2回目:桜井さん

「香坂先生、どうでした?昨日の委員会は」

朝、職員室でのミーティングを終えると、香坂同様化学教師である杉田はそう切り出した。

実験委員会は初めて生徒から立案したものとあって、教員の間では少し話題になっている。

「あぁ、一人来てないのがいましたけど、まぁ神谷から聞いてた通りっすかね。やることもしっかり考えられてましたし」

「そうですか。それは何より。」

台詞と裏腹に、杉田の顔はどこか曇っていた。

「?杉田先生?」

「・・・これは、僕の、老いぼれの戯言と思ってくれてかまわないのですがね」

杉田は、もう50も半ばという大ベテランだ。24という新人の香坂に、聞き流すことなどできるはずもない。

「神谷君を、少し気を付けてみておいてやってください」

「神谷を?」

「去年、僕はあの子の化学も担当してましたが、実験の時はいつもどこかぎこちない表情をしていました。そんな彼が、(実験委員会)を作った。・・・すこし、気になるんです」

香坂は天河の生物を担当しているが、生物では今まであまり大きな実験をしていない。そんな天河の様子など、気づくはずもなかった。

「・・・わかりました、気にかけておきます。」

「頼みましたよ。・・・あぁ、そうだ、もう一つ。香坂先生に頼みたいことが」

一転、ヒトの悪い笑みを浮かべる大ベテラン。新人のぺーぺーに、雑用を断る権利などあるはずもなく。


10分の休み時間では、移動教室があるとゆっくりする時間がほとんどない。体育などは着替えもあるため、大急ぎで出なければならない。

クラスメイトにおいて行かれないよう足早に更衣室に向かっていると、会談を昇ってくる人影に見覚えがあった。昨日、知り合ったばかりの顔だ。

「あっ白石さん!ちょうどよかった」

「?お、お疲れ様です・・・私に用ですか?」

「うん、白石さん、昼休みって空いてる?」

「昼休みですか?別に、何もありませんが・・・」

部活にも入っていないので、友人と昼食をとる程度だろうか。

「よかったぁ。悪いんだけど、手伝ってもらえないかな。香坂先生からさっき言われたんだけど、頼んでた試験管とかが来たらしくて、午後の実験までに一通り片づけたいんだってさ」

「なるほど。そういうことなら大丈夫ですよ」

「助かるよ。あ、よかったら昼ごはん、準備室に持っておいで」

「お弁当・・・?」

準備室とはいえ、実験室で飲食はよくない気がする。そもそも、食べようという物好きも少ないだろうが。

「昼休みつぶしちゃう代わりに、準備室の隅のソファとかおいてるスペースでなら食べていいってさ。香坂先生に交渉したんだ。今日は、桜井さんも来るし、顔合わせも兼ねてね」

「!・・・あの、その桜井先輩ってどんな方なんですか?」

「・・・いい人ダヨ」

「目をそらされながら言われましても。」

「ハハハッ、冗談だよ。そんなに警戒しなくても、明るくて面白い、かわいい子だよ」

「はぁ・・・」

そうは言われても、ただでさえ人見知りな出水はどうしても不安をぬぐえなかった。

「そうそう、白石さん、悪いんだけど安藤君にもこのこと伝えといてもらえないかな。」

「わかりました。次体育で合同なので、そのとき、・・・・・っあ!!」

出水の声に驚いたように、壁掛けの時計が長針をすすめた。

授業開始まで、あと5分。

「え、体育だったんだ?引き止めてごめん!」

「いえ、今からなら間に合いますから。失礼します!」

今日の体育はバレーだから、体育館に行けばいい。更衣室から体育館はすぐそばなので、走れば間に合うだろう。

出水はあわただしく一礼をして走り出した。


運悪く、今日の体育は男女で分けられており、安藤にはあとで声をかけなければならなくなった。手早く着替えを済ませ隣の教室を覗き込む。

(安藤君、は、まだかな・・・)

まばらな教室に、それらしき姿は見当たらない。

一旦教室に戻ろうか悩んでいると、不意に後ろから肩をたたかれた。

「ヒョワッ!?」

視界の端で、細身の肩が出水の奇声に驚いたように跳ねる。

「あ、安藤く、ん・・・」

運動したばかりだからかブレザーを腕にかけた安藤が、目を丸くさせて立っていた。

「・・・大丈夫?」

「だ、大丈夫ですっ。でもちょうどよかった。私、安藤君に用があったんです」

安藤が、自分を指さして首をかしげる。

「今日のお昼休み、実験委員会でやることができたそうなので、準備室に来てくださいとのことです。あっ、お弁当持ってくるようにって言われました」

「お弁当・・・?」

「昨日来られなかった(桜井先輩)が来られるそうなので、顔合わせも兼ねて、準備室でたべれるように交渉したんだそうです」

「!・・・ふぅん」

安藤は、あまり口数が多くない。その分、何を考えているのか表情や雰囲気からなんとなく読み取れる。その時の安藤には、遠足前の小学生のようなわくわくが宿っているように見えた。

「安藤君、嬉しそうですね?」

「・・・嬉しいというより楽しみ、かな」

「楽しみ、ですか。私も楽しみではあるんですけど、(桜井先輩)がどんな方か少し怖い気もしますね」

天河のことを疑うわけではないが、(面白い人)という表現が引っ掛かる。

「・・・僕はそれが楽しみ」

「え?それって、桜井先輩ですか?」

安藤は大きくうなずくと

「確信ができたら教えてあげる」

とだけ言って教室へと入っていった。


想像していたよりも普通の、かわいい女の子。

それが、出水の桜井柚季(サクライユズキ)に対する第一印象だった。

昼休み、出水が準備室の薬品棚を抜けて奥へ進んでいくと、机を挟んで天河と噂の女子生徒が座っていた。女子生徒のほうは、出水からは顔が確認できない。

「あ、桜井さん、白石さん来たよ」

「!おっどれどれ」

角が生えているかも、なんて想像していたわけではない。それでも、出水はどこか脱力感と安堵を覚えた。大きな目に見合う、どこかあどけない顔立ちの、かわいらしい女の子だ。

先輩という情報がなければ、出水とおなじ1年生だと勘違いしたかもしれない。

「おぉー、かわいい娘じゃん!初めまして、あたし桜井柚季!よろしくねっ」

柚季は出水に駆け寄ると、キラキラした視線で出水を見回した。

「し、白石出水です、よろしくお願いします」

「フムフム・・・なんというか、(出水ちゃん)っていうより(シロちゃん)って呼んだほうが似合いそう。(シロちゃん)って呼んでいい?」

目の前にあるのは、純度100%の笑みと既視感。

固まる出水の代わりに、天河が吹き出した。

「桜井さん、それ昨日利市も言ってた・・・っ」

「えーっ嘘、りーち君と一緒かぁ~」

「ッと言うか、シロ、なんて犬みたいじゃないですかぁ・・・」

「大丈夫だって。(シロちゃん)かわいいよ?」

「で、ですから・・・」

「まぁまぁ二人とも、とりあえず座りなよ。通路狭いから白石さんが塞いじゃって、安藤君が入れてないから」

言われてみれば、出水は柚季に気圧されてここから一歩も動いていない。

あわてて振り向くと、手近の机にもたれた安藤が淡々とこちらを眺めていた。

「す、すみません安藤君!」

「大丈夫。そんなにまってないよ」

「君が安藤君か。よろしくっ。あたしは桜井柚木ね」

「・・・安藤逸、です。どうも」

「テンション低っ。もっと会話しよーよいっくん」

安藤の呼び方は(いっくん)に決まったらしい。

当の本人は気にしていないのか

「はぁ・・・よろしくお願いします」

とだけ言って軽く頭を下げた。

「利市、学食でご飯買ってくるって言ってたから先食べ始めようか」

「そうしよー。ユズおなかすいちゃった。あ、シロちゃんユズの隣おいでよっ」

シロちゃん呼びはやめてもらえそうにない。出水が諦めて促されるままに柚季に続こうと足を向けた。

「え・・・?」

踏み出した足が、反射的に後ろに下がって出水を支える。しっかり腕をつかまれ、あっという間に柚季の向かいに座る天河側に並べられていた。

「あ、安藤君?」

出水をつかむ腕は、逃がさないとでもいうように緩まない。

犯人である安藤は我関せずといった表情で天河の隣に腰を下ろした。

状況が全くつかめなくて、座るに座れない。

「えーっ!ちょっと何いっくん!今シロちゃんここ座ろうとしてたじゃん、何でとるの?」

「・・・まぁ」

「まぁって何まぁって」

にらみ合う二人をなだめるように、天河は苦笑しながら口を開いた。

「落ち着きなよ桜井さん。別にいいじゃん席なんて」

「でもぉ・・・」

「安藤君だって、俺と利市に挟まれるより白石さんの隣のほうがいいんでしょ。1年生2人なわけだしね」

安藤からしたら、先輩(男)に挟まれるか、女子の中にはいるか、究極の選択になる。

「それに、向き合ってる方が話しやすいよ。そのほうがよくない?」

「むぅ・・・まぁいっか」

柚季はあっけらかんと笑って、弁当の包みをほどき始めた。

(・・・なんというか、思ったより子供っぽいけどいい人そう)

しかし、天河が言いよどむ理由もきちんとあることを、出水はまだ知らない。

おかずを口に運びながら楽しそうにしゃべる柚季を観察していると、利市がしかめ面で準備室のドアを開けた。

「あーぁ。やっぱ先食ってやがるし」

「りーち君が遅いのがわるいんだよぅ」

「しゃーねぇだろ、学食混んでたんだから・・・って、シロ、なんでそっち座ってんだ?桜井の横座りゃよかったのに」

「それはもうこの場では終わった話題なんですー。それとも、りーち君はユズの隣に座るの嫌なわけ?」

「誰もんなこと言ってねぇだろ・・・ったく」

利市はため息をつきながら、柚季の隣に腰を下ろした。

机の上に、学食特製のおにぎりが転がる。

「あれ、利市珍しいね。いつもパンなのに」

「売り切れてたんだよ!焼きそばパンもコロッケパンも!」

「うっそ、学食結構パンおいてあるのに?りーち君運悪いねぇ」

「う、うるせぇな・・・おいシロてめぇ何笑ってやがる」

柚季につられて吹き出した出水を、利市は見逃さなかった。

「へ、いやそんなっ・・・ふふっ」

「よーしいい度胸だてめぇ」

目つきをさらに悪くした利市は、ふと思いついたように口角を挙げた。

「なになに、かわいそうだからおかず分けてくれるってぇ?シロは優しいなぁ」

「えっ・・・」

時すでに遅し。利市は素早く手を伸ばすと、出水の弁当のメインである唐揚げをかっさらっていった。

「ふっふっふっ、隙だらけだぜシロ」

「なにやってんだよお前は。小学生か」

天河が呆れたようにつぶやく。しかし、出水はそれどころではなかった。

メインのおかずをとられるなんて、死活問題である。

「り、利市先輩だめですっ!返してくださいっ」

「フン、笑ったてめぇがわるい。いいから大人しく唐揚げよこせ」

利市がそういって唐揚げを口に運ぼうとしたとき、化学室中にけたたましい笑い声が響いた。


杉田のから雑用を受けて、天河に話して実験委員会を招集したまではよかった。

しかし、肝心の「今日届くはずのたくさんの器具達」が

事務室に受け取りにいくとないといわれ

職員室で杉田に確認するもやはり事務室に届いているはずたといわれ

何人かの先生にも聞いてみたが、誰も知らず

もう一度事務室に行くとやっぱりここだったと謝られ

結局10分ほど余計に歩き回って、香坂は荷物を手にすることができた。

平謝りする事務員を心の中で恨みながら、香坂は化学室へと向かった。

(あー・・・もう全員そろってるかな)

貴重な昼休みに呼び出しておいて、長く待たせるのは申し訳ない。

香坂は足を速めたが、化学室から聞きなれた笑い声が聞こえてきて、思わず足を止めたのだった。


 全員が自分を見ている。そうわかっていても、出水は笑いを止められなかった。隣の安藤が、優しく背中をさする。

「シ、シロ・・・?どした?」

「っ、フフフっ!だ、だって、利市先輩いまっ、(いいから唐揚げ)って・・・ダジャレっ・・・!」

「・・・は、はぁ?お前、もしかしてそれだけ・・・?」

出水がうなずくと利市は呆れたように肩を落とした。

「しょーもねぇ・・・」

「ふっ、ふふっ、ダジャレ、弱いんです・・・っ」

「フムフム、シロちゃんのテンションを挙げるのはダジャレかぁ」

利市の隣で、柚季の眼がひそかに輝く。

しかし、その企みを阻止するように、準備室のドアが揺れた。

出水は笑い声を飲み込み、全員が反射的ににそちらを向く。

「あぁ、香坂先生か・・・」

真っ先に冷静になった天河は、ドアを開けるため席を立った。

「サンキュー神谷。出水お前笑い声廊下まで聞こえてたけどダジャレでも言われた・・・か・・・」

香坂の視線と言葉が、出水に突き刺さる。

香坂は荷物を手近な机に置くと、出水に駆け寄ってその頭を軽くはたいた。

「っ、この馬鹿!人前で食うなっつったろ!?」

「し、仕方ないじゃないですかぁ。せっかく誘ってくださったんですから・・・」

「だからって、・・・ってぎゃー!?麻生おま、おま、それ!」

「え、お、俺・・・?」

利市の手には先ほど出水からとって食べ損ねていた唐揚げがつままれている。

「なんでお前がそれもってんだ!?」

「い、いやぁそりゃシロにもらって・・・」

とっただなんて、口が裂けてもいえない。

「出水ぃぃぃ!お前なぁぁ!」

「ち、違いますよ、とられたんです!」

「ねーねー、もしかしてシロちゃんのお弁当作ったのって・・・」

香坂のあわてよう

「あっ、はいっ!素さんです」

嬉しそうにさらっと白状した出水に、香坂は顔を真っ赤にして今度はほほを軽くつねった。

「えーっ、なんでシロちゃんの弁当をせんせーが作ってるの??」

「う、うるせぇな!仕方なくだ仕方なく!うちとコイツん家が近所で、お互いの親が共働きだからオレがついでにコイツの面倒を多少見てんだよ」

「でも、教師が一生徒の弁当を作って大丈夫なんですか?」

「大丈夫なわきゃねーだろ!だからあんま人前で食うなっつってんのに・・・万が一変だって思われて噂されでもしたらどーすんだ」

「おっ、うめぇ!このから揚げ超うめぇじゃん!」

香坂の話を聞かずに唐揚げを口に放り込んだ利市が、うめき声をあげる。

「麻生お前話聞けや」

「いいなー、そんなに美味しいならユズにもなんかちょーだい?」

「こら桜井っ!」

「いーじゃんちょっとくらーい。シロちゃん、卵焼きもらうねー」

「え、あ、ちょ・・・」

柚季は華麗な箸さばきで卵焼きをつかみ取ると、静止する二人の手を潜り抜けてかじりついた。

「ん!美味しいっ。これ、砂糖入ってる?甘くてユズの好みなんだけど!」

「そうだけど、食ってんじゃねーよ・・・」

諦めたのか、香坂が力なく肩を落とす。

「とにかく、お前ら誰にも言うなよ。ばれたら面倒だから。今食ったのが口止め料な!」

出水は香坂の言葉にあーぁ、といいたげに小さく息をついた。最後の一言は、余計だ。

「えー、それじゃぁ俺と安藤君口止め料もらってないことになっちゃうなぁ」

「あ・・・」

香坂はしまった、と顔をゆがめたが、後の祭り。

「・・・プリンが食べたいです」

「いいねぇ、俺も安藤君にさんせーい」

安藤の一言で、次の集合の際のお茶請けが決定したのだった。


その日の放課後。校門には、狛犬のようにそびえたつ二つの影があった。

髪は右が金色で左が閼伽に近い茶色をしている。そして、髪の下に除く同じ顔。

(ふ、双子の不良さん・・・)

下校する生徒は、皆双子のチェックを抜けるかのように足早に顔を伏せている。

出水も、そうするつもりだった。とんできた虫を避けた拍子に、茶髪と目が合うまでは。

「アン?何見てんだてめぇ」

「え、いや、別に・・・」

出水の声など聞こえないかのように、茶髪が立ちはだかる。

「おい、亮治やめとけ。チンピラかお前は」

「うっせぇな、見た目はてめぇのほうがチンピラだろ」

亮治と呼ばれた茶髪は吐き捨てるようにそう言って、出水を睨みつけた。

正面に立たれているので、逃げたくても逃げられない。

周りの憐れむような視線の中、明るくよく通る声が響いた。

「あー!亮治何してんの!」

「おっ、柚季」

「もー、何ユズの後輩いじめてんの」

「うっせぇな、コイツが睨んできたんだよ」

「さ、桜井先輩・・・?」

柚季は双子に全く臆することなく、むしろ楽しそうな様子を見せた。

「シロちゃんごめんねー、この二人、ユズの友達なの。龍治と亮治。見ての通り双子なんだー、似てるでしょ?」

金髪が龍治で、茶髪が亮治らしい。

「にてねぇよ!」

「顔だけな。残念ながら」

「こんな感じでよく兄弟喧嘩するんだよねぇ。昨日だってちょっとしたことで大げんか。なだめるの大変だったんだから」

「昨日・・・って、もしかして昨日委員会に来られなかったのは・・・」

「そ。この二人が喧嘩してさぁ、止めに行ってたの。ユズ、不良の友達多いからすぐ耳にはいるしね」

出水の中でこの瞬間から柚季は(少し危ない先輩)になった。ひきつった笑しか出てこない。下手に逆らわない方が身のためだろう。

「ほら、二人とも目立つしそろそろ行こっ。じゃ、ユズ、これからみんなと遊びに行くんから、シロちゃんまたねー」

「あ、はいっ。お気をつけて・・・」

出水はようやく、天河が(桜井さん)について話すとき言いよどんだわけを知ったのだった。

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