川で食事

 昼過ぎて、熱い日差しが照りつける——ひつじの刻


 墓川一行は馬に乗りながら、森が横目に見える平原をゆるりと進行していた。その将は、大きな口を開けて欠伸あくびをする。


「若、よろしいのですか?」

「……何がだ?」


 雪定の質問に対し、ぶっきらぼうに答えた。雪定が横に目を向けると、気付かれたか そそくさと木の陰に隠れる人影の姿があった。


「着いて来てますね」

「着いてきてるな」

「邪魔になりますよ」

「そんなこと俺に言われても仕方ない」

わずかながら若に好意があると見えます」


 雪定は冷やかし半分で宏次に接する。自軍の将に対して、この様な冗談が言えるのは昔馴染みだからか、雪定を除いて他にいない。


「いや、あれは獲物を狙う目だ」


 直に見ずとも、殺気立った視線を感じていた。雪定が視線を送ると、宏次の言葉通り、獣の様な目で睨みつける刺客の姿があった。


「若、とりあえず腹ごしらえしませんか? 今後の事も話しておきたいですし」

「ああ、そうだな」


 宏次が手を一振り合図を送ると、墓川軍は川辺へ向かった。


◇◇


 墓川軍が辿り着いた場所は、荒い灰色の砂利が敷かれた川であった。この辺りで一番大きな川は、山から墓川の城まで流れている。川の水がせせらぐ音は戦中である事を忘れさせてくれる。

 早速、墓川軍は食事の支度をする。火打ち石で火を起こし、土鍋の中に川の水と、干した米を入れて火に掛ける。数ある土鍋の中には干し芋や、山菜等が入った所もある。

 一方、宏次の鍋には——


「若、これは……」


 将の鍋の中は黄緑色であった。ツンとした何かが風に乗って、雪定の目と鼻を刺激させた。


「おう、川の水が綺麗だったからな。かみの方に生えていたんだ。美味うまそうだろ?」


 宏次の手には山葵わさび。鮫肌の様なもので、容赦なく擦り終えた山葵を鍋の中へと入れる。


 我が将の味覚は どうなっているのだ? 雪定の思いとはよそに、次々と擦り下ろしては容赦なく鍋に入れている。


「ふんふふんふふ~ん♪」鼻歌交じりで楽しそうに山葵を擦り続ける。


 出来上がったのは山葵のおかゆ。お椀の中は、緑色の米と汁に山葵の葉が一枚のせてある。


「おお、美味そうだ! 頂きます!」


 宏次は手を合わせて、それをがっつく様に食べる。近くにいるだけで涙が出て来そうだ。それをじっと堪えて、雪定は話を進める。


「若、今夜は蛇林寺じゃりんじに宿をお借りしましょう。予定よりは遅れてはおりますが、昨日の事もありますし、やはり野宿は危険かと……」

「夜襲をかけられたら野であろうが、寺であろうが危険だっつーの」


 宏次は、お椀に入った汁をズズッーと飲みほした。


「またその様な物言いを。もう少し、威厳のある言い方をですね——」

「戦の無い間ぐらいは、自由に喋らせろ。息が詰まって敵わん」

「とにかく、戦続きで兵の疲労もございます。このままでは長月の城に着く前に倒れてしまいますよ」

「それもそうだな。……だが、あのジジイは少しばかり苦手だ」

「苦手だからと言って、兵の疲労をないがしろにはできませんでしょう?」

「解っている」

「昨日の策もそうです。兵を木に登らせるとは……もし、敵に気付かれていれば、蜂の巣になっていたのは我等の方ですよ?」

「勝てたんだからいいじゃねぇか」

「それともう一つ、自ら矢面に立つ行為も控える様に」


 雪定は昨夜の事に不満を持っていた。将、自ら囮を買って出た事だ。


「わかった。雪定、お前の言葉は耳が痛い」


 その時、大きな腹の音が鳴った。


「なんだ雪定? 食べてないのか? そんな大きな音をして」

「私の腹の音ではありません」

「じゃあ誰の腹の音だ?」


 見渡すと、兵達はすでに腹を抑えて食事を終えていた。……鳴った場所はもっと遠く離れた場所。


「……若、後ろ後ろ」雪定は、そっと宏次に耳打ちをする。


 宏次が、後ろを振り向くと、慌てて岩陰に隠れる人影の姿があった。隠れているつもりなのだが、結われた髪は隠せてはおらず、岩から馬の尻尾が生えているかの様に見える。丸分かりだった。

 ずっと朝から着いて来ており、食事を取った形跡はない。


「……雪定、目的地は蛇林寺だ。兵にも伝えろ」

「承知しました。……若、まだ食事の途中なのでは?」

「いいんだ、行くぞ」


 宏次は立ち上がり、手を振って合図を送る。その場を後にする様に墓川軍は出陣した。


◇◇


 墓川軍が再び進軍を始めたのを見て、岩影から小夜が顔を出す。

 宏次が残していった鍋に近づき、中を見るや思わず固唾かたずを飲み込む。空腹のあまり、それがなんなのか判別できずよだれも出てくる。

 ふと足元を見ると、ご丁寧に お椀と箸まで用意してあった。


「……見透かされている様でムカツクな」


 辺りを見渡し、お粥をお椀につぐ。そしてそれを口に入れた瞬間だった。


「ブフッー!」


 口の中の物を全て噴出した。瞳には涙が零れて、器官にも山葵が入ったのか、酷くむせている。


「ゲホッ、ゲホッ! あの野郎、こんなもん食えるか!」


 宏次の情けが仇になった。実際、宏次がこの場に居たら笑い転げるであろう。そう思うと少女の腹の虫が納まらない。


「絶対に叩き斬ってやる」


 空腹を押さえ、小夜は川辺を後にした。


◇◇


「若、危ない!」


 雪定の声に馬の手綱を引き、宏次の動きが止まる。何かが鼻をかすめていった。ふと側にある木に目をやると、小さな矢が刺さっている。


「この辺一体は罠だらけです。若、我等が前を歩きましょう」

「あのジジイめ、あちこち罠だらけじゃねぇか」


 辺りを見渡すと、木々が生い茂る森に、のぼり坂になった一本道が続いている。一歩踏み込めば、無人の罠が仕掛けられていた。目の前や、足元に張り巡らせてある目に見るに困難な細い糸を切ってしまえば、矢が飛び出す仕掛け。輪になった縄に足を引っ掛けたのなら、縄で押さえられた細い木が直立し、宙吊りになってしまうであろう。

 蛇林寺と呼ばれる寺に行くには、この一本道を通らなくてはならない。

 

「雪定、寺は放っておいて、先に進んだ方が早いのではないか?」

「ここを過ぎれば、もう寝床はありません。しばしの辛抱を」


 墓川兵が先陣を切って罠を解除していく。だが、一つの罠を見つけるのに、それは丁寧な時間をかけた。


◇◇


 一方、宏次の後を追いかけて来た小夜は……。


「……何処だ、ここは」


 薄暗い森の中を彷徨さまよっていた。


「墓川軍を見失うわ、山なのに食べられそうな山菜も無い」


 独り言が森中に木霊こだまする。独り言に、空腹に満ちた心の叫びが混じっていた。

 その時、足元の糸を引っ掛ける。矢が、小夜の顔面に目掛けて飛び出した。瞬時に刀を抜き、軽々と弾く。再び歩き出すと、今度は輪になった縄に足を引っ掛ける。


「——あっ!」


 縄は小夜の足首を締め付け、押さえられていた細い木が勢い良く直立に立つ。縄に引っ張られて、あっという間に身体が逆さまになってしまった。


「くそ! これも全て宏次あいつのせいだ!」


 今起きている苦境を、全て宏次に押し付ける。宙吊り状態から、刀で縄を切って何とか背中が地に着いた。だが、身に着けていた群青色の装束に土が付くのを見て、小夜はまた不満そうな顔を浮かべた。

 ふと耳を澄ませば、水のせせらぎが聞こえる。


「川の音?」


 ぐぅ~……。

 今度は腹の音まで聞こえてくる。


「……川に行けば、魚ぐらいはいるかもな」


 小夜はまた歩きだした。次々と襲いかかって来る罠を突破しながら。


 やがて罠の森を抜ければ、そこには広い川だった。ふと足元を見ると、緑の中に見覚えのある物が生えていた。


「いや、山葵は流石に……な」


 にがい……いやからい思い出が甦る。足元を見ずして、川の方へ足を運ぶ。川の中を覗くと水は透き通っており、魚の泳ぐ姿がはっきりと分かる。深さも中に入ると足は届かないであろう。

 集中し、水面に向かい刀を引き抜く——居合。刃が水面に映る魚を捉える。水飛沫と共に魚が宙に浮いた。


「やった!」


 宙を泳ぐ魚は再び川に落ち、元気に泳いでその場を去った。

 大きな溜め息を吐き、水面をみつめる。


「……丁度、汗も流したかったし。誰もいなさそうだしな」


 再度辺りを確認し、着込んでいた群青の装束を脱げば、透き通った白い肌が露になる。水面の中に入り、少女は束の間の水浴びを楽しんだ。

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