第3話
昨日の土曜日は、瑠奈と会うことはなかった。
放課後を待って昼過ぎから学校前の児童公園で一日待ってみたけれど、彼女は姿を見せなかった。
学園敷地内の寮にいるのか、それともあたしが知らない間に実家にでも帰ったのか。わからないけれど、少し心配だった。
今朝から雨も降っている。
転んで怪我なんかしてないだろうか、あの娘は少しぼーっとしたところがあるから――違う。
蟲のことが、まだはっきりしていないからだ。
心配してもしょうがないのはわかっている。でも、じっとしているのも辛かった。気を紛らわすために、今日は雨のなかでゴミをあさってみた。
まだ着られるTシャツとジーンズ、どっちもメンズをゲット。
それから、半分裂けた傘と、まだ使えそうなワンセグテレビと古くさいラジオ二台を拾った。
回収のない日曜日に、しかも資源ゴミを分別しない誰かさんに感謝。
傘はすぐに役立った。ラジオは速攻リサイクル屋に叩き売った。二台で百円にしかならなかったが、贅沢は言えない。所持金は昼飯で尽きたのだった。
この百円で晩飯は何を食べよう……。選べるほどないか、百円だし。
この前、お財布落としてくれた人にも感謝しているけれども、にしても、三千円は少なかったぞ、と今更ながらに思ったりしながら、寝床の鉄橋下でワンセグテレビをいじくっていた。
夕方の川辺。ちりちりころころと虫の音がないのは雨だからだけど、やや残念。
せっかく新しい服に着替えて気分がいいのにな。
Tシャツがだぶつくのはまあいいとして、サイズの合わないジーンズを、ベルトじゃなくて縄で締めているというのは、どうなのだろ。
ワイルドすぎるよね? 今度ベルト探してこよう。
拾い物人生は、まあまあ楽しい――と。
先日拾ったライターは、出番がない。
東児、どこか見当はずれの場所をうろついているのか?
あんなのでも、しばらく顔見ないと懐かしくさえ思うから不思議なものだ。
(珍しいな、そんなことを考えるなんて)
蟲の質問は無視。テレビテレビ。バッテリーの接触が悪いみたいだけど、これでどうかな。
「お。映った♪」
かなり画質が悪いが、見えないこともない。拾い物だから、バッテリーがいつまで持つかわからないのが問題だけど。
「どれどれ。たまには社会情勢でもチェックしましょうか」
誰が聞いているわけでもないが、言い訳ぽく呟きチャンネルを操作。
ニュースはどこだろ――『……午後五時過ぎに……』
ここか。『病院で発生…傷害事件…』
聞き取りにくい。ボリュウムをあげる。
『被害者は、いずれも軽症。容疑者と見られる男の行方は、未だ明らかになっておりません。男の特徴は、身長一八〇センチ前後と大柄、坊主頭。看護士の協力で得られた似顔絵は――』
見覚えがある顔。覚えたくはなかったのだけど、覚えてしまった顔。
生理的に嫌いな顔。
「と、東児っ」
野郎、今の今まで病院に捕まっていたのか。
ひょっとして、あたしのことも喋ったかも――
(どうする?)
「決まってる。こんな街、とっとと出るに……」
ため息が出た。
そうもいかないか。
瑠奈の蟲――確かめないで去ることは、できない。
それに。嫌な予感がある。
あたしはワンセグテレビを放り捨てると大急ぎで星領女学園へと向かった。
背中で、ぼちゃんと水音を聞く。もったいなかったかな。
(売れば、多少の金になったのでは――)
「やまかしいっ! わかってるやい、それくらい!! 黙ってろこの居候っ!!」
図星を指されて怒鳴り散らした。
いや。いらいらしているのは、そのせいじゃない。
暮れているのかどうかもわからない暗い空の下、ともかくあたしは走った。
ずぶぬれになりながら。
「じょ、冗談じゃないって」
酸素が足りない。運動不足か栄養不足が知らないが、あちこちがダルい。
全速で走ってきた星領女学園――なんで門が閉まってる!
門は鉄製の格子状、高さも楽に二メートルはある。
こじ開けるなんてあたしじゃ無理だ。
道路を行き交う車は、そこそこの量。のんびりよじ登ったりしていたら通報確定コースの不審者扱いだ。
手は、ひとつしかない。
さすがに今は『めったなこと』になっている。
(蟲。頼むわ)
(面倒は押し付けるのか)
(しょうがないじゃない。あんたのほうが、上手に体を使うんだから)
(仕方がない。門を超えるだけでいいな?)
(うん、手っ取り早くよろしく)
と。くらりと視界が歪んだ。
歪んで再び、元に戻る。でも、どこか現実感のない景色。
理由は簡単。これは、蟲の見ているものだから。
あたしは、蟲に景色を見せてもらっているわけだ、今は。
右、左、右と景色が変わる。蟲が周囲を確かめた。
人影なし。ヘッドライトは見えない。テールランプは遠い。
加えて夕闇、一秒二秒の間に目撃される恐れなし。
(行くぞ)(どーぞ)
少し門から離れると駆け出した。門直前でぐん、と膝が曲がるのを感じる。
と思ったら、目の前を門が過ぎていく。真下に門を見る。
くるんと視界が一回転、耳に風の音。
走り高跳びのベリーロール……といったかな、この跳び方――どっと、足から全身に衝撃が登る。
(役目は果たした。戻すぞ)
とと。くらりとまた視界が歪んだ。
もとに戻ったのだ。主のあたしが体の主導権……
「うおゃ」ふらつきしゃがみ込む。いきなり足にきた。
蟲に毒づく。「あんたさ、ちょっと無茶が過ぎるでしょ」
(要望に答えたまでだ)
涼しい声で答えやがった。冷静に考えたら、走り高飛びの日本記録をこえているんじゃないの、これ?
(そんな下らないことを考えている場合か。今から話すのは、すべて推測だが――)
伝わってくる蟲の思考に揺らめきがある。人で言えば、躊躇っているような気配。
あたしも、声には出さなかった。
(言ってみなよ)
(仮に。瑠奈が蟲飼いになっていたとして。その蟲が目覚めていたとして。我らよりも先に東児と接触していたらどうなると思う?)
――――――――――――――ヤバい。
あたしの漠然とした不安が、明確になった。
(病院を逃げ出した東児が、まず立ち寄るのは、最後にお前と会ったあの児童公園だろう。昨日は公園に現れなかった瑠奈だが、今日は様子を見にきたかもしれない。彼女とお前が会えるのも、あそこだけだから。そこで、東児と瑠奈が鉢合わせた可能性は――)
蟲が言い終わる前に、あたしは走り出していた。
瑠奈から、寮は校舎の裏、運動場の向こうと聞いている。
正門の木立を抜け、校舎に沿って走る。
真っ暗な運動場、その先に明かり……あれが寮か!
静寂の運動場、雨音にあたしがぬかるみを蹴る湿った音が加わる。
心臓の鼓動がむやみに早い。濡れたTシャツもジーンズが重いはずなのに、それを微塵も感じないのは半分意識が飛んでいるからかもしれない。
鉄橋から門までの三十分精一杯のランニング、門からここまで数十秒だけど全力疾走。
頭が痛い。酸素が全く足りてない。
ずぶぬれなのに寒くすらない。
寮の正面まで来て、膝に手をついて息をついた。
胸の拍動は収まらないままで、顔を上げる――五階建て、か。
大きい。全校生徒、三百人足らずって話だったけど……大きく、背を反らして声を張り上げた。
「白木、瑠奈ぁあああっ!! 居たら顔をだせぇぇえええっ!!」
ばたばたと、そこらじゅうの窓が開く。ざわざわと声が振ってくる。右上から、誰かが返した。
「ひょっとして、あなたが瑠奈の言ってた旅人の緋夕さんっ?」
瑠奈は、あたしのことを友達に話していたのか。
少し嬉しいけど、それどころじゃない。
「そうだよっ!! 瑠奈、いるっ?」
「いないのーっ!! 日曜日の門限は、六時なのにっ! 夕方、公園行くって言って、それっきりっ!!」
六時なんか、とっくに過ぎている。
あのテレビで見たニュースが、その時間のものだ。
まずい。予感的中。
「悪い、騒がせたっ!!」
片手を上げて応えると、あたしは踵を返して駆け出した。
まだ誰かが何かを叫んでいるが、もう用はない。
(……最悪だな)蟲が呟いた。
その通りだよ、まったく。
もう一度、蟲に頼んで門を越えた。
その際、どこかのおじさんに見られたけど、どうでもいい。
目指せばいいのは、どこだろう? 考えながら、走る。
とにかく走る。頭が痛くても、走る、走るだけ。
自然と足が向いたのは街の方角だった。
思い出せ。何度も言い寄ってきたあのストーカーが、好みそうな場所を。
東児の好みなんて、本当なら考えたくもない。
話せば悪い奴じゃないだろうとも思うけど、とにかく生理的に嫌いなのっ。
特に、あの筋肉がっ!!
筋肉? 鍛える? ジム。違う、奴はまだ学生していて当然の年頃。体育――。
それほど遠くなく、幾つかネオンが瞬いている。もう繁華街の入り口、というところで急停止。変な連想だったけれども、もっとも可能性なありそうな場所を思いついた。
「学校だ!!」
馬鹿だ、あたし。あれほど静かで、濃い緑があったじゃないか。
今日は正門が閉まってたけど、裏門は開いていただろう、瑠奈が外出したくらいだから。
裏門がどこかは知らないが、寮に帰る娘たちがわざわざ雨のなか、正門付近の学校林のほうへ行くわけもない。
正門付近の林――隠れるには最適。寮の先生か誰かが探すにしても、やっぱり街のはずだから――
(戻るぞ。私が代わる)
「お願い!!」
眩暈が襲ってきた。いつもより酷い。
酸欠のせいか――
(悪いが。いつもより深くコントロールを貰う。文句なら後で聞く)
何も見えなくなった。
何も聞こえなくなった。
何も、感じなくなった。
(安心しろ。必ず私が瑠奈を見つけ出す)
頼りにしてるからね。
†
この体のポテンシャルは、緋夕が考えているよりも高い。
呼吸も筋肉における様々な代謝も、我が分身が完全に制御できる。
普段は、遠慮しているだけのことだ。
所詮、我らは寄生しているに過ぎない。
そうして宿主に遠慮してきたからこそ、我らはこうして人の世に隠れてこられたのだ。
もっとも。今の医学を――あくまで緋夕の知識内だが――欺ききることなど不可能だろう。
さすがに、血液や組織を直に調べられては隠れようがない。
卵は無論のこと、組織末端の線虫には独立した知恵などない。
――やっかいなことを。東児の蟲には知恵がないのか?
……宿主に知恵も知識もなさそうだから、やむを得ないのか。
そんなことを考えているうちに、今日二度も越えた門が見えた。
呼吸も心拍も正常。筋肉の乳酸がやや多いが許容できる範囲。
ここまでもう、何十人に見られたか。
道路を横切る際に走る車を何台跳び越えたか。
今更、誰の目を気にする必要などない。
どうせもう、この街に滞在し続けることなど叶わないのだ。
東児が、医療機関で観察されてしまった以上は。
「ふんっ」呼気と共に門へ跳ぶ。さらに門を蹴り、高く舞い上がる。
上から、森と言っても差し支えのない闇に満ちた木々を見回す。
全身の神経を念波の受信に回す。あらゆる感覚が消失する代わりに、感知距離は数倍に伸びる――来た。これは誰のものだ?
少なくとも、東児ではない。奴の蟲はもっと成熟しているはず。
それに、この怯えようは――
「瑠奈かっ!!」
神経を元の役目に戻す。着地と同時に地を蹴る。
今ので膝を痛めずに済んだのは、雨でぬかるんだ地面のおかげだ。
いずれ風邪など引くかもしれないが、今は雨に感謝するのが正解だ。
どうせ後に文句を言うのは緋夕である。
思念の来たほうへ全速で走る。
無理に瞳孔を広げ、本来人には見えないはずの闇を見通す。
森を抜けた。目の前にはコンクリートの低い壁、金網のフェンス。躊躇せずフェンスに飛びつき、越えた。
鼻についた塩素の匂い――
プールだ。極当たり前の、六レーンの五十メートルプール。
いつの間にか、雨は止んでいた。
割れた雲間から覗いた月が、水面を照らしている。
その水面を、愉快気に泳ぎ回っている坊主頭があった。
プール中央に、ゴムボートが浮いている。
縛られ猿ぐつわまで噛まされボートに乗せられていたのは瑠奈だった――
(東ぉぉぉぉぉぉお児ぃぃぃぃいいっ!!)
頭蓋内に、緋夕の怒声が響き渡った。
(続く)
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