② 相手の気持ちを考えよう


 幼い頃からその成長を見守って来たリッカには彼の心の揺れ動きが手に取るように分かった。


 内戦、飢餓、圧政、弾圧。アスペラの住民は皆、少なかれ何らかの事情で生まれ育った地を追われた者達である。

 それを承知であえて自虐的に弱い者という言葉を使ったが、まさか半日とはいえ親交をもった相手が、むしろ追い出す側の人物だとは、リッカ自身でさえも気が付かなかった。

 キリュウにしてみれば対等の関係であると思い込んでいた相手が、想像もできない世界の住人だったのだ。きっと最初からカトリがこの国の姫だと知らされていたならば、いくら本人の人柄が魅力的でも、親しくなろうとはしなかっただろう。

 それは尊敬や崇拝とは全く異なる性質の、支配される者としての矜持、もしくは弱い者の意地とでも言うべきものだった。


 しかし、カトリが最初からそこまで考えて行動していたとは知る由もないが、結果的に見れば旅人を装うことでキリュウはカトリという人間を認めてしまったのだ。

 キリュウにとってみれば騙されたというより、対等な相手が一晩明けたら、一国の王女になっていた感覚に近かったのだろう。

 そして彼の心の中では、何故、自分ではなく彼女がそんな転身を遂げることができたのか。何故、対等だと思っていた相手にただ身分が違うというだけで頭を下げなければいけないのか。とても理論的な感情ではないが、それはある種の嫉妬にも近い感情だったのだ。


 

 そして、カトリの人柄もあって、再び対等な関係を結び直した二人が手を取り合って神殿へと向かうその姿を黙って見送った。

 リッカは嬉しさと共に一抹の寂しさを覚えつつ、長老院の広間に現れた。


「さて、お待たせしました。どこを見に行きましょうか?」


 一方、カトリも従者二人を神殿には連れて行かなかった。

 アスペラの住民と対話するために遥々やって来たというのに、ただでさえ自身の身分が障害となるのに、従者まで引き連れていたら威圧してしまうと考えたようだ。

 その代わりといってはなんだが、アスペラの住民のほとんどが神殿に集まり、誰も仕事をしていない時間を使って集落を視察することを命じていた。


 すでに長老やキリュウからは、あらゆる便宜を図るよう指示を受けているため、カトリが今日も案内を買って出ることとなった。

 しかしリッカが広間に現れると、ミラは深刻そうに杖を額に当てて不安な心境を吐露していた。


「ああ、カトリ様がお一人で民衆の前に出るなんて、粗相しないはずがありません」


 その意見にはルークも大きく首を縦に動かして同意している。

 そんな二人を前にして気休め程度に否定するリッカであったが、言われてみればキリュウが場の空気に飲まれてとんでもない事態を引き起こす姿は想像に難くない。


「リッカ殿、アスペラの方々の機嫌を損ねるようなことがあったときは、この老婆に代わって、なにとぞお力添えお願い申し上げます」

「ウチのキリュウの方が姫様の御前でとんでもないことをする可能性が高いので、その時は何とでもして下さい」


 本人たちの居ないところで、まだ何も起こっていないというのに頭を下げ合うミラとリッカ。しかし、このあとすぐにその不安は的中するのであった。



「自分からひとつよろしいでしょうか?」


 ひとしきりの挨拶が終わったところで、今日も甲冑に身を包んだルークが小さく手をあげる。

「職業柄、まず先にこの集落の防衛機構についてお聞かせ願いたい」

「なるほど。承知いたしました。ちなみにルークさんは昨日も甲冑を着込んでいましたが、どのような立場の方なのでしょうか?」


 ラザフォードでは、鉄鉱石の採掘と製鉄業の発達はほぼ同じ地域で見られる。

 しかし、その技術は火の扱いに長けた南部のカンタブリ地方や、鉱石の扱いに長けた北部のナヴィア地方を除けば、どこも細々としたものであった。それゆえ、全身を覆うような甲冑なんてものは、それこそ国家規模の潤沢な資金がなければ標準装備として採用することなどできなかった。


「失礼しました。カトリ様に選ばれ、特別に旅のお供をさせて頂いておりますが、

私は本来、王国近衛兵団アクシオンに所属している騎士であります」


 踵を合わせて胸を張るルークに聞こえないよう、ミラがリッカに耳打ちする。

 どうやら一般人の生活を知るための旅に出ようとしたカトリをミラが制止し、最低でも自分ともう一人護衛を連れていけと提案したらしい。

「そして居なくなっても問題なさそうな者を採用したのです」

 そんな事情は知りもせず、選ばれたことを誇りにしているルークを見て笑顔が引きつりそうになるのを堪えて、リッカは彼の要望に応えた。


「アスペラにはルークさんのように専門の兵士は居ませんね」

「では昨晩のように夜盗に襲われた場合、どのように対応するのでありましょうか?」


 昨晩はカトリ一人で夜盗を捕まえてしまった。もちろんアスペラにも腕自慢の人間はいるが、基本的にはアスペラの住民総出で取り押さえるしかないのだ。


「それは日頃から訓練をしていない一般人には荷が重いのではありませんか?」

「ルークさんのような方から見ればそうかもしれません。ただ、対策が無いわけではありません。言葉で説明するより実際に見て頂いた方が早そうですね」



 リッカは二人を長老院の奥へと案内した。


 廊下を進む間、リッカは特に考えることもなくミラの手を引いていた。その行為といい礼儀正しい態度といい、ミラは心底感動したようだ。堪えきれなくなったのか、突然の大抜擢を口にする。

「リッカ殿、もしよかったら王国の侍女隊に推薦させて下さいませんか?」

「有り難い話ですが、私が抜けたらアスペラの事務仕事が回らなくなってしまうんですよ」

 しかし、笑顔のままあっさり断るリッカであった。


「それに比べて、ルーク、騎士道は結構ですが時と場合を考えた方がいいのではありませんか?」

「申し訳ありません……」

 職員は神殿に出払っているので仕事の邪魔になることはなかったが、細い通路や階段を通るにはルークの甲冑はいささか大きすぎたようだ。文字通り肩身の狭い思いをしながら、リッカのあとについて長老院の一番高い建物まで登ってゆく。



 集落の屋根よりずいぶん高い場所から見下ろすと、まるであの丘の上から見たように、アスペラの全景が良くわかった。

 青空の下に輝く黄金色の麦の穂が風の形をくっきりと描いているからだろうか、それとも平和そのものといった生活が手に取るようにそこに見えるからだろうか、丘の上から見たときには感じなかったが、周囲を堤防に囲まれているという感覚は、意外と圧迫感よりも安心感の方が強いらしい。


 目の見えないミラに、その光景を説明するルークであった。

 しかし、景色に見とれて気が付かなかったが、その部屋には場所に不似合いなほど様々な楽器が置かれていた。

「お見せしたかったのはこちらの方ですね」

 試しにと、いくつかの楽器を二人に手渡すリッカ。

 ミラもルークもそれとなく音を鳴らしてみるが、どこにでもあるような打楽器、弦楽器ばかりである。

「もしも、何かあった際には全員で対応することになるのですが、そのときの連絡手段がこの楽器なんです」

  

 ミラもルークも、すぐにはリッカの話が呑み込めないでいた。


「まず、この花火を打ち上げます。2回なら個人、3回以上なら全体です。そのあとにこの楽器を鳴らして連絡が送れるのですが、内容は物凄く多岐にわたるので、ここではすべて説明できません」


 そこまで説明されて、ミラはこれが昨日何度か聞いた破裂音だということに気が付いた。とはいえ、そこまで様々な目的で連絡が行えるのかと疑問も抱く。


「例えば昨日の長老に来客というなら、花火2回の後に、銅鑼1回と太鼓を2回の繰り返しです」

「キリュウ殿の呼び出しなら銅鑼は2回ですか?」

 その通りだと肯定するリッカ。確かに、カトリがキリュウを迎えに行ったあとに聞いていてもおかしくはないのだが、ミラの耳の良さには驚かされた。

 


「それは、例えばこのルークのような者にも理解できるのでしょうか?」

「ある程度記憶力がないと難しいかも知れません。普段から使っている私たちなら問題ないのですが……」

「ということは、いくら馬鹿が付くほど力があっても馬鹿では、あまり意味はないようですね」

「全員の意思を統一して対応できるので、バ……、個人の力はそれほど関係ないですね」



本人を前にして率直な意見を言い合う二人。

哀愁の音がアスペラの空に響いていた。

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