きながら、出水は早足で天河に続いた。
「・・・手。痛くない?」
「少し切っただけですし・・・言われるまで気づかなかったくらいです」
「そっか。よかった」
光が強いほど、影は濃く現れる。明るい陽のさす廊下に出たから、というわけではないのだろうけど、薄暗い部屋よりもはっきりと、天河の眼には憂いが浮かんでいた。
「・・・一つ、聞いていいかな」
「!な、なんでしょう・・・?」
足を止め、天河の持っていた袋の中で砕けたガラスが耳障りな音をたてる。
出水は憂いの中身を知らぬまま、天河に向き直った。
「白石さんってさ、自分に自信がない・・・もっと言えば、自分が嫌いでしょ」
きいていいいか、なんて言いながら、疑問形ではない。天河の眼には、迷いがなかった。
「さっき、必要以上に沈んでいるみたいだったからね。もしかして、と思って」
「・・・それは・・・」
その眼に今浮かんでいるのは、憂いか優しさか。天河に覗き込まれ、引き出させるように口が動いた。
「自信なんて、・・・持てません」
私なんて。今まで何度、口にしてきただろう。
「私、昔から素さんに助けられてばかりで・・・ダメ、なんです」
固く唇を結んで、吐き捨てるように言葉があふれた。
「私・・・何にもできない自分が、大っ嫌いです、昔から」
「・・・そんなこと、言わないでよ」
頑なな出水の心に、天河の優しい声がしみ込んでいく。
「俺からしたら、白石さん頑張ってくれてるし、全くダメなんかじゃないんだよね」
「で、でもっ、私、今だって先輩にご迷惑を・・・」
「うーん。そこから間違ってるんだよなぁ」
天河は少し考えて、持っていた袋を出水に差し出した。
「持ってみなよ」
「?はぁ・・・」
ガチャ、と再び不快なガラスの音が響く。
「重い?」
「いえ、このくらい・・・」
たかがフラスコ一つ、出水だって持てる。
「たったそれだけ、ってことだよ」
天河はこともなげにヒョイ、と袋を出水の手から回収した。
「俺にかかってる迷惑なんて、こんなもん。そんなに気にすることじゃないよ」
澄ました顔でそういった天河の顔が、実は、とほころぶ。
「俺、ちょっと嬉しいんだよね。」
「えっ・・・?」
「俺、上がいる(弟)でさ。だから、人に頼られるの、新鮮なんだよね。・・・白石さんは、後輩が何かミスをしたときに、(迷惑だ)って思う?」
「お、思いません・・・けど」
「でじょ?だから、俺らにはいろいろしてもらっていいんだよ。それを、白石さんのできることで、下に返していけばいい」
人の考えは、そう簡単に変わらない。けれど、ほんの少しだけ。
「・・・ありがとうございます」
出水の固く結んでいた唇の端が、ほどけるのを感じた。
「天河くんって、シロちゃんに優しいよねぇ」
初めての大仕事が終わった後、柚季が不意にそんなことを言った。
「はぁ?どうしたの、急に」
今、化学室には2人しかいない。
「あ、忘れてた。委員長と副委員長でコレ書いといてほしいんだ」
整理が終わった後、香坂が広げたのは形式ばった一枚の書面だった。
一番上には(報告書)の文字。
「あー、やっぱりあるんですね。こーゆーの。」
(立案者)の流れで(委員長)となった天河が苦笑しつつ受け取る。
「・・・というわけで、よろしくね。副委員長」
天河は黒く光る笑みで、利市の肩に優しく手を乗せた。
「てめぇ。それ面倒事を俺に押し付ける気満々だろ」
「やだなぁ、人聞きの悪い。ちょーっと手伝ってって言ってるだけじゃん」
至極楽しそうな天河をよそに、
「・・・ユズ、副委員長やりたいなぁ」
柚季が、声を上げた。
「へっ・・・いいの?桜井さん」
「うんっ!楽しそうだし、よかったらやるよー」
「本当?ありがとう。利市だと心もとないし、お願いしようかな」
「てめぇは俺を貶めねぇと気がすまねぇのかよ・・・」
不満げな利市と一年2人を帰路につかせ、職員室での仕事に香坂が戻ったため、今に至る。
「今日シロちゃんが怪我した時、えらく世話を焼いてたじゃん」
「そりゃぁ・・・自分の作った委員会で怪我したなんて、気分いいもんじゃないでしょ」
天河はそれだけ言うと、(報告書)に目を落とした。まだ、半分ほどしか埋まっていない。
天河は手にしたボールペンで、急かすように机をたたく。
「それだけ?」
「・・・何が言いたいの」
「んー?なんだかいつもより優しく見えたから。もしかして、惚れちゃった?」
柚季の茶化すような問いに、天河は手を止めて顔を上げた。
どこか余裕のある表情。聞かれたくない(核心)から、話が逸れたからだろうか。柚季はそんなことを思いながら、天河の言葉を待った。
「フフッ、まさか」
天河の眼に、柚季の姿が映る。柚季の眼にも、天河が映っているのだろう。
天河から、柚季の目に映った自分はどう見えているのだろうか。
「・・・逆だよ」
「逆、とな?」
「イライラするんだよね、あの子見てると。」
内緒だよ、と人差し指をたてて、天河は続けた。
「今日も二人で出たときに話したけど、あの子、自分に自信がないから自己評価が低すぎる。・・・ウジウジしていいことなんかないのに」
「あぁ、確かにめちゃくちゃ謝ってたもんねぇ」
「でしょ?あの子、今日だってかなり働いてたし、むしろ要領よくやってたのにさ。俺なんかと違って色々できるんだから、あそこまで卑下しなくてもいいのに・・・」
(俺なんか、って・・・自分を卑下してること気づいてないのかな・・・?)
「同属嫌悪、か」
「?何か言った?」
「・・・これ、さっさと終わらせちゃお!ユズおなかすいちゃった!」
きっと、今この男にそれを自覚させても無駄だろう。
柚季は大人しく、目の前の書類と向き合い始めたのだった。
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