第2話 幼児? いいえ、召還された神様です。

 鬱蒼とした樹々に覆われたその森は、フィリア大陸のほぼ中央に位置していた。

 森から北に広がるのは、広大な大地と山々に囲まれたガルディア帝国領であり、反対に、森から南へ広がるのは美しい草原と海へと繋がる大河を抱く国ウェスタリアである。

 その二国に挟まれる形で、どちらの国の領土とも成りえていない森があった。

 古くから【魔の森】と呼ばれ人々に恐れられていたその森は、魔力の元と言われる魔素マナが異常に多く漂い、そのマナの力で樹々も獣も生きとし生けるものの全てが歪んでしまっていた。

 捩じれた樹々は日差しを遮り、草花は毒素を振り撒く。獣は魔素に侵され凶暴な魔獣へとその身を変じた。

 じっとりと湿った風が吹く森は、昼間だというのに酷く薄暗く、深い草が歩く者の足を絡めとる。

 そんな森の中央に、ぽっかりと開けた場所があった。

 明るく開けたその場所には、かつて何かの建物であったのだろう跡がある。崩れ落ちたそれは、神殿の名残のようでもあった。

 ひび割れ、折れた七柱の一つ一つに紋様が刻まれている。

 かつては美しい装飾で飾られていたのであろう柱は、今は見る影もない。

 そんな忘れ去られた場所へと向けて、一人の少女が必至に走っていた。

 少女の腕に抱えられているのは、まだ二~三歳の幼子であった。

 指を加え、少女に必死にしがみついている。

「ねえ…ちゃ……」

「もうちょっと…っ。もうちょっとだけ我慢してっっ」

 腕の中の幼児に言い聞かせ、必死になって走る。

 否――。本人は走っているつもりだが、その勢いは速足で歩いている程度でしかない。

 それでも、少女にとっては必至なのだった。

 もう少しで森を抜け、かつてあった神殿跡へと出ることができる。そこまでいけば、現在もなお残っている神の庇護が少女たちを魔物から守ってくれるはずであった。

 そう――そこまで駆け抜ける事ができれば……!

 息を切らし走る少女の目の前で、鬱蒼と生い茂っていた樹々が突然途切れ視界が一気に開けた。

 朽ちた神殿の名残に、少女は僅かばかりの吐息を零した。

 部族に伝わっていた伝説は本当だったのだ。この遺跡の中に入りさえすれば、結界が少女たちを魔物から守ってくれる。

 後ほんの僅か……。その油断が少女の命運を分けた。

 背後から物凄い衝撃が襲い、少女は前方へと吹き飛ばされる。

 衝撃に跳ね飛ばされた身体は、一本の柱に叩きつけられた。背中が焼けるように痛かった。

 視界が流れ落ちる血で赤く染まる。

 腕の中の幼児が、鳴き声を上げているのが分かったが、少女には…もう声を掛けるだけの力も残されてはいなかった。

 神よ――…と少女は祈る。

 どうか我らの偉大なる神よ――…っ。

 願わくば…この子に…幸いを……。

 対価は…私の命を――……。

 祈りに応えるかのように、己の血が降りかかった柱が輝きだすのを目にしながら、ゆっくりと少女は暗闇へと落ちていった。

 僅かな笑みを唇に浮かべながら――。

 柱の輝きは更に増し、やがて白い光の中から小さな手が現れた。

 その小さな手は、愛しい者を愛でるように息絶えた少女の頭をそっと撫でる。

 輝きが徐々に収まると、そこには青銀の髪の小さな子供が立っていた。

 少女の腕の中にいた幼児は、あまりの事に驚いたのかすっかり泣き止んでいる。

 青銀の髪の子供は、状況を確かめるように辺りを見回し、腰に手を当てて「ふむ」と頷いた。

 「なるほど――。己の命を対価に俺を呼び出したわけですか……」

 ふむふむ…と更に頷き、子供は横たわる少女を不憫そうに見つめた。

 「君の願いは、この子の幸せなんだね――」

 しゃがみ込み、驚いている幼児の髪を優しく撫でる。

 「この子の幸せの為には、君の存在は必要不可欠なようだよ。さて。どうしたものか……」

 可愛らしく小首を傾げた子供は、その後「ふむ――」と酷く年より臭い仕草で頷いた。

 「仕方ない。古の約定だしね――。対価を貰った以上は願いを叶えるしかないだろうな」

 立ち上がり、両手を広げ言の葉を綴る。


 《我――古の約定に基づき、我が名のもとに汝の願いを叶えん。ルフィアスが命ずる。常世の地より戻り、今一度我が面前に頭を垂れよ――!》


 両手から放たれた黄金色の光が少女の身体を包み込み、抱き込まれていた幼子がその光に驚き再び泣き出した。

 光は少女の中へと取り込まれ、小さく心臓が鼓動を刻み始める。

 溢れ出ていた血は流れを止め、時を戻すかのように少女の中へと戻っていった。

 見る間に傷が塞がれてゆき、その震える唇から微かな吐息が零れ落ちる頃、少女はゆっくりと瞳を開いた。

 幾度か瞬き、慌てて腕の中で泣く子を確かめ抱き締める。

 「大丈夫――。大丈夫だから……」

 そう繰り返し、幼子を抱き上げた。

 やがて泣き疲れて眠ってしまった子の涙を指先で拭ってやり、少女はようやく気づいたように辺りを見回す。

 「――――っ!?」

 そこに見知らぬ幼児の姿を見つけ、思わず腕の中の子を抱き締めた。

 幽霊にしては、その姿はやけにはっきりとして見える。

 仕立ての良い白い衣に身を包んだ幼児は、子供らしからぬ困った表情でこちらを見上げていた。

 「……な…んで…子供が――…」

 「なんでと言われても、俺を呼び出したのは君なのですけどねぇ…?」

 言われた意味が分からず首を傾げると、片手を上げのんびりとした口調で彼は言った。

 「初めまして。君が己の血と命を捧げてて呼び出した“神様”です――」

 告げられた言葉を心の中で三度繰り返し、ようやくその意味を理解した少女は、

 「ええええええええええええ――――――――ッッッッ!!!!????」

 そう思わず叫んでいた――。

 


 

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