⑤ やすい女と言われて


 当たり前のことに気付かないのは幸せだ。当たり前は、当たり前でない何かに遭遇して初めて気が付くものなのだから。



 荷物も片付けないうちに、カトリは用意されたベッドに顔をうずめていた。


「屋根もあるし、ベッドもあるっ!」

「カトリさまは本当に、やっすい女になられましたね……」


 ルークの言葉に、カトリはハッとした。

 普段なら、その軽口をへの字にするため、ありとあらゆる皮肉が瞬時にひらめくのだが、自分自身で妙に納得してしまったのだ。


 生まれた時から屋根のある場所で眠っていたからか、はたまた大昔の記憶が身体のどこかに刻まれているからか、人は夜空を見上げながら眠るという行為について、解放感以上の不安を抱く生き物らしい。

 何ひとつ不自由のない生活をしていたカトリにしてみればなおさらであった。一度や二度どころではなく野宿を経験した今でも、慣れるものではない。


 だからこそ、旅人なんて滅多に来ないアスペラに宿泊施設などないと聞かされた時は絶望したが、長老の厚意で空き家になっていた村はずれの一軒家を借りることになり、心が躍った。とはいえミラには不評のようだが。


「埃だらけではありませんか!」


「すいません。シーツや布団なんかは私の家の予備を用意できるのですが……」

「いえ、貴女や長老殿を責めたわけではないのです。我々のような旅の者にこのような場を提供して頂き、誠に感謝しております」


 長老に任され、引き続き案内役となったリッカに深々と頭を下げるミラ。しかし、リッカが必要なものを取りに行くと言って出ていくと、その矛先はまさかのカトリに向けられた。


「カトリ様、貴女が藁束のままのベッドに横になるのは目をつぶりますが、こんな埃まみれの部屋で一晩過ごすことについて、何の抵抗も持たないことが問題です!」


「目なんて最初からつぶってる癖に……」

「さあ、掃除をはじめますよ。ルーク、貴方は水を汲んでいらっしゃい。カトリ様は窓を開けて、まずは換気を!」


 中心となって掃除をはじめようとするミラの指示に、ルークは背筋を伸ばし、素直に水を汲みに飛び出して行った。

 しかし気だるげに窓を開けたカトリは窓枠に肘を置いて、仏頂面で愚痴をこぼす。


「だからって、掃除させるのはどうなのよ」

「何かおっしゃいましたか? 窓を開けたら、次は掃き掃除!!」




※※※




 3人分のシーツと布団を抱えて帰ってきたリッカも手伝い、日が傾く頃にはミラもしぶしぶ許せる程度には片付いた。


「そういえばこの家、ベッドはあるけれど、イスとか食卓はないの?」


 一拍置いてカトリの言葉の意味を理解したリッカは、広間の中央の四角い板を外して見せた。


「なにこれ、不良建築?」

「地面が見えてるではないですか」


 穴を覗き込んだルークが言う通り、床板を外すとすぐそこに地面があった。


「私も詳しいことはよく知らないのですが、代々この村の建築家は火の国の出身が多いそうで、あっちにはこういう建物が多いみたいですね。」


 リッカの言葉で、昼間に寄った長老院を思い出す。

 彼女の言う。すなわち、遠いカンタブリ地方の建築様式は、どうやらアスペラでは一般的らしい。カトリにとっては異文化の風習であるため、やや奇妙に見えたが、基本的には板の間の上で裸足の生活をしているようだ。


「それで、ここで火を焚いて、床に直接座ってご飯を食べるわけです」


 カトリは言われるままに床に座ってみた。床板は予想以上につるつると滑らかな触感をしており、低い視点も相まって、これはこれで新鮮だった。


「これはいい。ルーク、さっそく薪を集めてきて」

「あ、薪ならこの家の裏に置いてあるので、すぐですよ」

「私はカトリ様を護衛ために同行しているのであって、小間使いでは……」


 反論するルークだったが、追い打ちを掛けるようにミラに急かされ、味方が居ないことを悟ると、黙って薪を取りに行った。


「そしてカトリ様。杞憂であることを切に願いたいところではありますが、まさか下着が見えるような座り方は無さってないですよね?」

「そんな、バカな……」


 カトリが指を口に当てるハンドサインを送っていると、遠く鐘の音が響いた。


「日没の鐘ですね。少ししたら門を閉める時間になるので、村の外にいる人に知らせているんです」


「門って、あの門だよね……?」

「あ、そういえば、皆さんに出会ったのも門のところでしたね」

「えっと、もしかしたらなんだけれども……」


 ちょうど大量の薪を抱えて帰ってきたルークを指さす。


「この人が壊しちゃったかも……?」

「もしかして、無理やり開けちゃったんですか?」


 カトリは薪を囲炉裏に並べるルークを名指しするが、当のルークはカトリの命令で開けたのだと弁明する。


「確かに、私の記憶ではカトリ様が許可していましたね」

「あの門は人の力で簡単に開くようなものじゃないんですが、よくできましたね」


 褒められたと勘違いしたルークは胸を張っているが、事態はやや深刻なようだ。

 リッカは手早く囲炉裏に火をつけ、使い方を説明すると慌ただしく立ち上がった。


「早く見てこないと……。すいませんが、どなたか長老院に行って、キリュウという人を門まで連れてきてもらえますか?」


「開けたのは私ですが、責任者はカトリ様ですよね?」

「そしてわたしの目付役はミラだよね?」

「盲者が行って何の役に立つのでしょうか?」


 いい大人の責任のなすり合いは見苦しい。

 結局、押される形でカトリが行くことになってしまった。


「もう、わかったよ。でも、ルークにも責任あるんだから、お前も来なさい」

「私もカトリ様の命とあらば、たとえ火の中だろうとお供させていただきたい所存です。ですが、火のある部屋に目の見えないミラ殿を残して行くことはできません」

「カトリ様、上に立つ者として叱責を受けることも必要ですよ。覚悟を決めてお役目を果たしてきてくださいませ」


 主人だというのにあっさり裏切られ、家から追い出されるカトリ。

 リッカも肩に手を置いて慰める。


「その苦労、私も良く分かります」

「ありがと……」


「別に怒られるようなことでもないので、気を落とさずに。長老院の誰かに、私がキリュウという人を呼んでいたと伝えて下さるだけでいいので」



 長く連れ添った二人の従者より、今日あったばかりの少女のほうが、頼もしい相方に思えるカトリだった。

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