7
何かしら意識を持っている生き物は種族が違いすぎると、顔の区別がつきにくくなる。
イヌは私たちと同じ哺乳類だが、私たちとは種が違う。よって、まったく同じ色をして、まったく同じ大きさのものを並べられ、個性を述べよ、と言われてもわからない時がある。
私たちの目には、あらかた同じ姿に見えてしまうから当たり前である。トリも、ウサギも、ネコも同じ姿だ。まったく同じ色をして、まったく同じ大きさのものを並べられても、AとBは顔が違うと言われても、細かい違いはわからない。爬虫類や昆虫となると、更に酷くなり顔の区別はまったくつかない。似たもの同士の、哺乳類同士だからこそ、辛うじてわかる箇所が部分的に存在する程度である。つまり、どうでもよくなるのだ。同類、異種にとって、同じ姿かたちに見えてしまうから、道に転がっている石ころと同じで、似通ったものにしか見えない。これは私のモノだとするきっかけ。自身の好みである、あい着は生まれにくい。
自分とは似ていないのだから、違うと言い放ち、互いにとっての攻撃対象となる。「私には相手の事が理解できない」としているのは、関係性や共通点、つまりは自分にとって相手が本当に必要であるのかはっきりさせていないと、その命でさえもどうでもよくなる。相手の顔の区別がつかない時点で、永遠に分かり合えない他人である。そういった、殺しやすいからと言う理由が存在するから「天敵は人ではない、哺乳類だから」と、私たちの優勢情報浸透質のゴミの部分、劣等情報浸透質を吸収させる生贄となったのだろう。
死んでいるものの背中を見れば、質素だとわかるように、生きているものには鼓動があり、温もりが存在する。彼女たちには温もりがない。彼女は人間ではないし、わざわざ人間の形である必要がないからと、私は蔑んでいるようだ。
そもそも生理的に大嫌いな存在だ。私たちと同じ思考を持っており、こんなにも人間と似ているから……いや、似ているからこそ、人間ではないと、強く感じてしまっているから嫌悪している。
夜乎と胎児を保存している生体維持装置の水が揺らぐ。孤独を痛くさせるほどに小さく、とりとめのないものだ。細かな泡は、何もなかったといわんばかりに弾けて消えた。つかみどころのない分娩室は、先ほどの感情の残り香に、ひどく戦慄しているようだった。それが幽かに鼻孔へ入り込んで、身体の芯を冷やし始めた。部屋は凍てついている。雨粒が地面に染み込む静かな情景よりも、遥かに寂しくて、乏しい。いつものように思考上で、目の前の彼女に贈る言葉を作ろうとするが、室音に思考を抜かれ盗まれ、眩暈はしないがしてしまうくらい苛まれる。死が近づく度に、一日の時間の速度が増していく事しか疑問に思えなかった。――どうでもいい、と、安易に天井の灯りを点けたくはない。空間が乏しいと感じてしまうのは、何故だろうか。つまらないとまで極めこむのは――。
「…………」
ぐちゃぐちゃだ。私は一体、何を想っているのだ。一体、私の中で何が変わった? 何も変わってはいないはずだ。しかし、では何故だ。慣れ親しんだこの部屋を乏しいと、今までの印象を塗り替えているのだ。
「…………」
天使の首を置き、答えが欲しくて、窓を開けた。答えは、そこに存在しないとわかっているのに――ああ、冷たい。白い息は視界と重なり邪魔くさいが、すぐに消えてくれた。うつむかず、私は空を見上げた。星の電光は、闇の中からぽつぽつと滲み出て、太った光の川をひいていた。
う、あ、う、わ、あ、わわわわわ。
鳥肌が立つ瞬間のまま、永遠に繰り返される恍惚感に全身が包まれた。
夜空が、広い。乏しい気持ちが満点の星空と混じり合い、蒼然としている。狭くおぼろげな視野だったが、まぶたは大きく開いたのだと認識する前に、視野を夜空に吸い込ませて、私は何かを
「……」
空一面のオーロラがちらりちらりと星空を隠し、赤や緑と、妖しく色を魅せつける。地上の色は対話をしているかのように変わり続けた。顔と身体が青色になった今、私は何をすれば良いのかわからないと、理解できた。
「…………」
私は、何をすればわからない時は空想にふければ良い、と、思っていた。
「……、……」
空想に、浸ればいい。浸ればいいのだ。
「………………」
安堵に付随している、もうひとつの異なる質感。これは不思議な、劣情と、いった具合の倦怠感をはっきりと体現していて、ぶらりぶらりと、胸の奥で垂れ下がりうざったい。私は、影響下の
窓枠は銀色で、冷たすぎる。感じ取った想いとは裏腹に、景色が暖色に変わってしまった。
「――天使さんを治さないの?」
はっとした。外から私へ。彼女はまじまじと私の顔を覗く――奇態。近くを、遥か遠くで見つめるような、形而上でモノを診ている表情だった。これを馬鹿にしているとでも、いうのだろうか。窓枠に触れている私の手から一定の距離を保ちたかったのか、彼女は花車な手の位置を二回も変えた。のんびりとした動作だったが、胸が痛くなる。オーロラの赤色を顔に塗った彼女は、怒っているようにみえた。
「もうしわけない」
「なぜ、謝るの?」
「わからないのだ」
「治し方がわからないの?」
「直し方はわかる。しかし、何のために直そうとしているのかが、わからない」
「人類のために、治すんじゃないの?」
「そのとおりかもしれない。だが私は、他にも理由を欲しているのだ」
彼女はプロペラの風で散らばる髪を耳にかけてから、細く切ない息を吐いて、喜びに堪えた表情で答えた。
「そうね。じゃあ、理由をわかりやすくしよう。私のために治してよ」
「……それは、なぜ?」
「心臓さんは、人類のために行動するヒーローには向いていないと思ったからよ」
「…………」
「私は心臓さんの時代の、当たり前の事は何一つもわからないし、自分の時代の当たり前の事しか言えない。誰かの為に行動をするのであれば、今のままではいけないと思うわ。悩むくらいだったら、天使さんのために治したらいいじゃない。他にも、奥さんのために治すとかさ。自分で決めなよ」
「意味がわからない」
「心臓さんは、馬鹿みたいね。天使さんを怪我させたのは、心臓さんだし、心臓さんが責任を持って治すのが、普通じゃないの」
「普通、とは?」
「心の中心で、ぐるぐると巡っているものよ。血液みたいなもので、人はみんな同じ血の色でしょう?」
「そんなことはない。同じ血の色かもしれないが、違うはずだ。だから統一意思が」
「心臓のくせに、心が分からないなんて、臓器失格じゃないの」
「心臓ではない。私は人間だ」
「なおさら、駄目ね」
思考を巡らせるが、空のプロペラ音が邪魔臭かった。不快から湧き出る怒りで、彼女の言葉を、私の大事な世界の常識的事実を照らし合わせた。
「ひとつになる。私たち人類は、みんな、ひとつの血液となる」
「ひとつになれるわけがないじゃない。馬鹿じゃないの」
「……、……」
「なによ。私は、真剣に話をしているのよ」
彼女は、話のかみ合わない事に悲しく思っていない。私はうつむくと、
切ない。
人は悲しいのだ。悲しいからこそ、見捨てた自分の細胞にも魂があるから大事にしろと、先人は説いた。魂は、一人に一つだけ宿るものではない。一人の個体の細胞の数だけ宿るもので、身体を作るには細胞は支えあって一つの個体を形成している。怪我をして、約六〇兆ある細胞のひとつが地面に落ちても、人類は気づきもしない。見捨てて、未来へと進む。感情は、そういった“
血液型も種族の細胞も、違いの壁を越えた純粋な生物の遺伝情報の結晶、“知識の欠片”を浸透させた哺乳類の身体は、劣等情報浸透質を単純にRNAウィルスと見なす。浸透した個体は、抗体を作り上げようとする際に、遺伝子を意図的に再構成するが、遺伝子増幅する場合にかぎり、劣等情報浸透質と、高分子生体物質は、互いの種の保存の法則により共生しようと遺伝子情報を取り込む。個体は見事、トランススプライシングを繰り返し、遺伝子は合成される。遺伝子変異で起こる悪性腫瘍の増殖は、繰り返すごとに哺乳類の顔面を含む身体の全てが人に近くなる。それは成長し、細胞は再生と脱落を繰り返した結果が、
目の前の彼女は、会話がかみ合わないことに怒りを露わにしているようだ。どうせ人は、記憶を継ぐだけの肥料となり死んでしまうし、その怒りを一体誰に、はたまた、どこに向けるものなのだろうかと疑問に思える。感情は、人に向けるものではない。軽薄な人と人の間で、何の意味があるのだ。死ぬのだから、意味などは無い。感情は自分にしかわからないし、他人に感情を長々と見せつけるなんて、時間を費やすだけで、迷惑でしかない。狂人という言葉が生まれたのは、ただの迷惑だったからで、社会の邪魔になってしまっているからだ。私たちは全ての感情を、理解されないし、しない。それは、喜びや怒りを表に出しても感情の根本を、相手は理解しようとしないからだ。
感情を持った当事者は自分自身を抑えつけるしかない。そうして、感情は収束され、怒りの感情は、悲しみ一色に変容する。悲しみのままで生きることが、人類として堅実に尊く生きるという事なのだから、悲しみの感性が糧になっている時点で、人の根本は悲哀なのだろう。
それは生殖細胞が、子供を欲しがっている種の保存の意志なのか。はたまたそれは、くだらない人類の理想なのか知ってたまるか。私は、神の父親であり最後のオスだ。すべての人類の思想を引き継いだ、完成された両親のひとりなのだ。子供が“待っている”と、私は、当たり前のように信じているだけでいい。
「もうっ」
彼女は、窓の外から手を伸ばして、私の頬をつまんだ。「君は、残念な人なのよ。来て。あなたが、この夜空といっしょであることを教えてあげる」そういうと、涼しい顔で夜空を見上げた。
「はやく」
私は、窓を閉めて真っ白な床を、かつ、かつ、かつ、と、わざと大きく鳴らし、歩いた。自動ドアへたどり着く前に、夜乎の容器が目に入る。下腹部が胎動していた。彼女の心臓は破裂し六方晶系結晶構造衣が、内側から無残に破れ、乳房の真っ赤な裏側が見えていた。水中でぺろりと揺らめき、小ぶりの胸の柔らかさを忘れたように思い出した。アームが記憶のない血液を精製、輸血し代わりの心臓となっており、彼女は目を瞑り続けていた。
私は、ぐちゃぐちゃだ。君の心臓がいなくなったことに苦い涙を流し、過去の女とふたりきりになったと言う事実が、心地いい時がある。脳に問いかけても、脳は姿を現さない。何気なく夜乎の傷口を見据えたが、機械制御されているAIの事が浮かび
「……」
容器は、人肌ほどの温さだった。私が容器に触れたことが怖かったのか、彼女は目を瞑った。彼女の寡黙な額に、ガラス越しにそっと、私の額を合わせた。浩然な顔つきにつられて、私も目を瞑った。暗闇は容器の光に
夜乎が額で容器をノックした後に、ドアは素早く開いた。――ああ、軽い。歩かせている足は速くなり風を感じて、景色もよく見えた。くだらない部屋の廊下は、無機質だった。輝きを失った銀色で、真っ赤なワンラインが出口へ伸びている。それは口にするだけで、反吐が出るほどに器械的で、とても冷たいものだ。
外へ。外だ。外だから、外へと出たい。狭い宇宙の星照明の下で、彩ある彼女が、私に知らない何かを教えてくれることは空想そのものとよく似ている。
「…………」
景色はよく見えるはずなのに、自分の脚で作りあげた風といっしょに
「…………」
鼻が、つんとして、奥歯を噛み締めた。分からないことを分からないと、一度だけ、
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