⑩ 空の大輪


 息を飲むような光景にカトリは言葉を失っていた。

 しかし、眼下に広がる大輪の花々を見ながら、リッカは少し寂しそうに語りだす。


「アスペラの住民は、火と風、それと水の民族がほとんどなんです」



 ラザフォード王国は5つの民族が暮らしている多民族国家である。

 最も多くの割合を占めるのはカトリのような薄白い金の髪をもつイオ族。彼らが国の中央で政治・経済を担っている。一方、少数民族である残りの4民族は、その信仰する神から地・火・風・水と呼び分けられ、中央以外の様々な土地で独自の暮らしを維持している。


 しかしラザフォードは決して平和な歴史がずっと続いていたわけではない。むしろラザフォードの歴史は民族間の対立と、各地でおこった激しい内戦の歴史である。

 とりわけ、強大な力で土の民族が周辺地域へ侵攻した10年前の内戦は、リッカの言葉で挙げられた、火・風・水の民族から多くの難民を出した。


 アスペラは場所こそ国のイオ族の領内に位置するが、住む土地を失った異民族の子孫が作り上げた集落のひとつなのだ。


「私もキリュウくんもを使えないので、魔法使いの方々の気持ちはよくわからないのですが、相手にどんな魔法を使えるのか聞くのは礼儀に欠けるんですよね?」

「そうね。特に私たちの民族だと、資産を聞かれてるのと同じだから……」


 と言っても多種多様だが、大抵はそれが直接本人の職業や身分を示す。

 今でこそ、少なくとも王都周辺は幸せなことに平和ボケが進んでいるが、時代や場所が変われば、魔法は身を守る手段にもなるのだから、誰も好んで自分の能力を言うはずがない。

 いつしかそれは秘匿とするのが礼儀となっていた。


「オレ、資産ゼロ。よし、オマエの能力教えろよ」


 キリュウが自分を除いて難しい話を始める2人の間に割って入る。しかしリッカもカトリも冗談で場を和ませようとするキリュウを無視して話を続けた。


「でも、あの人たちはもうほとんど普段の生活では魔法を使えないんです……」

「民族特有の能力は、アイツらに言わせれば信仰する神の奇跡らしいからな」

「残念だけど、その神様に助けてもらえなかった人たちです。当然かもしれません」


 生まれた土地を失い、生活の中で神への信仰心が薄れたアスペラの住民には、もう魔法を使う力なんて残っていないのである。


「でも、今も凄い風が吹いてるじゃない。これも魔法でしょ?」

「本物の風使いウインドは、それこそカトリさんみたいに、1人で自分を浮かすほどの風を使うんですって」


 リッカはカトリが屋根の上に跳び上がり、宙に浮かびあがったあの時のことを思い浮かべていた。


「ウチのは年に1回、特別に信仰心の高まるこの祭りの日だけ。しかも、布で凧まで作っても、風を受けるだけで精いっぱいなんだよな」

「去年は、ほんの少し浮かび上がったんですけど、もう無理みたいですね……」



 眼下に広がる大輪の花々を、アスペラ奇跡と形容したキリュウだったが、空も飛べなくなる程に力が弱くなっていることは、魔法が使えない2人にとってもショックだったようだ。


「また別の方法考えるかー」

「これよりもっと効率的な方法なんて、あるのかなぁ」

「もしかして、これってあなたたちが考えたの?」

「せっかく魔法が使えるんだから、年に1回くらいは目に見える形で使わせてあげたいんですよ」


 キリュウの話では、これでも考え抜かれた方法らしい。

 魔法が使えるとはいえ、もうほとんど目に見えるような力が出せない人々に、細かくいろいろな役割を分担することで、なんとか魔法を使っている実感を思い出させようとしたようだ。


風使いウインドっていっても、もうゼロから風を生むようなことはできないからな。火の出せない火使いファイアに焚火の熱を地面に伝えてもらって、それで発生した上昇気流を束ねて強くしてるって感じ」

 

 それはそれで凄い才能である。思わずキリュウを見直すカトリ。

 それとともに、感心する程の知恵をはたらかせ、涙ぐましい努力をしても、ただの花畑で終わりかけていたアスペラの奇跡に、居てもたっても居られなくなった。


 気が付けばカトリはヤグラから身を乗り出し、広場に向かって大声で叫んでいた。


「あなたたち、もっと、もっとしっかり布を握ってて!!」


 そして天高く伸ばした細い腕を、力いっぱい眼下の大輪の花々に振り下ろす。



 フワリ。



 カトリの合図とともに、大きく膨らんだ色とりどりの花々が、ゆっくりと地面から浮かびはじめた。


 布の上から掛けられたカトリの声に、半信半疑だった広場から歓声があがる。


「浮かんだ、浮かんでるよ!!」



 アスペラの奇跡は本当の奇跡となって、夜空に大輪の花を咲かせた。



※※※



 翌日、奉納祭が始まろうとしているのに、キリュウは長老院内の補佐官執務室に押し込められていた。

 カトリのおかげで、昨夜はあんなにも晴れやかな気持ちで夜祭を締めくくることができたというのに、その表情はどう見ても機嫌が悪そうだ。

 口を真一文字に結んで、衣ずれの音と共に扉越しに聞こえる声を聞き流す。


「だから言ったじゃない。私のことを聞かなくていいのかーって」

「あれは、機嫌が悪いというより、複雑な心境なんですよ」


 着慣れない儀式用の礼装に身を包んでいることもあるが、カトリが自覚しているように、キリュウの態度が急転した理由はカトリ本人にあった。


「キリュウくんは多分、困ってる人を放っておけない性格なんです」

「急にあんな感じになっちゃって、私も困ってるんだけどな……」

「でも、困ってる人って普通は弱い人じゃないですか。ある意味、あの人の優しさはお山の大将的なもので、ようするに器が小っちゃいんですよ」

「それはココに来て早々見せられたから知ってる」


 扉の向こうに筒抜けだというのを知ったうえで、敢えて本人をネタに笑い飛ばす2人に、思わず握りしめた拳を震わせるキリュウ。

 しかし、その拳を振り下ろそうとした執務室の扉は、見た目よりも厚く重く、巨大だった。


「その節は、大変失礼しました……」

「ううん。リッカが気にすることじゃないよ。アスペラじゃなかったら、首が飛んでたかも知れないけどね」


 あの時は我を失っていたため、キリュウにその自覚はないが何のことを言っているのかは予想がつく。昨日までは軽かったはずの扉は、カトリが言葉をしゃべるごとに、厚さを増していった。


「よし、できた。こんな感じでいかがでしょうか?」

「ごめんね。どうもありがとう。そもそも、構造的に一人じゃ着れない服ってどうかと思わない?」


 執務室の扉が開かれると、見たこともない純白のドレスに身を包んだカトリが待ち構えていた。仏頂面を決め込んだキリュウも思わず口が開いてしまう。

 無理はない。その姿は、見た誰もが魚のように口を開くだろう。


 しかし、先に気恥ずかしさの限界を超えたのはカトリの方だった。


「相変わらずキミは失礼な奴だな。何か言うことがあるでしょ」


 姿は見違えるほど変われども、中身は昨日のままのカトリ。とはいえその正体を知ってしまったキリュウにとっては昨日の様にはいかなかった。


「ええ、大変お美しい姿で……」

「ダメ。心がこもってない!」

「あの、カトリーナ様……」


 中身は同じだと理屈では理解しているキリュウ。しかし肩書に相応しいその姿がキリュウを狼狽えさせる。

 そんな昨日とは別人のようにふるまうキリュウを見かねて、カトリは両手でキリュウの頬を叩くように捕まえた。 


「アンタはいいから。わたしはわたし!」


 カトリの青い目が逃げ出そうとするキリュウの目をじっと睨む。


 ゴクリ。


 キリュウの喉が鳴り、キリュウの目にも覚悟の火が灯る。

 昨日と変わらない、人を見下すにやけた顔で本音の本音をぶちまけた。


「へっ、いいんじゃねえの。あれだろ、この国の奴らに『立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はラフレシア』って陰口たたかれてるの、オマエのことだろ?」

 

 カトリは鼻から大きく息を吐いて満足すると、その手をキリュウに差し出す。

 その手を取るキリュウ。長老院筆頭補佐官として、この尊き馬鹿をアスペラの皆が待つ神殿へと送り届ける役目を果たすために。



「では、参りましょうかゲロ姫さま」

「苦しゅうないぞ、ぷらんぷらん野郎」

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