実験委員会録
稚早
1回目:始動
「神谷、例の件OKだってよ」
「!本当ですか、ありがとうございます」
神谷天河(カミヤテンガ)は深く頭を下げた。
「おぅ、まぁまだ試験的なもんだけどな」
「十分ですよ。本当にできるとは思ってませんでしたから。」
「そっか。ところで、メンバーのほうはどうだ、集まりそうか?全体で5・6人。うち2人くらいは1年っつーことだけど」
「あー・・・それが、2年は俺のほかに2人やってくれる人がいるんですけど、1年生が・・・」
後輩となんて、そもそもめったに接点がない。1学期を同じ校舎で過ごしたからと言って、必ずしもかかわりがあるわけではないのだ。
「おっ、じゃあちょうどいい。オレの妹分が1年にいるから、そいつを入れてやってくれ。なんならもう一人も俺が声かけといてやろうか?」
「えっ、いいんですか?・・・すみません、おねがいします」
「了解。じゃっ、来週水曜の4時、化学室な」
化学教諭、香坂は意味ありげに笑って職員室へと入っていった。
白石出水(シライシイズミ)は、不意に寒気を感じてブレザーの橋を引き寄せた。
(風邪・・・じゃない、嫌な予感・・・)
自分は妙に勘がいい。
(今日はまっすぐ帰って、大人しくしとこうかな・・・)
今日の授業はすでに終わっているので、HRさえ終わればすぐに帰宅できる。
(・・・あれ?)
帰り支度をしておこうと机に手を入れると、大きな隙間があった。
昼休みに、図書館で借りてきた本を入れておいた場所だ。
(・・・遅かった。素さんだコレ)
出水の通う高校で化学教師をしている香坂素広(コウサカモトヒロ)は、出水の(近所のお兄さん)で、何かと出水の世話を焼いてくれる。そして、今回のようにちょっかいをかけてくることもある。
借りてきた本を放っておくわけにもいかず、HRが終わると、出水はすぐに教室を飛び出した。
下校する生徒の流れから少しずれ、渡り廊下をわたって階段を下りると、左の突き当りに化学室がある。
香坂がこんな風に呼び出したときは大抵こっちなのだ。
化学室の窓を覗き込み、誰もいないことを確認すると、出水は隣接する準備室を目指した。
そっとドアを開け、音を極力立てないように忍び込む。うまくいけば、香坂に見つかる前に本を取り返せるかもしれない。見つかったら、いつものように雑用を頼まれるだろうから、逃げるが勝ちだ。
(どうか、素さんがいませんように・・・本がありますように・・・っ!)
見たところ、香坂はまだ来ていないようだ。出水は警戒しながら、本がないかとあたりを見回した。
生物の図鑑や、実験器具のカタログなどは見つかるものの、肝心の小説が見つからない。
「んー・・・素さんどこにおいてるんだろう・・・」
つい、声に出して独りごちたとき、
カツンッ
「ヒッ・・・!?」
突然の物音に、出水は思わず体を固くした。香坂が来たのだろうか。
「・・・・・?え・・・・」
恐る恐る物音のしたほうをみると、立っていたのは香坂ではなく、出水同様制服を着た少年だった。
「あ、あのっ、私、っ・・・・・!」
香坂でも困るが、知らない人だともっと困る。
「落ち着いて。君、白石さんでしょ?香坂先生と知り合いだっていう」
少年はパニック状態の出水を落ち着かせるよう、優しく微笑んだ。
「!?え、・・・そ、そうですけど・・・」
「初めまして。俺が委員長やらせてもらう神谷天河です。よろしくね」
「し、白石出水です、よろしくおねがいします・・・・?」
全く状況がつかめていなかったが、出水はなんとなく少年につられて頭を下げた。
「ありがとうね、来てくれて。委員会ができたはいいけど、一年生に知り合いいなくて困ってたから助かったよ」
再び少年の口からでた、(委員会)という言葉。
「あ、あの・・・その(委員会)ってなんですか?さっきも(委員長)って言ってましたけど・・・」
「?香坂先生に言われてきたんでしょ?聞いてないの?」
「きーてねぇよなぁ。お前コレ取り返しに来たんだもんなー?」
再び身を固くして振り向くと、今度こそ。
「―っ、素さん!」
「お前のやることなんてお見通しだっつーの。どーせオレのいない間にコレ見つけて帰ろうとしてたんだろ。」
香坂の左手で、件の本が楽しげに揺れる。
「い、いいから早く返してくださいよー・・・」
何とか取り返そうと精いっぱいジャンプしてみるが、香坂の読みは1ミリも狂いがなく、かすりはするがつかめない。
「クックック。そー簡単に返すかよ。お前がそいつの委員会はいるっつーなら返してやるよ」
「うー・・・わかりましたよぅ。やりますから返してくださいっ。図書館の本なんですから」
「物わかりがよくて非常によろしい」
出水は顔をしかめながら額におかれた本をそそくさと自分の鞄にしまった。
「香坂先生、それ半分脅しじゃないですか・・・」
「んー?いいんだよこいつは。」
香坂が出水の頭に手を伸ばす。
しかし、次の瞬間、出水は香坂の横をすり抜けて走り出した。本が取り返せたのだから、もうここにいる意味はない。
「ふん、やっぱりな」
香坂は動じていない。
出水の足音は、すぐに止んだ。
「―っ!!」
「?なんだお前」
その先、ちょうど出ようとしていたドアが開き、背の高い男子が顔をのぞかせていた。
「はははっ、ナイスタイミングだな麻生!」
香坂の勝ち誇る笑い声が高らかに響く。
「いったろ?お前のやることなんかお見通しなんだよ。麻生が来てるのわかってたから返したに決まってんだろ」
「お、鬼ぃ・・・」
「鬼で結構。つーことで神谷。こいつに説明してやってくれ」
「えっ、俺ですか!?」
「悪ィな。オレ、職員室いって委員会用の記録用紙とってくるわ」
「!!そんな、素さ・・・」
「あっ二人とも、こいつが逃げそうになったらとっ捕まえていいから。じゃっ出水、いいこでな?」
そういった香坂の笑顔は、いつもの数段輝いていた。
知らない男子二人と香坂が戻ってくるまで待機しなければならない。
考えただけで、背中を冷たい汗がつたった。
「・・・白石さん、大丈夫?」
出水がずっとうつむいていたからか、天河が優しく声をかけてきた。
「!!あ、は、はいっ、大丈夫です・・・」
反射的に、そちらを向こうとして体が回る。
着地した足が、何かを踏んだ。それなりの、厚みと柔らかさがある。
「~~~っ!いってぇ!!」
香坂が麻生と呼んでいた男子の足だ。入ってきたところを踏んでしまったらしい。
「す、すみませんッ!」
慌ててその場でパタパタと足踏みをしてしまい、再び、同じ感触を覚えた。
こんどは、逆の足だ。
「てんめぇッ、両足踏んでんじゃねーよ!わざとかこのガキィ!」
「ひっ、すみませんっ、わざとじゃ・・・」
出水が身をすくませて動けずにいると
スパァン!
きれいな音が鳴り響いた。いつの間にか、天河が麻生の横に移動している。
「後輩の女の子に怒鳴ることないだろ。謝ってるのに」
「同級の男子ならボコスカなぐっていいのかよ・・・」
「白石さんごめんね。こいつ、麻生利市(アソウリイチ)っていうんだけど、目つき悪いうえに短気だから怖かったでしょ」
「いえっ、こちらこそ、2回も足踏んでしまって本当にすみませんでした!」
落ち着いた頭を下げると、天河の握っているものが目に入った。
(・・・ノート・・・?)
天河の手には、ちょうど手のひらサイズのノートのような冊子が握られている。
「気づいたか。こいつ、一見優しいそうだけど、怒るとそのノートで殴ってくっからな。いてぇぞー」
利市は説明しながら、大げさに体を震わせて見せた。
「でも、ノートじゃあまり痛くないような・・・」
角で叩くならまだしも、先ほどの音からして普通に表面で叩いたハズだ。
「甘いっ!実はこれ金属板仕込んでっから、普通にいてぇんだよ!」
「なんでそんなことしちゃったんですか・・・」
「ははは、まぁ、護身用かな」
天河は可愛らしくその整った顔で笑うと、その武器をブレザーの内ポケットにしまった。
「それはそうと白石さん、早く帰らないと香坂先生戻ってきちゃうよ?」
「え・・・?」
「いきなり委員会入れって言われても迷惑でしょ?もし嫌なら俺から香坂先生に言っとくけど・・・」
優しい申し出。けれど、出水は
「い、いえっ大丈夫です。私、やります!」
先ほどは勢いで逃げようとしたが、冷静になって考えればここで逃げられたとしても後が怖い。
それに、委員会に入るくらい、断る理由もないだろう。
「本当に、いいの・・・?」
「はいっ、私でよければ、ですけど」
出水が答えると、天河は今度は優しく笑って息をついた。
「よかった。正直、大丈夫とは言ったけど他に後輩のつてなんてないから助かるよ。」
「お役にたてるかわかりませんが・・・よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく。・・・詳しい説明は後の二人が来てからするつもりだったんだけど、遅いな・・・」
「あと2人いらっしゃるんですか?」
「うん。2年生と1年生が一人ずつね。忘れてないといいけど・・・」
その頃、香坂は職員室でのんびりとコーヒーをすすっていた。
(・・・今頃ちょっとは打ち解けてっかなー・・・)
出水を天河や利市と少しでも打ち解けさせたくて、時間をつぶしているのだ。もう20分になる。
(もうそろそろ戻・・・いやでも甘やかすのも・・・出水(アイツ)にとっても初対面のやつらに慣れるいい機会だし・・・)
娘を初めてお使いに出した父親は、こんな気分なんだろうか。もう十分だろうと香坂腰を上げた。
(・・・?)
「おーい、安藤。何やってんだお前。今日委員会だろ?」
香坂が声をかけたもう一人の1年生、安藤逸(アンドウイツ)はクリクリした目で驚いたように香坂を見上げた。
「・・・忘れてました。今から行きます」
「おー、じゃぁ一緒に行くか」
特に嫌がる様子もなく、安藤は無言で小さくうなずいた。
もともと寡黙な性格で、教師が相手となるとさらに口が重くなるタイプだ。口下手な出水でも当たり障りなくやっていけるかもしれないと声をかけた。
しかし、二人きりで歩くとなると、予想以上の沈黙で香坂自身が苦しむことになるのだった・・・。
天河と利市が隣り合って座り、出水はその向かいに、ちょうど二人の中間となるように座る。
準備室だと後の二人が気づかないかもしれないということで、化学室に移動することにしたのだ。
「・・・そういや、お前名前は?天河はシライシサンっつてるけど」
「あ、出水です。白石出水。出るに水って書きます」
「ふーん、白石ねぇ・・・」
利市の顔に、香坂で見慣れたいたずらっ子のような笑みが浮かぶ。
「じゃぁ俺、お前のことシロって呼ぶわ。シーロッ、くくくっ」
「シ・・・!?い、犬みたいじゃないですかっやめてくださいよ!」
「へへっいーじゃねーか。シーロッ」
「~~~っ、じゃ、じゃぁ私は先輩のこと利市先輩って呼びますからね!」
「ぷっ。別に委託もかゆくもねーし。好きに呼べよ。俺ぁシロって呼ぶからよ」
「うぅ・・・」
うつむいた出水の耳に、本日二度目のきれいな音が届いた。
「全く・・・白石さんは委員会に入ってくれてるんだからあんまり失礼なことするなよ」
「ってぇな!ちょっとからかっただけだろ!つーか俺もじゃねーか、てめぇの作った委員会入ってやってんのは」
「作った・・・?その(委員会)って、神谷先輩が作ったんですか?」
そもそも、詳しい内容も聞いていないのだけど。一生徒が委員会を作るとは、初めて聞いた。
「そっか、言ってなかったね。そうだよ、俺の案。実現するなんて思ってなかったけどね」
「そうだったんですか・・・」
「うん。でも白石さん、一つ訂正していい?」
「?は、はい・・・?」
「俺のことも、天河先輩って呼んでほしいなー」
「!?えっ、いや、でも・・・」
利市も勢いで言っただけで、そもそも先輩を名前で呼ぶのは性に合わない。
「だって利市のことは名前で呼ぶんでしょ。なのに俺だけ苗字だとさびしいじゃん」
「う、えと・・・じゃぁ、天河、先輩・・・」
出水が呼んでみると、天河は満足そうにうなずいた。
「出水ーいい子にしてたかー?」
今更なタイミングで、香坂がドアを開けた。
「素さん!遅いですよ!」
「へぇ、よかったじゃねーか、よくしてもらったみたいで」
「だからって、放っていくことないじゃないですかぁ!」
「仕方ねぇだろ。職員室にまでいちいちつれていけるかよ」
内心香坂が心配していたことなど、出水は知る由もない。
子供をあやすような口調の香坂に続いて、安藤が顔をのぞかせた。あまり背が高いほうではないので、香坂の後ろにすっかり隠れてしまっていたのだ。
「!安藤君・・・?」
しかめっ面だった出水の表情が、少しだけ明るくなる。
「・・・ども」
安藤はそれだけ言うと、軽く右手を挙げた。出水もうれしそうにそれに応える。
「なんだお前ら。つーか出水、お前安藤と面識あったんだな。」
「はいっ、隣のクラスですから。合同授業が一緒で、よくペアになるんです」
どうやら、香坂の人選は予想以上に大成功だったらしい。
「ならよかった。これで全員か?」
「あ、そういえば桜井さんがまだなんですよ。利市、桜井さん知らない?」
「はぁ?知るかよ。てめーのクラスメイトだろ」
「桜井さん・・・」
「あぁ、さっき言ってたもう一人の2年生。女の子だし、面白い人だから白石さんもすぐに仲良くなれるよ」
「面白い人・・・ですか」
この三人と香坂がいるというのに。
「あー、神谷。桜井にはあとで伝えるとして、とりあえず始めといてくれ。5時から会議が入ったんだよ」
自分の作った空き時間を棚に上げて、香坂は備え付けの時計に目をやった。
「わかりました」
天河はうなずくと、(武器)とはまた違った小型のノートを広げた。
「えーまず、俺たちがこれからやろうとしているのは"実験委員会"です」
「実験・・・委員会・・・?」
横に座った安藤を見ても、驚いた様子はない。まぁ、出水と違ってあらかじめ聞いていたのだから当然だろう。天河はわかりやすく、実験委員会の仕事内容を説明していった。
まとめると、
○授業で実験が行われる日は実験の準備を行う
○実験があった週は、薬品の在庫管理や整理を行う
○週に一度、集まって次の週の実験に対する割り振りを行うこと
○今年度の2学期、3学期を試行期間とし、来年度正式な委員会として認可されるかどうか決定される
天河の表情は真剣で、出水も思わず背筋をのばした。緊張もあった。でも、それ以上にわくわくした。
自分がこの委員会の最初のメンバーなのだと。
自分が、この委員会を作っていくのだと。
香坂の強引な誘いが少しだけありがたく思えた初日は、結局(桜井さん)が姿を見せないまま、次回のことを少し話し合って幕をとじたのだった。
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