少女の妖刀

 まだ年十五ぐらいの幼い少女だった。肩まで伸びた紺色の髪。紐で結ばれた左側の髪が馬の尾みたく、身体を動かす度に揺れる。その凛とした強い瞳は、宏次の姿を捉えている。

 群青色の装束を着ている。その腰には細い白の帯を二回り背中で結んでおり、刀が抜かれた鞘と、鞘に納まった刀の二本が差さっていた。


「まさかこの刀を握らせるとはな」


 少女は、手に付いた宏次の血を舐めて、もう一本の刀の柄を強く握りしめる。腰を低く構え、宏次の動きを見据えた。


「……これは……居合いあいか」


 先程と態勢が変わっていた。宏次が、そう感じるのも束の間、少女は、宏次の間合いに入り込む。刀を抜き、強い衝撃で宏次の太刀に叩きつけた。

 また一撃。そして二撃、三撃と打ち込んでいく。驚くべきは、一撃入れる度に、刀は鞘に納められているのだ。そして、少女の動きも先刻とは段違いに早くなっている。集中力が欠ければ、またたく間に首を取られる。


 四苦八苦の中、少女の隙を覗うも、それは容易ではない。抜刀から納刀に至るまで刀身を見る事すらできない速さと動きは達人の域。


「先程の勢いはどうした?」


 少女の挑発の言葉が聞こえてくる。だが宏次に反撃できる余地は無い。刀と刀がぶつかり合う度に、不思議と水飛沫が宙を舞う。


「ならば」


 少女の刀が納刀されるその瞬間、宏次は腰に下げた太刀の鞘を投げつける。鞘は少女の手の甲に当たり、僅かな隙を与えた。


「よし——」


 宏次は、体勢を整える為に間合いを空ける様に後退した——しかし風を斬る音が、宏次の胸元を斬り裂いた。


「——な!?」


 納刀を終える音が響く。確かに宏次は、少女の攻撃範囲から間合いを取っていた。いくら長物の刀と言えど、届くはずの無い距離。何か飛び道具を使った気配は無く、斬り裂かれた胸元からは、血が滲み溢れて呼吸が乱れる。


「離れれば避けられると思ったのか? ……甘いな」

面妖めんような……どうやって、そこから斬りつけた?」

「よく見れば気付くさ」


 少女は再び構えると、刀身が抜かれる。離れた間合いからの攻撃の正体——


「——水!?」


 風を切る音と共に、水の刃が宏次に向かって来た。一瞬の判断が遅れ、腕で防ぐものの血が宙を舞った。


「理解した。先程の水はこれか? そして、つゆまとう奇怪なその刀。妖刀だな?」

「ご名答。常に水を纏う妖刀『村雨むらさめ』。間合いに入れば、どんな刀よりも逸早く抜く事ができ、離れれば水の刃として斬りつける事ができよう」


 少女は不敵な笑みを浮かべ、村雨の柄に手をかける。


「……妖刀使い。また厄介な者を寄越したものだな」

「遠慮はいらんぞ。存分に参られよ」


 再び少女が構える。抜き放つ一閃一つ一つが、宏次の命を狙っているのだ。

 宏次は受ける。我が身を守る様に。そして、思考をめぐらせ反撃の糸口を探しだす。鍔迫り合いに持ち込んで、考える時間が欲しい。しかし、少女は、なかなかそうはさせてはくれない。


「どうした? 先程から守ってばかり。命が欲しくなったか? 腰ぬけめ」


 挑発に乗るなと、宏次は守りを崩さなかった。少女の動きと刀の軌道を見据えて、ただ受け続ける。


「このままではやられる」


 力は互角、速さでは少女が圧倒的に上だった。宏次は機会を待つしかない。攻めに転じようと思うなら、隙を突かれてやられる。激しく叩きつけられる刀を受け続けるしかない。

 気が付けば、その恐怖に飲み込まれたか、宏次の足は震えていた。

 動きの多い少女も疲労の顔を見せるが、宏次もまた集中力の限界が近かった。 


 ここで死ぬわけにはいかぬと、震える足を奮いに変えた。激しく刀を叩きつけられる中、宏次は、わざと自分の態勢を崩したかの様に見せた。次の一手を読み、来るであろう少女の大振りの一撃を先読みする。


「「——ここだ!」」互いに言葉が重なる。


 村雨の鍔に目掛けて太刀を振り下ろす。それは村雨を抜かれるのを防ぐ牽制けんせいの一手だった。


「時折流……」


 しかし、少女は刀を抜かなかった。左足を半歩前へ強く踏み込み、あろうことか村雨を、宏次の太刀を持つ手の甲に打ち込んだ。


「——時雨しぐれ


 宏次の振り下ろしを抑えつけた状態で刀は抜かれる。きびすを返し身体を回転させ、一瞬宏次に背を向ける。少女の腰から、宏次の懐まで、大きく遠心力が加わった大振り。少女もまた次の一手を読んでいた。


「若!」


 一本の矢が、宏次と少女の間をかすめる。矢は少女の鞘に当たって、強い衝撃に思わず手を離してしまった。村雨の刀身は、宏次の首寸前でピタリと止まる。


「しまった!」


 宏次の目前で、納める鞘を無くし、動きを止めた村雨の刀身をようやく目にする事ができた。その刀は半透明で心が奪われる様な美しい刀であった。切っ先から、水滴がポタリと地に零れ落ちる。


 少女は焦って落とした鞘を拾おうと、宏次に背を向けてしまう。だが、そんな大きな隙を宏次が見逃す訳が無い。大きく振り上げた太刀を少女目掛けて振り下ろす。その殺気に気付き、慌てて振り返り村雨の刀身で受け止める。


「ここより、推して参る」


 更に勢いをつけて太刀を叩きつける様に、少女の妖刀に太刀が振るわれる。形勢逆転に俄然がぜん、少女に初めて焦りが見えた。

 この苦境に少女は、宏次との間合いを離れようと後退した。だが、背中に当たる大木が退行をさえぎった。


「覚悟!」


 宏次が太刀を振り上げる。その時、頭上の大木の幹が、軋む音が響く。


「……なんの音だ?」


 ——刹那、弾ける様な音と共に、太い幹が少女の頭上に落ちて来た。幹は少女の頭を叩きつける。鈍い音が響くと少女は倒れてしまった。


「……おい、大丈夫か!?」


 いきなりの事だったので宏次は思わず心配をしてしまった。

 少女は倒れ込んだまま、辛うじて村雨を鞘に収める。すぐ立ち上がり、安堵の顔を見せたが、すぐに青ざめた。紫紺の太刀が、少女の首元で鈍い光を放つ。


「勝負有りだ。まずは妖刀を渡してもらおう」


 少女は、不貞腐れながらも妖刀を宏次に手渡した。


「名を名乗れ」

「……時折ときおり 小夜さよだ」

「大方、虎白に金で雇われた。そうだな?」

「言わずとも、瞭然りょうぜんだ」

「なら、降伏しろ。命だけは助けてやる」

「……降伏すれば助かるのか?」

「どうする? できれば女は斬りたくはないのだが?」


 ふと辺りを見渡せば、甲冑を纏った墓川の兵が、小夜に矢先を向けて構えている。逃げ場は無い。

 宏次は自軍の兵を逃がしたわけではなかった。脱いでいた甲冑や武器を身に着ける時間稼ぎをしていたのだった。


「卑怯者め。逃がす素振りをして、私が隙を見せた所を射掛けるつもりだったか?」

「何とでも言え。さあ、どうするんだ!?」


 宏次の怒鳴り声が森中を響かせる。


「…………降伏し、許しを請うた父は殺され、父の亡骸の上でむせび泣く母も殺された。……それでも降伏の先に望みがあるというのか」


 小夜の瞳からは雫が流れる。突如、小夜は太刀を持った宏次の右手を思いっきり蹴った。……悪足掻わるあがき。

 武器を落とすまいと、柄を強く握りしめたが災いであった。小夜は、宏次の手の甲と腕を掴み、捻り曲げる。そして、太刀の矛先は宏次の体に刺さった。


「若!」


 雪定が叫んだ。墓川の兵全員が、思わず青褪あおざめる光景だった。


「私はまだ死ぬわけにはいかない」


 宏次の体に刃が食い込む。更にとどめを刺すかの様に太刀を握る手首を捻った。鎧を着ておけば、この様な不意を突かれることはなかったであろう。


「……妖刀『神戌かむい』は、斬りつけた相手の血を喰らい、若さを喰らう。そして俺の血になる。……詰まる所、自らの手で自身が傷が付く事はない。残念だったな」


 宏次は笑みを浮かべて、体に突き刺さった太刀を引き抜いた。血が出ることも傷が出来る事もない。小夜の悪足掻きは空しく終わった。もし宏次の持つ妖刀が普通の刀であったなら、この場を切り抜けられたかもしれない。


 小夜が小さく息を吐くと、凛とした強い瞳を閉じ断念した。もはや抵抗する術がない。


「そう、死に急ぐ様な顔をするな。お前はまだ死ぬ訳にはいかないと言ったな?」


 太刀を鞘に納めて、宏次は話を進める。


「俺に仕える気は無いか? 無論手柄を立てれば褒美も取らせる……とはいえこの戦に勝てばの話だが」

「……卑怯な手を使う者には手を貸せんな」

「お前だって寝込みを襲ったではないか? おあいこだろ?」

「違うな、寝込みを襲ったのは長月の兵達だ。私は卑怯な真似はしない」


 小夜は、きっぱりと答えた。確かに彼女は長月の兵とには戦ってはいない。全滅したのを見て、しゃしゃり出てきたのだ。


「なんだと? では、寝込みを襲う長月の下にいるのは何故なんだ?」


 宏次の一言が、小夜を口篭くちごもらせた。理由はどうであれ、彼女は寝込みを襲った長月兵の配下であることには違いはない。墓川の寝床の場所を提供したのもまた彼女であるのだ。


「も一度言う、私は卑怯な真似はしない」

「いや、質問に答えろ」

「うるさい! 私は、卑怯な真似はしないんだ!」


 少女は、今にも爆発しそうな罵声を張り上げた。どうやら、踏んではいけないものを踏んでしまったらしい。


「逆上しやがった! あのな、卑怯卑怯とは言うが、これは戦なんだ。勝つか負けるかの勝負ではない。生きるか死ぬかの殺し合いなんだ。チャンバラごっこなら他所よそでやりな」

「——ふん!」


 宏次の言葉に対し、小夜はプイッとそっぽをむいた。その行動で精神年齢の低さが伺える。

 宏次が持っていた村雨を強引に奪い、そして、大木に刺さっていた、もう一本の刀を引き抜いては、腰の鞘に納める。そのまま何事も無かったかの様に、足早にその場を去った。


「……あっ——!」


 あまりに迅速な行動に宏次は、刺客を逃してしまった。その後、暫く墓川軍は呆気に取られたまま朝を迎える事となった。

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